神に轢かれて異世界に
「お聞きくださいませ。父はヴィアラテアというところで、市長として過ごしておりました。いつも人に優しく、約束を破ったり、不信心をしたことなど一度もございません」
「は、はあ。よいお父上ですね」
話が見えないが、秋葉は笑顔を作った。女はさらにたたみかける。
「それなのに、根も葉もない噂で『悪魔』だと言い立てられ、騎士団に連行されてしまいました。彼らに捕まって、無事に帰ってきたものはありません」
女は熱弁するが、天目はいたって冷めた顔で聞いている。
「もう少し真面目に聞いてあげなよ」
「だって無実なんだろ。噂ごときで厳罰にできるわけがない」
「彼らの所行をご存じではないのですか!?」
天目に女がくってかかった。しかしすぐに気を取り直し、「失礼いたしました」と頭を下げる。
「それにしても、どうやってここまで来られたのですか」
「父は昔から古書の収集が好きでございました。その中に一冊だけ、異教の本があったのです。無論父はすぐ処分することにしましたが、幼い私が見つけてしまいました。あまりに装丁が美しく、惜しくなったのでこっそり拾って持っておりました。……こんなことになるまで、忘れていたのですが」
女はそこで、唇をかんだ。
「父に疑いがかかったとき、私は何度も祈りました。しかし、父は自由になるどころか、手紙の返事すら書けぬありさま。……私は、父とは違い不義者であったようです。ふいにあの異教の本のことを思い出し、一度だけそれに祈ってしまいました。どうか、父をお助けくださいと」
「その本が、きっと世界と世界の通り道だったんだね」
大神が言った。秋葉は目をむく。
「そんなところに?」
「私が管理してないから、世界のほころびはありとあらゆるところにあるんだよ」
大神は冗談になっていないことを言う。秋葉は聞かなかったことにして、片耳をふさいだ。
「でも、そうなら、俺たちも向こうの世界に行けるってことか」
天目が嬉しそうに言って、大きく伸びをした。
「まあね、人が通ってこられるなら、神も行けるだろうさ。……ん?」
急に大神は、口の端をつり上げて笑った。
「いいことを思いついた。この子の世界に行って、一暴れしておいで。たまった力が使えてちょうどいいよ」
確かに、それならばこちらの世界に混乱が起こることもない。大神にとっても都合のいい話だった。
「ん?」
ぬか喜びしようとして、秋葉はふと大事なことに気づいた。
「神の力は、信者の数に比例するんですよね」
「ああ」
「この女の人の世界じゃ、誰も僕たちのことなんか知らないでしょう。行ったはいいが何も出来ない、なんてことになったら」
秋葉は真面目に心配しているのだが、大神はいたって明るく手を振った。
「そりゃ大丈夫。秋葉は下界のことはわかるね?」
「ある程度なら」
「じゅーでん、ってわかる?」
「ええ。機械に貯めておいた動力を送りこむんですよね。それに似たことをしてくださると?」
「そうそう。すぐにあたしが二つの世界をつないで、こっちでたまった力を送ってやるよ」
これで秋葉の不安の種も消えた。もうすでに屈伸を始めている天目を見て、大神が笑う。
「……そこの君……えと」
「マリスと申します」
「この二体の御使いが、あんたの世界に邪魔するから。せいぜい腐った連中を追っかけ回してもらいな」
「あ、ありがとうございます!!」
地に伏し、涙ぐむマリスを見て、秋葉は深くため息をついた。一体、彼女の故郷はどんなことになっているのだろう。
「じゃあ、ほころびのところへ行くとするか」
大神が拳を上げたところで、怖い顔をした男神と女神が駆け込んできた。女神の方は見覚えがある。二神はどちらも切れ長の目をしていて、顔立ちがよく似ていた。
「げっ、天照」
「月読もおりますよ。大神、今回のことをきっかけに、あなたにお任せしていた境界の管理について調べました。なんですかこの無茶苦茶なありさまは。本当に仕事をしてたんでしょうね」
「それはねえ」
「このままだと、彼女だけではない。有象無象のものがこちらに入り込んで参りますよ」
二神は怒りに燃え、じりじりと大神との距離をつめていく。大神はしばらく「あー」だの「うー」だのうめいていたが、急に極光をまとい、くるりと背を向けて逃げ出した。
「あっ、天目、危ない!」
大神が走り出した先には、あっけにとられている天目とマリスがいた。このままではぶつかる。秋葉は何も考えずに、止めに入った。
次の瞬間、大気中に稲妻が走った。きんと高い音が鳴り響き、周囲が真っ暗になる。秋葉はとっさに目を閉じた。
☆☆☆
「うー……」
秋葉が目を開けると、隣でもぞもぞと天目が動いている。とりあえず大事ないようで、秋葉はほっとした。
「ひどい目にあったねえ」
「全くだ。それもこれも、ミナがちゃんと仕事をしてないのが悪い」
「まあ、そのおかげでマリスさんは僕たちと会えたんだけどね」
秋葉は天目をなだめながら、当の彼女を探す。周囲には背の低い草むらがあり、白い花が咲いている。その花塊の中に、マリスが倒れていた。秋葉が助け起こすと、彼女はすぐに目を覚ます。
「大丈夫ですか?」
「め、面目しだいもございません」
「元気そうだな」
天目が体についた草をはらい落としながら、近づいてきた。
「うん。全員無事みたいだね」
「ならこっちに来てみろ。見たこともない街があるぞ」
天目の指さす方を見ると、眼下には優雅な町並みが広がっていた。
町のど真ん中を、大きな運河が貫いている。そこには青い水がゆったり流れ、大きな海蛇が引く舟が走っている。運河の両側に立つ家々は、全て淡い橙の壁に茶の屋根、と統一されていた。その代わり、軒先には色とりどりの旗がかかっていて、見る者の目をひきつける。
「あれが私の故郷、ヴィアラテアです」
では、ドタバタしたとはいえ、無事に異世界までたどりついたということか。秋葉は胸をなでおろした。
遠くで草をつんでいた子供が、秋葉たちを見て固まった。秋葉は無理矢理笑顔を作るが、彼らは脱兎のごとく逃げていく。やっぱり目立つか、この鎧。
「外では誰が聞いているかわかりません。まずは私の家まで来ていただけますか?」
マリスの提案に、秋葉たちはうなずく。先頭にたって歩き出した彼女の後をついていく途中で、天目がつぶやいた。
「大神が言ってたこと、覚えてるか」
「ああ。僕たちに力を供給してくれるって話」
「……試してみたが、いつもと調子が違う。供給されるどころか、どんどん力が減っていく」
秋葉は試しに、鋏で近くの木を切ってみた。すると、普段は感じないのに、鋏がわずかに重くなる。秋葉は顔をしかめた。
「おまけに、さっきの子供にまで俺たちが見えてた。姿隠しもできてない」
「それまで……」
神が人間に見えては無用な混乱を招く。そのため、弱い神であっても、自動的に大神の力で姿隠しの術がかかるようになっていた。なので、秋葉たちは今まで意識的に姿を消そうと思ったことがない。それくらい、基礎中の基礎になる加護なのだ。それがないということは、最悪の事態を意味する。
「おそらく、ちゃんと準備もせずに来たのが悪かったんだろうな。元の世界の加護がぶっつり切れている」
「ああ……」
「あの月読の様子だと、異世界は無数にあるらしい。この分だと、大神が俺たちの位置を把握してるかも怪しいもんだ」
「困ったことになったね」
気楽な旅のつもりだったのに、帰れるのかどうかも微妙になってきた。
「……今ある力があるうちは、俺たちの裁量で姿も隠せる、空も飛べる。しかし使い切ったら、まともに動けなくなるぞ。心しておけ」
普段はこの上なくいい加減な天目が、厳しい顔で言う。秋葉は黙ってうなずいた。
☆☆☆
マリスの家に行く、と決めたのはいいが、さっきからいくつ路地を曲がったのか思い出せない。最初は楽しかったが、さすがに何度も続くと飽きる。町のぱっと見が美しいだけに、なんだか騙されたようで、秋葉はため息をついた。
「すみません、もうすぐですから」
「この先?」
「ええ、そこの広場を抜ければ」
マリスがまた駆けていく。彼女について建物の角をもう一つ曲がった時、秋葉は息をのんだ。突然目の前に、何千人も入れるような巨大な広場が現われた。
白い石造りの建物に四方を囲まれた広場。その中央には鐘楼がある。建物の一階は店になっていて、鐘楼を見ながら若い娘たちが茶を飲んでいる。
どんなものを食べているのか覗いてみたいな、と秋葉は興味をひかれた。そちらへ行きかけた時、甲冑姿の兵士たちが多数、広場にやってきた。揃いの甲冑に加え、兵士は全員同じ大きさの剣と、バラによく似た花の紋章が刻まれた盾を持っている。
「……騎士団です」
憎々しげに、マリスがつぶやいた。
「ほう、あれが。見周りにでも来たのか」
「いや、待って。彼らの後ろに誰かいるよ」
騎士団の後ろから、黒い僧服に身を包んだ男たちが現われた。僧という割には、全員肥えている。僧服たちは口々に、民衆たちに向かって叫んでいた。
「来たる聖ニケラの日に、ついに悪魔どもが地獄へ帰る!」
「これを見届けた敬虔な神の子には、免罪ひと月が与えられようぞ!」
「場所は悪魔の塔前の広場、刑は正午に執行される! みな、悪魔共の絶叫を聞きたまえ!」
僧服たちがやかましくがなりたてながら、秋葉たちの前を通り過ぎる。マリスは両手で顔を覆い、彼らと目を合わせまいとしていた。
「……公開処刑って言ったな」
騎士と僧服がようやく広場から姿を消してから、天目がつぶやいた。不穏な空気を感じ取ったのだろう、彼の顔がこわばっている。
「マリスさんの家に行こう。僕らが思った以上に、深刻な事態みたい」
一行は自然と早足になる。広場から角を三つ曲がったところで、マリスが足を止めた。
「ここです」
マリスが指さした先にあるのは、かなりの豪邸だった。三階建ての大きな家で、壁は橙のレンガ、屋根は濃茶の木製だ。等間隔に出窓が並び、そこには緑の観葉植物が置いてある。庭には花が咲いているが、よく見ると枯れた蕾がそこここに落ちていた。
「……父が捕まってから、庭師たちが居着かないものですから。使用人もだいぶ、抜けてしまいましたし」
マリスが申し訳なさそうに言った。
「いや、いいとこ住んでんな」
「天目はどこでも誰相手でも変わんないね……」
秋葉が呆れながら家の中に入ろうとすると、奇妙な男たちが目に止まった。全身黒ずくめの小男たちは、手に小さな紙帳を持ち、熱心になにやら書き付けている。ここの使用人かと思ったが、それにしては動きがおかしい。
男たちは秋葉の視線に気づくと、犬でも追い払うように雑に手を振る。彼らは何者なんだ、と思いながら、秋葉はマリス宅の玄関をくぐった。
室内も、落ち着いた装飾でまとめられていた。芥子色の壁に、少し灰色がかった白の絨毯。壁には大きな枠付きの鏡と肖像画がかかっていた。
描かれているのは、マリスと中年の男性の二人。男性は恰幅がよく、温和そうな目尻の垂れ下がった顔をしていた。おそろくこの人が、父親なのだろう。
きらきらと光る鉱石でできた照明の下には、飴色の木机と、絨毯と同じ色の布を張った椅子が置いてある。秋葉たちが席につくと、年かさの使用人が茶と焼き菓子を運んできた。使用人は茶を置くと、すぐに奥へ引き下がる。
天目は使用人がいなくなると、即、菓子に手を伸ばした。マリスがそれを見て笑う。
「神でも、かようなものをお召し上がりになるのですね」
「余所の世界の神はどうだか知らないですが……うちは甘いもんですよ。大神からしてああですから」
秋葉も菓子を食べながら言うと、マリスはさらに声をあげて笑った。ずっと硬い顔をしていた彼女が、ようやく肩の力を抜く。
「……さ、そろそろ話してくれてもいいだろ。もっと詳しい事情を」