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第一回 強奪

この作品は「青龍偃月刀の女」を改題、再構成したものです。

 小幡徳之進おばた とくのしんにとって、この日は久し振りに心から喜べる日であった。

 誰よりも可愛がっていた七歳年下の妹・雪乃ゆきのが、華燭かしょくの典を迎えたのだ。こんなにも嬉しく思える日は、この世が一変した天明八年六月二十四日以来、初めての事であろう。

 故に徳之進は朝から酒を飲み、婚儀の場である嫁ぎ先の屋敷に着いた時には仄かに酔っていたし、婚儀も始まったばかりにしては、少々酒が過ぎるぐらいだった。


(まぁいい。今日は特別な日だ……)


 そう思いながら、徳之進は手酌で盃に酒を満たした。

 雪乃の夫となるのは、大和田亨おおわだ とおるという男だ。大和田家は小幡家同様に印南いなみ藩を支える家老職にあり、〔魔導維新まどういしん〕で魑魅魍魎がこの世に跋扈するようになってからは、独自に兵を養い藩と領民の為に戦っている忠義の家門である。亨は、その大和田家当主の四男でありながら、進んで兵を率いて戦う勇気と侠気に溢れた若者で、その点を徳之進は気に入っていた。文四郎は二十四、雪乃は十九で年も釣り合っている。ただ一つ難点を言えば、亨が美男子ではないという事だ。

 透き通るように肌の白い雪乃とは正反対に、亨は陽に焼けて浅黒く、毛も濃い。武道で鍛えた身体には、野蛮な逞しさがある。それはそれで武士として頼もしいのだが、釣り合っているかと言えば、首を傾げざる得ない。しかしそれを引いても、徳之進は文四郎という義弟を気に入っていた。

 亨は粗野な外見に反して、よく気が付くのだ。雪乃を一番に可愛がっている噂を聞いたのか、縁談がまとまると、まず徳之進の所に挨拶へ来たし、何かにつけ立ててくれている。そして、互いに家督を継げない三男と四男という共通点。お陰で、今では良い飲み仲間だ。

 この婚儀が、政略的なものが無いとは言えない。何せ、時勢が混沌を極めているのだ。壇ノ浦から姿を現した妖鬼の類が、各地へ侵攻して統治機能が崩壊。厄災はそれだけでなく、無法者がここぞとばかりに徒党を組み、農村や宿場で略奪を欲しいままにしているのだ。また西国では、家老と家老、家老と藩主、そして藩と藩が、生存権と領分を賭して争っている事もあるという。このような時勢で、小幡家と大和田家が縁続きになるという事は、印南の安定を考えれば歓迎すべきなのは明白で、若干十七歳の藩主・徳河春宝とくがわ はるとみも両家の結びつきを喜び、側用人の梅沢九助うめざわ きゅうすけに祝いの品を持たせて遣わすほどであった。


(これで、俺も肩の荷が下りるというものだな)


 と、徳之進は自嘲して、盃を呷った。

 雪乃は気弱で、自分の意見を滅多に言わず、九人兄弟の中ではいつも損な役回りを演じていた女だった。だから兄として守っていたのだが、今後は義弟がその役目を引き継ぐ事になる。


「おう、これでお前も嫁を迎えられるな」


 そう言ったのは、顔を赤くした村松伊織むらまつ いおりだった。伊織は親戚関係にある友人で、今は村松家の当主として騎馬見廻組指図役という要職に就いている。


「俺の目に適う女がいればだがな」

「それは難しいな。何せ、比較が雪乃殿だ」

「何を言う、貴様。俺は別に」

「へへ、隠すな。可愛い妹が取られて悲しいんだろう?」


 と、伊織が揶揄からかうように一笑した。


「それにしても、綺麗だな……」


 伊織がしみじみと、文四郎の横で微笑んでいる雪乃を眺めた。

 白無垢に、透き通るほど白い雪乃の肌。それはまるで、絶対不可侵の神聖さすら感じるものであった。


「ああ」

「かぁ、文四郎め。何とも羨ましい事よ。俺も馬面のあの女がはらまなければ、雪乃殿と」

「伊織よ。婚儀の前に孕ませるような男には雪乃を嫁がせないから安心しろ」

「何だと」


 気が付けば座が乱れ、歌や舞で場は束の間の盛り上がりを見せていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 襖が乱暴に開かれたのは、その時だった。

 皆が一斉に目を向ける。伊織とじゃれ合っていた徳之進も同じだった。


「ケッケッケッ」


 甲高い笑い声と共に、背が低い、水干姿の子どもが姿を現した。

 いや、子どもではない。視線を正面に向けた顔は、五十を越えたであろう男の顔で、極端の鷲鼻と下顎が前突した異相であった。そして、背が異様に低いのは、その背中が以上に湾曲しているからで、前に垂らした両手は地に着くほど長い。


「きゃっ」


 その異形を目にして、雪乃が悲鳴を挙げた。

 雪乃の悲鳴。反射的に徳之進は前に出ようとしたが、身体が麻痺したように痺れ寸分も動かなかった。それだけではない。喉が詰まり、声も出ないのだ。それは自分だけでなく、その場にいる全員がそうだった。


「やめとけ、やめとけ。どう足掻あがいても動かぬぞ」


 そう言って、異形の男は乱れた婚儀の場に足を踏み入れた。


「儂は邪眼法師じゃがんほうしという者じゃ。おっと、妖鬼ではないぞ? れっきとした人間じゃから、心配すな。で、この屋敷全体に〔金縛四陣輪きんばくしじんりん〕という方術を仕掛けておいた。おぬしらは、儂が術を解くまで動けぬし、声も出せぬ」


 邪眼法師と名乗る異形の男は、そう言いながら雪乃の前で足を止めた。


(まさか)


 徳之進は恐怖ににも似た憤激を覚えたが、動けぬ声も出せぬではどうにもならない。


「ほう。こりゃ、中々美しい女じゃのう。流石じゃのう? 左近衛権中将」


 邪眼法師が、自身が現れた襖の方を振り返る。すると、そこには狐面で顔を隠した男が立っていた。

 立烏帽子に、百群びゃくぐんに染め抜かれた狩衣。煌びやかな太刀を吊るしたその男は、顔こそ狐面で隠してはいるが、その美しさが漏れ出している。言うなれば、平安時代から姿を現した花薫る貴公子であった。


「でかしたぞ、邪眼法師」

「ケケ。いいって事じゃ」


 貴公子が足を進め、邪眼法師の隣に並んだ。美と醜悪。その対比が、目の前の光景を夢と勘違いさせる。


(違う。夢ではない。こいつは、魔人だ)


 魔導維新によって、妖鬼と共に〔かつて生きていた者〕も地上に現れた。その〔かつて生きてたいた者〕こそ魔人と呼ぶ存在で、生前の無念と憎しみ、絶望が深いほど、身に宿る力が強いとされる。


(しかし、何故魔人が)


 紀伊とも呼ばれた印南国は、近畿では珍しく人間が優勢を保っている地域である。特に印南藩内でも、城下と小幡家・大和田家の領分では、魔人どころか妖鬼が姿を現すのも珍しく、比較的平穏であったのだ。


「雪乃……」


 貴公子が、温かみのある声色で手を差し伸べる。


(やはり、雪乃が目的か)


 しかし次の瞬間、徳之進は愕然とした。

 雪乃は進んで立ち上がると、その貴公子に身を預けたのだ。


清経きよつね様」


 雪乃の声。清経。何の事だ。そして、これはどういう事だ。


「皆の者。騒がして申し訳ない。私は平清経。悪いが、この雪乃とは誓い合った仲であるので、こうして奪いに参った次第だ。雪乃に免じて、命は奪わぬ。しかし、追って来るというのなら、容赦はしない。くれぐれも、心得違いをなされるな」


 と、清経が告げ、雪乃を抱えて背を向けた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「貴様」


 二人と雪乃が広間を出ようとした時だった。

 地響きがするような怒声を挙げたのは、亨であった。


「ほう」


 邪眼法師が驚き、清経もゆっくりと振り返る。


「雪乃を離せ、下郎」

「これは驚いた。武士の分際で、儂の金縛四陣輪を破るとは」

「黙れ。雪乃を離さねば斬る」


 亨は一刀を掴んで抜き払うと、八相に構えた。亨は、関口真伝流を使う。覇気も殺気も、十分だった。


「仕方ない。法師、頼むぞ」

「へい」


 清経が雪乃と部屋を出るとほぼ同時に、亨は裂帛の気勢と共に、邪眼法師へ殺到した。

 八相からの、必殺の一閃。徳之進の目には斬ったかと思ったが、その場に邪眼法師の姿はなかった。


「愚か者め」


 その声は頭上だった。まるで蜘蛛のように天井に張り付いた邪眼法師は、その首を九十度回転させるやいなや、鷲鼻に隠れた口を大きく開いた。


「死ね」


 蛇、のように見えた。邪眼法師の口から蛇のような舌が伸び、徳之進の眼前で亨の頭部を四散させた。

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