思想反転:死ねない→死にたい《ヴィヴァーレ・モルス》
静寂に包まれた地下室。冷たい空気が肌に触れる。
時間が迫る焦りだけが御言の心を埋め尽くす。
「ほらよ⋯⋯さぁ、どうする?」
男が言いながら、足元に短剣を転がす。
迷う必要はない。
御言は短剣に飛びつき、次の瞬間には首を裂いていた。
刃が首を貫き、血が飛び散る。
「本当にやりやがった、流石勇者様だな!」
男の笑い声が、遠くでこだまする。
その奥から、ソフィアの悲痛な声が聞こえた気がする。
――思想反転:死にたい→死ねない《メメント・モリ》、発動。
肉体が元通りに復元される。
死ねない。
ぼくは再び短剣を手に取る。
躊躇は一切ない。痛みも恐怖もない。
ただ、ソフィアのために――結果を求めて、刃を振るう。
斬って。
刺して。
突いて。
抉って。
何度でも、繰り返す。
――メメント・モリ発動
何度でも、復元される。
――ぼくは死ねない。
時間は焦りとなって押し寄せる。
ソフィアの身体を蝕む毒が、秒ごとに迫ってくる。
「早く……死ななきゃ」
だが、いくら刃を振ろうとも、肉体は復元される。
心臓を抉ろうが、頭蓋に突き立てようが、スキルがそれを許してはくれない。
――死ねない。
地下室の空気に混じる男の声が、ひどく遠くに聞こえた。
「マジかよ、本当に不死とはな⋯⋯」
その声に、御言は構わず次の動作を選ぶ。
待ってて、ソフィア。
今、ぼくは死んでみせる。
でも、死ねない。
――メメント・モリ、発動。
血も、傷も、抉り取ったはずの心臓も、すべて元通りになる。
繰り返す。
繰り返す。
そして、焦りと苛立ちだけが、御言の意識を支配していく。
ぼくは、死ねない。
地下室の暗闇に、ただ刃の音と再生の静寂が交互に反響していた。
――不意に肩を叩かれる感触。
「お疲れさん、もう終わったよ」
嘲笑が交じるその声にぼくは引き戻される。
下卑た笑みを浮かべながら男が背後を指差す。
恐る恐る視線を向けた先にはソフィアが居た。
いや、ソフィアだったものがあった。
虚ろな瞳でこちらを見つめ、その白い首元には似つかわしくない鉄の塊が生えていた。
「お前が何度も死のうとするのが耐えられないって言うからよ」
男が何かを言っている。
でも、それが何だかよくわからなかった。
――ぼくは何をしていたんだっけ。
ああ、そうだ⋯⋯死ななきゃ。
御言は流れるような動作で首を掻き斬る。
噴き出した血が、地下室の冷たい床を温める。
きっと、ぼくは死ねない。
「おい、お前死にたいのか?」
どこかで聞いたことのある声がする。
ずっと昔からぼくに語りかけていた誰かの声。
(死にたいに決まってる)
心の中でその声に応える。
「なんでだ? この世界には苦しみも、痛みも、恐怖も無いぞ?」
何故――?
そんな事、聞かなくてもわかるだろ。
(ぼくは、死ねないから死にたいんだよ)
再度ダレカにそう答えると、地下室の壁に亀裂が走る。
いや、壁だけじゃない。
床も、男にも、ソフィアにすら亀裂が見える。
目の前で世界が大きく歪んでいる。
灰色の砂嵐が視界を埋め尽くし、何もかもが見えなくなって行く。
「思想反転:死ねない→死にたい《ヴィヴァーレ・モルス》、発動」
ダレカの声とともに、世界が軋む音がした。
骨が再生する音ではない。
血が戻る音でもない。
――世界そのものが、軋んでいるようだ。
歪んだ視界の奥で、男が何か叫んでいる。
だが、その声は意味を持たないノイズにしか聞こえなかった。
「な、なんだよ……なんだ、これ……!」
男の身体に走っていた亀裂が、ゆっくりと広がっていく。
皮膚が割れ、筋肉が裂け、そこから覗くのは肉でも骨でもない――灰色の“空白”。
やがて、御言の身体が完全にもとに戻ると同時に、男はただの肉塊へと変貌していた。
視界の端にウインドウが映る。
【固有スキル反転】
思想反転:死にたい→死ねない《ヴィヴァーレ・モルス》
【効果】
任意発動不可。
苦痛完全耐性、恐怖完全耐性。
条件を満たしている場合、細胞単位で死の概念を否定する。
※思想反転:死にたい→死ねない《メメント・モリ》へ戻すことは出来ない。
(条件⋯⋯?)
御言が疑問に思った瞬間、スキルウインドウが切り替わる。
【スキル詳細】
使用者の生命活動が著しく失われた場合、使用者と関わり合いがある生命を消費し、使用者の肉体を復元させる。
※消費される生命は使用者の損傷度合いによって変動し、使用者と関わり合いが深いものから自動で選択される。
【消費された生命】
テイラー
マリア
チェルシー
「なんだよ、それ⋯⋯」
声は、自分でも驚くほど平坦だった。
理解を、脳が拒んでいる。
スキルウインドウに表示された名前を、ぼくは一つずつ目でなぞる。
テイラー――。
今になって思い出す、それは今目の前で肉塊と化した男の名前だ。
マリア――。
忘れるはずが無い、彼女はぼくの掛け替えの無い仲間だった。
チェルシー――。
ぼくがこの世界に来て初めて会話した商人の娘、ぼくを英雄みたいだと言ってくれた子だ。
みんな知っている名前だ。
知らないはずがない。
その中には何度も顔を合わせ、言葉を交わし、笑ったことのある人たちもいる。
でも、そこに並んでいるのは――【消費された生命】。
消費、された。
床に転がる、原形を失った肉塊に視線を落とす。
あれが、テイラー。
つまり――。
マリアも、チェルシーも⋯⋯。
「冗談、だろ⋯⋯」
誰に向けた言葉なのかも分からない。
膝が、ゆっくりと床に落ちる。
力が抜けたわけじゃない。
恐怖を感じたわけでもない。
ただ、立っている理由が、消えた。
視界が揺れる。
――違う。
揺れているのは、世界のほうだ。
ぼくが死んで生き返る時。
そのたびに、誰かが死ぬ?
ぼくが、死ねない代わりに?
「……じゃあ、ソフィアは」
嫌な予感が、遅れて形を持つ。
恐怖完全耐性があるせいで、“怖い”という感情だけが、最後まで来なかった。
だからこそ、理解した瞬間が遅すぎた。
ぼくは、ゆっくりと振り返る。
そこに、ソフィアはいなかった。
正確には――
生きているソフィアはいなかった。
倒れ伏した彼女の身体は、静かすぎるほど静かだった。
胸は上下していない。
呼吸が、ない。
「……ぁ」
喉から、音にならない声が漏れる。
駆け寄る。
抱き起こす。
温もりは、もう残っていなかった。
毒のせいじゃない。
男のせいでもない。
ぼくが、死のうとしたからだ。
ぼくが、死ねなかったからだ。
ぼくが、死ぬ所を見続けたせいだ。
「やだ……やだ……」
意味のない言葉が、口からこぼれる。
痛くない。
怖くない。
それなのに、胸の奥が、どうしようもなく空っぽだ。
ソフィアの額に、額を押し当てる。
「ごめん……」
遅すぎる謝罪。
どれだけ繰り返しても、もう戻らない。
マリアも。
チェルシーも。
そして――ソフィアも。
ぼくが、生きるたびに。
ぼくが、死ねないたびに。
誰かが、消えていく。
それが、このスキルの“条件。
関わり合いが、深い者から。
「……ぼくは……」
声が、震えない。
涙も、出ない。
ただ、理解だけが残る。
「……生きてちゃ、いけないんだ」
でも。
死ねない。
どれだけ願っても。
どれだけ望んでも。
ぼくは、生き続けることで、世界を壊す存在になった。
地下室は、静まり返っている。
誰も、答えてくれない。
ぼくは、ソフィアを抱いたまま動けずにいた。
生きている。
それだけが、この世界で一番、残酷な事実だった。




