最終回 唐人お乱
腹に突き刺した手槍の柄を、王狗の湾刀で叩き折られた。
徳之進は、すぐさま腰の一刀を抜き払い、その首を刎ね飛ばした。
「さぁ、来やがれ」
徳之進は咆哮した。具足は王狗の返り血を浴び、緑色に染まっている。
「ギ、ギ、ギ、ギ、ギル……」
王狗の一人がこちらを向いた。目が合う。その時には駆け出していた。
馳せ合う。王狗の刀を避けながら、斬撃を浴びせる。
浅い。振り向き、胴に組み付いた。
「糞が」
合気で投げる。それと同時に馬乗りになり、その心臓に刀を突き刺した。
王狗は別に並外れた膂力があるわけではない。人間と変わらない。そう思えば恐れもないが、その醜悪で野蛮な容貌に人は怯んでしまう。
旗色は悪かった。二十名いた部下は、一人また一人と斃されている。しかも、そこにいつの間に現れた屍喰が殺到し、喉や腕、脚に喰いつくのである。
逃げる、という選択肢は無かった。馬を早々に殺されてしまったのだ。そこが王狗の知恵があるところだろう。
「徳之進」
伊織が名を呼んだ。右手には刀、そして左手には王狗から奪った湾刀を手にしている。
「こりゃ、旗色が悪いぞ」
「まんまと敵の策略にハマったんだ」
王狗の数は減っているというものの、街道の左右から無数の屍喰が迫っている。残った部下も五名に満たない。問題はそれだった。単体なら恐ろしくもないが、この数の屍喰は脅威だ。
「潔く腹を切るか、徳之進。屍喰に喰われるよかマシだろう」
「冗談だろう?」
「半分は本気さ」
伊織が苦笑する。珍しく、その顔には緊張の色があった。
「ジ、ギル、ジ」
生き残った三匹の王狗が、一斉に別の方向に顔を向けた。
「ギ、ジ、ジル、バ」
背後。徳之進も振り返る。一人、何者かがこちらに歩いてきているのだ。
襤褸の外套に身を包み、背に何かを背負っている。刀を佩いているようだが、笠を目深に被っていて、その顔は見えない。
「何だありゃ。新手か?」
「そうなら絶望的だな」
戦場が静まり返った。王狗もジッと目を向けている。動いているのは、迫りくる屍喰だけだ。
その時、新手が猛然と駆け出した。
背から何かを引き抜く。長巻。いや、違う。四尺ほどの柄の先に、湾曲した幅広の刃を備えている。その装飾は、本邦のものではない。
「青龍偃月刀だ」
そう言ったのは伊織だった。かの関羽雲長が愛用した、漢土の武器である。
乱入者は妖鬼の群れに飛び込むと、青龍偃月刀を一閃させ、王狗の首を三つ刎ねた。そして、返す刀で屍喰へ向かうと、瞬く間に駆逐していった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
見上げるような大男だった。六尺はあるだろうか。
重そうな青龍偃月刀を自在に奮い、妖鬼を駆逐したのだから、この巨漢には説得力がある。
「どこのどなたか存ぜぬが、心から感謝する」
徳之進は、乱入者を見上げて言った。
「お困りのようだったからね、お互い様さ」
と、乱入者が答えた。徳之進は驚いた。その声は、女のものだったのだ。
「女か」
そう言ったのは、伊織だった。すると乱入者は鼻を鳴らした。
「そうだよ。あたしは女さ。悪かったね」
そして、笠を取った。そこに現れたのは、彫が深く顔立ちが整った、薄っすらと碧い目を持つ女だった。
美形だった。肩幅が広いが、肥えてはいない。後ろに纏めただけの髪の色も微かに金色で、異人を思わせる風貌だった。歳は二十代後半だろう。
「いや、これは済まない。女であろうが男であろうが、命を救われた事には変わりねぇ」
「判ればいいんだよ」
「我々は印南藩士でね。俺は村松伊織。これは、小幡徳之進という。一応、大将格さ」
「あたしは、高城乱。まぁ判るだろうが、親父が異人でね。〔唐人お乱〕なんて呼ばれているよ」
「高城さんかい。しかし、何という剛勇だ」
「まぁ、一応あたしは〔狩り師〕しているんでねぇ。それに、この図体も伊達じゃないんだよ」
「なんと」
徳之進は、思わす声を挙げた。狩り師とは、妖鬼退治を生業とした賞金稼ぎである。印南にも狩り師はいるが、命知らずの荒くれ者揃いで、女がいるなんて思いもしなかった。
「で、何で印南藩士がここにいるんだい?」
「それが……」
徳之進が手短に事情を説明すると、乱の表情が険しいものに変わった。
「平清経だって?」
「ああ、そうだ。それに邪眼法師も」
「そうかい。……そりゃ奇遇だね」
と、笑いだした乱に、徳之進は首を捻った。
「徳の字。追っていたのは、これだろう?」
と、乱が腰に結んでいた包みを解いて投げ渡した。
「おい、これは」
その包みの中身は、清経と邪眼法師の首であったのだ。
「行き掛けの駄賃でね。成敗してやったのさ。でも、こいつは偽物だよ」
「偽物?」
「そう。魔人は死んだら灰になるんだよ。でも、こいつはならない。つまり、偽物って事さね」
「では、雪乃は? 妹を知らぬか」
すると、乱は首を振った。
「あの、娘さんか」
「知っているのか? どこだ」
「……言い難い事だけど。妹さんは、もう人ではなくなってしまってた」
「人ではないだと」
「清経によって、妖鬼にされちまったのさ。人間の寿命は短い。永遠の時を、共に過ごそうと思ったのだろうね。だからあたしが始末したよ」
「何だと」
「この道の先に、転がっているから確かめるといいさ」
「貴様、よくも妹を」
「仕方ないじゃないのさ。殺らなきゃ、あたしが殺られちまうよ」
徳之進は、咄嗟に刀を抜いていた。
「やめろ」
伊織が止めたが、身体が動きだしていた。
踏み出し、斬撃を一閃する。が、猛烈な暴風に身体が吹き飛んでいた。
乱が、青龍偃月刀の刀背で薙ぎ払ったのだ。
「甘えるんじゃないよ。魔人は殺す。妖鬼も殺す。それだけじゃない。賊徒も殺す。自分を殺ろうとする奴は、人間だろうがなかろうが、迷わず全員殺す。そうしなきゃ生き残れない時勢になっちまったのさ」
「糞……」
「徳の字。あたしが憎いなら仇討ちも結構。でも、二度もあたしに命を助けられた事を忘れるんじゃないよ」
乱はそう言い放つと、二つの首を拾い上げ、その場を立ち去っていった。
徳之進は、その後ろ姿を見送るしか出来なかった。乱の一閃は、両手を痺れさせるほどの威力だったのだ。
「徳之進、行こう……」
伊織がそう言って、引き起こす。
「あの女が言う通りだ。妖鬼となったら殺すしかない。でなきゃ、殺されちまう」
「……判っているさ」
徳之進は伊織の手を振り払うと、よろよろと立ち上がった。
「憎むべきは、妖鬼と魔人なのだ」
足は自然と道の先へ向かっていた。
まずは、雪乃の屍を確かめればならない。その時に湧いた感情に従おうと、徳之進は思った。
妹を妖鬼にした清経を追うべきか。妖鬼になった妹を殺した乱を負うべきか。
<了>
短い話でしたが、読んで頂きありがとうございます。
今後、強いお姉さんが活躍する「唐人お乱」と清経を追う「小幡徳之進」という二人の物語に分岐します。
ファンタジーなど殆ど書いた事がなく拙い部分もあったかと思いましたが、ありがとうございました。