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ぼくは、死ねない。

 小高い丘は、街の喧騒が嘘のように静かだった。

 風に揺れる草の音だけが、耳に残る。


 御言は、掘ったばかりの浅い穴の前に膝をついていた。

 そこに横たえられているのは、白い布に包まれたソフィアの遺体。


 墓標はない。

 名前を刻む石も、祈りを捧げる神官もいない。


 ――そもそも、祈る相手すら知らなかった。


「……ぼくは、君のことを何も知らなかった」


 独り言のように呟く。


 家族がいたのか。

 どこで生まれ、どんな景色を見て育ったのか。

 何が好きで、何が嫌いだったのか。

 何一つ、知らない。


 それなのに。

 死に方だけは、こんなにもはっきり覚えている。


 土を被せるたび、胸の奥が軋む。

 後悔という言葉では足りない、虚無感。


「……ごめん」


 それが何に対する謝罪なのか、自分でもわからなかった。

 やがて、丘の上には小さな土の盛り上がりだけが残る。

 ソフィアは、誰にも知られず、誰にも弔われず、そこに眠った。


 御言は、その場を振り返らなかった。

 街へ戻ることもしなかった。


 ――チェルシーの死を、認めたくなかったから。


 足が、勝手に街とは逆方向へ向かう。

 理由もなく、目的もなく、ただ歩く。


 死なないために、食事を取る。

 死なないために、危険を避ける。

 死なないために、生きる。


 その繰り返し。


 ある日の夜。

 野営中、わずかな油断が命取りになる。


 腹部に走る衝撃。

 次の瞬間、鋭い牙が肉を裂く感触。


 ――ウルフ。

 内臓を食い荒らされながら、御言は冷静だった。


 痛みも、恐怖も、無い。

 ただ、「またか」と思っただけだ。


 世界が暗転し、再生が始まる。



 【新たに消費された生命】

 ホッグ



「……はは」


 誰だ、それ。

 顔も、声も、思い出せない。


 半狂乱のままウルフを斬り伏せ、御言は、また歩き出す。


 死なないために、食事を取る。

 死なないために、危険を避ける。

 死なないために、生きる。


 そして――。

 死なないために、眠ることをやめた。


 瞼は重く、思考は鈍る。

 それでも眠らない。

 眠れば、誰かが死ぬ。

 そう思っていた。


 だが。

 背後から迫る気配に、気づけなかった。


 ゴブリンの凶刃が、背中を貫く。


 再生。



 【新たに消費された生命】

 クリス



 その名前を見た瞬間、御言は立ち尽くした。


 ――ああ。

 知ってる。

 話したことがある。


 同じギルドで、同じ時間を過ごした。

 笑ったこともある。


 これで。

 これまで、ぼくが縁を紡いできた人は――全員、死んだ。


「……これで、ぼくは死ねるのか?」


 乾いた声で、そう呟く。

 すると。


「なんでそう思う?」


 ダレカの声が、すぐそばで響いた。


「だって……もう、関わったことある人なんて……」


 自虐的に笑う。

 笑うしかなかった。


「馬鹿だな」


 ダレカは、淡々と告げる。


「関わりが“深い”奴が居なくなっただけだろ?」


 御言は、首を傾げる。


「お前と話したことがある。お前を見たことがある。お前の噂を聞いたことがある」


 ひとつ、ひとつ、突き刺すように。


「全部だよ。全部がお前のストックだ」


 逃げ場は、どこにもない。

 世界そのものが、御言と関わっている。


 ダレカは、最後にこう言った。


「それで、死にたいのか?」


 御言は、笑った。

 

 ――ああ。

 これは、終わらない。

 ぼくは、死ねない。


 「死ねないから、死にたいんだよな?」


 そうだ。

 ぼくは死にたかった。


 死にたかった。

 けれど、痛いのが苦手だから死ねなかった。


 死にたかった。

 でも、苦しいのが嫌いだから死ねなかった。


 死にたかった。

 それなのに、死ぬのが怖いから死ねなかった。


 この世界でぼくは苦しみも、痛みも、恐怖も無くなった。

 死ねないと嘆いていた理由が無くなった。


 ソフィアの時だけじゃない。

 ぼくが死ぬと、誰かが死ぬ。


 それは、もう偶然じゃなかった。


 腹を食い破られた時も。

 背後から刺された時も。

 世界は必ず、代価を差し出す。


 ぼくの代わりに。

 ぼくが生き続けるために。


「……最悪だ」


 吐き捨てるように呟く。

 声は、驚くほど冷静だった。


 痛覚は無い。

 恐怖も無い。

 それなのに、胸の奥だけが、ずっと重たい。


 死にたい。

 でも、死ねない。

 死ねないから、死にたい。


 その矛盾が、今ははっきりと形を持って、ぼくを縛っていた。


 ぼくが死ねば、誰かが死ぬ。

 ぼくが死ななければ、誰かが死なないとは限らない。


 どちらを選んでも、

 ぼくの存在は、誰かの命を消費する。


「……じゃあ、どうすればいい?」


 誰に向けた問いでもない。

 答えが返ってくるとは、思っていなかった。

 けれど。


「簡単だろ?」


 ダレカは、軽い調子で言った。


「お前が“関わらなければ”いい」


「……無理だよ」


 即座に否定する。

 生きる限り、関わりは生まれる。

 視線を交わすだけで、噂が立つ。

 存在するだけで、世界に痕跡が残る。


「だからさ」


 ダレカの声が、少しだけ楽しそうになる。


「お前は“生きること”そのものが罪なんだよ」


 その言葉は、妙にしっくりきた。


 罰は無い。

 裁きも無い。

 ただ、終わらない。


 死ねず、逃げられず、誰かの命の上に立ち続ける。


「……それでも」


 ぼくは、歩き出す。

 死なないために、食事を取る。

 死なないために、危険を避ける。

 死なないために、生きる。


 それしか、選べないから。


 そして――。

 いつか、本当に全てと関わりきった時。

 世界そのものを使い切った時。


 その時こそ。

 ぼくは、死ねるのだろうか。


 そんな、救いにもならない希望だけを胸に抱いて、

 御言は、また彷徨い続けた。

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