――運命を愛せ。
落ちる感覚は、なかった。
闇に踏み出したはずなのに、衝撃も、浮遊感もない。
ただ――
気づいたら、立っていた。
見覚えのある場所だった。
見渡す限りの黒。
視線の先に、境界がない。
ただ。闇だけが続いている。
一箇所だけ、その闇が四角く切り取られている。
そこから溢れる光が、わずかに少年を照らし出していた。
そうだ――。
御言は惹き込まれるように、少年の後ろから光の窓を覗き込む。
そこには、街があった。
石畳でも、土でもない。
均された道。まっすぐに伸びる線。
規則正しく並ぶ建物は、どれも同じ高さで、同じ距離を保っている。
人が歩いている。
笑いながら話す者。
急ぎ足で通り過ぎる者。
何でもない顔で、何でもない一日を生きている者。
誰も、空を見上げていない。
誰も、足元を疑っていない。
そこでは、世界が“当たり前”として成立していた。
風が吹き、
服の裾が揺れ、日差しが、肌に落ちる。
痛みも、恐怖も、後悔もあるはずなのに。
それでも、人々は前を向いて歩いている。
――選びながら、生きている。
窓の光のせいか、その光景はやけに眩しかった。
自分の声は、届かない。
叩いても、割れない。
こちら側の闇は、反射すら許されない。
御言は、知っていた。
あの世界は、望んだけど手にはいらなかった世界だ。
そして――
それを見つめるこの少年は、かつてのぼくだ。
窓の向こうで、誰かが笑った。
それが、どうしようもなく羨ましくて。
同時に、胸の奥が、静かに痛んだ。
「ぼくは死にたい――。」
かつてのぼくが言う。
「ぼくは死にたい。けれど、痛いのが苦手だから死ねない。」
その声はまるでこの場所全体から聞こえてくるようで、反響しながら繰り返す。
「ぼくは死にたい。でも、苦しいのが嫌いだから死ねない。」
余りのうるささに耳を塞ぐ。
しかし、その声はぼくの中からも聞こえてくる。
「ぼくは死にたい。それなのに、死ぬのが怖いから死ねない。」
死にたい? お前はまだ、あの世界での出来事すら経験していないじゃないか。
かつての自分の甘えた言葉に苛立ちを覚える。
「何でお前は、いつもそうなんだ」
つい、思ったままに口に出してしまう
「ぼくだって、好きでぼくで居るわけじゃない。」
かつての自分が苛立ちながら返す。
ぼくだってそうだ、好きでぼくで居るわけじゃない。
それでもかつての自分は自分だけが特別に可哀想だと、この暗闇の中でうずくまっている。
「だから、お前は駄目なんだ」
自分の言葉に妙な既視感を覚える。
その言葉をぼくは覚えている。
そうだ。
今のぼくは、あの時のダレカだ。
「気づいたか?」
気付けばダレカが隣に立っていた。
ぼくと同じ顔。
同じ声。
いや、ぼくよりも大分大人びて見える。
「そんなに異世界に行きたいなら、死んでみたらどうだ。お前、死にたいんだろ?」
ダレカが座り込む少年。かつてのぼくに話しかける。
この後の流れは覚えている。
ぼくはダレカの言葉を受け入れ、異世界へ行く。
これが、始まりだった。
「異世界? 違うな」
少年を送り出したダレカがぼくに向き直る。
「あぁ、夢の世界だっけ」
ぼくが苦笑混じりに言うと、ダレカは大きく首を振る。
「それも、正しくは違う。あれはお前の精神世界だ」
ダレカの言葉に頷いてみせるが、それの何が違うのかぼくには良くわからなかった。
ただ、さっきのダレカと少年とのやり取りで思い出したことがある。
「ぼくは、生き方を間違えた?」
ぼくの言葉を聞いたダレカが満足そうに笑みを浮かべる。
「いい質問だ」
それだけ言って、ダレカは窓の方へ視線を向けた。
あの街。
あの光。
あの、当たり前の世界。
「間違えたかどうかなんてな」
ダレカは、まるでどうでもいいことのように言う。
「生きてる間は、誰にも分からない」
そう言ってから、こちらを見た。
「でも一つだけ、はっきりしてることがある」
――来るぞ、と思った。
「お前は、自分で選ばなかった」
胸の奥が、ずしりと重くなる。
「死にたいって言いながら、生きることも、死ぬことも、他人に決めさせた」
反論しようとして、言葉が出なかった。
それは、否定できない事実だったからだ。
「だから――」
ダレカは、かつてぼくが座り込んでいた場所に視線を落とす。
「俺は与えた。お前に言葉を、違う形で」
(メメント・モリ――死を想え。)
そして。
(ヴィヴァーレ・モルス――生に死を刻め。)
ダレカがまた満足そうに笑みを浮かべる。
「そこまでわかってるなら、もう俺は必要ないな?」
ダレカはそう言うと背を向けて歩き出す。
その姿は徐々に薄くなり、次第に光の中に消えて行く。
ダレカが完全に見えなくなるまでぼくはその背中を見つめていた。
不意に視界の端からウインドウが現れる。
【名前】神代 御言
【種族】人間
【状態】正常
【固有スキル覚醒】
思想反転: 死ねない→ならどうする?《アモル・ファティ》
効果:自分で考えろ。
思わず笑ってしまう。
恐らくこれがダレカからの最後の言葉なんだろう。
アモル・ファティ――運命を愛せ。
「効果は自分で考えろと来たか」
そっと目を閉じてあの世界の事を思い出す。
苦しみも、痛みも、恐怖も関係ない。
ぼくは死にたいから死ねない。
ならどうするか?
「それなら決まってる――思想反転:死ねない→生きるしか無い《アモル・ファティ》」
簡単な事だ。
死にたい。でも死ねない。
ならば精一杯生きるしか無い。
次第に光が、遠ざかっていく。
あの窓も、街も、笑っていた誰かの顔も。
闇が再び満ちていくのに、不思議と怖くはなかった。
足元が、確かに“ある”。
落ちる感覚は、やはり無い。
ただ――
世界が、裏返る。
次に目を開けた時、御言は天井を見ていた。
見慣れた、染みのある天井。
白でもなく、黒でもない、くすんだ色。
鼻をつく、微かな埃の匂い。
遠くで鳴る、車の音。
指を動かすと、布団が擦れた。
――現実だ。
胸に手を当てる。
心臓が、うるさいくらいに鳴っている。
生きている。
死ねなかったからじゃない。
戻されたからでもない。
自分で、戻ってきた。
御言は、ゆっくりと上半身を起こした。
世界は何も変わっていない。
部屋も、時間も、昨日のままだ。
それでも。
同じ世界には、もう見えなかった。
――死にたい。
その感情は、まだどこかに残っている。
消えてはいない。
でも。
御言は小さく息を吐く。
「……それでも」
声に出して、苦笑混じりに言った。
「生きるしかないな」
答えは、もう外には無い。
窓の向こうにも、ダレカの言葉にも。
選ぶのは、ここからだ。
御言は立ち上がる。
足は、ちゃんと床を踏んでいた。
現実は、逃げ場のない世界だ。
だからこそ。
――選び続けるには、ちょうどいい。
カーテンを開くと、朝の光が差し込んだ。
眩しくて、少しだけ目を細める。
それでも、目は逸らさなかった。
運命を、愛せ。
その言葉を、今度は呪いじゃなく、自分の意志として胸に刻みながら。
御言は、今日を生き始める。
『ぼくは死にたいから死ねない ―異世界で不死になったぼく』を完結といたします。
最後までお付き合いいただいた皆様、そしてリアクションや評価をくださった方、本当にありがとうございました。
ここから先は、御言が向き合うべき、本当の物語。
深夜、新作を公開します。
タイトル:『ぼくたちは死ねないから生きるしかない』
この異世界で彼が何を見たのか。その答えを、向こう側で書き始めます。
興味のある方は、ぜひ覗いてみてください。




