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アイスオーガ奮闘記  作者: ポンタロー
3/13

第二章 俺の周りは変なのばっかり

「おはよー。今日も元気に勃ってるかい?」

バタンというでかい音と共に、白いブレザーとチェックのスカートという学校の制服に身を包んだ命が飛び込んできた。今日も元気に触覚(もといアホ毛)がぴょこぴょこ揺れている。

まったく、朝からなんちゅーコメントだ。起きなければならないことは分かっていつつも、まだ布団の温もりを楽しんでいた俺に命が近づいてくる。となれば当然スカートの中が見えてしまうわけで。そこからはスラリとしたすべすべの素足が伸びている。

「命」

「何よ?」

「今日は水玉か?」

「…………」

一瞬、何のことだか分からないといった顔を浮かべていた命が、状況に気付き慌てて後ずさった。顔は茹蛸みたいに真っ赤だ。

「スケベ」

「お前が寄ってきたんだろうが」

「ふ、ふん。そ、それでどうなのよ?」

「え?」

「こ、興奮した?」

「は?」

命が顔を赤くしたままこちらを伺うようにして尋ねる。少しからかってやるか。

「そうだな。興奮した」

「えっ!」

命が驚いた様子で飛び上がる。何でちょっと嬉しそうなんだよ。

「ふ、ふーん。そうなの。ま、まあ、あんたがどうしてもって言うなら、もうちょ……」

「男が女子の制服着て学校に行ったら、周りがどんな反応をするのか、考えただけで興奮……あぶね!」

ミシ!

俺が慌てて避けると、先ほどまで俺の頭のあった場所に、命の踵がめり込んでいる。

あ、あぶねえ。半月脚かよ。キ○・カッ○ァンか、お前は。半月脚、反動をつけての強烈な一撃は、喰らえば冗談抜きで頭が粉々になる。実際俺の寝ていた場所は、布団ごと見事なまでに畳みが割れている訳で。こ、この修繕費が俺持ちってことはないよな?

「寝起き早々永眠したいみたいね。凍士」

命が背後に鎧武者のようなものを背負いながら再び迫ってくる。

「ほんとにすいません。勘弁してください。命様」

「……ったく、謝るくらいなら最初から言わなきゃいいのよ」

命がそう言って、鎧武者を引っ込めた。俺はまだ惰眠を貪りたい気持ちを抑えつつ、体を起こす。ちなみに、にゃーこは俺の近くで幸せそうに寝息を立てている(今は猫型)。呆れた図太さであった。

「今日は何にしようかなー♪」

命は鼻歌を歌いながら、冷蔵庫を物色している。命が俺を起こすがてら、うちで朝食を食べていくのはいつものことだ。俺は普段冷蔵庫に飲み物しか入れないので、食料は全て、俺が金を渡して命が買ってくる。

「あ、今日は鮭があるじゃん。じゃあ今日は鮭に決定。にゃーこにも焼いたげるねー」

ちなみに命は料理がうまい。普通、ツンデレ系のぺチャパイ娘が作る料理は、バイオハザード級の前衛芸術料理と相場は決まっているのだが、数年前に命の両親が他界して以降、家事を一手に引き受けていることもあり、家事はなんでもお手の物だ。

「できたよー♪」

命がお盆を持ってこちらにやってくる。にゃーこも焼き魚の匂いに釣られて起きてきた。

最近の我が家の平和な一コマである。俺はポチリとテレビを点けた。

「朝のニュースをお伝えします。昨晩、JR新宿駅付近の路上で、若い女性三人が惨殺される事件がありました。今月に入って、すでにこの付近で同様の事件が四件目です。犯人は依然見つかっておらず、警察は付近の住民に警戒するよう……」

命がテレビを切った。

「まったく、朝からこんなの見せないでよ。食欲無くなるじゃん」

「はは、わりー、わりー」

頬を膨らませる命に、俺は軽く応える。

「でも、最近物騒よねー。狙われてんの女の人ばっかじゃん」

「そーだな、変態なんだろ」

「あたしも気をつけなきゃ」

「大丈夫だろ。男は襲われな……ブス」

言い終える直前、俺の手の甲に命の箸が突き刺さる。

「何か言った?」

「いえ、何も言っておりません。お嬢様」

お前なら襲われても自分で倒せるだろ、という言葉が喉まで出掛かったが、これ以上言うと俺が惨殺される恐れがあるため黙っておいた。

まあもっとも、この犯人がこれ以上誰かを襲うことは未来永劫ないのだが。

え、なんでそんなことが分かるのかって。そりゃ、分かるよ。だってこの犯人、俺が殺したんだもん。ああ、言っとくけど、俺は別に楽しんで殺しをやっているわけじゃない。あくまでもお仕事。ていうか、この犯人は実は人間じゃない。妖怪なんだ。正確には半妖ね。

こういう今の日常に害を為す妖怪もしくは半妖を殺すのが、俺の仕事ってわけ。

え、なんでこんな仕事してるのかって? そりゃ話してもいいけど、ちょっと長い話になる。



生きてるのか死んでるのかは知らないが、俺は自分の両親を知らない。物心ついた時からいなかった。施設で育った俺には、毎日が退屈だった。ただ、ひとつだけ確かなことは、俺が普通じゃないってこと。

そりゃそうだ、普通の子供は一〇歳で車を持ち上げたりしない。五〇メートルを三秒で走ったりしない。まだ、幼かった俺には、自分の力が他とは明らかに違うことに気が付かなかった。

俺にそれを教えたのは、周囲の視線。みんながみんな俺を不審そうに見つめ、恐れた。施設の先生は、表面上は普通に接していたが、その表情にはやはり警戒と怯えがあった。

嫌気が差した俺は、一二歳で施設を飛び出した。誰も俺を追ってはこなかった。そりゃそうだ、厄介者が自分から出て行ったんだ。追いかけてくる奴なんていやしない。最初の内は自由な自分に心を躍らせたが、すぐに現実を思い知った。一二歳のガキにまともな働き口なんてあるわけない。やがて、持っていた金も底を尽き、どこぞのお笑い芸人のように公園での生活を余儀なくしていたある日、一人の女に声を掛けられた。

「君、うちで働いてみない?」

俺は最初、自分が声を掛けられたとは思わなかった。女がハリウッド女優顔負けの美女だったからだ。妖艶な肢体を紫色のスーツに包んだ美女が、こんな古ぼけた公園で寝泊まりしてる小汚いガキに声を掛けてるとは思わない。

「あれ、おーい。聞こえてる? 君、うちで働いてみない?」

グー。あまりに突然の出来事で声を失っていた俺の代わりに、腹の虫が応えた。


女は布良紫苑めらしおんと名乗った。

「単刀直入に聞くけど、君、普通の人間じゃないでしょ」

「ッ! だったら?」

「嬉しいのよ。私はあなたみたいな子を探していたからね」

警戒する俺をよそに、紫苑は笑みを浮かべた。大人の男なら一発でメロメロになってしまうであろう極上の笑みだ。もっとも、子供の俺には効果がなかったが。

「あんた、なにもんだ?」

「別に怪しい者じゃないわ。ただの国家公務員よ。もっともやってる仕事は少し特殊だけどね」

「へえ、どんな仕事か、ぜひ教えてもらいたいね」

俺の言葉に、紫苑が突然真顔になった。

「ねえ、君は妖怪っていると思う?」

「妖怪って、あのテレビや漫画に出てくる化け物のこと?」

「そうよ。いると思う?」

「いるわけねーだろ。病院に行って、頭診てもら……ぐぁ!」

紫苑のヒールが、俺の足の甲に深々と突き刺さる。マ、マジで痛いんですけど。

「じゃあ、これなら信じられる?」

そう言って、紫苑は両目を閉じた。しかし、しばらくすると紫苑の額から第三の瞳が現れる。

「まさか、あんたがそうなのか?」

「そうよ。まあ、私の場合は正確には半妖って言うんだけど。とりあえずこれで信じてくれた?」

「まあ、そんなの見せられちゃな。って、待てよ。もしかして、俺も妖怪なのか?」

「断定はできないけど、まず間違いないでしょうね。もっとも、君もその姿が基本体みたいだから、私と同じ半妖の可能性が高いけど。悪いとは思ったけど、君のこと少し調べさせてもらったわ。施設でのこととかね」

施設の話が出ると、正直気分が悪くなる。あまりいい思い出が無いからな。

「さっきから言ってるけど、半妖ってなんだ?」

俺の言葉に、紫苑が少し驚いた顔をした。

「ごめんなさい。まだ説明してなかったわね。半妖っていうのは、妖怪がその魂の一部を譲渡して生まれた人間のことよ。魂を譲渡された人間はね、人間でありながらその妖怪と同等の力を持つことができるようになるの。それが半妖」

「ふーん。で、俺みたいな奴を探してたって?」

「そうよ」

紫苑が身を乗り出した。

「実はね。妖怪はすでに人間社会に認知されているのよ。少なくとも支配者層にはね」

「へえ、よく混乱が起きないもんだ」

「それはね、人間のお偉方と妖怪のお偉方との間に協定があるからなの。簡単に言えば、お互い協力し合って生きていこうっていう協定がね」

「いいことじゃないか」

「そう、いいことよ。でもね、世の中にはそういう協定なんか無視して暴れまわる、困った輩がいるのよ。妖怪にも人間にもね」

紫苑がやれやれといった感じで首を振る。

「ふーん、で、俺に何をさせたいわけ?」

「簡単に言えば、協定に違反した者をやっつけるってとこかしら。もちろん、働きに見合った報酬は約束するわ。どうかな、話だけでも……」

完全に信用できるとは思えなかったが、他にあてもなかった俺は、すぐに頷いた。

「いいぜ。けど、その前に頼みがある」

「何?」

グー。

「なんか食わせてくれ」


ファミレスで食事した後、紫苑に連れられて向かったのは新宿だった。

「着いたわ。ここよ」

「ここって……」

ここがどこかは、さすがの俺でも分かる。テレビやポスターなどでも見たその建物。東京在住の人間なら、基本的に知らない人間はいないであろう、その高層建造物。

「都庁じゃん」

俺はさすがに驚きを隠せなかった。

「公務員って言ったでしょ」

「いや、言ったけどさ、さすがに都庁がアジトだとは思わないでしょ。普通」

「逆に、それほど重要視されてると考えてちょうだい。とにかく、話は中で」

そう言って、紫苑は車を降りた。

「一つ聞きたいんだけど」

「何?」

「普通の公務員って、こんな車買えんの?」

ちなみに、紫苑の車はベンツだ。革張りのシートに、輝くエンブレム。そして洗練されたそのフォルム。種類までは分からないが。とても一般公務員が買えるような車とは思えない。

「あら、ただの公務員とは言ったけど、普通の公務員だと言った覚えはないわよ」

「そういうのを屁理屈って言うんだぜ」

「いいじゃない。乙女に秘密はつきものよ」

「乙女って歳かよ。鏡を良く見てからものを……痛って!」

紫苑のヒールが、再び足の甲に突き刺さる。

「踏むわよ」

「もう踏んでるだろ!」

俺の抗議を、紫苑は華麗にスルー。

「もう、いいからさっさと降りて。行くわよ!」

紫苑が足早に歩き出す。俺は、痛む足を引き摺りながら紫苑の後を追った。


予想通りというか、やはり都庁はでかかった。なんとなく、というか間違いなく場違いな感じがヒシヒシと漂う。周りの大人たちも、そんな俺に当然のように奇異な視線を向けた。エントランスの広さに圧倒される俺をよそに、紫苑はすたすたとエレベーターホールに向かう。ちょうど一つのエレベーターが、一階に着いたことをランプで知らせた。しかし、紫苑はそのエレベーターには乗らない。

「おい、行っちまうぞ」

「いいのよ。それは上り専用のエレベーター。私達が乗るのはこっち」

紫苑は一番奥のエレベーターに進む。そこには誰も並んでいなかった。紫苑は一枚のカードキーを取り出し、エレベーターを操作した。エレベーターの扉が開く。どうやら地下に行くようだ。

「なるほど、こっちは下り専用か?」

「そ、さすがに一般の職員と一緒のデスクで働く訳にはいかないからね」

「ふーん、ちなみに俺の働く職場の奴は、みんな妖怪なのか?」

「大半は半妖ね。半妖八割、妖怪一割、人間一割ってとこかしら。着いたわよ」

エレベーターを降りた先は異質だった。

ぱっと見は普通のオフィスと同じように見える。ただ、働いている者達の格好が異質なのだ。全員が黒ずくめの全身水着のようなものを着ている。○ヴァの○ラグスーツにそっくりだ。研究者のような者もいるが、やはり黒い全身水着の上から白衣を着ていた。

なによりこいつら……

「確かに、普通の人間じゃないな」

気配で分かる。少なくとも俺の視界で捉えている全員が、明らかに普通の人間とは違う気を発していた。

「だから、言ったでしょ。ほら、着いてきて。上司に会わせるわ」

紫苑はさらに奥へと向かって進む。

「上司ってどんな奴なんだ?」

「どんなって、立派な経歴を持つ人よ。あれだけの経歴を持つ人はそうはいないわ」

「へえ、緊張するな。おっかない奴なのか?」

「全然。とっても気さくないい人よ。着いた。ここよ」

紫苑が示したのは、一番奥の部屋だった。

ルームプレートには支部長室と書いてある。なるほど、確かに凄そうだ。

「ほら、ビシッとして。ノックして入りなさい」

「ええ、俺が開けんの? 普通こういう時は、紫苑が先に入らない?」

「何言ってんの? 第一印象が大切よ。しっかり決めて、ただの子供じゃないところを見せてやりなさい」

なるほど、確かに職場の上司に気に入られておくのは悪いことじゃない。そう、第一印象は大切だ。俺は軽く二度ノックした。すると、中からどうぞという声が聞こえる。緊張した面持ちで、俺はドアノブに手を掛けた。

「しつれいしまー……」

部屋の中では筋肉隆々の辮髪男(分かりやすく言えば、ラー○ンマンもどき)が素肌に白衣を着て、化粧をしている最中だった。

バタン。

扉を閉める。俺は紫苑に向き直った。

「あれが上司?」

「そうよ」

疲れてるのかな? 公園生活が長かったからな。もう一度見てみよう。

もう一度、扉を開ける。辮髪男は、カミソリで無駄毛の処理をしていた。

バタン。

「あれが支部長?」

「そうよ」

「ここで働くの?」

「そうよ」

「帰る」

踵を返す俺の首ねっこを紫苑が掴む。

「待ちなさい。帰っても行くとこないでしょうが。とりあえず入りなさい」

そう言って、紫苑は俺を部屋に引きずり込んだ。


「いらっしゃーい。あら、この子がさっき言ってた子? 可愛い子じゃない♡」

化粧の出来に満足したのか、その辮髪男は上機嫌で俺の方に歩いてくる。

こわっ。上半身裸に白衣着たラー○ンマンこわっ。俺は渾身の努力を持って殴り飛ばすのを堪えた。

いかんいかん、いかに地球外生命体とはいえ相手は上司だ。初日から躓くことはできない。俺のこれからの生活が懸かっている。

俺の葛藤をよそに、ラー○ンマンはゆっくりと近寄り、俺の尻を撫でながら耳元で囁いた。

「どう、ボーヤ。お姉さんといいことし・な・い?」

「ほあた!」

限界だった。俺の右手が真っ赤に燃え、奴を倒せと轟き叫ぶ。

「なんなんだ。この変態は!」

できそこないのラー○ンマンを壁に叩き込んで、俺は紫苑に問いかけた。

「だから、ここのトップよ。名前は、皇楓すめらぎかえで。こう見えても、元超一流のエージェントよ。外見についてのコメントは控えるけど」

何、これがトップだと。信じられん。

「フッ、フッ、フッ、いいパンチ持ってるじゃない。世界を狙えるわね」

楓は平然と立ち上がる。全力でやったつもりなんだけどな。さすがは、元超一流ってとこか。

「改めて自己紹介しておくわね。日本特殊事件対策局東京支部支部長、皇楓よ。よろしくね」

楓がウインクした。ええい、そのなりでウインクするな。気色悪い。

「騎神凍士。……よろしく」

俺は一応ちゃんと挨拶を返した。心情的には帰りたい。

「それで、凍士ちゃんはうちで働きたいってことでいいの?」

「まあ、一応……」

「紫苑からはどこまで聞いてる?」

「上司へのゴマの擂り方とベッドテクニッ……グ!」

やるな、紫苑。踏まれるのを警戒していた俺に裏拳とは。さすがの俺も避けられなかったぜ。

「ま・じ・め・に」

「協定に違反する妖怪や人間への対処」

「対処の具体的な意味は分かってる?」

楓が少し悪戯っぽい目を向ける。

「捕まえるか、倒せばいいんだろ?」

「その倒すという言葉には、相手を殺すという意味も含まれているけれど、それは分かってる?」

「もちろん」

「できる?」

「楽勝」

「そ、そう……」

あっさり言い放った俺に、楓は少し動揺していた。しかし、すぐに平静に戻る。

「オッケー。採用よ。細かい手続きは紫苑の担当だから。これからよろしくね」

「……こちらこそよろしく」

そう言って、俺は差し出された手を握る。正直言えば握りたくなかったが。

「無事、契約成立ってところかしら」

しばらく黙っていた紫苑が口を開いた。

「それじゃあ、凍士にはこれからここで生活してもらうから」

「は?」

突然の紫苑の言葉に、俺は思わず聞き返した。え、なんば言いよっと?

「ここってどこ?」

「だから、ここよ。ここ。都庁で」

紫苑がそう言って、足元を指差す。

「マジで?」

「マジで」

「なんで?」

「何でって、君まだ一二歳でしょ? 当たり前の話だけど、合法的には雇えないの。一二歳に一人暮らしさせる訳にもいかないしね。なんなら、楓と一緒に住む? だったら、ここじゃなくてもいいけど」

隣を見ると、楓が気持ち悪い顔でウインクしている。うう、それだけは死んでも嫌だ。

「ここがいいです」

「そう、でも楓と一緒に住むのも悪くないわよ。これから君の先生になるんだから」

「は? 今、なんと?」

「だから、今日から楓が君の面倒を見るから」

紫苑が楽しそうに微笑む。こいつ、絶対ドSだ。

「なして?」

「なしてって、どんな仕事にも研修期間ってものがあるのよ。多少は訓練も必要だしね」

「他の人でもよいのでは?」

「何言ってんの。楓は現役を退いた今でも、東京支部じゃ一番のエージェントよ。一番適役なの」

「ちなみに拒否権は?」

「無いわ」

俺は、初日にしてさっそくやめたくなった。


ここでの生活は過酷を極めた……訳ではなかった。

毎日決められた時間に起きて、まずは朝食。そして、トレーニング。その合間には座学もこなす。内容は、主に組織の歴史とその構成。学校と同じだ。もっとも、普通の学校では殺しの技術は教えないが。足音を立てない歩法から、確実に相手を殺すための戦闘訓練まで、そのトレーニングは多岐に渡った。当初こそ楓の訓練に多少のとまどいは感じていたものの、三ヶ月を過ぎた頃には、楓との組み手さえ物足りなさを感じるようになった。

無意識の内に自分の力をセーブしているのが分かる。そうしないと相手を壊してしまうから。楓が全力を出していないようには見えない。息遣いや体捌きでそれが分かる。もしかしたら、俺はすでに……。


組織に入って半年が経った頃、突然紫苑が告げた。

「今日は特別訓練を行うわ。支度が出来たら、第一訓練室に来なさい」

事務的に告げて部屋を出る。いつもクールな印象が漂うが、今日に限っては冷たい印象を受けた。なんだよ、久しぶりに会ったんだから、もっと話していけばいいのに。そう思いつつも、俺は支度を始める。支度と言ってもレジストスーツと呼ばれる黒尽くめのスーツを着るだけだ。

このスーツは、耐久性に優れ、耐圧、耐熱、耐寒仕様。おまけにこちらの身体能力を飛躍的に上昇させるものらしい。エージェントは、仕事の際に常にこのレジストスーツの着用が義務付けられている。

ちなみに、組織(日本特殊事件対策局は長いのでこう呼ばれている)では、殺し屋をエージェントと呼んでいる。さすがに、公務員扱いしている者を殺し屋とは呼べないそうだ。

俺は支度を整え、訓練室に向かった。

「来たわね。それじゃ始めましょうか」

中では紫苑が一人で待っていた。第一訓練室は訓練室と二つのモニタールームに分かれている。

「あれ、楓は?」

「別室で監視中」

「相手は楓じゃないの?」

「特別訓練だって言ったでしょ。楓とやったらただの訓練になるじゃない」

そっか、そういうもんか。

「いい、向こうの入り口から入ってきた相手を倒すのが今回の訓練よ。できるわね」

「任せろ」

俺は静かに訓練室に入った。訓練室はちょっとした体育館くらいの大きさだった。出口はこちらと、対面にある二箇所。中にはまだ誰もいない。

しばらくすると、一人の男が入って来た。中肉中背といった感じの男だった。身長は一七〇センチくらいだろうか。着ている服はところどころ破れており、切れ長の目をさらに細めて俺を睨んでいる。男が突然、訓練室のカメラに向かって叫んだ。

「おい、本当だろうな。目の前のガキを殺したら無罪放免ってのは。嘘だったらただじゃおかねえぞ!」

スピーカーから返事が返る。紫苑の声だ。

「ええ、お約束します。目の前の相手を倒すことができたら、あなたの連続婦女暴行殺人の罪は超法規的に無罪になります。なんでしたら、正式に書面に致しますわ」

紫苑の言葉に気を良くしたのか、男は唇の端を吊り上げた。男の顔に陰惨な笑みが浮かぶ。

「へへ、そういうことだ。悪いな、ボウズ。死んでもらうぜ」

言い終えるより早く、男は俺に突っ込んできた。お、結構速い。一応は避けたものの、俺の頬に一筋の赤い線が走る。男を見ると、いつの間にか両腕を鋭い鎌に変化させ、楽しそうにニタニタ笑っていた。

嘘でしょー。しおんさーん。これ、訓練じゃないじゃないっすかー。これはね、訓練じゃなくて実践て言うんですよー。心の中でツッコミを入れる俺をよそに、男は馴れ馴れしく俺に言い放つ。

「しかし、お前も運が悪いなー。よりにもよって相手がこの俺様とはよ。まっ、人生諦めが肝心だ。可哀相だが死んじまいな」

男は自分が負けるなどとは全く思っていないのだろう。ケラケラと笑い出した。

何、勘違いしてんだ、この馬鹿は。

「ほんと、運が悪いよなー、俺も。こんな雑魚の相手させられるなんて」

「なんだと!」

自分の勝利をを確信していた男は、怒りを露にして俺を睨む。

「おい、てめえ。俺を舐めてんのか」

「なめるわけねーだろ。そんな汚い面。こっちの舌が腐っちまうぜ。いいからさっさとかかってこい」

俺の言葉に激昂し、男は鎌を構えて(ダジャレではない)、再び突っ込んできた。先ほどと同じ構え、同じスピードで。芸の無い奴だ。俺は男の突進を真正面から受け止め、両腕を握りつぶす。

グシャリという音がした。まるで、果物を潰したような。

「ぎゃあああー」

男は悲鳴を上げながらのた打ち回る。

「痛え、痛えよー。俺の腕がー」

泣き叫ぶ男を無視して、俺はカメラに向かって呼びかけた。

「おーい。倒すって聞いてたけど、最後までやんのか?」

わずかな間をおいて、返事が返ってくる。やはり、紫苑の声だ。

「ええ、そうよ」

「りょーかい♪」

俺はゆっくりと泣き叫ぶ男の頭を掴んだ。男は両腕が潰れているため抵抗することができない。それでも男は叫ぶ。

「待て! 待ってくれ!」

「なんだよ。うるせえな」

「なんなんだ。お前は。俺はこう見えてもレベル4だぞ。その俺を、こんなに簡単に」

なんだそんなことか。

「たかだか、レベル4だろ。世の中、上には上がいるってことさ。もういいか?」

「待て。待ってくれ」

男は血と涙と鼻水にまみれた顔で叫ぶ。先ほどまでの余裕は全く無い。

「なんだよ、人生は諦めが肝心なんじゃなかったのか。まだなんかあんのか?」

「頼むよ。見逃してくれよ。な、ちょっとした出来心だったんだよ。あんたもあるだろ。たまに暴れたい時がさ。もちろんちゃんと罪は償うからさ。だから頼む。助けてくれ」

はは、笑える。こいつ、本物の馬鹿だ。

「そう言った女に、お前はなんて答える?」

その言葉を最後に、俺は男の頭を握り潰した。


「合格おめでとー♪」

訓練室から出た俺を出迎えたのは、楓と紫苑の二人だった。

「はっ? 合格って何?」

「今日の戦いは、あなたのエージェント最終試験だったのよ。結果はもちろん合格。これで、晴れてあなたも一人前のエージェントってこと」

楓が、満面の笑みでウインクする。お願いだからそれはやめて。夢に出てきそうだから。

「あっそ」

「何よ。そっけないわね。あっ、分かった。ご褒美が欲しいのね。もー、しょうがないわねー」

楓が目を瞑り、唇を寄せてくる。

「ほあたぁ!」

「ひでぶぅ!」

○斗百裂拳で楓を沈める。奇妙な体勢のまま壁にめり込む楓をよそに、俺は紫苑に尋ねた。

「じゃあ、今日はもう上がり?」

俺の言葉に、紫苑が固い表情のまま答えた。

「そうね。今日はもういいわ。何かあれば連絡するから」

「あいよ」

そう言って、出口に向かう俺を紫苑が呼び止める。

「待って。一ついい?」

「何だ?」

「殺しはこれが始めてよね?」

「ああ」

「抵抗は無かったの?」

「無いな。他人が生きようが死のうが俺の知ったことじゃない」

「そう、ありがと。もういいわ」

何か言いたげな紫苑を残して、俺は第一訓練室を出た。

第一訓練室の扉を閉めた俺は、これからどうしようかと考えていた。

すると鋭敏な俺の聴覚が、扉越しに聞こえてくる紫苑と楓の会話をキャッチする。


(「しかし、とんでもないわねー」

「そうね」

「まさか、レベル4を瞬殺なんて。楓、どんな魔法を使ったの?」

組織では、妖怪または半妖を強さ及びその危険度の順にレベル1から5に分類している。最高が5、最低が1。レベル5に分類されるのが、もはや伝説に近い大妖怪に限定されていることを考えると、紫苑の言うレベル4はかなり強いと言っていい。

「別に何も。普通に訓練しただけよ。ただ、成長速度が尋常じゃなかったわ。最近じゃ、手加減されてるもの」

「え、元ナンバーⅡのあなたを?」

「そ、傷つくわー」

「でもあの子、ちょっと危ういわね」

「何が?」

「普通、初めての実践であそこまで淡々と殺しはできないわよ。確かにエージェントとしてターゲットに情けをかけることは許されないけど、彼はまだ一三歳よ。もう少し、躊躇があってもよかったと思うけど」

「それは無理ね」

「え?」

「彼を訓練してて思ったんだけど、どうやら彼には哀の感情が欠落しているみたいなの」

「どういうこと?」

「簡単に言えば、悲しいとか可哀相とかいう感情が無いから、泣いたり情けをかけるとかいうことはできないってこと」

「それって、この仕事には向いてるけど……」

「ええ、生きていくには辛すぎるわね。誰かが教えてくれればいいけど……」

「そうね」

「そういえば、検査の結果は出たの?」

「ええ、まず間違いなく鬼ね」

「やっぱり」

「ただ、普通鬼の魂を継いでいても、ここまで異常に強くはならないわよ」

「じゃあ、彼は半妖じゃなく妖怪ってこと?」

「いいえ、彼が意識せずに人型を保っていることから、彼は間違いなく半妖でしょう。でも、霊力値の異常な高さから考えても、彼の両親は恐らくただの人間じゃないわ。高位の結界師か陰陽師である可能性が高いわね」

「それって……」

「そう、『真生しんせい』の可能性があるわ。まだ完全に覚醒はしてないみたいだけど」

「すごいじゃない! まさしく神童ってことね」

「ええ、そうね」

「なによ、紫苑。もっと喜びなさいよ。もしかしたら、歴代最高のエージェントになるかもしれないのよ」

「いえ、歴代最高にはなれないと思うわ」

「どうしてよ。鬼の真生なんてそうはいないわよ」

「いるのよ。それが」

「えっ?」

「報告を受けてないの? 先日、組織の現ナンバーⅠが、新人の最終試験で倒されたわ」

「組織の現ナンバーⅠって、あの玉藻?」

「そう、歴代屈指のナンバーⅠ。真生の妖狐、玉藻よ」

「信じられない。今まで彼がやられたなんて話聞いたことなかったけど。で、玉藻は死んだの?」

「いいえ、かろうじて一命は取り留めたけど、戦線復帰はもう無理ね。このまま引退よ」

「どうすんのよ。ナンバーⅠとⅡが空位なんて前例に無いわよ」

「落ち着いて、楓。ナンバーⅡはともかく、ナンバーⅠは空位じゃないわ」

「えっ?」

「その玉藻を倒した子が、元妖院と元霊院の承認の元、ナンバーⅠに就いたわ」

「そんな。まさか」

「そう、入っていきなりナンバーⅠ。しかも、歴代屈指の使い手と言われる真生の妖孤、玉藻を倒してね。歳は、一五だったかしら。上には上がいるものよ。名前は確か……」)


 なんて会話が、俺の耳に入ってくる。俺の知らない単語がいくつも飛び交っていたが、正直、興味のなかった俺は、そのまま部屋をあとにした。



と、まあちょっと長めの回想だった訳だが、

「……士。凍士、聞いてんの?」

「えっ?」

どうやら、ずっと命に呼ばれていたらしい。命はほっぺを膨らませて俺を睨む。なんかリスみたいだな。

「悪い、悪い。で、何?」

「もう、今日はどうすんの?」

「どうって?」

「学校行くの?」

ああ、そういうことね。なるほど、今日は金曜日か。どうしようかなあ。あ、忘れてた。組織に昨日の報告に行かないと。

「いや、今日は仕事がある」

俺の言葉を聞いて、とたんに命の目が吊り上がる。

「またー、いい加減ちゃんと行かないと留年するよ。ていうかあたし、凍士をテレビで見たこと無いんだけど」

そう、俺も一七歳。一応は学校に通っているのだが、こんな仕事をしている以上どうしてもまともに学校に行く時間が取れない。そこで、組織はなんと俺を『新星学園』という新設校の芸能科に入学させたのだ。だから表向き、俺はデビュー前のアイドルということになっている。

当然、命もそれを信じてさっきの発言をした訳だが。

「しょーがねーだろ。生活懸かってんだから」

「まあ、それは分かるけどさ。あーあ、せっかく翔クンのサインもらってきてもらおうと思ったのに」

翔というのは、命が応援している大人気アイドルのことだ。確かグループ名は、ミュートスだったかな? なんの巡り合わせか、俺と同じクラスにいる。もっとも、お互い仕事でほとんど学校に行かない為、全くと言っていいほど顔を合わせていないのだが。

「そんなに欲しいんだったら、自分でもらってくればいいだろ。同じ学校なんだし」

「あたしは普通科。芸能科になんて恐れ多くていけないって」

命は慌てて手をパタパタと振る。ふーん、そういうもんかね。俺にはよく分からんが。

「まあ、いいや。今度会ったら頼んでみるよ」

「ホント! やったあ!」

喜ぶ命を残して、俺は家を出た。


満員電車は地獄だ。たいして離れていないが歩くのが面倒だった俺は、久しぶりに電車に乗った。混み合うピークを忘れて。

朝から中年のおっさん達との激闘を終えて、都庁に着いた時には俺のライフゲージはすでに赤く点滅していた。本来なら、昨日仕事が終わった時点で報告しなければならないのだが……忘れっちゃった。てへ。

「てへ。じゃねー」

ドカッ!

「あいた!」

誰かに後ろからドロップキックを決められた。あれ、今俺、声に出してたっけ?

「朝っぱらから、都庁の前で何やってんだお前は。変態か?」

「何にもやってねーだろ! ていうか、お前と楓だけには変態呼ばわりされたくねえ!」

登場して早々にドロップキックをかましてくれたこいつの名前は西宮統麻にしみやとうま

俺と同じ組織に所属するエージェントだ。

切れ長の目に、すらりとした体つき。身長は俺と同じ一八〇センチ弱ってところか。

今は普通のジーンズに『メイド命』と書かれたTシャツを着ている。

黙っていれば間違いなくイケメンの部類であるが、その正体はただの変態であった。

「失敬な。俺のどこが変態だ?」

「自分の普段の生活をよーく思い出してみろ。それで分かんなきゃ、病院に行け」

「ほう。朝からご挨拶だな」

「お前のほうから絡んできたんだろうが」

一触即発の空気が流れる。……しかし、それはすぐに中断された。

ぽかっ。ぽかっ。

「いてっ!」

「あうち!」

学生鞄で頭を叩かれる。もちろん、そんなに痛くはない。

「もー。朝から二人でなにやってんの。他の方のご迷惑になるでしょ」

声のする方を見ると、そこには一人の少女が立っていた。精一杯の威厳を示そうと、腰に手を当ててこちらを睨んでいるが、それが逆にその子の可愛さを引き立てている。

この子の名前は東岡由希乃ひがしおかゆきの。俺と同じ一七歳で統麻の義理の妹だ。ぱっちりした瞳に、すらりと伸びた脚、それに腰まで届くほど長い黒髪。そこら辺にいるアイドル顔負けの美少女である。今から学校なのだろう。緑色のブレザーとスカートに身を包んでいた。

「聞いてくれよ、由希乃―。凍士がいじめるんだよー」

「はいはい、仲が良いのは分かったから。時間と場所を考えましょうねー。でないと、後で私が恥を掻くんだから」

「何? 由希乃を悪く言う奴は俺が許さんぞ」

「いや、悪く言われてるのは兄さんなんだけどね」

甘える統麻を軽くあしらいつつ、由希乃は俺に向き直る。

「おはよっ。凍士♪」

俺の動悸が速くなる。太陽みたいな笑顔だった。

「あ、ああ。おはよ」

俺は内心の動揺を隠しつつ、なんとかそう答えた。

「これから、お仕事?」

由希乃が俺の目を真っ直ぐ見つめて尋ねる。二人の距離は二〇センチも離れていない。近い、近い。

「ああ、ちょっと報告にな」

俺は顔を背けながら答えた。やばい、顔赤くなってるかも。

「そっか。私はもう行かなきゃだけど、また今度遊びに行こうね」

「ああ」

なんとかそう答えた。我ながら自分のテンパリ具合が情けない。

「由希乃は今から学校か?」

真顔になった統麻が尋ねる。

「うん」

「学校はどうだ?」

統麻が由希乃の頭を撫でる。由希乃はくすぐったそうに目を細めた。

何故だろう? その光景を見ていると、胸がもやもやする。

「楽しいよ。お友達もいっぱいできた」

「そうか。がんばってこい」

「うん」

統麻がさわやかな笑顔で由希乃を送り出す。由希乃は嬉しそうに駅に向かって走り出した。

その時、一陣の風が吹いた。その風は木の葉と共に由希乃のスカートをもめくりあげる。そこから肉付きのいい太ももと純白のパンツが現れた。

由希乃が慌ててスカートを抑える。そして、顔を真っ赤にしてこちらを向いた。

「……見た?」

あの状況で見えないはずなどないのだが、俺は猛烈に後ろめたさを感じて誤魔化す。

「い、いや。向こう向いてたから」

そう言って顔を背ける。やばい、顔が赤いのバレたかも。

「俺はバッチリ見たぜ」

親指を突き上げて、男前な笑顔を浮かべたのは統麻だった。

「やっぱり白は基本だよな」

統麻は楽しそうに笑う。

「バカア!」

由希乃は、目に涙を浮かべて走り去った。

「お前、妹泣かせてどうすんだよ」

俺は呆れてため息を吐く。

「馬鹿者。男なら美少女のパンツを見たら喜べ。常識だろうが」

「お前に常識を唱えられるとは、嫌なご時勢だな」

俺の言葉にまたも統麻がニヤリと笑う。

「お前だってしっかり見てたくせによ。なーにが『向こう向いてたから』だ。このムッツリスケベ」

「う、うっせえな! しょうがないだろ。あの状況じゃ」

「開き直りは格好悪いぞ。どうだ、興奮したか?」

「統麻、どうやら死にたいらしいな」

「やめとけ、やめとけ。俺達が喧嘩したって何の得にもならねえよ」

統麻がそう言ってパタパタと手を振る。

「まったく、妹があんだけ可愛いと心配だよな。実際」

「お前ってさ」

由希乃が完全に見えなくなってから、俺は統麻に声を掛けた。

「なんだ?」

「変態の上に、シスコンだよな?」

「うるせー。黙れ」

「由希乃に変な虫が付くのを怖がって、女子高に入れるくらいだもんな」

「黙れって言ってんだろ」

そう言って、統麻は顔を背ける。こいつ、ガラにもなく照れてるな。

「それより、今日はどうした?仕事は入ってないはずだろ?」

お、話題を変えようとしてる。可愛いところがあるじゃないか。

「昨日の仕事の報告だよ」

「報告は、仕事が終わった直後にする決まりだろうが」

「規則を破ってばかりの奴には言われたくないね」

「まあいいや。ところで、今度の日曜は暇か?」

「まあ、特に予定は無いけど」

嫌な予感がする。

「じゃあ、俺に付き合え」

「どこに?」

「アキバ」

「断る」

「俺も断る」

「は?」

「お前が断るのを俺も断る。お前は日曜暇なんだから。俺に付き合え」

なんという俺様理論。これは引きそうにないな。

俺は以前に一度だけ、統麻に付き合って秋葉原に行ったことがあるのだが、そこで拷問に近い体験をしたので、正直二度と行きたくは無かった。でも、しょうがない。

「分かったよ。午後からでいいか?」

「うむ。良いぞ。では、よろしくな。我が親友よ」

「変態の親友を持った覚えはない」

微妙に偉そうに言いながら、統麻は帰っていった。正直、力ずくで断ろうかとも思ったが、すぐにそれが無謀なことだと思い直した。

何故なら、統麻は俺より遥かに強いのだから。


「……士、凍士ってば。おーい!」

組織に報告を済ませた後、いつものように今川焼きを買って帰ろうとした俺に、誰かが声を掛ける。この声は命か。

「はあ、はあ、ちょっと凍士、歩くの早過ぎ」

ようやく追いついた命が、息を切らせながら俺に抗議する。学校の帰りなのだろう、いつもの白い制服を着ていた。そうかな?そんなことないと思うが。歩幅の差かな。

「そうかな? すまんすまん」

「まったく、こっちはか弱い女の子なんだから。少しは気を使ってよね」

命がぷりぷりと怒る。

「か弱いという単語に言いたいことは多々あるが……。まあいい、何か用か?」

俺の言葉に、命はアホ毛をピンと立てて頭を上げた。

「買い物付き合って♪」

「えー、やだよ。面倒くさい」

「今日の夕食、煮干でいいのね?」

「喜んでお供致します。マドモアゼル」

この間のやりとり、きっかり二秒。相変わらず俺の立場は弱い。以前にも言ったが、命は料理がうまい。俺は料理などまるでできないし、にゃーこは論外(以前に一度だけ手料理を振舞うというので任せてみたら、新巻鮭が一匹、丸々出て来た。もはや料理ですらない)。

よって、我が家の食事は完全に命に任せている訳だから、命に頭が上がらないのも当然である。まあその他にも、命にはとてつもなく大きな借りがあるのだが。

「今日は何にしようか?」

命がアホ毛を左右にピコピコさせながら尋ねてくる。

「肉がいい」

俺は即答した。

「いいけど……。陽菜が嫌がらない?」

陽菜というのは、人型の時のにゃーこのことだ。命はにゃーこが妖怪(半妖)であることを知らない。というか、命は、お化けや妖怪の類を一切信じていないのだ。

この世に起こる全ての事象は、科学的に説明できると本気で信じている(まあ、その手の話題が大の苦手なので、現実逃避しているだけかもしれないが)。

そんな訳で、命はにゃーこの耳や尻尾を見ても、よくできたコスプレだと思っている。

しかし、以前に一度俺の部屋で、裸の人型にゃーこ(陽菜)と出くわし(ちょうど俺の隣で眠っていた)、命火山が大噴火した。その時俺は、陽菜が自分の遠い親戚で、両親が他界し他に身寄りが無くて一人暮らしなので、仕方なくたまに面倒を見ていると説明した。

両親がいない境遇に共感を覚えたのか、その時はなんとか火山の鎮火に成功したわけだが。

「陽菜はなんでも食べるぞ。魚が特別好きってだけで」

まあ、半分猫だからな。

「そっか、じゃあ豚の生姜焼きにしよ」

命がパックに入った豚肉に手を伸ばした。その時、

「ざけんじゃねえぞ!」

「なめてんのか、コラァ!」

「いいから、黙って出すもんだせや。クラァ!」

いきなり店の外で怒号がした。見るとがっしりした体格の学生三人が、見るからにひ弱そうな学生を取り囲んでいる。典型的なカツアゲのようだ。周りの人間は遠巻きに見ているだけで、誰も助けようとはしない。やれやれ、しょうがな……

「コラー! あんた達、何やってんのーー!」

俺が助けにいくより先に、豚肉のパックを放り投げた命が四人の間に割って入る。あの馬鹿。

「なんだ、てめえは?」

「悪党に名乗る名前なんて持ち合わせてないわ」

命がぺったんこを張って答える。あれは、テレビかなんかの台詞だな。きっと。

「あんた達みたいな外道は、この北上命様が成敗してあげる。掛かってきなさい!」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

名乗ってるやーん。思いっきり自分から名乗ってるやーん。

と、盛大にツッコミたかったが、なんとか思いとどまる。俺は空気の読める男だ。

「……アホだな」

「……ほっとこうぜ」

「……そうだな」

どうやらあの三人の中では、命は少し頭のかわいそうな子として認識されたらしい。

三人は、再びひ弱そうな学生に目を向けた。

「ちょっと、あんた達。私を無視するなー!」

命が駄々っ子のように地団駄を踏む。こういう状況では、スルーが一番きついのであった。

「ったく。うるせーチビだなー」

三人が面倒くさそうに命を睨む。さすがに三人はまずいな。そろそろ助けに……

「チビはさっさとお家に帰れ」

「そうそう」

「大体、男のくせに女子の制服なんか着やがって。変態か、お前?」

ピキッ!

あっ、助けに入る必要ないわ。というか、急いでここから退避しないと。今日は豚の生姜焼きだっけ? 料理はできないけど、材料くらいは分かるから適当に買っておくか。

「誰が……」

命の体から気が溢れ出す。まるで、スーパー○イヤ人の如く。

「誰が、男だーーー!」

絶叫した命が、三人に飛び掛かって行くのが見えた。俺は無言でスマホを操作する。

「もしもし、救急車お願いできますか。急患なんですが。ええ、重傷者が三名(予定)です。場所は……」


カツアゲしていた三人をきっちり病院送りにした後、俺達は帰途についていた。

しかし、命姫は何やらご立腹のご様子だ。

「ちょっと、凍士」

「何だ?」

明らかに不満そうな顔で、命は俺に声を掛ける。

「あんた、助けなさいよ。こっちはか弱い女の子なのよ」

三人も病院送りにしておいて、どの口が言うのか。

一瞬、本気でカツアゲしていた方を助けようか迷ったほどだ。

「無事だったんだからいいじゃないか」

「良くない!」

俺の言葉を、命は一言で切り捨てた。

「女の子はね。男の子に守ってもらいたいものなのよ」

命がやっぱりぺったんこを張って言い切る。

男三人を三〇秒足らずでぼこぼこにする女をどう守ればいいのか、甚だ疑問ではあったが、ここで余計なことを口走ると、自分が先ほどの男達のようになるので黙っておくことにした。

「次からは気を付けます」

「うむ、よろしい」

素直な俺に命は満足げに頷く。アホ毛も嬉しそうにピコピコ揺れていた。

「あたしは、か弱い女の子なんだからね♪」


「お帰りなさい。ご主人様―♡」

ササッ。

ズボッ!

「ぐほっ!」

部屋に着いた俺達を、恒例のにゃーこのダイブが出迎えた。やはり、俺の腹に突き刺さる。

ぐおおお、痛い、痛すぎる。なんで、毎度毎度俺の腹に突き刺さるんだ。今日は両手に荷物を持っているから、命が先に入ったのに。というか、なんで命はにゃーこのダイブを避けられるんだ。俺がどんなに頑張っても絶対避けられないのに。ホーミング機能でも付いてんのか。

「お帰りなさいにゃー。ご主人様―♡」

にゃーこは、俺の胸に顔をすりすりしながら甘えてくる。やれやれ、これだけ無邪気な笑顔だと怒るに怒れん。にゃーこは今、真っ白いワンピースを着ていた。いつまでも裸はさすがにまずいので、俺がにゃーこに買ったものだ。

「はいはい、今日も仲がいいわねー。さて、ご飯の用意っと」

命はそのまま台所に入る。他の女なら何故か大噴火するところだが、にゃーこの境遇(嘘)を知っているし、親戚とも言ってあるので特に何も言わない。

「あれ、なんでメイメイが一緒にいるにゃ?」

にゃーこが不思議そうに首を傾げる。

「なんでって、一緒に帰ってきたからだよ」

「むむ、一緒にお出かけしてたにゃ?」

にゃーこの表情が急に険しくなる。

「いや、お出かけって、ただ一緒に買い物してきただけだよ」

「ずるいにゃ!」

そして、今度は突然怒り出した。何故だ?

「ずるいにゃ、ずるいにゃ。メイメイばっかりずるいにゃ」

にゃーこは、手をぱたぱたさせて怒りを表す。

しばらくぱたぱたさせた後、今度は耳がシュンと垂れた。

「にゃーもご主人様と一緒にお出かけしたかったのに……」

そして、目に涙まで浮かべている。

「にゃーは、いっつも一人でご主人様の帰りを待ってるのに……」

終いには、畳にのの字を書き始めた。

いかん、なんか猛烈に俺が悪いような気がしてきた。

「分かった、分かった。今度は一緒にお出かけしような」

その言葉を聞いたにゃーこの耳が、ピクンとすごい勢いで起き上がる。

「ほんとかにゃ?」

「ほんと、ほんと」

「デートかにゃ?」

「そう、デート、デート」

んっ、デート?

「こらー!」

デートという言葉を聞いて、今度は命が台所から顔を出す。今度はこっちかよ。

「あんた達、親戚同士でデートなんかしていいと思ってんの?」

いや、親戚でもデートくらいはするでしょうに。

「デートじゃない。一緒に出かけるだけだ」

「二人で?」

「まあ、そうなるな」

「ダメー!」

命が絶叫した。耳が痛い。

「あたしも行くから」

「はっ?」

俺は思わず聞き返す。

「あたしも一緒に行くから!」

「何で?」

「何でもよ」

「いや、理由になってないから」

「とにかく、二人っきりでデートなんて絶対ダメ。あたしも一緒に行く」

あー、完全に聞く耳持ちませんモードに入ったな。こうなると、何を言っても無駄だ。

「あー、分かった。分かっ……」

「ダメにゃ!」

今度はにゃーこの番だった。

「メイメイは今日一緒にお出かけしたにゃ。だから、今度はにゃーの番にゃ!」

「あれは、ただの買い物。デートじゃない」

「それでもだめにゃ」

「だめって言われても行くもんね」

「こっそり出かけるにゃ」

「じゃあ、こっそりついていくもんね」

終いには、二人で言い争いを始める。どうでもいいけど、そろそろご飯にしませんかね?


そんなこんなで土曜日、早速にゃーことお出かけ(にゃーこはデートだと言って譲らない)することになった訳だが。……遅い。待ち合わせ時間は午後一時。

俺は学校があったから、お出かけは午後からということになり、一時に待ち合わせ場所の定番(?)渋谷ハチ公前に集合ということになっていたのだが……

現在の時刻は一時半。にゃーこは未だに姿を見せず、待ちぼうけをくらっている。

もしかして、場所を間違えたかな? いやいや、それはないだろ。だって今日の朝、学校に行く前に百回言わされたからな。さすがに、間違えることはない。

でも、待てよ。にゃーこはこの場所知ってんのかな? 姿は美少女でも頭は猫並みだからな、ちょっと不安になってきた。あれ、でもこの場所決めたのにゃーこだしな。さすがに自分の決めた場所間違える訳ないだろ。さすがにな、ははは……

…………

ありうる。あいつならありうる。おお、そうだスマホに掛けてみよ……あ、あいつスマホ持ってないわ。やばい、こんなことになるなら持たせておけばよかった。

参ったなー。どうし……んっ? あれは。ふと気付くと、信号を渡ってこちらに向かってくるにゃーこの姿が見えた。その姿をを見て俺は絶句する。

前にも言った通り、にゃーこの見た目は美少女である。桃色掛かった髪に、ぷにぷにのほっぺ、つやつやのお肌、そして何より超美巨乳(肉眼でしっかりと確認済み)。今すぐにでもグラビアアイドルになれるかのような容姿だが、今は見る影もなかった。

髪はぼさぼさ、手足には無数の痣。顔には青タン……はなかったが、その姿は○カ・ブッチとの一戦を終えた○フィのようであった。一応以前に俺の買った白いワンピースを着ているが、肩紐がずり落ちている。そんなにゃーこは、ようやく俺のところまで辿り着き、荒く息を吐きながら俺に喋りかけた。

「ご、ご主人様、お待たせして申し訳ないにゃ」

にゃーこは、マラソンを走り終えた後のように、ぜーぜー息を吐きながら、謝罪を口にした。

「い、いや、それは構わないけど。どうしたんだそのなりは?」

俺は若干気圧されながらも尋ねた。

「い、一身上の都合にゃ。気にしないでほしいにゃ」

いやいや、気になるでしょ。そんな大魔王○―ン倒してきましたみたいな状態で来たら。

「その、大丈夫か? なんなら、日を改めても……」

「ダメにゃ!」

俺の言葉をにゃーこが一蹴する。

「ここで行くのをやめたら、にゃーの仲間達の尊い犠牲が全て無駄になるにゃ」

にゃーこはそう言って、どこか遠くの方を見つめた。い、一体何があったんだ?

非常に気にはなったが、聞いてしまうと後戻りできなくなるような気がしたのでやめておいた。ようやく回復してきたらしいにゃーこが、俺の腕を掴んで急かす。

「行くにゃ、ご主人様。時間は有限にゃ。奴に見つからない内に出発にゃ」

や、奴って誰だ? これも非常に気になったが、ここも聞かない方がいいような気がしたので黙っておいた。だ、大丈夫かな?


土曜日とあって、渋谷は人が多い。俺達はスペイン坂を歩いていた。道行く人(主に男)達がこちらをちらちらと見ている。正確にはにゃーこを。当然と言えば当然か。グラビアアイドルですと言っても間違いなく通用する女の子が、薄いワンピース一枚で渋谷を歩いているのだ。気にならないはずがない。

しかし、こうして見るとやっぱりにゃーこは可愛いな。

そんな周囲の視線など気にもせず、にゃーこが笑顔で俺に話しかける。

「ご主人様、腕を組むにゃ♡」

「は?」

もしもし、にゃーこさん何を言っているのかな?

「何で?」

「デートではオスとメスが腕を組むのがしきたりにゃ」

いやいや、そんなしきたりないから。

「いや、別にそんな決まりは……」

「ダメにゃ?」

にゃーこが目をうるうるさせながら尋ねる。ちくしょう、可愛いじゃないか。

「いや、別にいいけど」

「やったー! うれしいにゃ♡ うれしいにゃ♡」

にゃーこが満面の笑みを浮かべて腕を組んでくる。そうなると、当然にゃーこの胸が俺の腕に密着するわけで。や、やばい。やわらかすぎる。マシュマロのようでありながら、適度な弾力を持つその果実。そう、これこそまさに男のロマン。

周囲の視線や怨嗟の声が若干気にはなるが、なーに実害があるわけじゃな・・あぶねッ!

ぎりぎり回避に成功したが、俺の頭の位置を高速で飛んできた何かが通り過ぎる。あ、あれは糸切りバサミ! そう、高速で飛んできた糸切りバサミが俺の頭の位置を通過し、前方の電柱に突き刺さったのだ。あ、ありえねえ。普通、糸切りバサミって電柱には刺さらんだろ!

ハサミの飛んできた方を見ると、○黒闘気を噴出しながら、こちらに近づいてくる小柄な人影が見えた。あれは……

「見―つーけーたー!」

貞○も思わず「お疲れ様っした」と井戸に戻っていきそうなほどの、凄まじい怒気を孕んだ声で近づいてきたのは、なんと命だった。

「陽菜―、やってくれるじゃない」

命の格好も酷かった。一応ストレートのジーンズにTシャツ。水色のパーカーを着ているということは分かるのだが、どこもかしこも擦り傷だらけ。顔はもっとひどい。バッテン印に傷が付いている。まるで、どこぞの海賊のキャプテンみたいになっていた。

「ちっ。もう来たのかにゃ」

命を見たにゃーこが、小さく舌打ちする。やれやれ、こいつら何やってんだ。

「まさか、あれほどの数の猫に襲われるとはね。さすがの命さんも結構手こずっちゃったわ。なかなかやるじゃない」

命が不敵に笑う。ああ、その傷は猫のせいですか。もはや俺は展開についていけず、ただ傍観することにした。

「そのまま家で寝ていればよかったにゃ。このお邪魔虫」

にゃーこが憎々しげにペッと吐き捨てる。

「なんですってー!」

もしもーし、お二人とも、キャラ変わってますよー。再び両者の間に険悪な空気が広がる。まずいな、人が集まってきた。おいおい、こんなところで騒ぎはカンベンだぜ。ここはひとまず……

「きゃ!」

「にゃ!」

俺はにゃーこと命を抱えて、ある場所へと走り出した。


やってきたのは喫茶店だった。以前に一度、由希乃と一緒に来た店だ。

にゃーこと命はまだ睨み合いを続けていたが、この店自慢のスペシャルジャンボパフェが来た瞬間に笑顔になった。

「何これー。すごーい♪」

「うわー、おいしそうにゃ。おいしそうにゃ。これぜーんぶ食べていいのかにゃ!」

よかった。どうにか争いは収まったようだ。女の子が甘いものに目が無いというのは本当らしい。二人はニコニコしながらパフェを食べ始めた。

「でも、凍士。よくこんなお店知ってたね」

命が口にクリームをべったりと付けたまま聞いてくる。

「えっ?」

「いやだからさ、普通男一人だとこんなとここないでしょ。周りはみんな女の子ばっかりだし」

慌てて周りを見回すと、確かにお客の大半は女の子だった。男はいても彼女連れ。

どう見ても男が一人で来るような店ではない。

「いや、以前に一度来たことがあってな」

俺は目を逸らしながら答える。

「一人で?」

「い、いや、知り合いと」

正直に答えようか迷ったが、どこかからそんなこと言ったら即死亡という声が聞こえた。

「ふーん、誰と?」

命の追及は止まらない。にゃーこもパフェを食べる手を止め、こちらを見ている。

や、やばいな。何て答え……そうだ。突如、俺の頭のライトが点灯する。

「紫苑だよ。紫苑」

「紫苑って、あんたのマネージャーの?」

そう、命達には紫苑のことを俺のアイドル時のマネージャーだと伝えている。

「そうそう、仕事の打ち合わせでな」

お願い、これ以上追及しないで。ボロが出るから。

「ふーん。そっか」

ようやく命が追及をやめる。キター、神様ありがとう。

「ところで、ご主人様。これからどこに行くにゃ?」

パフェを嬉しそうに食べながら、にゃーこが尋ねてくる。

「別に適当にぶらぶらすれば……」

「着るもの買いに行けば?」

意見を出したのは命だった。

「えっ? 誰の?」

「陽菜のに決まってるでしょ。この子、今着てるワンピしか服持ってないじゃない」

そう、にゃーこは下着以外、基本的に私服はこの服しか持っていない。部屋着は俺のワイシャツかTシャツだ。理由は簡単、にゃーこは今まで猫として暮らしていたので、服が必要なかったのだ。

しかし、俺と一緒に暮らすようになってからは、人型でいることも多くなったので、一応一着だけ服を買ったのだが。

確かにそうだよな。一緒に暮らすようになってから半年も経つのに、さすがに可哀相だよな。

にゃーこは服が欲しいなんて全然言わないから気付かなかった。これじゃ飼い主失格だな。

「よーし。それじゃあ、陽菜の服を買いに行くか」

俺の言葉に命が嬉しそうに頷く。当のにゃーこはパフェに夢中で全く聞いていない。

「あたしに任せといて。良いお店知ってるんだから」

あ、やっぱり付いてくるのね。


『ランジェリーショップ』

男にとってこれほど入るのに勇気がいる場所があるだろうか。命に連れられてやってきたのは、一軒のお洒落なランジェリーショップだった。意外と広い店内には、様々な種類の下着が所狭しと並んでいる。紐パン、縞々、フリフリ。中にはこれは下着として機能するのかと疑問に思うようなものまであった。しかも、今日はお客が多い。当然のことながら若い女性が。こ、ここに入るの?

「もしもし、命さんや」

「ん? なあに?」

命がニヤニヤしながら尋ねてくる。しまった。こやつ、確信犯か。

「ここに入るのかね?」

「そだよ」

命がさも当然とばかりに大きく頷く。

「普通の服を買いに行くんじゃないのかね?」

「下着もいるでしょ? あんまり数持ってないんだし」

「僕も入るのかね?」

「当然でしょ。あんたがお金を払うんだから」

いや、そんな「あんた何言ってんの?」みたいに言われても。

「お金渡すから二人で行ってきてくれんかね?」

「ダメにゃ!」

却下の声は意外なところからきた。見ると、にゃーこが俺の腕をがっちり掴んでいる。

いや、胸が当たって気持ち良いけども。

「にゃーの下着を買うんでしょ。だったらご主人様に選んで欲しいにゃ」

にゃーこが嬉しそうな顔でこちらを覗き込んでいる。命と違い、こちらは善意一〇〇パーセントの笑顔。つまり、拒否しづらい。

「いや、別に俺が行かなくても……」

「だめにゃ?」

にゃーこが目をうるうるさせている。まずい、俺はこの攻撃に弱い。

「いや、だから命と……」

うるうる

「俺がいても大した役には……」

うるうる

「だから……」

うるうる。だああああ、もう!

「分かった。一緒に行くよ」

「やったー。嬉しいにゃ」

喜ぶにゃーこに引き摺られながら、俺は地獄の門へと進んでいった。


来るんじゃなかった。店に入って一分後には、俺は来たことを後悔していた。

だって……視線が痛いんだもん。

店員さん(もちろん女性)の視線とお客さん(運の悪いことに全て女性)の視線が矢のように俺に突き刺さる。うう、痛すぎる。

にゃーこと命は、そんな俺のことなど気にもせずに下着を選んでいた。と、とりあえず隅っこの方にいよう。そう決めた俺は試着室付近で待つことにする。

「あら、凍士じゃない?」

聞き覚えのある声が聞こえる。振り向くと、そこにいたのは下着物色中の紫苑だった。

ノオーーーーーーー!

「こんなところで何してるの? あなたまさか、女装趣味?」

紫苑が汚物を見るような目でこちらを見る。やめて、そんな目で見ないで。

まずい、まず過ぎる。俺のイメージが。硬派(自分的に)で通していこうと思ったのに。

「ちがう、違うんだ紫苑。これには訳があってだな」

そう言って必死に弁解しようとする俺。

「いいの、何も言わないで。分かってるから」

紫苑が慈しむかのような女神様スマイルで俺に話しかける。

「ほんとに?」

「ええ」

紫苑が良い笑顔で続けた。

「楓の教え子だもんね。しょうがないわ」

ぬああああああーーー!

気が付くと、俺は店の外に飛び出していた。


「あー、こんなところにいた」

ランジェリーショップからさほど離れていない自動販売機の前で小さくなっていた俺に、命が声を掛ける。

「まったく、急にいなくなっちゃうんだもん。心配したでしょ」

命が怒ったように頬を膨らませる。

「ごめんなさい。僕には無理でした」

俺は素直に謝った。

「まあ、ちゃんと買えたからよかったけど」

命が視線を移すと、そこには両手にたくさんの袋を持ったにゃーこがいた。

とても満足そうな顔をしている。

「あ、そうだ。金は……」

「はい、これ」

そう言って、命に渡されたのは俺の財布。

「何で?」

「紫苑さんがね。届けてくれたの。あんたがビビって逃げ出した時に落としたんだって」

あ、あいつめ。間違ってはいないけど。

「さて、一応目的も果たしたし……」

命が満足げな笑顔で言った。

「帰ろっか♪」


夕暮れの帰り道、近所の公園を通りかかると少女の泣き声が聞こえた。もう夕飯時だ。他に人はいない。どうするかな?見て見ぬフリは後味悪いしな。

「なあ、ちょっと公園に……」

「どうしたの?」

一応命とにゃーこに一言断っておこうとした時には、すでに命が女の子に声を掛けていた。

思い立ったら即行動。周りの意見など一切聞かない、彼女の名前は北上命。趣味は特撮鑑賞とお節介であった。ちなみににゃーこは、遥か後ろで知り合いらしい猫とにゃーにゃー何やら話している。

「ねえ、何で泣いてるの? 何かあった?」

命が心配そうに少女の頭を撫でる。少女は少し泣くのをやめ、命に目を向けた。

「お兄ちゃん、だーれ?」

「おに……」

「ぷっ……ぐは!」

解説しよう。例によって人様が命を男と勘違い。噴き出す俺。即座に命が後ろ蹴り。俺、五メートルほど吹き飛び壁に激突。ただいま頭の上でヒヨコがピヨピヨピヨ。

「お姉ちゃんはね。命っていうの。ねえ、悩み事があるならお姉ちゃんに話してみない?」

どうやら、命は先ほどの少女の台詞を聞こえなかったことにしたらしい。俺の腹の痛みはなかったことにはならんのだが。

「ぐす、あのね。お父さんに怒られたの」

少女が目をこすりながら喋りだす。命はそれを黙って聞いていた。ようやく先ほどのダメージが抜けてきた俺も会話に加わる。

「どうして怒られたの?」

命の言葉に少女は首を振りながら答える。

「分からないの。ことり何にも悪いことしてないのに」

そう言って、ことりちゃんは再び目に涙を浮かべる。

「あのね、ことり、好きな人がいるの。同じクラスのケンちゃん。幼稚園の頃から一緒で、今の小学校でもずっと一緒なの。でね、ことり、ケンちゃんの子供が欲しいから、子供の作り方教えてってお父さんに頼んだら、すごく怒られたの。だから、ことり逃げてきたの」

「…………」

「…………」

いやー、何と言うか最近の小学生は進んでますなー。告白とか恋人とか付き合うとか全部すっ飛ばしていきなり子供ですか。そりゃお父さんも怒るわ。多分、心の中では泣いてるな。

隣を見ると、さすがの命も何と言っていいのか分からず、顔を赤くしたまま固まっている。

「ねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは子供の作り方知ってる?」

「ぐえ?」

いきなり話を振られた命は、潰れたガマガエルのような声で後ずさった。

基本、こういったことに免疫のない男の娘(ちょっと違うかもしれないが似たようなもの)。自分から振った会話には強いが、こういう場面では生まれたての小鹿並みの適応力しかない。

「そうね。ええっとそれは……」

命の声が尻すぼみに小さくなっていく。

「お、おしべとめしべが……ゴニョゴニョ」

女の子が何を言っているのか分からないと言わんばかりに首を捻っている。命も次第に涙目になってきた。

「だ、だから、こ、コウノトリが……・ってパス」

「ぐほ!」

め、めいさん。パスはいいけどボールじゃなくて裏拳でのパスはやめてもらえませんかね。先ほどの蹴りと同じ場所なんですけど。俺は痛む腹をさすりつつ少女に向き直った。

さて、何て言おうか? 俺も男だ。無論子供の作り方など知っているし、事細かに、かつ、実演付きで説明することもできるが、さすがに小学生の少女に『男の×××を女の×××××に入れて、ドピュっと出しちゃえばオッケーです♪』と、キラリとした笑顔で言うことは躊躇われた。さて、どうしたものか……。

「どしたにゃ? ご主人様」

いつの間にきたのか、困っている俺の横ににゃーこが並んでいる。俺はにゃーこにも状況を説明した。

「なるほど、にゃーに任せるにゃ」

事情を聞いたにゃーこは、任せろと言わんばかりことりちゃんの前に立つ。

「子供の作り方知りたいにゃ?」

「……うん」

いきなりの乱入者を多少は不審に思いながらも、自分の求める答えを知っているかもしれないという期待感からか、ことりちゃんはにゃーこの話に耳を傾ける。

さてさて、何を言い出すのか。

「交尾すればいいにゃ」

「「ぶっ!」」

ど直球だった。その混じりっ気なしの直球に、俺と命が同時に噴き出す。さすがは猫暮らしの長いにゃーこ。空気を読むということを知らない。

「コービ? コービって何?」

「交尾か? 交尾っていうのは、まず雄の……ぐむ」

そこまでだった。俺がにゃーこの口を、命がことりちゃんの耳を同時に塞ぐ。見事なまでの阿吽の呼吸であった。

「命、陽菜がこれ以上ここにいるのは、俺達の精神衛生上にも、ことりちゃんの情操教育上にもよろしくない。よって、俺はこれから陽菜を連れて先に帰るから、後のことは任せる」

「了解!」

命がことりちゃんの耳を塞ぎながら大きく頷いたのを確認し、俺はにゃーこを抱えて家に戻った。


▲▲▲

MEI SIDE

残されたあたしはことりちゃんの隣に腰を下ろした。

あたしには、ことりちゃんに、子供の作り方について説明することはできなかった。

何故なら、自分にだってそんな経験はなかったから。

「ねえ、ことりちゃん」

「なあに?」

「ケンちゃんのこと、好き?」

「うん、好き」

ことりちゃんは屈託なく笑った。あたしも釣られて笑う。

「そっか。ケンちゃんってどんな子?」

「えっとね。とってもかっこよくってね。ことりが困ってたら、いつも助けてくれるの」

「そっか。そっか。じゃあ、大丈夫ね」

「ふぇ?」

「あのね、ことりちゃん。子供の作り方は、実はお姉ちゃんもよく分からないの。でもね、もしことりちゃんがもう少し大きくなって、今と変わらずケンちゃんのことが好きなままだったら、『わたしをお嫁さんにしてください』ってケンちゃんにお願いしてみて」

「お嫁さん?」

「そう、お嫁さん。それでね、もしケンちゃんがいいよって言ってくれたら、後はケンちゃんが頑張って教えてくれるわ」

「ふぇ? ケンちゃん、子供の作り方知ってるの?」

「今はまだ知らないだろうけど、大きくなったらきっと、ことりちゃんよりケンちゃんの方が早く覚えるはずよ。こういうことはね」

「ふーん」

ことりちゃんは、よく分からないと言った感じで曖昧に唸る。

「ケンちゃんは優しい?」

「うん、優しいよ。だから、好きなの」

「だったら大丈夫。ケンちゃんみたいに、ことりちゃんに優しくしてくれる男の子なら、きっと頑張ってくれるから」

「分かったー」

ことりちゃんは満面の笑顔で言った。

「ことり、大きくなったらケンちゃんに頼んでみる」

「うん、頑張ってね」

あたしも満足して笑う。

「ねえ、お姉ちゃん」

「うん?」

「お姉ちゃんにも好きな人いるの?」

「ふふ、なーいしょ♡」

▲▲▲

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