地獄の尖塔
天目が言うと、マリスは深呼吸をひとつした。そして、おもむろに話し出す。
「元々、この世界には古代より『悪魔』の伝説がありました。悪魔は呪術を用いて好き勝手に暮らし、よく老人に化けると言われています」
人外の伝説は、どこの国にもあるものだ。秋葉はうなずいた。
「本当にいたのか、それは」
天目が聞くが、マリスは首を横に振った。
「いえ、大半はただの孤独な老人でしょう。私は呪術も、薬草学や錬金術のことだったのではないかと思っています」
「ふうん。昔は別に、それでも罪にはならなかったんだよな?」
天目が空になった皿をいじましく見つめながら、つぶやく。
「ええ。以前は悪魔の疑いだけで捕らえられるなんてことはありませんでした。たまに捕まったものもいましたが、それは呪術が原因で中毒や怪我人を出した場合です」
「今はそうではないんですね?」
「ひどいものです。たとえ何も悪いことをしていなくても、悪魔は存在自体が神への冒涜とされ、無条件に処刑されます」
「こっちの神ってのは、容赦ないんだな」
「神は、慈悲深いお方でいらっしゃいますわ」
天目が言うと、マリスがすごい勢いで反論してきた。
「悪いのは堕落した僧たちと、それを守る騎士団です。神の名をいただき、その教えを執行するものとして発足しておきながら、権力を使ってばかりで存在意義を忘れて」
「元々宗教者ってのは発言力を持ちやすいものなんだけど、ここの世界じゃやりすぎたってことかな」
「はい。長きにわたり、王や貴族は清廉な生活をする僧や騎士たちを支援してまいりました。しかし今や、そんなものは形だけ。実際は免罪を盾に、騎士団が無理矢理金をむしり取っているようなものだと、いつも父が嘆いておりました」
王や貴族とはいえ、賭けもすれば女も漁る。そこを宗教的につつかれると、弱みから金を出してしまうものが多いという。
「へえ。で、その騎士団はむしりとった金でなにしてんだ」
「みんな、自分の懐へ金子を入れるのに必死です。ひどい院になると、教会内がまるで娼窟のようなありさまだとか」
マリスにあけすけに言われて、そういう話に慣れていない天目が顔を赤くした。秋葉は面白くそれを見てから、マリスに向き直る。
「しかしそんな振る舞いでは、神の使いだと名乗るのもためらわれそうですね」
「それは貴方が清くいらっしゃるから。いくら金と欲にまみれていようとも、騎士団に属しているだけで他の人間よりも価値がある。彼らは本気でそう思っているのです」
「大分イカれた連中だな」
天目が吐き捨てた。秋葉もうなずく。義務も果たさず、美味しいところだけ総なめにしたいと言っているような連中に、吐き気がした。
「そんな奴ら、たいして人望もないだろ。倒してみようっていう、骨のあるやつはいないのか」
「少し前には、そういう動きもありました。……しかしそれが、今の悪魔狩りのもとになってしまったのです。本当に、皮肉な話」
マリスは一口茶をすすってから、肩を落とした。
「どういうことでしょう」
「まず改革者たちは、あちこちで小規模な教団を独自に立ち上げました。そして、騎士団がすすめる儀式や、教会への参拝を拒み始めます」
「人が来なきゃ、銭も取れんからな」
天目が面白そうに言った。人と銭が密接に関わっているということは、今までの経験からよくわかっている。
「さらに、彼らは騎士団が作った法具の焼却や、税の拒否まで始めました。これが広く行われるようになれば、騎士団にとって死活問題になります」
「いいぞいいぞ」
天目はのんきに手を打って喜んでいるが、秋葉はだんだん心配になってきた。
「それで、穏便に済むはずありませんよね」
「ええ、結局全面戦争になってしまいました。騎士団は今までの鬱憤がたまっていますから、相当ひどく暴れ回ったようです」
異教をかくまったと判断された村は全てを焼かれ、井戸を開けてみると女子供の死体がぞろぞろ出てくるのも珍しくなかったという。顔がひきつるのを感じながら、秋葉は聞いた。
「もうその戦は、終わったんですよね?」
「ええ。やはり武力では、騎士団の方が圧倒的に上ですから。異教の抵抗は、一年も持ちませんでした。しかしここで、全て終わりとはならなかったのです」
反乱は比較的たやすく収まったが、騎士団は不安にかられた。また同じ動きが起こったら、今度は簡単に鎮圧できるかわからない。なんとしても、抵抗運動を根元から刈り取る必要があった。
「そこで生まれたのが、騎士団の中でも特異な存在、『悪魔狩り』です。彼らは教会に背くもの、またその可能性があるものを『悪魔』とみなして裁判にかける権利を持っている」
今まで、騎士団は地域ごとに支部を作っていた。各支部は独立しており、原則他支部の支配住民への干渉は許されていない。しかし『悪魔狩り』は全てに優先すると考えられたため、支部を越えて活動することが出来た。
かくしてマリスが住むこの町にも騎士団の魔の手がやってきて、たくさんの住民を連行していったという。
「これまでのいきさつはよくわかりました。今、お父さんは一体どこに?」
秋葉が言うと、マリスは小さな地図を持ってきた。
「ここが私の家、こちらがさっきの広場。父がいるのは、この『悪魔の塔』です」
マリスが街外れの一点を指し示した。
「さっきの坊さんたちが言ってたな」
「ええ、塔と名前がついてはいますが、実際は監獄なんです」
「お父さんはあの肖像画に描いてある人だよね?」
「そうです。名はバルトロ。バルトロ・シモーニです」
「わかった。とりあえず、様子を見てくるよ」
秋葉は胸を張って、立ち上がった。隣の天目も、膝の上の菓子クズを豪快にばらまきながら、同じ動きをする。次の瞬間、彼らの姿は部屋の中から消えていた。
☆☆☆
「いや、こういう移動の時、神ってのは便利だね。力は使うけどさ」
「確かにな。いちいち歩かなくて済む」
秋葉たちは、悪魔の塔の前にある広場に立っていた。武装した兵士が行き交っているので、物陰に身を隠している。
安全を確保してから、塔全体を見回す。石積みでできたごくありふれた形の塔だが、上半分にしか窓がなく、重苦しい雰囲気だ。
見たところ、五階建て。塔の出入り口は、その真ん中くらいの高さに作ってある。そこから細くて長い橋が延び、それを渡りきるとようやく地上へ降りる階段が見えてくるようになっていた。
「なんであんなところに入り口が」
「囚人が逃げられないようにでしょ」
首をひねる天目に、秋葉は説明してやった。窓がないし、塔は石造りなので掘ることもできない。
囚人が脱走しようと思えば、出入り口を目指すしかない。が、塔の最上階に見張りが居るため、すぐ発見されてしまう。その上入り口の扉を突破できても、橋を渡っている間に挟みうちにされてしまう。高さがある橋から落ちれば死ぬしかないので、破れかぶれの飛び降りもできなくなっているのだ。
「意地が悪いな」
「監獄なんだから、そこは仕方ないでしょ」
これだけで非道な待遇だと決めつけることはできない。とにかく、今はマリスの父を探して実情を聞いた方が良さそうだ。
「さて、どこにいるのかな」
確か、市長だったとマリスが言っていたはずだ。お偉いさんなので、一般市民とは別の階層にいる可能性が高い。
「秋葉、あの兵士についていってみてはどうだ」
天目が一人の兵を指さした。彼だけ鎧や兜に金の装飾がついている。おそらく、上官なのだろう。
「わかった、それでいくよ」
秋葉たちは姿を消し、位の高そうな兵の後をつけた。兵士の金飾りが目に入る度に、天目が顔をしかめる。
「本番じゃなんの役にも立たない飾りだな」
「金遣いが荒いんだよ、きっと。腹が立つからって余計なことはしないでね」
兵士は秋葉たちが話している間も、ずっと早足で歩いている。やがて、彼は最上階までたどりついた。見張りの部下と合流し、囚人たちがそろっているかの報告をうけている。
マリスの父の名が出てくるか注意して聞いていた。が、ここでは囚人を番号で呼ぶらしく、結局誰のことを言っているのかさっぱり分からなかった。
「しらみつぶしに探すしかないね」
結局、秋葉は牢の中を歩き回った。各部屋の前には、監獄らしい太い鉄格子がはまっている。その隙間から、囚人の顔を確認していった。
それにしても、要人がいる階にしてはやたら牢が狭い。せいぜい四畳半の広さ、といったところだろうか。おまけに寝台すらなく、石の床の上に直接寝るしかない。夜はさぞかし冷えることだろう。
そんなことを考えながら、秋葉は肖像画の男を捜した。囚人たちはうずくまったり、寝ていたりするので確認にも時間がかかる。
しかしようやく、天目が一つの牢の前で手を振った。秋葉は走る。のぞき込んだ牢の中には、だいぶ痩せてはいたものの、肖像画の面影が残る男がうずくまっていた。見張りがいないのを確認してから、秋葉たちは鉄格子をすり抜け、彼の前に立つ。
「バルトロ、バルトロ」
姿を隠したまま、天目が男の名を呼ぶ。バルトロは顔を上げ、辺りを見回した。
「今からあなたの側にまいりますが、大きな声をたててはいけませんよ。神の思し召しです」
精一杯、神らしく見えるように取り繕いながら、秋葉たちは姿を現した。バルトロはそれを見て、声をあげるどころか金魚のように口をぱくぱくさせている。しばらくしてようやく、彼は大きく息をついた。
「神の御使いであらせられますか」
正直に言えば違うのだが、秋葉はうなずいておいた。まあ、似たようなものだしイチから説明する時間も無い。
「おお神よ、こんな卑小な存在さえも見捨ててはおられぬ。なんと慈悲深い」
バルトロは涙を流して喜んでいる。秋葉の良心が痛んだが、彼は一気にしゃべり出した。
「お願いいたします。ここにいるのは、無実の罪で捕らえられたものばかりなのです。どうかお助けください」
「それは分かっています。ですが、今すぐ全員というわけにはいきません」
秋葉が言うと、背後で天目が低くうなった。
「かなり力は使うが、できなくはないぞ」
「でもそれじゃ、根本的な解決にならないよ。また新しい人たちが連行されて終わりじゃない」
かつて大神も言っていた。救いを求める人間は無数にいる、と。マリスの願いに応じて来たわけだから、まずバルトロは助ける。しかしその他の人間も救おうと思えば、知恵を働かせるしかないのだ。
幸いバルトロは元市長だ。政治の仕組みや騎士団の構成など、一般人が知らない情報を引き出せるかもしれない。
「さ、とりあえずここから出て、他の人を助ける方法を考えましょう。つかまって」
天目がバルトロに手を差し出す。しかし、彼は後ずさりをした。
「別に触れたって何も起こらんぞ」
あからさまな拒否反応を見て、天目が眉間に皺を寄せた。するとバルトロが、泣き笑いをしながら言う。
「……いえ、私の手が、この有様なもので」
バルトロが、初めて秋葉たちに向かって両手を差し出す。それを見た秋葉は、思わず息をのんだ。彼の手は、全部の指関節が腫れ上がり、紫色にふくれあがっている。骨が露出している指まであった。
「これはひどいぞ。どうした」
さっきまでの不機嫌も忘れて、天目がバルトロにつめ寄った。バルトロは、疲れ切った顔で答える。
「拷問の成れの果てでございます」
「なんだと?」
「証拠もないし、刑も確定していないんでしょう。こんなのは明らかに行きすぎだ」
「ここでは、自白が何よりの証拠とされているのです。たとえ無実だと訴える人間の指を木と鉄梃でねじり上げ、肉を裂き骨を砕いて取った自白でも」
あまりのことに秋葉たちが言葉を失っていると、バルトロはさらに続けた。