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ぼくは死にたかった。でも、本当は生きたかった。

 走り出した。

 理由なんて、なかった。

 ただ、ここに居続けるのが耐えられなかった。


 宿から飛び出し、通りへ出る。


 人がいる。

 確かにいる。


 それなのに、誰一人として、ぼくを見ていない。

 ぶつかりそうになっても、避けられない。


 肩が触れても、反応がない。

 まるで、そこに存在しないものみたいに。


「……っ」


 胸が、締め付けられる。

 息が、浅くなる。


 怖い。

 はっきりと、怖い。

 ありえない。


 御言は、足を止め、再確認するようにステータスウインドウを呼び出した。


 視界に、半透明のウインドウが開く。


 ――開いた、はずだった。


 文字が、読めない。

 滲んでいる。

 崩れている。


 意味を成さない記号の羅列。

 ノイズ混じりの文字化け。


「……なん、だよ……」


 恐怖耐性。

 苦痛耐性。

 不死。


 どれも、そこにあるはずなのに。


 確認できない。

 理解できない。


 ――存在していない?

 そんな考えが浮かんだ瞬間。


 背後から、声がした。


「御言さん」


 振り返る。

 ソフィアが立っている。


 その隣に、マリア。

 いつもの二人。

 いつもの笑顔。


 なのに。

 目が、合わない。


 正確には――

 焦点が、ぼくに合っていない。


「戻りましょう」「休んだ方がいい」


 声は優しい。

 言葉も、正しい。

 それが、なおさら怖かった。


「来るな……」


 一歩、後ずさる。

 ソフィアとマリアは、同時に一歩、前に出る。


 同じ歩幅。

 同じ速度。


 ――怖い。

 御言は、踵を返した。


 逃げる。

 考えるより先に、身体が動いていた。


 裏路地へ。

 人通りのない細道へ。


 息が、苦しい。

 肺が、うまく膨らまない。


 ――苦しい。

 苦しいのが怖い。

 無くなっていた感覚が戻ってきたはずなのに、全てが奪われたような感覚。


 御言は、膝に手をつき、立ち止まった。


 その瞬間。


 転んだ。

 石畳に膝を打ち付け、鈍い音が響く。


 遅れて――

 熱が走った。


「……っ、い……た……?」


 血が、滲んでいる。


 赤い。

 はっきりと、痛い。


 御言の思考が、完全に停止した。


 ――痛い。

 痛いのが怖い。

 手に入れたはずの不死までもが無くなっている気がしたから。


 不死が無くなったかもしれないのに、怖い?

 おかしい――ぼくは死にたかったはずだ。


 死にたかったからこそ、死ねなくなったはずだ。

 死ねなかったからこそ、死にたかったはずだ。


 なのに。


 ぼくは死ぬかもしれない事が怖い。


 世界が、止まった。

 音が消える。

 風が止む。

 人の気配が、完全に途切れる。


 ゆっくりと、顔を上げる。


 そこにあったのは――

 人形だった。


 通りに並ぶ人々。

 さっきまで動いていたはずの存在。


 全員が、同じ顔。

 同じ表情。

 同じ姿勢。

 笑顔のまま、固まっている。


 生きていない。

 最初から。

 ぞわり、と背筋を冷たいものが走る。


「……いや、こんなの、悪夢だろ……」


 震える声で、呟く。


 その時。

 聞き慣れた声が、背後から響いた。


「正解」


 御言は、振り返らなかった。

 振り返る必要が、なかった。


「……やっと、気づいたな」


 それは、ずっと隣にいた声。

 死にたいと願った時に、必ず現れた存在。


「ここは、お前が作った場所だ」


 世界が、軋む。

 空気に、亀裂が走る。


「痛み、恐怖、苦しみが嫌だから死ねない」


 淡々とダレカが繰り返す。


 「だから痛みも、恐怖も、苦しみも無い世界を作った」


 囁くような声。


「死にたい、でも本当は死にたくない」


 頭の奥から直接響く。


「だから自分が死なない世界を作った」


 (聞きたく、無い――)


「誰かに認められたい、誰かに愛されたい」


(――やめてくれ)


「だから認めてくれ、愛してくれる人を作った」


 ふわりと御言の前に浮かび上がる数体の人形。

 その顔に見覚えがあった。


 ソフィア。

 マリア。

 ホッグ。

 チェルシー。

 クリス。


 役割を失った人形達はまるで操り人形のようにだらんと四肢をぶらつかせる。


「幸せだった」


 噛みしめるような声でダレカが言う。


「だからこそ疑った。この幸せがいつまでも続くはずが無い」


 人形のソフィアの首から鉄の塊が生える。

 他の人形達は残らず肉塊へと変貌する。


「だから悪夢のような世界を作った」


 ほんの少しの間。

 耳鳴りのような高い金属音が頭の中を駆け巡る。


「……お前に都合がいい、優しい世界だろ?」


 穏やかな声でダレカが囁く。


 膝が、痛い。

 胸が、苦しい。

 心臓が、うるさいほどに鳴っている。


「……違う」


 小さく、でもはっきりと否定する。


「それは、ぼくが欲しかった世界じゃない」


 ダレカが、笑った気配がした。


「じゃあ、なんだ?」


 問いかけに、御言はすぐに答えられなかった。


 怖い。

 痛い。

 苦しい。


 それでも。


「……ぼくは」


 震える声で、続ける。


「ぼくは⋯⋯」


 その後が出てこない。


 何が違う?

 ダレカの言ったことは全部事実だ。


 ぼくは、ただ嫌なことから逃げていただけ。

 いや、逃げたかったんだ。


 苦しみや、痛みや、恐怖から、逃げたかったから不死の存在を願った。

 不死になったら逃げる必要が無くなった。


 だから⋯⋯。

 逃げる理由を作った。


「おい、お前。今ならもうわかるだろ? この世界は、何だ?」


 ダレカがわざとらしく質問する。


「簡単だよ。この世界は――ぼくの頭の中だ」

 

 世界が、音を立てて崩れ始める。

 人形の街に、無数の亀裂が走る。


 その向こうに、暗闇が口を開けていた。

 御言は、一歩、前へ踏み出した。


 恐怖を感じながら。

 痛みを知りながら。


 もう、逃げるのは終わりにしたかった。

 だからこそ、進むしかない。


 ぼくは死にたかった。でも、本当は生きたかった。

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