君たちは、そんなふうじゃなかった
朝が来た。
それは、分かっていた。
眠れなかったからではない。
――来ると、知っていたからだ。
宿の部屋。
見慣れた天井。
見慣れた匂い。
嫌な予感はもうすでに取り返しのつかないところまで迫っている。
それに気づかれないように、御言は静かに息を吐いた。
そして――。
「起きたか?」
マリアが足を組み、椅子に座っている。
その座り方も、視線の高さも、全く同じ。
嫌な汗が、背中を伝う。
――昨日と、同じだ。
細部まで、まるで写し取ったみたいに。
「……二人に、話がある」
御言は、布団から起き上がりながら言った。
二人は、同時に首を傾げる。
「どうしたんですか?」 「改まってさ」
声が、重なる。
その瞬間、胸の奥が、ひくりと引き攣れた。
「……ソフィア、君はぼくのせいで死んだはずだ」
御言は、言葉を選ばなかった。
「マリアも……僕のスキルのせいで……」
一瞬の沈黙。
それから――。
「御言さん、疲れてるんですよ」 「無理しすぎだって」
僕の言葉が通じていないかのように何も変わらない二人。
同じタイミングで、同じ表情。
「今日は休みましょう。ね?」 「そうそう。頭冷やせ」
二人はまるで機械の様に同じタイミングで口を開き、同じトーンで答える。
ソフィアとマリアの視線の先に僕がいない気がした。
「……二人とも、どこを見てるの?」
二人は、また顔を見合わせる。
そして。
「御言さん、疲れてるんですよ」 「無理しすぎだって」
さっきと同じ答え。
抑揚すらもまったく、同じ。
まるで――
あらかじめ用意された返答みたいに。
御言の視界が、ぐらりと揺れた。
その瞬間、理解してしまった。
彼女たちは、話を聞いていない。
聞いている“ふり”をしているだけだ。
プログラムされた反応。
決められた選択肢。
まるで――NPC。
「……違う」
声が、震える。
「君たちは、そんなふうじゃなかった」
ソフィアは、困ったように笑うだけだった。
マリアは、呆れたように肩をすくめるだけだった。
それ以上、何も起きない。
会話が、前に進まない。
世界が、止まっている。
「……っ」
耐えきれず、御言は立ち上がった。
「ちょっと、御言!」 「どこ行くんですか!」
二人の声を背に、部屋を飛び出す。
廊下。
階段。
宿の入口。
外に出た瞬間、冷たい空気が肺に流れ込んだ。
この世界は、おかしい。
まるでゲームみたいだ。
現実とは、思えない。
その時――。
御言は、考えてしまった。
いつからだ?
自分にとって都合のいい世界。
自分にとって都合のいい展開。
いつからがゲームみたいだった?
胸が、苦しい。
心臓が、早鐘を打つ。
怖い。
理由は分からない。
けれど、確かに、怖い。
「……なんで、だ」
恐る恐るスキルウインドウを確認する。
恐怖耐性は、ある。
死も、痛みも、絶望も、すべて感じなくなっていたはずなのに。
それなのに今――。
この世界そのものが、
ぼくを、怖がらせている。
御言は、息を整えようとして、気づく。
逃げたい。
ここから、離れたい。
その衝動だけが、やけに生々しかった。
足が、動かない。
走り出したいのに、地面に縫い止められたみたいに一歩も踏み出せない。
周囲を行き交う人々の声が、遠い。
意味を持たない音として、耳の奥で反響する。
――おかしい。
この街は、こんなふうじゃなかった。
視線を上げる。
人々は、笑っている。
笑って、話して、すれ違っていく。
なのに。
その誰もが、ぼくを見ていない。
正確には――
見えているのに、認識していない。
ぼくは、ここにいる。
確かに、立っている。
呼吸もしている。
それなのに。
この世界の中で、ぼくの存在だけが浮いている。
胸の奥が、ぎゅっと縮こまる。
苦しい。
その感覚に、御言は凍りついた。
――苦しい?
そんなはずはない。
痛みも、恐怖も、苦しみも。
ぼくは、全部失ったはずだった。
それなのに。
心臓が、早鐘を打つ。
息が、うまく吸えない。
まるで――
この世界そのものに、拒絶されているみたいだった。
「……違う」
小さく、呟く。
違う。
これは、ぼくの居場所じゃない。
そんな考えが、頭をよぎった瞬間。
――ひどく、怖くなった。
逃げたい。
でも、どこへ?
この世界から?
それとも――
自分自身から?
ぼくはダレカに呼びかける。
ぼくをここに連れてきたダレカなら、今起きていることがわかるかもしれない。
しかし、沈黙。
返事は、ない。
世界は、何事もなかったかのように動き続けている。
ぼくだけが、その流れから取り残されていた。
――ああ。
ようやく、分かった。
これは、安寧だ。
泥のように重く、思考を奪う、都合のいい優しさ。
考えるな。
疑うな。
ここにいろ。
そう囁く世界に、ぼくは沈められかけている。
それが――
たまらなく、怖かった。
御言は、歯を食いしばる。
まだ、何も分かっていない。
でも、一つだけ確かなことがある。
このままでは――。




