惨劇と子守歌
プライムは、目の前にある長い髪を摘んだ。
「なぁに?」
シルフィーラが振り返る。
慌てて手を離す。
「…何でもない……」
キールが連れ帰った当初、かなり汚れて、泥まみれだった。
それをきれいに洗ったところ、見事な金髪が現れた。しかし、髪はあちこちが焦げていた。
シルフィーラが切り揃えた為、かなり短くなっている。
小さな丸椅子に座らされる。短くなった髪を、櫛で梳く。
「本当に綺麗」
プライムは、居心地悪そうに身を縮めた。
旅商人が持っていた、人間達の宗教画。
一度だけ見せて貰った、高価な絵。
優しい微笑を浮かべる、女神が描かれていた。
その女神に似た人。
「シルフィ」
いつの間にか、どこかに出かけていたキールが戻ってきた。手には何か抱えている。大きな布に包まれている。
彼は、さっぱりしたプライムに、ちょっと驚いたような表情を見せた。
「うん、可愛くなった」
彼は包みを床に置いた。
妻はそれを広げる。
「…まあ」
彼女は微笑んだ。夫を見上げる。
「これをわざわざ?」
「仕方ない。この家には子供服なんてないからな」
キールの声は淡々としている。
だが、シルフィーラは小さく笑った。
プライムは不思議そうに彼らを見上げる。その頭に、大きな手が乗せられた。
「着替えておいで」
言われて、それが古着である事を知った。
シルフィーラはそれらを抱える。彼女に促されて、プライムは二階へと上がっていった。
「入ってくればいいのに」
キールは後ろに向って話しかける。
ゆっくりと扉が開く。そこには、気まずそうなガラがいた。
「…先生は知ってたの?」
「勿論」
キールは事も無げに答える。ガラはぐっと言葉を飲み込んだ。
キールと共に戻ったガラは、彼に連れられて町に戻った。
勝手に家を抜け出した彼は、当然、がっちり両親に怒られた。
一応助けられたキールが仲裁に入ってくれて、事なきを得たが。しかし、彼にこき使われる事が前提だ。
古着集めを手伝って、これからまた、庭の薬草園の手入れを手伝わされる。
彼は恨めしげにキールを見た。
キールは小さく息を吐く。
「こういうのを何て言うか、知っているか?」
「……何………?」
キールは僅かに相好を崩した。
「自業自得」
ガラは口をあんぐりと開けたまま、言葉が出なかった。
キールが低く笑う。
はっと我に返った。
「先生!!」
そこに女性陣が戻ってくる。
「どうしたんですか?」
ガラは慌てて、両手で口を押さえた。キールの後ろに隠れようとする。しかし、当然隠れられるものではない。
「…ガラ?来てくれたの?」
シルフィーラはにっこりと微笑む。
ガラはもごもごと、口の中で何か呟いた。
「それで?どうだった?」
キールが訊ねる。
シルフィーラはポンと手を打った。後ろを振り返る。
「プライム。いらっしゃい」
ひらり
フリルの付いた、エプロンが揺れる。
ふわり
黄色と黒の尻尾が、微かに揺れた。
「よく似合ってる。ちょっと、大きかったかな?」
キールは素直な感想を述べた。
虎族の少女は、気恥ずかしそうに、エプロンを握っている。大きな目が、ガラを捕らえた。
彼はポカンとした表情で、彼女を見つめていた。しかし、視線に気付いて我に戻る。
「へ…ヘン!女装にしか見えねぇよ!!」
そう言って、背を向ける。
「どうせ草むしりだろ。さっさと終わらせとくからな!」
「間違って薬草まで抜かないように」
「そんな間違いしねぇよ!」
「水遣りと、害虫駆除も……」
「剪定も枯れ花摘みも、一通りやってやらぁ!」
自棄を起こして叫んだ。わざとらしい、大きな足音を立てて家を出て行く。
キールは苦笑する。
「…どうしちゃったのかしら?」
「さぁ?」
妻の問いに、彼は曖昧に答えた。それから、プライムの前に身を屈める。
「…落ち着いたら、話してもらえるかな……?」
深い緑の瞳が、彼女の顔を覗きこんだ。
「アンバスで何が起こったのか……君のご家族のことも含めて」
プライムは小さく頷いた。
◆◆◆◆◆◆
事の起こりは2週間ほど前。
一日が終わろうとしていた、矢先の事。
突然、轟音が村中に響いた。
眠っていた彼女が、飛び起きるくらいに。
「火事だぁ!!」
誰かが叫ぶ声が聞こえた。
父親が上着を取る。
「お前達は家から出るな!」
再び大きな音が聞こえて、父親は家を飛び出した。
それが父親の姿を見た、最後になった。
外から、怒鳴り声が幾つも聞こえた。母親は彼女をしっかり抱きしめて、外の様子を窺っていた。
プライムは何が起こっているのか、さっぱりわからないまま……
突然、家の屋根が吹き飛んだ。
慌てて母親と家を飛び出したとき、外は火の海で。
辺りには、何人もの仲間が、倒れて動かなくなっていて。
「逃げるのよ!」
母親が言った。
彼女達は、山の中に逃げ込もうとした。しかし、行く手を阻まれる。
その手には猟銃が握られていた。
銃口は彼女達に……
◆◆◆◆◆◆
夜が更ける。
一冊の古い本。
彼の前にこの家に住んでいたという、老医師の遺物らしい。
キールは微かな明かりの下、古い医学書に目を落としていた。
漠然と見ているだけで、読んでいるわけではない。
頭の中は、昼間聞いた話で一杯だった。
人の男。
プライムたちに銃口を向け、あまつさえ、母親を撃ったという……
プライムが見た、男の特徴。
手にしていた猟銃に刻まれた、独特の紋章
「…まさか、な……」
キールは呟いた。
ランプの炎が微かに揺らめく。
彼は顔を上げた。扉に目を向ける。
「…プライム……?」
眠っているはずの少女が、扉の向こうから、遠慮がちにこちらを伺っている。
どうした?
そう言おうとして、言葉を飲み込んだ。代わりに手招きをする。
彼女はおずおずと、中へ入ってきた。
「眠れない?」
小さく頷く。
キールは更に訊ねた。
「怖い夢を?」
少女は項垂れた。そのまま僅かに首を縦に振る。
本を閉じる。椅子から立ち上がった。
「シルフィーラと一緒に眠るといい。おいで」
今度は、首を左右に振った。蚊の鳴くような、小さな声が聞こえる。
「寝相、良くないから……」
本を戻しながら、彼は言った。
「そんなに心配する事はないのに」
再び椅子に戻る。頬杖をついた。
プライムは、上目遣いにキールを見ている。
人など、信用できない。
そう言うから、もっと警戒されているかと思っていた。
思ったよりも、人に慣れている。
……それが、見ず知らずの他人でも。
(…まぁ、当然か……)
相手はまだ子供だ。
親を亡くして、独り、山中を彷徨って。心身ともに疲労したところで、優しい言葉をかけられれば、それに縋ってしまう。
キールの顔に、笑みが浮かぶ。
「眠れないなら、話をしようか」
手招きをする。
プライムは素直に従った。肘掛に手を置き、こちらを見上げてくる。
「何のお話?」
「…どんな話がいい?」
キールは訊ねた。
少女は首を傾げる。それから、左右に振った。
「わかんない……」
「ご両親は、どんな話をしてくれた?」
「……お母さんは、本を読んでくれたよ。お父さん…お父さんは……若い頃、あっちこっち旅をしてたんだって。その頃のお話」
「そう……」
彼は本棚に目を走らせた。大半は、医学や薬草学に関する本だが、時折妙なものが混ざっている。
思案していると、小さな声が聞こえた。
「…先生は……?」
「ん?」
「先生は、どんなお話をしてもらったの?」
突飛もない質問に、彼は一瞬固まった。
そして再び考え込む。
「どんな……?」
遠い昔の事過ぎて、すっかり風化した記憶を辿る。
プライムはじっと見つめている。期待のこもった瞳は、裏切る事を許さないようだ。
キールは消えかけた記憶を呼び起こした。
重い口を開く。
「……妖魔族を知っているかな?」
「悪い亜人種の事?」
キールは思わず噴出しそうになった。
子供の認識では、それが精一杯なのだろう。
「全てが悪いわけではないよ。彼らは…そう、彼らは君達の、王様みたいなものだから」
キョトンとするプライムを抱き上げた。膝の上に座らせる。
「妖魔族というのはね……」
◆◆◆◆◆◆
妖魔族。
一括して総称されるが、彼らも亜人種である。
地を駆ける、妖獣族と魔獣族。
天を舞う、妖鳥族と魔鳥族。
そして、水を泳ぐ、水妖族と水魔族。
彼らは他の亜人種たちと、一線を画する。
人との接触を好まず、彼らの国があり、王がいる。
総じて長命で、容姿端麗。身体能力は人を雄に凌ぎ、自然を操る。
独自の文明は、人のそれに比べればはるかに文化的で、圧倒的だと言われている。
人の進入を許さない彼らの国が、何処にあるのか。
それを知る者はいない。
お伽話に語られる、僅かな情報では
獣の国は、険しい山に囲まれた草原に
鳥の国は、空高く浮かぶ巨大な岩の上に
水の国は、広い海原の水中深くに……
◆◆◆◆◆◆
「王様?妖魔には、王様がいるの?」
「…そう言われているね。彼らの国は王国だから」
キールは少女の髪を撫でながら言った。
少女に笑顔が戻る。
「王様は強いの?強いから、王様になるの?」
「さぁ…世襲制だから、必ずしも強いとは限らないんじゃないかな」
「…せしゅう……?それってなぁに?」
「王様の子供が、次の王様になるっていうこと。どんな物語にもあるだろう?王子様は大きくなって、王様になるんだよ」
彼女は頷いた。そして想いを馳せる。
「どんな場所かなぁ?ね、先生。あたしは亜人種だから、行けるかな?」
「…それを願うなら……」
キールは微笑んだ。
酷く、寂しそうに。
プライムはそれを見上げる。
その視線に気付いて、首を傾げた。
「何?」
「先生は、行ったことある?」
「…何処へ?」
「妖魔の国」
質問に答えず、彼は頭を撫でた。
「もうお休み…眠るまで、付いていてあげるから」
疲れていたのだろう。ベッドに入れると、すぐに寝息が聞こえてきた。
しかし、しっかり掴んだキールの手は離さない。
それを微笑ましく見つめる。
同時に、彼は掘り返した古い記憶に、眉を顰めた。
蒼い記憶が脳裏をよぎる。
深い溜息を吐いた。