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アイスオーガ奮闘記  作者: ポンタロー
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第五章 すれ違う想い

体が重い。まるで両肩に重りを載せられたみたいだ。楓との話が終わった後、俺はしばらく自宅で待機ということになった。正直、未だに信じられない。あの統麻がこんなことしでかすなんて。とにかく、一度会って話を聞いてみないと。でも、あいつの居場所なんて検討もつかないしな。

「よう」

俺は、一瞬言葉が出なかった。目の前に統麻が立っている。都庁から五〇〇メートルも離れていないこの場所に。幻かもと思ったが、どうやら本物のようだ。統麻は黒いスーツに身を包んでいた。いつも、仕事に着ていたやつだ。その下からはレジストスーツが覗いている。

「おま、お前、何してんだよ!」

俺は、なんとかそれだけ口に出した。

「ちょっと付き合え」

俺の質問には答えずに、統麻は背を向けて歩き出す。俺は、仕方なくその後に付いて行った。着いた先は公園だった。どこにでもある小さな公園。今は誰もいない。

「飲むか?」

統麻が缶コーヒーを投げてよこす。俺は戸惑いながらもそれを受け取った。

「さて、何から話そうかなー」

缶コーヒーを開けながら、統麻はベンチに座る。見た目はいつもと変わらない。俺の知っているいつものあいつだ。でも、今あいつが身に纏っているのは、妖力でも霊力でもなく瘴気だった。

「そーだなー。まず楓の話、あれは全部事実だ」

統麻は笑いながら話す。まるで、世間話のように。

「……何で?」

俺はそうとしか言えなかった。

「欲しかったからだよ。どうしても、こいつがな」

そう言って、統麻はポケットから二つの石を取り出した。

「それが?」

「ああ、水晶石と純妖石だ」

一つは見たことがある。透き通ったガラス玉みたいな石、拳大サイズのこの真ん丸い石が、水晶石だ。すると、この紫掛かった色の石が純妖石か?

「何で、そんなものを?」

「これがあれば、俺の望みが叶うんだよ」

統麻は静かに目を閉じる。

「これがあれば、舞乃が帰ってくるんだ」

その言葉に、俺の心臓は完全に凍りついた。


「な、何言ってんだよ。舞乃は死んだんだ」

「お前が殺したからか?」

心臓を思い切り鷲づかみにされたような気がした。

「知らないとでも思ったのか? これでも、組織のナンバーⅠだぞ。門のことも、人柱のことも知っていたさ」

俺は、黙って統麻の話を聞くことしかできない。

「勘違いするな。お前を責めてるんじゃない。あれは必要なことだった。そして、それを為すことをあいつが望んだんだ。お前のせいじゃない」

それでも、その言葉は俺の心に突き刺さる。

「ただ、俺はできることなら帰って来て欲しいのさ。自分の許婚にな」

「なっ、あいつはそんなこと一言も……」

「言ってなかったか? そりゃそうだ、人柱のお役目が来た時点で、この話は消えたからな」

統麻はカラカラと笑った。しかし、俺にはその顔が泣いているように見えた。

「でもな、これは全部事実だ。さて、本題はここから。凍士、俺に手を貸して欲しい」

「何?」

「さっきも言ったが、俺の望みは舞乃を蘇らせることだ。そのためには、冥府の門を開く必要がある。アーカイブは俺を見つけられなかった場合、最終的に富士山の周辺を固めてくるだろう。冥府の門の出現ポイントで使わなければ、純妖石は何の役にも立たないからな。そこでだ、凍士」

統麻がコーヒーを一口飲んで続ける。

「お前には、俺が門を開ける手筈を整えるまでアーカイブを押さえ込んで欲しい。できなくはないが、アーカイブの全勢力を一人で敵に回すのは骨だ。特に、他のナンバーズに出て来られると面倒なことになる。何より……」

「何より?」

「何より、俺はお前を殺したくない」

統麻はきっぱりとそう言い放った。

「その話に、俺が首を縦に振るとでも?」

俺の言葉に、統麻は微かに笑みを浮かべて言った。

「時間をやる。俺が事を起こすのは三日後の深夜零時。純妖石の力が最も高まる新月の時だ。アーカイブもそれを見越して、作戦を立てて来るだろう。だから二日やる。二日後の夜、またお前に会いに来る。返事はその時でいい」

統麻は立ち上がって、そのまま俺の横を通り過ぎる。

「だが、次が最後だ。答えがノーなら俺とお前は敵同士になる」

去り行く統麻に、俺はやっとのことで声を掛けた。

「何でだ? 何でこんなこと始める前に俺に一言言わなかった?」

俺の言葉に、統麻は一度だけ振り返った。それは、俺の知ってるいつものあいつで。

その顔は笑っていた。とても、寂しそうに。

「…………」

統麻は何かを呟いた。しかし、俺にはそれを聞き取ることはできなかった。


統麻との話が終わった後、俺は自分のアパートに戻ってきていた。時刻は九時を回っていた。辺りはもうすっかり暗い。頭の中はぐしゃぐしゃだ。とりあえず部屋に……

「おそーい」

部屋の前に着いた俺を出迎えたのは、ドアの前で三角座りしていた由希乃だった。

隣には大きな買い物袋が二つ置いてある。しまった。すっかり忘れていた。

約束の時間は六時、三時間も待たせていたことになる。言い訳のしようもない。

「ゴメンな。ずっと待ってたのか?」

「そうだよ。何かあったのかと思っちゃった」

頬を膨らませて、怒りを表す由希乃。しかし、見た目とは裏腹にあまり怒っているようには見えない。

「ほんとにゴメンな」

「ほんとだよ。兄さんも昨日から仕事でいないし、おまけに凍士までいないんだもん。いっぱい、いーっぱい心配したんだから……何かあったの?」

由希乃が不思議そうな顔で尋ねてくる。

「何が?」

「泣きそうな顔してる」

「えっ」

しまった、顔に出ていたか。

「晩御飯は?」

「いや、あんまり食欲なくて……」

「ふーん、そっか。まあいいや。ねえ凍士、ちょっとお散歩しよ」

由希乃は俺の返事も待たずに歩き出した。人気の無い道を二人で歩く。

いつもならどきどきしてパニックになるところだが、今はとてもそんな気分にはなれない。

先に口を開いたのは由希乃だった。

「ねえ、凍士……」

「何だ?」

「好きだよ。ずっと一緒にいてもいい?」

突然の告白だった。少し前までの俺なら間違いなく舞い上がっている。でも、今は……

「駄目だ」

「どして?」

「俺とお前じゃ住む世界が違い過ぎる。お前は普通の世界で幸せに生きるんだ」

「凍士は普通じゃないの?」

「ああ」

「悪者退治をしてるから?」

「……知ってたのか?」

言ってから、しまったと気付いた。これではそうだと言っているようなものだ。

「知ってたよ。だって、どう考えてもおかしいでしょ。高校生が都庁で働くなんて。普通は雇ってくれないよ。兄さんだってそう。普通の警備員が都庁に住めるわけないじゃん。前に一度だけ、兄さんと楓さんの話を聞いたことがあるの。兄さんには黙ってたけど」

由希乃は淡々と告白する。

「だったら分かるだろ? こんな仕事している時点でまともじゃない。命を狙われることだってある。お前を巻き込みたくないんだ。それに……」

「それに?」

「いや、なんでもない。とにかく駄目だ」

俺はお前から姉を奪ったんだとは言えなかった。どうしても。言えば全てが壊れるような気がして。わずかな間を置いて由希乃が口を開く。

「じゃあ、想うのはいい?」

「え?」

「好きだって想い続けるのはいい?付き合ってくれなくてもいい。私を好きじゃなくてもいい。ただ、私があなたを想い続けるのはいい?」

…………。

「駄目だ」

一言で切って捨てる。由希乃の目は潤んでいた。

「何で? 私の想いまで凍士に否定する権利なんてない」

「それでも駄目だ。俺のことなんてさっさと忘れて、お前は普通に生きるんだ」

由希乃が走り去る。その顔は涙に濡れていた。彼女を追いかける資格は、俺にはもう無い。

なんで、想うのも駄目かって? それはな……

「お前を、愛してるからだよ」


「よろしいのですか?」

去っていく由希乃を見送った後、俺の背後からリーナが声を掛けた。

「聞いていたのか?」

「はい、私もあのアパートに待機しておりましたので」

リーナはすまし顔で答える。

「あまりいい趣味とは言えないな」

「それについてはお詫びします。ですが、よろしいのですか?」

「何がだ?」

「由希乃様のことです。彼女の想いに応えるという選択肢もあると思いますが……」

「そんな選択肢は無い。東岡家の人間なら知っているだろうが、俺はあいつの姉を殺した。そして、今度は兄を殺そうとしてる。家族を二人も殺した奴が、どの面下げてあいつの想いに応えろってんだ」

独白は続く。

「こんな形で会いたくなかった。こんな世界で会いたくなかった。運命ってやつを呪うぜ。なんで、俺ばっかりこんな目にってな。神様ってのが本当にいるんなら、俺が真っ先に殺してる」

想いは止まらない。

「俺にはあいつを好きになる資格なんて無い。あいつに想われる資格だって無い。でも、それでも……」

「それでも?」

「それでも、愛してるんだ」


リーナが去った後、まだ部屋に戻りたくなかった俺は、アパートに程近い公園に来ていた。こんな時間だ。誰もいない。

「泣いてるの?」

いつの間に来たのか、ベンチに座っていた俺に声を掛けたのは命だった。

「馬鹿言え。涙なんて出てないだろうが」

「涙が出てないからって、泣いてないとは限らないわ」

命が俺の隣に座る。その横顔は、いつも見ている命とは思えないほど大人びて見えた。

「何かあったの?」

「だから、何にも無いって」

「うそ」

命が今度は俺の頭を抱きしめる。命の心音が聞こえる。何故だろう。心が安らぐ。

「言えないんだね」

「…………」

「あの時と同じだね」

「…………」

「あの時も、あなたは今と同じように一人で泣いていたわ」

「…………」

「言えないなら、それでもいいの。言葉は不完全だから、あなたの想いを全て伝えることはできないもの。でも、いいんだよ」

「…………」

「泣いたっていいの」

「…………」

「あの時と同じ、ここにはあなたとあたししかいない。あたしはバカだから、明日になればきっと今日のことは忘れてる。だから、いいんだよ」

「…………」

「泣いたっていいの」

「……うっ、ううっ……」

なんとか声を噛み殺す。

心地良い心音に包まれながら、俺はただ涙を噛み殺すことしかできなかった。


▲▲▲

二年前

舞乃がいなくなってから俺の心には穴が空いた。ぽっかりと、大きな穴が。何をしてもそれは埋まらなかった。いつも心のどこかは乾いてて。どうすればこの空洞が埋まるのかを探してる。気が付くと俺はいつも涙を流していた。


「やあやあ、君どうしたんだい?」

その日の夜はいつもとは違っていた。最近よく来る、都庁からは少し距離のある公園。

気が付くとよくここにいる。人気が少ないせいかもしれない。特に夜ともなれば人は全くと言っていいほどいなかった。しかし、その日は違っていた。いつもどおりベンチに座っていた俺に誰かが声を掛ける。声のする方を見ると、そこには熊がいた。正確には熊の着ぐるみを着た何かがいた。俺がしばらく呆然としていると、着ぐるみは少し考えてからピシッとポーズを取る。特撮アニメに出てくるヒーローばりのポーズを。

「メコエモン参上!」

…………。

しばらくの間、静寂が場を支配する。やがて居たたまれなくなったのか、着ぐるみはぺこりと頭を下げた。

「すいません」

俺は別に怒っていたわけではない。ただ、驚いていただけだ。

しかし、着ぐるみは俺が気分を悪くしたと思ったらしい。フードを取って、再び頭を下げる。

「ごめんなさい」

月明かりに照らされて、着ぐるみの素顔が見える。ぱっちりした瞳に、さらさらの髪。

美形ではあるのだが、男か女かは分からない。胸が全く無いので男だとは思うのだが。

風呂上りなのかシャンプーの良い匂いがした。そこで俺はようやく正気に返る。

「いや、別に怒ってるわけじゃない。驚いただけだ」

俺の言葉に安心したのか、ようやくそいつは笑顔を見せた。

「そっか、よかった」

そう言って笑うそいつの顔は、男とは思えないほど可愛かった。

「泣いてるみたいだけど、どうかしたの?」

そいつの言葉に俺は内心ギクリとする。とても一般人に言えるようなことじゃない。

「…………」

「言えないの?」

「…………」

「そっか」

そいつは突然立ち上がったかと思うと、いきなり俺の頭を抱きしめた。そいつの心音が聞こえる。何故だろう。とても落ち着く。

「じゃあ、泣いちゃおう」

「えっ?」

その言葉に驚いて、俺は思わず声を上げる。

「男の子は泣くもんじゃないってよく言うけど、そんなことないの。誰かの為に涙を流せるのなら、それはあなたが優しい証拠だから」

そう言った時のそいつの顔は、先ほどまでとはまるで違う大人びたものだった。

「だから、いいんだよ」

「…………」

「泣いたっていいの」

「…………」

「大丈夫。ここにはあたししかいないから。あたしはバカだから、明日になればきっと今日のことは忘れてる。だから、いいんだよ」

「…………」

「泣いたっていいの」

「……うっ、ううっ」

心地いい心音を聞きながら、俺は泣いた。いつまでも、泣き続けた。


朝、目が覚める。まだ眠い。とりあえず顔を……ガチャ。

「はッ?」

「なっ!」

ドアの先には昨日の熊がいた。いや、正確には熊の中身がいた。さすがに昨日の今日で顔を

忘れる訳もない。ただ不思議なことに、その中身は男だと思われる(ぺたんこの胸を見ての推測)にも関わらず、何故か小さい女の子が着けるような、パンダのプリントされたパンツを履いていた。

ここは、昨日熊に連れてこられたアパート。この熊の祖父が経営しており、今は空き部屋な

のでここに泊まれと言われ、世話になった。自分の部屋に戻ると、どうしても舞乃のことを思い出してしまうから。そして一夜が明け、顔を洗おうと洗面所のドアを開けると、このような状況になったわけだが……

「顔、洗ってもいいか?」

「なっ!」

熊の中身(面倒くさいのでこれからは子熊)は、口を開いたまま、顔を真っ赤にして固まって

いる。

「あ、あん、たたたたたた」

「○ンシロウか、お前は?」そう心の中でツッコミを入れつつ、洗面台に立つ俺。

子熊はようやく状態異常から回復したのか、泡食って叫んだ。

「あんた、何してんのよ!」

「見りゃ分かんだろ、顔洗ってんだよ」

「そんなの、見りゃ分かるわよ!」

「じゃあ、聞くなよ」

「そうじゃなくて、何であっけらかんと顔洗ってんのよ!」

「そりゃ、朝起きたら顔洗うだろ。普通」

「そうじゃない。いや、そうなんだけどそうじゃなくてって……うがーーー!」

ついに、子熊が爆発した。朝から元気なお子様である。

「落ち着け、子熊」

「誰が子熊よ!」

「お前だ、お前。まあ、聞け。男同士なんだから別にいいだろ」

「お、男同士……」

子熊は何故かプルプルと震えている。

「まあ、お前に女装癖があるのには正直驚いたが、気にすんな。俺は個人の性癖には偏見を持たない方だ」

「じょ、女装癖……」

あれ、まだ震えてるな。やれやれ。

「まあ、あれだ。どうしても女になりたいってんなら、今は医学も進歩しているわけだし、注射打つなり、外国行って取ってくるなり方法は……」

「あたしは……女だーーーーーーー!」

大きな叫びと共に繰り出された拳が、俺の顔に直撃し、部屋の天井を突き破る。

キラリン☆ そして、俺は星になった。……それが俺と命との出会いだった。

▲▲▲


帰り道、命は何も言わなかった。俺も何も言わなかった。そして俺は自分の部屋に戻る。

「おかえりにゃー。ご主人様♡」

いつも通り、ドアを開けると人型にゃーこが俺の腹にダイブ……して来なかった。

「ご主人様、どうしたにゃ?」

「何が?」

「なんだか、とっても悲しそうな顔しているにゃ」

またかよ、何で分かるんだ?

「何にもないって」

「うそにゃ」

にゃーこはきっぱりと言い放つ。

「大好きなご主人様のこと、にゃーはなんでも知ってるにゃ。だから、ご主人様が悲しいとにゃーも悲しいのにゃ」

にゃーこの耳がシュンと垂れる。

「ほんとに何でもないんだよ。ありがとな」

「ほんとかにゃ?」

「ほんと、ほんと」

「ほんとの、ほんとかにゃ?」

「ほんとの、ほんとに、ほんと」

「うー、じゃあ、いいにゃ」

まだ不信顔だったにゃーこが顔を上げる。そして、真面目な顔で言った。

「でも、ご主人様。これだけは覚えて置いて欲しいにゃ」

「ん?」

「もし、ご主人様が一人ぼっちになっても、にゃーがずっと側にいるにゃ。例え、世界中がご主人様の敵になったとしても、にゃーだけは死ぬまでご主人様の味方にゃ。だから、一人じゃないにゃ」

「…………」

にゃーこは嬉しそうに笑う。俺は、そんなにゃーこを思わず抱きしめた。

こいつらは、ほんとにまったく揃いも揃って。

「ど、どうしたにゃ、ご主人様。びっくりにゃ、ほんとにびっくりにゃ。でも、うれしいにゃ。はうー」

にゃーこが手をぱたぱたさせて困っている。にゃーこの体温を感じながら、俺は自分の体に載っている重りが、徐々に消えていくのを感じていた。


▲▲▲

YUKINO SIDE

私は物心ついた時から牢獄の中にいた。欺瞞という名の牢獄の中に。今、共に暮らしている両親は本当の両親ではなかった。本当の両親の顔は知らない。今、生きているのかどうかさえ分からない。ただ、今の生活は幼い私にとっては地獄だった。

自分の周りにいる人間は、両親も含め、皆が皆、自分をまるで腫れ物のように扱うのだ。毎日が自宅と学校の往復のみ。しかも常に車での送迎だったので、私は外の世界に触れたことは無かった。もっとも、生活に不自由することはなかった。外出以外なら、頼めば何でも言うとおりにしてくれる。欲しいものがあれば何でも買ってもらえる。しかし本当は、私はそんなものを望んではいなかった。私はただ愛して欲しかったのだ。顔も分からぬ本当の両親よりも、物心ついた時から一緒に暮らしている今の両親を、私は本当の親だと思っていた。だから、愛して欲しかった。構って欲しかった。我が儘を言った時には叱って欲しかった。

しかし、私の願いは叶わなかった。両親はひたすらに私の気分を害さないよう機嫌を取り、学友は私のことを様付けで呼び、媚びへつらった。それは、ただの馬鹿なお嬢様には快適な空間であったかもしれないが、私にとっては地獄だった。いつしか親への愛情は冷め、代わりに私は外の世界を渇望するようになった。

抜け出したい。誰でもいいから自分をここから連れ出してほしい。そんな時だった。私が西宮統麻に出会ったのは。共に来るかという問いに、私は行くと即答した。誰でもよかった。自分をここから連れ出してくれるのなら。

たとえ、彼の目に映っているのが、自分ではなく他の誰かだったとしても……。



頭の中はぐちゃぐちゃだった。さっきから涙は止まらない。自分は振られたのだ。自分の好きな人に。初恋だった。初恋は実らないって言うけれど、そんなことないと思っていた。さっき、振られるまでは。同じだと思っていた。彼も自分と同じ気持ちだと。

彼といると楽しかった。彼といると嬉しかった。彼といるとどきどきした。彼のことが大好きだった。でも……でも、彼は違ったのだ。彼にとっては自分はただの部外者で、私にくれた優しさは、同僚の妹に対するものだったのだ。

想うことも駄目だと言われた。ただ想うことすらも。もしかしたら、彼にはもう恋人がいるのだろうか? そう思うと胸が痛む。張り裂けそうなほど、胸が痛む。

これから、どこに行こう? 部屋に帰ろうかな? でも今、兄さんもいないし。

「あはは、私、ひとりぼっちだ」

世界でただ一人、自分が取り残されたような気がした。もうどうしていいのか分かんないや。

「こんなところで何やってんだ?」

そんな時だ。後ろから懐かしい声が聞こえたのは。


「泣いてんのか?」

久しぶりに聞く兄の声は、なんだか少し寂しさを含んでいた。でも、今は声を聞けて嬉しい。

「う、うん。ちょっとね。えへへ」

慌てて涙を拭く。兄とはいえ、ぐしゃぐしゃになった顔を見られるのは恥ずかしかった。

「凍士に振られたのか?」

「何で分かるの!」

涙を拭く手が思わず止まる。兄さんは時々、妙に鋭い。

「勘だよ、勘。まさか、ビンゴとはな」

そう言って、兄さんはまた寂しそうに笑った。

「それで、あいつに何て言われたんだ?」

兄さんが私の頭を撫でる。私の知ってるいつもの兄さんだ。

「……住む世界が違うって。巻き込みたくないから駄目だって言われた」

言葉にすると、また涙が溢れてくる。

「……好きでいるのも駄目だって言われた」

「……そうか」

だめだ。泣いちゃだめなのに。

「まあ、男なんて世の中には五万といる。また、違う奴を探せばいい」

兄さんはわざと明るく言ってくれたけど……

「だめなの」

「…………」

「彼じゃなきゃ、だめなの」

「……そうか」

少しだけ沈黙が流れる。

「なあ、由希乃。今まで黙ってたけど、俺達な……」

「知ってるよ。悪者退治してるんでしょ?」

「……知ってたのか?」

兄さんの撫でる手が驚きで止まる。

「詳しくは知らないけど。前に偶然、兄さんと楓さんの話を聞いちゃったの。ごめんなさい」

「……いや。いいんだ」

そう言って、また兄さんが私の頭を撫でる。

「あいつの言うことも一理ある。確かに俺達のいる世界は危険だ。俺も、できればお前には普通に暮らしていてほしい」

兄さんの言葉は優しかった。私の知っているいつもの兄さんの声。でも……

「それでも、好きなの」

「…………」

兄さんが静かに手を下ろす。

「あいつが、お前の姉を殺した男でもか?」

「えっ」

静かに私を見下ろしながら、兄さんは続ける。

「お前に姉がいることは知っているな?」

「うん、舞乃お姉ちゃんでしょ」

もちろん、知っている。会ったことはないけど。

「そうだ。でも、舞乃はもういない。あいつが殺したんだ」

「…………」

「もちろん、あいつが望んでしたことじゃない。任務だった。そうせざるをえなかったんだ」

「…………」

「だが、それでもお前の姉を殺したのは事実だ」

「…………」

「お前はそれを知ってもなお、あいつを好きでいられるか?」

「…………」

そう言葉を紡ぐ兄さんの顔もとてもつらそうで。どうしよう。やっぱり涙が止まんないや。

私は、ゆっくりと兄さんの胸に顔を埋める。

「知ってるよ」

「えっ?」

「全部、知ってるの」

「馬鹿な、何で……」

兄さんの息を呑む音が聞こえる。

「兄さんが私をこっちに連れてきてくれる少し前にね。向こうの家に連絡があったの。お姉ちゃんがお役目を果たしたって。お父さんもお母さんも喜んでた。お役目を果たして死ぬことは大変な名誉だって。同行したのは東京支部のアイスオーガだって言ってた。アイスオーガって凍士のことでしょ?」

「……ああ」

「初めて会った時、すぐに分かった。凍士、私の顔を見てすごく驚いてたから。それに、最初は私にどう接していいのか分からないみたいだった。だから、ピンときたの」

「…………」

「私は気付かないフリをしてた。だって凍士、私に会う度にとてもつらそうな顔をしていたから」

「…………」

「そして、その顔を見る度に思うの。ああ、きっとこの人は本当はとても優しい人なんだって」

「…………」

「とても、とても辛い思いをして、心は何度も悲鳴を上げて。でも、だからきっとこんなにも優しくなれるんだろうって」

「…………」

「だから、彼じゃなきゃだめなの」

「その想いが報われなかったとしても?」

「……うん」

そう、たとえこの想いが報われなかったとしても。

「それでも、愛してるの」

▲▲▲


「よう、遅かったな」

アパートへの帰り道、宣言通り統麻は静かに現れた。前回同様スーツでの登場だ。時刻は午後一一時。辺りに人気は無い。

「悪いな。ちょっと野暮用でね」

「由希乃でも探してたか?」

「…………」

「ビンゴ」

統麻は嬉しそうに笑う。その通りだった。今日の朝、紫苑から連絡があった。一昨日の夜から由希乃が部屋に戻っていないらしい。心当たりはないかと。それで今日一日、ずっと探していたのだが……。

「見つかったのかい?」

「……いいや」

「だろうな。今は俺と一緒にいる」

「…………」

「驚かないんだな」

「別に。その可能性も考えていただけだ」

「そうかい。可哀相に大泣きしてたぜ。もっとも、部屋に帰る前に捕まえたんだがな」

「……そうか」

「まあ、男女の仲をあれこれ詮索するのは野暮ってもんだから、これ以上言う気は無い。今日の用件は分かってるな?」

「ああ」

「そうか。じゃあ、聞こう。俺を手伝ってくれるか?」

「断る」

俺は間を置かずに答えた。

「即答かよ。一応、理由を聞いておこうか?」

「言わなくても分かっているはずだ」

またも俺は即答する。統麻はため息を一つ吐いた。

「そうか。分かった」

統麻が俺に背を向ける。

「行くのか?」

「ああ、聞くべきことは聞いたしな」

そして、統麻は歩き出した。

「統麻。最後に一つ言っておく」

「何だ?」

統麻は振り向かずに答えた。

「こんなこと、舞乃は望んじゃいない」

「黙れ」

そこで統麻は振り返った。今まで見たことの無い憤怒の形相で。

「舞乃を殺したお前に、それを言う資格は無い」

その形相は一瞬だった。次に表れたのは、何の感情も宿さない能面のような表情。

「話は終わりだ。次に会う時、俺達は敵同士になる」

それだけを言い残し、統麻は静かに消えて行った。


統麻との決別の後、俺はその足で都庁に向かった。支部長室を開ける。

「あら、来たの」

出迎えたのは、楓と紫苑だった。打ち合わせの真っ最中だったようだ。

「楓、頼みがある」

「忙しいから後にしてくれない?」

「統麻の件だ」

それまで書類に目を向けていた楓がこちらを見る。

「やってくれるの?」

「ああ、但し条件がある」

「何?」

「サシでやらせて欲しい。冥府の門の出現ポイントには誰も入れないで欲しいんだ」

「無茶よ」

そう言ったのは紫苑だった。

「紫苑の言う通りよ」

楓が真剣な表情で言葉を続ける。

「確かに、前にあなたに言ったわ。これはあなたにしかできないってね。今でもそう思う。でも、単独でなんて無理。いいえ、無謀と言ってもいいわ。とにかく、東京支部支部長として、その案を容認することはできません」

楓は、きっぱり言った。

「なら、俺はやらない。他の奴にやってもらうんだな」

「…………」

「言っとくが、あいつの強さは俺が一番良く知ってる。しかも、今は侵食体だ。他のナンバーズのことは知らないが、俺以外の全員が集まったところで勝ち目は無いぞ」

悪いが、今回ばかりは譲れない。

「言うまでも無いが、ナンバーズが全滅したらアーカイブは終わりだ。そうなり……」

「分かったわよ」

それまで黙っていた楓が、やれやれといった表情で口を開く。

「あなたの好きにしたらいいわ。出現ポイントには誰も入れない。手出しもさせない。でもそのかわり、周囲は固めるわよ。万が一のために。いいわね?」

「十分だ。ありがとう」

そう言って部屋を出ようとする俺を、楓が呼び止めた。

「待って」

俺は足を止める。

「自分で言ったけど、相手は鬼の侵食体よ。しかも真生のね。それにあなたは……」

「一度もあいつに勝ったことが無い……か?」

「ええ、勝算はあるの?」

俺は楓達の方に向き直る。

「お前達は勘違いしている。あいつも含めてな」

「どういうこと?」

「すぐに分かるさ」

それだけ言って、俺は部屋を後にした。

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