第一章 職業ですか? 殺し屋です♡
「今川焼き二つ」
「あんこかい?」
「いや、チョコ」
「あいよ、一四〇万円ね」
人の良さそうなおばちゃんから、すでに化石と化したオヤジギャグを聞きながら今川焼きを受け取る。春とはいえ、夜はまだ肌寒い二〇一四年の五月。仕事帰りに今川焼きを買って食べるのがこの俺、騎神凍士の習慣になっていた。
「はー、今日も疲れたな、まじ腰痛え」
そう疲れたサラリーマンのようにぼやきながら俺は家路につく。俺の家は駅から二〇分ほど歩いたぼろアパートだ。途中で水に変わるシャワーと、夏場はゴキブリの巣窟となるトイレに目を瞑れば、都内で月三万円はなかなかの当たり物件ではないだろうか。俺は、牢屋を開けるためにあるような鍵で家に入った。ドスッ!
「ぐほっ!」
まるで刃物が刺さったかのような音だが、刺さったのは刃物ではなく人の頭だ。
あ、でもこいつ人じゃないな。
「おかえりなさい。ご主人様ー!」
帰宅早々、俺の腹にダイブを決めてくれたそいつの頭をふん掴み、俺は叫んだ。
「だーかーらー、人様の腹にダイブ決めるなって何回言えばわかるんだ、このアホ猫! 他の人間だったら病院送りだぞ!」
俺の腹に刺さったそいつは、頭を掴まれながらも満面の笑顔で言った。
「ご主人様の気配はすぐわかるにゃ♡ にゃーがご主人様と他の人を間違えるわけないにゃ♡おかえりなさいにゃ♡」
桃色掛かった髪に、くりくりした瞳。俺のTシャツ一枚で登場したそいつは、何が嬉しいのかお尻に生えたしっぽをふりふりしながら俺に抱きついてきた。
ん、なんでしっぽが生えているのかって。そりゃそうだろ、だってこいつ妖怪だもん。
え、現実世界に妖怪はいないって、いやいや、いるんだなーこれが。
だって俺、こいつをその辺で拾ってきたんだもん。
そりゃ最初はただの捨て猫だと思っていたし、普通の猫の姿をしてたんだけどさ。
まあ、こいつ、にゃーことの出会いを少し説明するとだな。
半年前、俺がいつものように今川焼きを買って食べてたら、道端にビールの空き箱があって、もぞもぞと動いてんのよこれが。ネズミかなーと思って試しに蹴飛ばしてみると、あら不思議、中から可愛い子猫さんが出てきたじゃありませんか。
動物好きの俺は、ちょいちょい手招きしてなでなでしようと思ったわけ。でも、野良猫って警戒心が強いじゃん。逃げちゃうかなーと思ったら、これまた不思議、とことこ寄ってくるじゃありませんか。気を良くした俺は、買ったばかりの今川焼きを千切ってあげてみた。子猫は、嬉しそうに尻尾を振りながら、今川焼きにかぶりついたんだ。俺はおいしそうにかぶりつく猫に癒されて、家に帰ることにした。すると、
「みー」
子猫は、足元ですりすりと俺にじゃれついてきた。なにこれ可愛いんですけど。
俺は子猫を抱き上げると、自分の目の前に掲げる。
「みー」
抱き上げられた子猫は、嬉しそうに鳴きながら、俺の手をぺろぺろと舐め始めた。なにこれ、めっちゃ可愛いんですけど。これはお持ち帰り確定だな、などと思いつつ俺は家路についた。
さて、いとしの我が家(ゴキブリ搭載型トイレ付き)に到着し、門をくぐろうとしたその時、強烈なプレッシャー(もしくは、○ュータイプの思念)を感じて、俺の足がぴたりと止まった。俺の顔から冷や汗がだらだらと零れ落ちる。
しまった。大家だ、大家を忘れていた。ここで、うちの大家について少し触れておこう。我が家(ゴキブリ満載型トイレ付き)の大家こと石野源蔵さんは、頭が○リハルコンでできている。そのあまりの硬さに、国ではあの人の頭を軍事利用するべきだという意見も多数出て……プシュ!
そんなことを考えていた俺の横を、なにかが高速で飛来し、俺の頬を軽く裂きながら、後ろにあったコンクリートの壁に突き刺さった。こ、これは枝切り鋏!
前方に視線を戻すと、俺のアパートの隣の家、つまり大家の家の窓からバーコード頭に岩みたいな顔をした老人が、両手の枝切り鋏をチョキチョキさせて、こちらに目を光らせている。
彼こそが我がアパート(コーポ鉄壁)の主、石野源蔵さん(御歳八六歳。趣味盆栽)だ。
「ペット禁・止!」
まるで、怨嗟のような声でそう呻いた後、歩く鉱物もとい石野さんはピシャリと窓を閉めた。
そうだった、石野さんは大の動物嫌いで、動物など見るのも嫌、飼うくらいなら焼いて食うと豪語していたほどの武士だ。俺は絶望感に打ちひしがれながら、再びビールの空き箱の前に戻ってきた。
「ゴメンな。うちじゃ飼えないんだ。いい人に拾われろよ」
結局元の場所に子猫を戻し、再びアパートに着いた俺は、未練たらたらに階段を上る。すると、
「みー」
声が聞こえた。猫の鳴き声だ。いかん、幻聴が聞こえてきた。俺は、頭を振りながら部屋のドアノブに手を掛ける。しかし、
「みー」
幻聴じゃない。俺は慌てて辺りを見回した。すると、さっきの子猫が階段の下から俺を見上げている。な、なんてつぶらな瞳なんだ。俺は、思わず階段を駆け下りようとした。
いや、いかんいかん、今、子猫を部屋に入れれば、隕石もとい石野さんを敵に回すことになる。部屋を借りている者にとって、大家とは絶対的なイニシアチブを持つ者、つまり神と同義である。これからの生活を考えると、ここは断腸の思いで……
「みー」
ダメだ。可愛すぎる。僕には、僕には出来ません。あんな愛くるしい猫をほったらかしにして部屋に入るなんて僕には出来ません。俺はピノも真っ青の速さで子猫を抱き上げ、部屋へと入った。さて、これからだ。今、俺は○ーミネーターも泣いて逃げ出すであろう怪物をどう対処しようかと考えていた。
あの石頭に正攻法は通じない。説得も無理。いっそ殺っちまうか。いやいやムリムリ。相手はエイリアンにすら勝ちそうな怪物、まともにやりあったらこっちが殺られる。となれば……
ピカッ、その時、俺の頭の中で何かの種のようなものが弾けた。目の中から光が消え、体が一気に覚醒する。ここは、相手の弱点を突くしかない。あの岩石ジジイの弱点といえば……。
俺は、おもむろに部屋の窓を開け、天高く叫んだ。
「助けて。メコエモン!」
一応言っておくが、俺はラリッたわけじゃない。ご近所からうるせーという声が聞こえるが、ここはスルー。やがて、ドドドという地響きのような音とともにドアが開き、身長一五〇センチくらいの小柄な女の子(見た目は美少女)が飛び込んできた。そして、
「メコエモン参上!」
と、特撮のヒーロー(もちろんレッド)ばりのポーズを決める。ちなみに、その格好は熊の着ぐるみであった。
「…………」
「…………」
まるで、前座ですべった芸人のライブのような静寂が室内に流れる。
「すいません。お邪魔しました」
バタン!
「は! いやいや呼んだから。ちょっと○タープラチナ喰らって、時が止まってただけだから」
ようやく、時が動き出した俺は、慌てて女の子を呼び戻す。
「やっぱ、呼んだんじゃん。何?」
紹介しよう。今よそでやったら、お母様方が見ちゃいけませんと幼い子供の目を覆いそうな登場をかましたこの女の子の名は北上命。なんと、あの岩石の実の孫である。
ふわふわな茶色のセミロングの髪(アホ毛付き)に、ぱっちりした瞳。首から上だけを見たら超がつくほどの美少女だ。どこをどうすれば、あの岩石からこの顔が生まれるのか正直信じ難いが、遺伝子の起こした突然変異にどうこう言っても仕方が無い。それに、顔はともかく俺には彼女を女性として見ることはできなかった。
何故なら……俺は、ちらりと視線を命の顔から下に移す。すると、そこにはなんと洗濯板が(無論、仕込んでいる訳ではない)。そう、お胸がないんです。一面に平野が広がっているんです。潰している訳でもないんです。普通一六歳ともなれば少しはあるじゃないっすか。同級生の男の子達が、仄かに色気づいた女子を見てイロイロなことを想像し始めるじゃないっすか。
なのにこの子ときたら、大人気のツンデレぺチャパイ桃髪娘でさえ視覚可能な程度の胸はあるというのに。お兄さんは涙が止まりません。
「さっきからどこ見てんの?」
一人で感慨に耽る俺を、命がヘドロを見るような目で見上げていた。
「お前の胸」
「変態」
「心配するな。男の胸に興味は無い」
ボカッ! 言い終えた直後、世界を狙える右ストレートが俺の脇腹に突き刺さる。
「殴るよ」
「殴ってから言うな」
あまりの痛みに崩れ落ちそうになりながらも必死に抗議するが、命はまったく聞いていない。
「用が無いんなら帰る」
命が頬を膨らませながら、ドアへと向かう。
まずい。命がすねすねモードに入った。このままでは、俺の計画が台無しになってしまう、ここは……。俺は憮然とした顔の命に、先ほどの子猫を見せてやる。
「わー、かわいー! ね、ね、どーしたの、この子?」
先ほどのすねすねモードはどこへやら、命は嬉しそうに子猫をあやし始めた。よしよし、いい感じだ。
「拾ったんだ。飼おうと思ってる」
「え、マジで? やったー!」
命が嬉しそうに手を合わせる。
「しかし、問題があってな」
「おじいちゃんでしょ」
「そのとおり」
さすが、メコエモン。一から十を読み取るとは。
「そう、問題はお前のおじいちゃんだ。そこで、お前に頼みがある」
「おじいちゃんの説得」
「そのとおり」
「ただで?」
「可愛い子猫に毎日会える」
「それだけ?」
「小鳥亭のデラックスパフェ三日分」
「一週間」
「五日」
「きまり、行ってくる」
くそう、あのスパイヤローめ、余計な交渉術を教えやがって。俺は、最近命がハマッている、米国の元スパイドラマの主人公に心の中で悪態をついた。
命は、早速自分の家に入り、……すぐ戻ってきた。
「いいって」
「はやっ!マジで?」
「マジで」
すげえ、さすがメコエモン。ていうか、岩石どんだけ命に甘いんだよ。
「この子、名前あんの?」
命が、子猫を抱き上げながら尋ねる。
「にゃんこ」
「ダサッ、にゃーこにしよ」
「あんま変わらんがな」
思わず関西弁でツッコミを入れそうになった時、命の胸に抱かれていた子猫が嬉しそうに、みーと鳴いた。
「ねー。にゃーこがいいよねー」
「マジか。しかし、本人いや本猫が気に入った以上、その意志を尊重せねばなるまい。ということで、お前の名前は今日からにゃーこだ」
「よろしくね」
「みー」
こうして、我が家に家族が一匹増えた。
にゃーこが来た次の日、俺は妙な重みを感じて目を覚ました。なんか体が重たいぞ。まさか、命か? いや、あいつはあの後すぐ帰ったからそれはないな。大体、万が一、あいつが俺の布団に潜り込んできていたなら、俺は今頃生きてはいない。命と同じ布団で寝ること、それは布団に○ジラを入れるのと同義である。
おそるおそる布団をめくってみると、なんとそこには俺の上で幸せそうに寝息を立てている裸の美少女がいた。俺は一旦布団を戻し再度めくってみる。すると、そこにはやはり美少女が。
オーケイ、落ち着こう。何事も冷静に対応しなくては。まだ、慌てるような時間じゃない。
しかし、可愛い。今までの人生で、裸の女の子をこんなに間近で見たこと無いからな。もうこんな機会はないかもしれん。じっくり、観察しなくては。そして、その詳細を余す事無く伝えなくては。さらさらの桃色掛かった髪に、柔らかそうなほっぺ。きめ細かいつやつやの肌に、なによりも胸がでかい。そう、お胸がおっきいんです。ぽよんぽよんなんです。おっきいマシュマロなんです。しかも、この体勢からだと胸の谷間がモロに見えちゃうんです。そのうえ体が密着しているから、少女が身体を動かすと男の夢とロマンの詰まった二つの果実が形を変えてその感触を伝えてくるんです。
やばい、触りたい。ちょっとぐらいなら……。そう思い手を伸ばすと、少女がわずかに目を開けた。少女は寝ぼけ眼でこちらを見上げ、
「ご主人様、おはようにゃ♡」
と、自分の顔を俺の首元に擦り付けてくる。
ピー、ピー、コンディションレッド発令!コンディションレッド発令!
謎の巨乳美少女が、俺のムスコを攻撃しています。出撃可能な俺の理性さんは、第一時戦闘態勢で俺のリビドーさんの迎撃に向かってくださーい。
俺の激しい脳内闘争をよそに、少女はさらに胸を押し付けてきた。まずいっす。このままでは自分、狼になってしまうっす。自分は草食系じゃないっす。肉食系っす。
「ご主人様。どしたにゃ?」
「ゴメンナサイ。ドチラサマデスカ?」
俺は、片言しか喋れない外人のような口調でなんとか尋ねる。すると、少女はネコミミをぺたんと倒して落ち込みだした。
「ご主人様、にゃーのこと忘れたにゃ?」
いやいや、初対面ですから。というか、君みたいな可愛い子、一度見たら忘れませんから。
「昨日は、あんなにいっぱい可愛がってくれたのに……」
ピキッ。昨日は、あんなにいっぱい可愛がってくれたのに。きのうはあんなにいっぱいかわいがってくれたのに。キノウハアンナニイッパイカワイガ……。
頭の中で、何度も同じ言葉が繰り返される。チクショー、覚えてない、覚えてないぞー。
何故だ? 酔っていた訳じゃなし、そんなにいっぱいイロイロしたら絶対覚えているはずだ。頭では忘れていても、俺のムスコが。
そう思い、悶絶する俺の目にあるものが飛び込んできた。ネコミミ、そうネコミミだ。
あまりに自然だったので気が付かなかったが、少女の耳に付いているのは、確かにネコミミだった。おそるおそる触ってみると、
「あったかい」
どうやら本物のようだ。ん、待てよ、俺は昨日子猫を拾ってきた。飼うまでに多少難題はあったが無事に解決し、そのまま子猫を抱いて布団に入った。そして、朝起きるとそこには裸の美少女が。このことから推測するに……
「にゃーこか?」
「思い出したにゃ?」
少女が嬉しそうに目をきらきらさせる。
「マジかよ。ビンゴか。なんで、人間になってんだよ」
「にゃーは、半妖にゃ。だから、人型にもなれるのにゃ」
「うそだろ、全然気が付かなかった」
半妖とは、妖怪が魂の一部を譲渡することで生まれる、その妖怪と同等の力を持った人間のことである。かくいう俺も、その半妖なのだが。呆然としている俺を見て不安になったのだろう、にゃーこはしょんぼりとした面持ちで俺を見つめた。
「半妖だと飼ってもらえないにゃ?」
にゃーこは、くりくりした目をうるうるさせて見つめてくる。やばい、可愛い。というか、可愛すぎる。裸の美少女の精神攻撃に、俺はたちまち状態異常に陥った。○ルボルのくさい息もびっくりの威力である(表現は悪いが)。
朦朧とする俺の頭の中に、ある計算式が浮かんでくる。子猫=可愛い。美少女+巨乳+ネコミミ=最高。子猫=ネコミミ巨乳美少女=モウマンタイ(というか、むしろ大歓迎)。
というか、この状況を蹴るような馬鹿は、死んだ方がよろしゅうございます。
「いいんじゃね」
そう結論付けた俺は、あっさりにゃーこに答えた。
「やったにゃ! うれしいにゃ♡ ありがとにゃ、ご主人様♡」
ペタンと倒れていた耳をピョコンと立て、しっぽをふりふりしながら、にゃーこは再び抱きついてきた。たわわに実った二つの果実が、その感触を存分に伝えてくる。
フッ、フッ、フッ、俺の出した答えに間違いは無い。それが、俺とにゃーこの出会いだった
まあ、そんなこんなで俺とにゃーこは出会ったわけだ。
ああ、そういえばまだ自己紹介してなかったっけ。
俺の名前は、騎神凍士。名前はさっき言ったかな。
どこにでもいる一七歳の高校二年生と言いたいところだけど、残念ながらちょっと違う。
実は俺、殺し屋なんだ。