有るはずのない感情
目が覚めた時、朝だった。
窓の外は白み始めていて、鳥の鳴き声がどこか遠くから聞こえる。
宿の部屋。
見慣れた天井。
見慣れた匂い。
――ああ。
また、ここだ。
嫌な予感が、胸の奥に沈殿している。
それを掘り起こさないように、御言は静かに息を吐いた。
「起きたか?」
声をかけてきたのはマリアだった。
椅子に腰掛け、御言の方をうかがうようにしながら足を組んでいる。
「もう少し寝てていいよ。昨日、相当無理したんだろ?」
いつもの口調。
いつもの距離感。
――いつもの、マリア。
「……ソフィアは?」
「下で朝食頼んでる。ほら、アンタ朝はあまり食べないだろ?」
当たり前のように返ってくる答え。
胸の奥が、ひくりと震えた。
違う。
何かが違う。
でも、それが何なのか分からない。
御言は無言のまま身支度を整え、二人で部屋を出た。
宿の一階。
食堂には、朝の賑わいがあった。
パンの焼ける匂い。
食器の触れ合う音。
冒険者たちの笑い声。
――人が、いる。
それだけで、妙に安心してしまう自分がいた。
昨日見た、あのゴーストタウンは何だったのか。
まさか、ただの夢だったのか。
「おはようございます、御言さん」
ソフィアが手を振る。
笑顔。
生きている、確かな存在感。
御言は、何も言えなくなった。
朝食を終え、三人でギルドへ向かう。
街は活気に満ちていた。
昨日と同じ。
何も変わっていない。
――いや。
昨日って、いつだ……?
廃墟と化した街並みが重なって二重に映る
ギルドに入ると、受付の職員が顔を上げる。
「おはようございます。御言さん、報告ですね?」
御言は、はっとする。
まだ、何も言っていない。
「……ああ、うん」
昨日の戦闘。
ゴブリンの討伐。
被害なし。
口が、勝手に動く。
言葉が、自然に出てくる。
報告を終えると、ギルド内が少しざわついた。
「……あれが噂の、不死の冒険者か」
「マジで死なねぇらしいぞ」
「調子に乗ってるだけだろ」
囁き声。
視線。
――ああ、そうだ。
そんなこともあったな。
「……今日も、頑張ろうか」
再び口が勝手に動く。
ソフィアは微かに笑みを返す。
任せろ、と言いながらマリアがうなづく。
(――マリアが?)
クエストボードの前で、三人は並びながら受注内容を確認する。
対象は近郊の森で暴れている小型モンスター。
討伐の難易度は低く、莠御ココでも十分にこなせるものだった。
(――? 今のはなんだ?)
カウンターに向かおうとクエストボードから離れようとしたそのとき、見知らぬ男が声をかけてくる。
「アンタら、莠御ココってことはパーティに谺?蜩。が出たんだろ? 俺も加えてくれよ」
(まただ……何かがおかしい)
男は、繝槭Μ繧「が居なくなったことに気付き、自分を売り込みに来たようだった。
だが、御言は迷わず首を横に振った。
「悪いけど、今はまだ人を増やす気にはなれない」
自分が操られてるような感覚に陥る。
男は不満げに三人を順番に見つめる。
その視線は、理由は分からないが、微かに不快なものを感じさせた。
その後、気を取り直して受けたクエストはあっけないほど簡単に終わった。
莠御ココでも問題無くやっていける、そう思うには充分なほど連係も上手くいった。
報告を済ませ、ギルドを出る。
宿へ戻る道すがら、ソフィアが足を止めた。
「私、ちょっと用事をすませてきますね」
御言の背筋が、凍りつく。
「駄目だ」(駄目だ――!)
思わず、声が強くなった。
「一人で行くな」(やめてくれ――!)
ソフィアが、きょとんと目を瞬かせる。
「え……?」
「御言、落ち着きなよ」
マリアが間に入る。
「ちょっとした用事だろ? すぐ戻るって」
――違う。
それは、知っている。
ここから先は、知っている。
「……行かせてやりなよ」
マリアが、同じ言葉を口にする。
同じ声色。
同じ表情。
同じ間。
胸の奥で、何かが軋んだ。
「……分かった」(イヤだ――!)
御言は、そう答えてしまった。
ソフィアは軽く手を振り、路地の向こうへ消えていく。
時間が、過ぎる。
短いはずの時間。
けれど、異様に長く感じられた。
――大丈夫だ。
今回は、戻ってくる。
そう思おうとする。
だが、心臓の音がうるさい。
やがて、ソフィアは何事もなかったように戻ってきた。
「お待たせしました」
いつも通りの笑顔。
何も変わらない姿。
――助かった。
そう思ったはずなのに。
胸の奥に、別の感情が生まれていた。
気味が悪い。
何かが、繰り返されている。
違うはずなのに。
少しずつ、ずれている。
その夜、御言はほとんど眠れなかった。
天井を見つめながら、考え続ける。
この世界は、おかしい。
でも、どこが?
何が、狂っている?
答えは出ない。
ただ一つ、確かなことがあった。
――ぼくは、安心していない。
怖い。
理由の分からない恐怖が、胸の奥で息をしている。
怖い?
ぼくが?
はっとして、自分の胸に手を当てる。
鼓動が、やけにうるさい。
有るはずのない感情が、再び押し寄せてくる。
――恐怖耐性は、確かにあった。
死にも、痛みにも、絶望にも、心は動かなくなっていたはずなのに。
それなのに今、ぼくは――。
理由も分からないまま、ただ、この世界そのものを、怖がっている。
御言は目を閉じた。
眠れないまま、朝が来ることを、どこかで確信しながら。




