金貨の鎖
男たちは、後生大事に持っていた巻紙を広げ始めた。どうやらバルトロが生きているとバレたわけではなさそうだ。秋葉はほっとしたが、代わって『じゃあ、こいつら何しに来たんだ?』という疑問が持ち上がってくる。
「悪魔であったバルトロは死んだ。しかし、人は彼のために対価を払っている。それは理不尽なことだと思わんか」
僧服たちの中でも、一番ぼってりと肉がついた男が口を開いた。マリスが彼をにらみつける。
「……ええ」
「であろう。なのでな、裁判の費用はそなたの家で負担せよ。これが明細じゃ」
マリスの顔が真っ白になった。男の手から巻紙をひったくるようにして取り、目を通す。秋葉たちも横からのぞきこんだ。
「薪代、磔台の設置費用、鎖の鋳造費……」
こんな調子で、「よくもここまでやったものだ」と感心するくらい細かく金を取り立てている。処刑人の食事代まで書き込まれているのを見て、秋葉は笑いと怒りを同時に感じるという珍しい体験をした。
「……まさか、これを全て提供せよと? 最後には、この家まで入っておりますが」
マリスが憮然として言うと、僧服は胸を張った。
「当たり前ではないか。悪魔の手先の家など、普通の人間が住んでよいところではない。騎士団が管理し、きちんと清めなければならぬ」
ここで秋葉はこらえきれなくなって、高笑いをした。僧服たちがぎょっとした顔で、秋葉を見つめる。
「この下男はなんだ?」
「いや、失礼しました。あんまり馬鹿馬鹿しかったもので」
次の瞬間、秋葉は地を蹴った。右手には大鋏。
その鉄の塊で、正面にいた僧服を殴りつける。手加減はしたが、それでも殴られた男は玄関から庭先までふっとんでいった。
秋葉は次々と男たちを打ちすえていく。最後の一人、と思ったところで、急に目の前に影が飛び出してきた。
背の高い男だった。彼は素早い動きで、逃げる僧服のこめかみを殴る。僧服が失神したのを確認してから、男は秋葉に向き直る。
「よう、神の御使い。手こずってんじゃねえか」
ラウルだった。今度は口の端をつり上げるような皮肉なものではなく、本当に顔全体で笑っている。
「手こずってません。手加減してやってるんです」
強がりでもなんでもなく事実なのだが、ラウルには冗談にしか聞こえなかったらしい。鼻で笑われた。
「威勢がいいねえ」
「……好きにとれば」
ラウルへの説明は早々に諦めて、秋葉は最初に殴り倒した男の所へ戻った。出番がなかった天目は、すでに獲物の上に馬乗りになって、数少ない毛をむしり取っている。
「いた、いたっ、無礼であるぞ!」
「手や足を毟られた人に比べれば、この程度どうってことないだろ。お前にも同じことしてやろうか」
ぞっとするほど冷たい声で天目がささやくと、男の体から力が抜けた。秋葉はそれを見て、鋏を抜く。自分の獲物の首を刃内におさめてから、つぶやいた。
「……不思議には思ってたんだよね。これだけ大きな騎士団が、反乱があったとはいえ、なぜ雪崩をうって悪魔狩りに走ったのか」
できたばかりの小さな教団なら、全員が熱狂的な信者ということもありうる。しかし、組織が巨大になればなるほど、各人の思いには差が生じてくるはずだ。
大規模な悪魔狩りなど馬鹿馬鹿しい。反乱とて、恐るるに足りぬ。
信者の数を減らしてどうするつもりだ。それなら免罪符でも売った方が良い。
大きな組織ほど、こういう反対意見が出て内部で揉める時間が長くなる。それを一足飛びに実行させたのは、金の魔力だったのだ。
「そりゃ揉めなくなるよね。死んだ人間に難癖をつけてむしり取れるなら、実入りは免罪符や税金よりはるかにいい。今までいくら稼いだの?」
秋葉の問いに、男は答えなかった。思い出そうとしても無理なほど、悪行を重ねてきたのだろう。救えないな、と思いながら秋葉は男を殴り倒した。
「バルトロが死んだから、のこのこ財産をいただきに来たってか。良い度胸だな」
また天目が獲物の髪を毟った。とりあえずそれをやめるよう言って、秋葉はさらに付け加える。
「知ってることを喋らせるようにして。まだ殺さないでね」
天目がうなずいて、男を引きずって庭の端へ行った。秋葉は次に、マリスのところへ向かう。
「ここは僕たちがなんとかしますから、もう寝てください。玄関にも部屋にもしっかり鍵をかけて。お父さんにも同じようにしてもらってください」
それを聞いたマリスはすぐに家の中へ戻っていった。がちゃんと閂がかかる音を聞いてから、秋葉はラウルの顔を見つめる。
「まさか、こんなにすぐ会えるとは思ってませんでした」
「そりゃこっちの台詞だ。呼んだら来るんじゃなかったのかよ」
「都合ってものがありまして。それにしても、よくここが分かりましたね」
「いると分かってたわけじゃない。近くに広場があるだろ。鐘楼に祈りに来たら、なんか変な連中がいてな。気になったから後をつけてきたら、この結果だ」
「なるほどね。……働いてくれる気には、まだなりませんか」
秋葉に聞かれて、ラウルが首を横に振った。
「いや。腹は決まった。俺に出来ることなら、何でも言ってくれ」
「良い度胸です」
秋葉は早い決断に驚きつつも、ラウルに向かって手を差し出す。異世界の神と人間は、自然と握手を交わした。
「で、さしあたってはどうすりゃいい」
「とりあえずそこでじっとしててください。一歩たりとも動かないこと」
「そんな楽なことでいいのか」
「……一般人が『裁き』を見るのは始めてかもしれませんね。協力してくれたお礼に、特別に見せてあげましょう」
「何のことだよ」
まだ飲み込めていない様子のラウルを放っておいて、秋葉は天目のところへ戻った。
「聞き出せた?」
「うん、ばっちりだ」
「今から口に出して言ってみてくれる?」
天目がしゃべり出した。心配していた通り、聞いて欲しいことの二割も聞けていなかった。秋葉は自ら男たちの口を割らせ、情報をかき集める。やっとそれが終わると、意識のある僧服たちが妙にそわそわし始めた。
「あのう……もう十分お話しましたよね?」
「まあね」
「ここは神のお慈悲をもって、帰らせていただ」
そこまで男が喋ったところで、声が止まった。天目が男の顔を踏んづけたのだ。耳はまだ聞こえているだろう、と判断して秋葉はしゃべり続ける。
「これからが本番に決まってるじゃない。僕たちは、そのための神なんだから」
秋葉はそう吐き捨てて、いつもの祝詞を唱え始めた。
天地の初めの時
高天の原に成りませる神の御名において滅す
来やれ夜叉よ、黄泉の国よ
☆☆☆
世界が暗転した。闇の中に、白い大理石を切り出して作った裁判席が浮かび上がる。
まず目につくのは、半円状の一段高い卓だ。そこには裁判官たちが座っている。いずれも人間ではなく、歯をむき出しにした夜叉だ。彼らの中央には、屈強な赤鬼が裁判長として鎮座していた。
裁判官たちの卓から見下ろされる位置に、四角い机がある。そこに、白い仮面をつけた役職のない男が待機し、目の前の被告席を見つめていた。
被告席にはまだ誰もいない。被告席の左手には検事、右手には弁護人がいるが、この二人も真っ黒な仮面をつけて無言でたたずんでいる。
不意に、裁判所上空が明るくなった。被告席に僧服の男たちが、まとめて放り込まれる。彼らは互いに太い鎖でつながれ、身動きがとれなくなっていた。
「こ、ここはどこだ」
ひたすらうろたえる男たちを、秋葉は宙から見下ろす。無様な姿に、思わず笑みがこぼれた。
「僕らの世界の『裁判所』ですよ。正面が裁判官、左手に検事、右に弁護人。そして彼は」
秋葉が指さすと同時に、裁判長の下に座っていた男が回転した。男の体がみるみる透明になり、大きな一枚鏡に変化する。
鏡の中には、金勘定をしながらほくそ笑む僧服たちの姿が、はっきり映っていた。
『今月はすでに、金貨がこんなにたまりましたな』
『ちょうど良かった。カード賭博のツケがたまっていたところだ』
『もうおやめになったらいかがです?』
『それをおっしゃるなら、あんたも女遊びを控えたらどうだ』
『いやはや、これだけはどうにもこうにも』
鏡から聞こえてくる下卑た会話が、裁判所内に響きわたる。裁判官たちは、前のめりになってそれを聞いていた。
「で、デタラメだ!」
僧服たちはしきりに不服を口にするが、その声には力が無い。図星をつかれているのは明らかだった。それでもまだ食い下がる彼らを見て、検事の目が一気につり上がる。
「どう見ても、ここにいるのはお前らだろうが!!」
検事が怒鳴ると、男たちを捕らえている鎖がしめ上げられる。つぶれたカエルのような声を出す男たちを見て、裁判官が笑い出した。
「た、助けてくれ……」
涙目の男たちは、最後の頼みの綱である弁護人を見つめる。しかし、弁護人が仮面を取ると、その声もかき消えた。そこにいたのは、天目だったのだ。
「まだ反省していない。もう少し、締めてやれ」
そう言って天目はふんぞり返る。あまりのやる気のなさに、被告たちから怒号が飛んだ。
「貴様、それでも弁護人かっ」
男たちが怒っても、天目は平然としていた。
「やる気なーし」
舌を出す天目に、被告席が絶句した。秋葉は上から降りてきて、男たちに話しかける。
「……どうですか、自分が裁かれるのは。おや、裁判官たちが退屈してきたようですね」
その時、本性をあらわにした夜叉たちが、四方八方から男たちに噛みつく。苦悶の声をあげる被告たちに向かって、さらに鬼が棍棒を振り下ろす。棒の直撃を受けて、男たちの体に裂け目が走った。
「も、もうやめてくれっ」
泣き言を言う男たちの前に、鋏をたずさえた秋葉が降り立った。
「やめないよ? だって、自分たちも同じ事をしてきたでしょう?」
ぎらりと光る鋏の刃が伸び、もがく男たちの首をとらえる。そのまま秋葉は鋏を閉じた。
場が闇に沈む。秋葉が首を一振りすると、マリスの家に戻ってきていた。白目をむいてぼんやり座っている僧服たちと、きょろきょろしているラウルが目に入る。
秋葉は天目に合図する。彼はすぐに動きだし、僧服たちを家の前へ放り出した。その間に秋葉は祝詞をとなえる。これで財産目当ての獣どもが寄ってくることはない。秋葉はラウルを呼びに行った。
「はい、ご協力ありがとうございます。もう大丈夫だから、一緒に来て」
「……お、おう……」
目の前で『裁き』を見たせいか、ラウルはいまいち顔色がすぐれない。
「何だ、でかいくせにだらしない」
「お前らと違って、人間なんだぞこっちは。……でも、本物を見られたのはよかったよ。おかげで、今まで見てきたあれがいかにまがい物だったかわかった」
「どうも」
天目がぶっきらぼうに答えているうちに、僧服たちが立ち上がり、広場の方へ消えていく。
「個人的にゃ、あいつらにはもっとひどい目にあって欲しかったな」
ラウルがため息をついた。
「やろうと思えばできたぞ。秋葉は悪人を挽肉にするのが好きだ」
「悪の権化みたいに言わないでよ」
必要があればやるけど。そう心の中でつぶやいてから、秋葉は話し出した。
「僕もあいつら嫌いですよ。でも、連中がここに来たのは騎士団の指示でしょう。奴らが大怪我をしたり死体で発見されたら、この家の人間がやったと思われる」
そうなったら、今度こそバルトロとマリスが危ない。だから不本意ではあるが、五体満足で帰すしかないのだ。
「ただ、何もしてないわけじゃありません。奴らの記憶は消しました」
「へえ」
「もっと感謝しろ。お前のためでもあるんだからな」
「はあ?」
「奴らに顔を見られてるだろ」
「……そりゃ、すまんね」
腕組みをしてにらみつける天目に負けて、ラウルが肩をすくめた。
「反省してるか」
「してるしてる。だからそんな近くに寄るな。たいして見目麗しくもねえのに」
秋葉が止める暇も無く、天目がラウルを殴り倒していた。