生と死
人は、何故一生のうちに同じ過ちを繰り返すのだろう。
否。
もしかしたら、それは、私に限定されるのかもしれない。
私に限定したとして、
何故、私は同じ過ちを繰り返してしまうのだろう。
それは、『性分』という一言で済ませていいのだろうか?
それとも・・・・・
何度、この命を消し去ろうとしただろう。
それは、逃げ。
あらゆるもの、事柄からの逃避。
苦しくて、もがいて、もう、何をもからも逃げ去ってしまいたい。
そんな欲求からだ。
でも、それは、本当は、生きたくて生きたくて生きたくて、どうしようもない叫びなのだろう。
その反面、私が生きると、苦しむ人がいるのなら、追い詰めてしまうのなら、そして、その人を心の奥底から愛していればいるほどに、
やはり私は自分の命を消し去りたくなってしまう。
その結論の善し悪しを別として。
私が悩むのは誰のせい?
それは、私のせい。
私が辛いのは誰のせい?
それは、私のせい。
私が泣くのは、何故?
私が、弱いから。
結局は、全て自分自身なのだ。
強くなりたい。
打たれ弱い自分をやめたい。
もっと、頑丈に、剛健に、何をも打ち返すぐらいの私が・・・・・・
でも、そんな私にはなれない。
それでも私は、今日このときまで生きている。 そして、また、明日が来るのだろう。
生と死とを秤にかけたときに、生のほうが、まだ、愛する人を苦しめないだろうことを知っているから。