泥のような安寧の中で
――感傷に浸ったわけじゃない。
ただ、なんとなく懐かしくなったんだ。
ぼくがこの世界に来て初めて訪れた街。
冒険者になり。
みんなに出会い。
沢山笑った。
生きていけるかもしれないと思った、あの場所にもう一度行きたかった。
ただ、それだけなんだ。
でも――。
街は、静かすぎた。
かつて人の声で満ちていたはずの通りには、足音すら反響しない。
風に転がされるのは、紙屑と、壊れた看板の欠片だけ。
――ゴーストタウン。
御言は、そう理解した。
自分のせいで、消費されたのか。
それとも、別の要因があったのか。
考える意味はない。
結果だけが、そこにあった。
御言は歩く。
ホッグの店まで続いていた市場通りを。
呼び込みの声も、肉の焼ける匂いもない。
世界の色が、一つ剥がれ落ちる。
御言は歩く。
ギルドへ向かう表通りを。
クエストボードは崩れ落ち、依頼書は風化して文字を失っていた。
世界の音が、消えてなくなる。
御言は歩く。
あの日、ソフィアと過ごした宿へ続く裏路地を。
扉は半壊し、内部は荒らされ、誰かが住んでいた形跡すらない。
世界から、ぼくが消えてなくなりそうだ。
御言は歩く。
ソフィアが亡くなった、あの廃墟へ続くあぜ道を。
足が止まらない。
止める理由がない。
あの日と同じように、館の奥へ進む。
崩れかけた床を越え、瓦礫を踏み越え、
地下室へ降りる階段の前に立つ。
――ここだ。
自分の世界が、壊れてしまった場所。
一歩、踏み出した瞬間だった。
視界が、大きく歪む。
世界が、音を立てて軋み、割れる。
床が消え、壁が裂け、上下の感覚が反転する。
御言は、亀裂へと落ちていった。
落下感は、なかった。
ただ、暗転。
次に意識を取り戻した時、視界いっぱいに人の顔があった。
「……御言さん?」
死んだはずのソフィアが、覗き込んでいた。
「急に倒れるから、びっくりしました」
少し困ったように笑う、その表情。
ぼくが失ってしまってから求め続けたものだ。
「ほら、だから言っただろ。アタシがいないとダメなんだって」
マリアが、腕を組んで言う。
少し勝ち気な金色の瞳。
もう二度と見ることはできないと思っていた。
――いや、ありえない。
二人は、死んだ。
確かに、死んだはずだった。
「……どう、して」
声が、うまく出ない。
御言が尋ねると、ソフィアが状況を説明する。
昨日、マリアがパーティを抜けると言って一度は出ていったこと。
けれどやはり心配になり、追いかけてきたこと。
その途中で、ゴブリンに襲われたこと。
そして戦闘になり、御言がゴブリンにやられて倒れたこと。
「それで、気を失ったままなんだよ」
(昨日? ゴブリン? 何を言ってるんだよ⋯⋯だって⋯⋯)
「……二人は、死んだ」
御言は、はっきりと言った。
ソフィアとマリアは、顔を見合わせる。
「……何言ってるの?」
二人が同時に答える。
まるで御言が突拍子も無いことを言ったかのように、不思議そうな表情を浮かべる。
「縁起でもないこと言うなよ」
冗談として、処理される。
(おかしい、何が起きてるんだよ⋯⋯!)
御言は、ダレカに問いかける。
だが――。
返事はない。
声も、気配もない。
(さっきまでの悪夢みたいな出来事は、ぼくの――夢?)
沈黙。
御言は、胸の奥に広がる違和感を押し殺す。
いや。
そんな事はありえない。
二人は確かに死んだ。
ソフィアに至っては自分で埋葬すらした。
ぼくは覚えている。
冷たくなっていくソフィアの体温を。
土に埋もれていくその土気色の顔を。
あれが嘘なはずがない、あれが夢ではありえない。
この世界は、どこかおかしい。
けれど、その理由が分からない。
分からないまま、
御言は再び立ち上がった。
「そんな筈、無いんだ!」
思わず大きな声が出た。
ぼくは小さな子供が癇癪を起こしたように喚き散らす。
「だって⋯⋯!」
ふわり、と優しい香りがぼくを包み込む。
気付けばソフィアがぼくを抱きしめていた。
「⋯⋯大丈夫。きっと、御言さんは怖い夢を見たんです」
穏やかな声で、優しく耳元でソフィアが囁く。
「ナンだよ御言。アタシが居なくなってそんなに寂しかったのか?」
からかうような声色で、それでも暖かみを感じるような口調でそう言ってマリアが笑う。
怖い夢。
そう、なのかな⋯⋯。
うん。きっとそうだ。
泥のような安寧の中で、ぼくの意識は夢の中へと沈み込んでいった。
この時、ぼくは忘れていた。
怖い夢なんて、見るはずが無いことを。




