第七章 さらば親友よ、安らかに
空が白んでいく。もうすぐ夜明けだ。
「なんでだよ」
横たわる統麻に、俺は独白にように呟く。
「何が?」
「何で……」
「純妖石に亀裂を入れていたのかってか?」
そう、純妖石がその妖力を解放する寸前、石はその力の解放に耐えられず砕け散ったのだ。
そのおかげで、先ほどまで辺りに充満していた妖力や瘴気は跡形も無い。冥府の門も、寸前でその姿を消してしまった。純妖石に亀裂が入っていたのだ。おそらくは、最初から。
「へへ、決まってんだろ? 大事な妹や親友のいる世界を、魔の巣窟にはできねえよ」
統麻は、笑いながら言った。
しかし、その笑い声には力が無い。両手の指先が光の粒になって消えていく。
サラサラと。まるで、砂でできた城のように。
「さっきまでと言ってることが違うぞ」
「はは、そう言うな。おかげではっきり分かったろ?」
足が消えていく。
「何が?」
「自分の気持ちってやつがさ」
腕が消えていく。
「お前はくだらないことをぐだぐだと考えすぎだ。お前は舞乃を殺したんじゃない。あいつの想いを守ったんだ。それと由希乃のことは別の問題だろ。お前が負い目を感じることは無い」
「演技だったのか?」
「えっ?」
「全部演技だったのか?」
「……本気だったさ。半分はな」
統麻は静かに目を閉じた。
「大事な妹の相手を兄貴が値踏みするのは当然だろ。でもな、その気持ちは半分。もう、半分はな……」
統麻の目から涙がこぼれる。
「もう半分はな、やっぱり会いたかったんだ。舞乃にな」
そこで統麻は、一度言葉を切った。
「大事な妹はいる。大事な親友はいる。でもな、心のどこかが乾いてた。もうこの世に舞乃はいない。どれだけ望んでも、もう会えない。どれだけ抱きしめたくても、もうできない。顔を見ることさえ、もうできない。俺は何一つあいつに伝えていないのに。頭では理解していてもやっぱり思うのさ。もう一度でいいから会いたいってな」
俺の目からも涙がこぼれる。バカが。何にも分かってないのはお前の方だ。
「馬鹿野郎」
「はは、返す言葉も無いね」
「違う、そういう意味じゃない」
「えっ?」
統麻が俺に目を向ける。
「確かに舞乃はもうこの世にはいない。けどな、完全に死んだわけじゃないんだぞ」
俺の言葉に統麻が力なく笑った。
「はは、確かにそうだが、人柱になって徐々に朽ちていくのを生きているとは……」
「それも違う」
「何?」
「お前、言ってたよな。真生には特殊な能力があるって」
「ああ、お前はまだ目覚めていないようだが」
「目覚めているさ。とっくにな」
「どういうことだ?」
「二年前のあの日、舞乃の体に水晶石を埋め込もうとする直前、俺は覚醒したんだ。舞乃を殺したくなくてな」
俺の言葉に、統麻が怪訝そうな顔を浮かべる。
「すまん、言っていることが良く分からないんだが。お前の覚醒と、舞乃の命になんの関係がある?」
「俺の二つ名を知っているな?」
「アイスオーガだろ?」
「そうだ。その名の通りの力だったよ。だが、俺が凍らせるのは物体じゃない」
「えっ?」
「空間を凍らせるのさ」
「どういうことだ?」
「正確に言うと、指定した空間をその状態を保ったまま固定するってことだ。もちろん、その中にいるものも含めてな」
「すまん、分かりやすく言ってくれ。さっぱり分からん」
「舞乃に水晶石を埋め込まず生かしたまま、なおかつ舞乃から冥府の門への霊力供給を保ちつつ、その空間を凍結させたってことだよ。当然そのままの状態で凍結させた訳だから、舞乃が歳を取ることもその霊力が枯渇することもない。一種のコールドスリープだな」
統麻が目を丸くする。
「マジかよ。そんなことができるのか?」
「できるから言ってんだろ」
「でも、お前、それじゃあ……」
「冥府の門を閉じるのに十分な量の霊力を供給することができないはずってか?」
「俺の真似すんなよ」
「うるさい、一回ぐらいやらせろ」
一度やってみたかったんだ。もう、これが最後だから。
「大丈夫だ。お前も知っての通り、人柱となる者の体に水晶石を埋め込むのは、霊力の増幅に加え柱になった時の体外への霊力伝達をより円滑にする為だが、舞乃は当代、いや、下手をすると歴代最高かもしれない霊力の持ち主。その霊力は水晶石を埋め込まなくても、体から自然に漏れ出る霊力だけで、十分に門を閉じることのできる基準に達していたよ」
「何故言わなかった?」
「まさか、お前が舞乃の許婚だなんて知らなかったからな。由希乃にはこちらの世界のことは伏せておくことになっていたし。それに……」
「それに?」
「ぬか喜びさせたくなかったからな」
「なんだと?」
「この能力は確かに舞乃を生かしておくことができるが、俺が死んだら恐らくこの能力は解除される。それに、根本的な解決方法を見つけ出すことができなければ意味が無いからな」
「根本的な解決法だと?」
「ああ」
俺は、一旦言葉を切る。
「人柱以外での、冥府の門の封印方法だ」
「…………」
「二年前、舞乃を冥界に置き去りにしてから、俺にはやるべきことが二つできた。一つはあいつの守りたかったもののいる、この世界を守ること。そして、もう一つが……」
「人柱以外での、冥府の門の封印方法か」
「ああ」
長い長い告白の後、俺は喋り疲れて一息ついた。統麻の体はもう上半身だけ。
その上半身すらも、薄くなってぼやけてきている。
「ははは」
統麻は突然笑い出した。死に行く者とは思えないほどの大声で。
「まったく、大した奴だ。お前は」
統麻は嬉しそうだ。何の邪気も孕んでいない素直な笑顔。
「俺にはそんなこと思いつきもしなかったよ。だが、その能力を使えばもっと簡単に俺に勝てたんじゃないか?」
「それは無理だ」
「何故?」
「この能力は確かに凄いとは思うが、色々と制約があるのさ。まず一度能力を使うと、それを解除するまで使うことができない。そして、解除には俺が直接その空間に触れる必要がある。もちろん、発動にもな。今は舞乃に使っているから……」
「俺には使うことができない?」
「そうだ。そして、この能力の最大の弱点はな。使用中、常に莫大な量の真力を消費し続けるってことだ。覚醒中は関係ないんだけどな」
「何だと? じゃあ、覚醒前までのお前は……」
「いいとこ最大時の五〇パーセントってところだな」
「…………」
統麻はしばらくの間沈黙した後、再び笑い出す。
「ははは、本当に大した奴だ。本当は、最初からお前の方が強かったんだな」
「そんなことないだろ」
「いや、そうさ」
もう、残された時間は少ない。
「凍士」
「何だ?」
「由希乃のこと、よろしく頼む。それから、舞乃のことも」
「ああ、分かってるよ」
「そうか」
統麻は笑みを浮かべる。その顔は何かから解放されたかのような安らいだものだった。
今思えば、俺達は本当によく似てる。力も、武器も、きっと女の好みも似てるな、こりゃ。一つ歯車が違っていたなら、死んでたのは俺かもしれない。
「よかった。もう何も思い残すことは無い」
そうか。もうお別れなんだな。
「じゃあな。親友」
「ああ、じゃあな。親友」
そして日が昇り、統麻は笑って消えて行った。
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YUKINO SIDE
目が覚めた時、私がいたのはベットの上だった。自分のベットではない。体を起こして、周りを見回し、ようやくここがどこなのかが分かった。そこは医務室だった。兄や凍士の働いている都庁の医務室。以前に一度だけ来たことがある。もっとも、自分が怪我をしたわけじゃない。凍士を付き添ってだ。凍士と兄はことあるごとにケンカをしていた。大抵は兄がちょっかいを出すのが原因だけど。兄がちょっかいを出して、凍士がそれを買う。
でも、そのケンカは決して険悪なものではなかった。何故なら、ケンカをしている時の二人の顔は、私が見たこともないほど嬉しそうで。私にはそれが羨ましかった。だから、これは兄と弟がじゃれているみたいなもの。
でも、兄も凍士もとってもケンカが強いので、いつも負けてしまう凍士は結構頻繁に怪我をしてしまう。私はそんな彼に付き添って医務室に行くのだ。少しだけど、二人きりになれる時間。私にはそれが嬉しかった。それが今の私達の日常だった。
部屋がノックされる。私は、どうぞと答えた。
ドアを開けて入ってきたのは、紫苑さんだった。兄からは自分や凍士のマネージャーみたいなものだと聞かされている。兄や私が東京に来たときからお世話になっている人だ。今日の紫苑さんは普通の黒いスーツを着ている。この人の好みはもっと派手なものかと思っていたけど。
「体の調子はどう?」
紫苑さんが少し笑って私に声を掛ける。でも、その声にはどことなく元気がなかった。
言われて私は自分の体をチェックする。うん、どこも異常なし。
「大丈夫です」
私はとりあえずそう答えた。
「そう」
少しの間、静寂が流れる。やがて、紫苑さんが言いにくそうに切り出した。
「由希乃ちゃん、伝えておかなくてはならないことがあるの」
何だろう、紫苑さんの顔を見るに良い話ではなさそうだけど。
「お兄さんが亡くなったわ」
その言葉を聞いた時、私はどんな顔をしていたのだろう。私には分からなかった。でも、心のどこかで思っていた。ああ、やっぱり、と。いつかこんな日が来るんじゃないかとは思っていた。もちろん、兄のしている仕事が危険なものであるということもある。
しかし、それ以上に……兄は死に急いでるように見えたから。出会った時からずっと。
私には、兄が何かから解放されたがっているように見えた。
ずっと無言だった私に、紫苑さんが続ける。
「仕事中の事故でね」
「紫苑さん」
「えっ?」
私は紫苑さんの目を真っ直ぐ見ながら尋ねた。
「嘘ですよね」
「…………」
私の言葉に紫苑さんが大きく目を見開く。やっぱり。
「凍士……ですよね?」
「…………」
「兄を殺したのは」
「…………」
紫苑さんは答えない。それは肯定と同じだった。根負けしたように紫苑さんが口を開く。
「あのね、由希乃ちゃん。これには……」
「分かってます」
何か言おうとした紫苑さんを私は遮った。
「分かってますから」
私は目を閉じる。そう、分かっているのだ。自分は。正確には思い出した。兄と凍士が戦っていた時のことを。
あの時、私は大きな光を受けて目を覚ました。そして、目を覚まして最初に見たものは、兄と兄の体を貫いている凍士の姿。しばらくして、兄がゆっくりと崩れ落ちる。
凍士も膝を折った。今にも泣きそうな顔をしながら。私は声を出したつもりだった。
でも、うまく声を出せない。それどころか指一本動かすことができなかった。
だから、聞くことしかできなかった。二人の最後の会話を。
そして、その会話を聞いて私の中で全てがつながる。そして、思った。
ああ、やっぱり、と。兄が私に姉を重ねていたのは知っていた。
それこそ出会った時から。だから、分かっていた。いつも語りかけてくる兄の瞳に私が映っていないことが。私といる時、兄は時折寂しそうな顔をする。
見ているこちらの方が泣きそうになるくらい寂しそうな顔を。私が「どうしたの?」と問い掛けると、兄は決まって「何でもないよ」と答えた。そして、兄は虚空を見つめる。
私では兄の空白を埋めることはできなかった。だから、分かっていた。もし、兄の心を解放することができるとしたら。それは凍士しかいないってことを。
姉のことは知っていた。凍士が殺したってことも。でも、話を聞くと本当は姉を殺してなどいなくて。姉の想いを必死に守ろうとしてくれて。そして、今度は兄の想いも守ろうとしてくれている。
ごめんね、凍士。ほんとにごめんね。確かにあなたのいる世界は普通じゃなかった。あなたの想いも、あなたの覚悟も何も知らなかった私は本当にただの子供で。あなたの優しさにずっと甘えてた。今もあなたは一人で耐えているんだろう。私から兄と姉を奪った苦しみから。心からずっと血を流しながら、必死になって耐えているんだろう。
もう、これ以上あなたを一人で苦しめたりしない。だから、私は……
「由希乃ちゃん」
紫苑さんの声で私は現実に引き戻される。
「これを……」
そう言って、紫苑さんが取り出したのはスマートフォンだった。見覚えがある。これは、私のものだ。電源を入れるとメッセージがあった。
「お兄さんからよ」
私は静かにそれを再生する。懐かしささえ感じる兄の声が流れた。
『よう、由希乃。お前がこれを聞いてるってことは多分俺はもう死んでる。凍士にやられてな。
けど先に言っとく。あいつは何にも悪くない。悪いのは全部俺だ。それだけは先に言っとく。
えー、事情を説明したいんだが、どうすれば上手く伝えられるか分からないんで簡単に言う。俺はな、自分に正直になろうとした。どうしても欲しいものがあって、それを手に入れるためにな。でも、それは周りの人たちにすごく迷惑をかけることになるんだ。もちろんお前にも。
でも、それでも俺はあきらめられなかった。それを凍士が止めてくれたんだ。
だから、あいつを恨むのだけはやめてくれ。よろしく頼む。
ああ、忘れてた。金のことなら心配ない。こう見えても、しこたま稼いでるからな。
必要な手続きは全て紫苑がやってくれる。だから、金のことは心配するな。
ごめんな、最後なのにまともなこと言えなくて。けど、最後にこれだけは言っとく。
ありがとな。この数年、お前と凍士のおかげで本当に楽しかった。だから、ありがとな。
追伸。俺の部屋の私物は凍士にでもやってくれ。服のサイズもちょうどいいだろ。エロゲーについては……お前に任せる。ちなみに凍士はコスプレが好きだ。これ、アドバイスな。
さて、そろそろ電池が切れるな。凍士と元気に仲良くやれよ。
最愛の妹へ。シスコンの兄より』
聞き終えた私の目から涙が零れ落ちる。ばか、お兄ちゃんのばか。いっつも、自分一人でどんどん先に行っちゃって。ほんとにバカ。
でも、ありがと。私、お兄ちゃんの妹になれてほんとによかった。
私は顔を上げて紫苑さんを見る。見てて、お兄ちゃん、お姉ちゃん。私も頑張るから。
「紫苑さん。お願いがあるんです」
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