第9話
前回のあらすじ
夕闇の中庭、仁は重い口を開き、自らの過去を告白する。十年前、病に伏した幼馴染を救いたい一心で、泥まみれになりながら聖なる山へと登った記憶を。
「あいつが幸せになりますように」――幼き日の純粋な願い。しかし現実は非情で、幼馴染を救うことはできなかった。その絶望が、今の仁から「願い」や「奇跡」への信仰を奪い去っていた。
「今の自分に願う資格なんてない」と自嘲する仁に対し、キュアは悲しげな、それでいて深い慈しみを湛えた微笑みを浮かべる。
「おぬしは、本当に、どこまでも優しいのう」
その言葉の真意を隠したまま、キュアは星祈峰を見つめ、静かに、けれど揺るぎない決意をその瞳に宿すのだった。
朝の光が、王城の窓から幾筋もの細い矢のように差し込み、石畳の訓練場を白く焼き付けていた。
河西仁は、一人で黙々と木剣を振るっていた。
「はっ……、ふぅっ……!」
ブンッ。ブンッ。
空を切る音に、昨日よりはわずかながらの鋭さが混じる。
異世界に来てからの数日間、死を待つだけだった彼の体に、少しずつ「抗う」ための筋肉が宿り始めていた。
「……遅いですね」
背後から突き刺さるような冷ややかな声。
振り返ると、そこには薄い銀髪を揺らし、完璧な姿勢で腕を組むメイド・セラピーが立っていた。
「剣は腕だけで振るものではありません。体幹、そして腰の回転です」
「……わかってる、つもりなんだけどな」
「『つもり』では敵の刃は防げません。もう一度」
仁は再び木剣を構え、重心を低く落とした。
肺の奥がちりちりと熱を持つ。
(腰だ。腕じゃなく、全身で……!)
ブンッ!
先ほどよりも重い音が響く。
セラピーは表情を崩さぬまま、ほんのわずかに顎を引いた。
「……さっきよりは、マシです」
「それ、一応褒めてくれてるのか?」
「半分くらいは、事実として認めて差し上げます」
相変わらずの毒舌だが、彼女なりの合格点なのだろう。
仁が小さく息を吐いた、その時だった。
「仁ーーーっ!」
訓練場の入口から、空気を震わせるような快活な声が響いた。
眩しい光を背負って現れたのは、金髪の王女、キュアだ。
「修行は終わりじゃ! よいな!」
「え? まだメニューの半分も終わってないんだけど」
「今日は特別に休みじゃ! 文句を言うでない!」
「……なんでだよ」
キュアは腰に手を当て、勝ち誇ったように言い放った。
「街へ『散歩』に行く。わらわが決めたのじゃ」
「……それ、俺も行くのか?」
「当然じゃ。おぬしはわらわの護衛なのじゃからな」
「だから護衛じゃないって……」
呆れ顔の仁を余所に、キュアはすでに楽しそうに踵を返していた。
一時間後、二人は城下町の喧騒の中にいた。
「……すげえ。本当に、ゲームの世界みたいだ」
仁は思わず足を止め、周囲を見渡した。
整然と敷き詰められた石畳の道。
軒を連ねるレンガ造りの店。籠に盛られた色鮮やかな異世界の果物や、焼き立てのパンの芳醇な香りが鼻をくすぐる。
重厚な鎧を売る武具屋の隣で、洗濯物を干す主婦たちが笑い合っている。
そこには、ただ穏やかで温かい「生活」の匂いがあった。
「どうじゃ」
キュアが、自分の宝物を見せる子供のような顔で覗き込んでくる。
「わらわの愛する国、エアルデは」
「……いい街だな。空気が優しい」
仁の飾らない言葉に、キュアはパッと花が咲いたような笑顔を見せた。
しばらく歩いていると、香ばしい甘い匂いの漂う屋台の前で、キュアの足がピタリと止まった。
次回公開
3/19(木)22:00〜




