第10話
前回のあらすじ
かつては死を待つだけだった彼の体には、メイド・セラピーによる容赦のない指導のもと、生き抜くための力が少しずつ宿り始めていた。
「剣は腕ではなく、全身で振るもの」
冷徹なセラピーの言葉を噛み締め、泥臭く木剣を振るう日々。その剣筋にわずかな鋭さが加わった頃、訓練場に王女・キュアの快活な声が響き渡る。
「修行は終わりじゃ! 街へ『散歩』に行くぞ!」
護衛(自称)として無理やり連れ出された先は、陽光に包まれた城下町・エアルデ。
そこにはゲームのような石畳の街並みと、穏やかな人々の営みがあった。
「いい街だな」
仁の言葉に、愛する国を褒められたキュアは満面の笑みを浮かべる。
戦いの日々から一転、穏やかな空気の中で二人が見つけたのは、屋台から漂う香ばしく甘い匂い。**異世界での「生活」**を肌で感じ始めた仁に、次はどんな出会いが待っているのか――。
「……仁」
「なんだよ」
「これ。……食べたい」
指差したのは、蜜がたっぷりかかった丸い焼き菓子だ。
「王女様が買い食いかよ」
「王女様も腹は減るのじゃ!」
「……じゃあ、買えばいいだろ」
「む……。一人で屋台に並ぶのは、その、少し恥ずかしいのじゃ……」
「なんでだよ!?」
仁は思わず吹き出した。
魔物すら恐れぬような傲慢な王女様が、屋台の列に並ぶのをためらっている。
「王女様だからじゃ! 作法というものがあるのじゃ!」
「はいはい。じゃあ俺が買ってくるよ。二つでいいな?」
仁は苦笑しながら人混みをかき分け、「すみません、これ二つ」と小銭を差し出した。
店主の威勢のいい声とともに、包まれたばかりの熱い菓子が手渡される。
キュアは受け取るなり、はふはふと息を吹きかけながら一口かじった。
「……うまいっ!」
サファイアのような瞳を輝かせ、頬をリスのように膨らませて食べる姿に、仁は思わず肩の力が抜けるのを感じた。
「なんじゃ、人の顔見て笑って」
「いや、王女様ってもっとこう、玉座に座って偉そうにしてるイメージだったからさ」
「わらわは偉いぞ! 今も心の中では、おぬしを跪かせたいくらいじゃ!」
「今の格好で言っても説得力ゼロだぞ」
そんな軽口を叩き合いながら、二人は街を巡った。
見たこともない形の魚が並ぶ市場、羊皮紙の匂いが立ち込める本屋。
キュアは意外なほど好奇心が旺盛で、目にするものすべてに「あれは何じゃ?」「これはどう使う?」と目を輝かせて問いかけてくる。
だが、ある宝石店の前を通った時、キュアがふと足を止めた。
ショーウィンドウの片隅、小さなガラスのペンダントが夕日に照らされていた。
繊細な星の形をした、透明な輝き。
「……きれいじゃの。まるであの夜の……」
キュアが小さく呟いたその横顔に、仁は言いようのない既視感を覚えた。
どこかで見たことがある。
ずっと昔、まだ自分が「失うこと」を知らなかった頃に、似たような切ない瞳を見た記憶がある。
(……誰だっけ。思い出せそうで……)
「仁? 行くぞ、置いていくぞ!」
ハッと我に返ると、キュアはすでに歩き出していた。
どこか、寂しさを振り払うような足取りだった。
帰り道、街は深い橙色に染まっていた。
長い影を引いて歩く中、キュアがぽつりと問いかけてきた。
「仁。……今日、楽しかったか?」
少しだけ声を潜めた、不安そうな響き。
仁は空を見上げ、深く澄んだ空気を感じながら微笑んだ。
「ああ。楽しかったよ。異世界に来て、一番な」
「そうか……」
キュアは小さく、安堵したように息をついた。
「よかった。本当によかった……」
その慈しむような声は、まるで自分自身に言い聞かせているようでもあった。
だが、その安らぎを打ち消すように。
「……っ!」
仁の胸の奥で、鋭い爪が心臓を掴んだような激痛が走った。
視界が急激に歪み、膝の力が抜けそうになる。
(……クソ。今、この瞬間だけは、忘れていたかったのに……)
「仁!? 顔色が……!」
「……大丈夫だ。ただの、歩き疲れだよ」
仁は必死に呼吸を整え、無理やり口角を吊り上げた。
だが、その笑顔はどこか痛々しく、夕闇に溶けてしまいそうだった。
余命、一年。
この世界の美しさを知れば知るほど、砂時計の最後の一粒が落ちる音が、重く、静かに響き始めていた。
次回公開
3/20(金)18:00〜




