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作者: 雪凪
掲載日:2026/07/22



「お前、たまには画面で観ろよ。ショート動画でいいから」


「え、わざわざ目で観るの? 脳に直接来ないやつ?」


「脳チップの刺激は偽物だぞ。どれが自分の感情か分からなくなってからじゃ遅い」


「父さん、家の外で言ったら旧型狩りに遭うよ」


父は答えず、古いタブレットの電源を入れた。最近は滅多に新しい動画が上がらない。息子の後頭部で、小さな青い光が点滅しているのを見てため息をついた。



* * *



その父が、まだ息子だった頃。


「お前、ラノベでもいいから少しは本を読めよ」


「ショート動画の方が面白いじゃん。俺、ツベも三倍速でしか見ないし」


「ドパガキってやつか」


「親父、そんなこと会社で言ったら老害って言い返されるよ」


父はコーヒーをすすった。息子の親指は、画面の上で止まることを知らない。十五秒ごとに、世界が切り替わっていく。父親のコレクションのラノベや漫画は読んでもらえなかった。



* * *



その父が、まだ子供だった頃。

茶の間のテレビが、賑やかな笑い声を流していた。


「テレビばっかり見てると馬鹿になるわよ」


「いいとこなんだって」


「大宅先生も言ってたでしょ。一億総白痴化って。テレビは一方的に見るだけだから、思考力が失われるって新聞に書いてあったわよ」


「あとちょっとだけ」


「野球にしろ、野球に」


仕事から帰ってきた父は、チャンネルのつまみを音を立てて回した。窓の外は、どこの家からも同じ野球解説の音声が聞こえていた。



* * *



その父が、まだ子供だった頃。

駄菓子屋の店先で、子供たちが漫画を回し読みしていた。


「そんな絵ばっかりの本を読むから、字が読めなくなるんだ」


「これ、面白いんだよ」


「手塚とかいうのが一番いかん。あんなものを読むと情操が歪む。悪書だと学校でも言われとるだろう」


大人たちは集めた漫画を校庭に積み上げ、火をつけた。煙が、秋の空へのぼっていった。



* * *



さらに、その祖父の代。

書生が、行灯の下で貸本を隠すように読んでいた。


「またそんなものを読んでおるのか」


「先生、これは読まれましたか? 面白い発想で──」


「猫が喋る通俗小説のどこが文学か。そもそも文学なんぞ、お国の発展に全く役に立たん。読んだ若者が、次々と精神を病んでおるじゃないか」


「はあ」


「論語を素読せい。漢籍こそが人を作る」


書生は、『吾輩は猫である』を袖の下へ滑り込ませた。もしも花袋の『蒲団』が見つかったら、追い出されるかもしれない。彼は隠し場所を、引き出しのさらに奥へと変えた。



* * *



もっと昔。江戸の芝居小屋。

木戸の前は、着飾った町人でごった返していた。


「近頃の若い者は、近松、近松ってバカの一つ覚えだな」


「この前も心中物を観た帰りに、真似した騒ぎがあったらしいぞ」


「だから、お上も禁じたというのに」


「禁じられるほど観たくなるんだろうな」


「まったく。色恋に夢中で、奉公も学問もありゃせん」


小屋の中から、割れるような拍手が漏れてきた。今日も盛況なようだ。そして、批判していた木戸番は、笑顔で次の客を招き入れた。



* * *



さらにさかのぼる。御簾の内。


若い姫が、几帳の陰で草子をめくっていた。


「姫様がまた、源氏の物語に読みふけっておいでです」


「困ったこと。あのような絵空事にうつつを抜かしては、良き縁も遠のきましょう」


「経を写しなさいませ。紫式部とやらは、嘘偽りを書き綴った罪で地獄に堕ちたと申します。読む者も同じ道を辿りますぞ」


姫は灯を近づけて、続きを読んだ。灯台の油は残り少なかったが、彼女の手元にはまだ数冊の物語が積み上げられていた。



* * *



さらに遠く。オリーブの木陰。

老人が、蝋板に文字を刻む若者を見て眉をひそめた。


「パイドロスよ。文字など覚えれば、人は己の頭で覚えることをやめる」


「ですがソクラテス先生。書き残せば、この場にいない者にも言葉を届けられましょう」


「知識は伝わろう。だが知恵はどうだ。書かれた言葉は、問うても答えぬ。ただ同じことを繰り返すのみだ。それは知恵ではない」


若者は、それでも刻む手を止めなかった。彼はパピルスをどこで手に入れるかを、真剣に考えていた。



* * *



もっと、もっと昔。

言葉すら、まだなかった頃。


甘い実は、うまい。


うまいものは、また欲しい。


その繰り返しが、生き延びる者を選んでいった。



* * *



さらにさかのぼる。

一本の神経が、初めて信号を伝えた。


刺激。


反応。


報酬。


同じことを、また繰り返す。



* * *



海の底。

一つの細胞が、栄養の濃い方へ、わずかに動いた。


近づけば、快い。


離れれば、苦しい。


淡い感覚の中を、ただ漂っていた。



** ** **




透明なドームの中。


「失敗かー。快・不快の判断を持たせてみたんだけどな」


「どうなったんだ?」


「刺激を求めすぎて世界を破壊したよ」


「難しいな。俺は全てを運任せにしたら、文明が発達しなかった」


「惑星開発の課題は、成功した例の方が少ないらしいよ」


「まあ、暇つぶしにはなる」


「次は何を初期設定に与えようかな」




透明な球体の中で、青い惑星の記録が静かに消去された。




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