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――無くならない。今は、まだ。

 朝になって、御言は目を覚ました。

 視界に入った天井は、見慣れない宿屋のものだった。


 それ自体は、珍しくもない。

 隣に、ソフィアがいる。

 それも、もう特別なことではないのかもしれない。


 同じベッドで目を覚ましたという事実に、心臓が跳ねることはなかった。

 代わりにあったのは、奇妙な落ち着きだった。


 そこにいて当たり前。

 いなくなる想像を、したくない。

 そんな感覚。


 ソフィアは、まだ眠っている。

 静かな寝息を立てて、微かに胸が上下している。

 御言は、その様子をしばらく眺めてから、そっと視線を外した。


 ――起こさない方がいい。

 理由は分からないが、そう思った。


   *


 ギルドへ向かう道すがら、街はいつもより騒がしく感じられた。

 こちらを見る視線が多く、耳に入る声も妙に刺々しい。


「……あれが噂の、不死の冒険者か」


「マジで死なねぇらしいぞ」


「調子に乗ってるだけだろ」


 聞こえないふりをするほど、御言はもう無感覚ではなかった。

 それでも、振り返ることはしない。


 ソフィアは、何も言わない。

 ただ、少しだけ歩幅を合わせてくれている。

 それだけで十分だった。


  「……今日も、頑張ろうか」


 御言が小さく呟く。

 ソフィアは微かに笑みを返す。

 励ましではなく、ただの合図のような笑みだった。


 クエストボードの前で、御言はソフィアと並びながら受注内容を確認する。


 対象は近郊の森で暴れている小型モンスター。

 討伐の難易度は低く、二人だけでも十分にこなせるものだった。


 カウンターに向かおうとクエストボードから離れようとしたそのとき、見知らぬ男が声をかけてくる。


「アンタら、二人ってことはパーティに欠員が出たんだろ? 俺も加えてくれよ」


 男は、マリアが居なくなったことに気付き、自分を売り込みに来たようだった。


 だが、御言は迷わず首を横に振った。


「悪いけど、今はまだ人を増やす気にはなれない」


 男は不満げに御言とソフィアを交互に見つめる。

 その視線は、理由は分からないが、微かに不快なものを感じさせた。


 その後、気を取り直して受けたクエストはあっけないほど簡単に終わった。

 二人でも問題無くやっていける、そう思うには充分なほど連係も上手くいった。


 ギルドに戻り、クエストの達成報告を済ませる。

 大丈夫、二人でも変わらない。

 ぼくたちはやっていける

 

 その後の流れもいつもと変わらない。

 本当に、何も変わっていないはずだった。


「私、ちょっと用事をすませてきますね」


 ギルドを出たところで、ソフィアが言った。


「用事って?」


 突然のソフィアの申し出に何かあるのかと身構える。


「えっと⋯⋯今日も同じ部屋に泊まるのであれば⋯⋯寝間着とか、ですね」


 少し恥ずかしそうな様子でソフィアが言う。

 御言は一瞬考え、顔を赤くして反射的に頷いた。


「うん。ここで待ってる」


「すぐに戻ります!」


 引き止める理由もはなかった。

 ソフィアは軽く手を振り、人混みの中へ消えていく。


 その背中を見送りながら、御言は不意に思う。

 ――無くならない。今は、まだ。


    *


 待ち時間は、最初は短く感じられた。

 クエスト帰りのクリスと雑談し笑い合ったり、偶然お使いの最中に通りがかったチェルシーに挨拶をする。


 時の流れと同じように人が流れて消えて行く。

 その流れの中、ぼくだけが立ち止まって居るような感覚に陥る。


 時間が過ぎている感覚が、曖昧だった。

 ふと顔を上げて、周囲を見回す。


 ――いない。

 胸の奥が、僅かにざわつく。

 それでも、まだ焦りはなかった。


 日も暮れた街並みを見つめる。

 行き交う人は随分と減っていた。


 ソフィアはまだ戻らない。


「……すぐ戻るって、言ってたよな」


 独り言が、空気に溶ける。

 途端に虚無感が御言に襲いかかる。


 夕焼けに染まる街並みに灰色の砂嵐が交じる。


「すみません。金髪の……神官の女性、見ませんでしたか」


 行き交う人々に声をかけてみる。

 声をかけられた人々はまるでプログラムされたかのように同じ仕草で首を傾げる。


「いえ、今日は見ていませんが……」


 胸のざわつきが、少しだけ大きくなる。


 市場に出る。

 もう既にいくつかの店は閉じているようだ。

 その中にソフィアの姿を探す。


 ――いない。

 名前を呼ぼうとして、やめた。


 理由は分からない。

 嫌な予感、というほど明確なものではない。

 ただ、何かが、噛み合っていない。


「⋯⋯御言さん」


 背後から、声をかけられた。

 振り向くと、ホッグが立っている。


 いつものような朗らかな笑みはなく。

 表情は、妙に硬い。


「あなたに伝言です」


 差し出されたのは、紙切れではなかった。

 ホッグは、低い声で言う。


「ソフィアさんが――拐われました」


 言葉が、すぐに理解できなかった。


「……は?」


「冒険者風の男が店にやって来て、御言さんに伝えろと⋯⋯」


「返して欲しければ街の外れにある廃墟に来い、と⋯⋯」


 ホッグは淡々と続ける。

 事実だけを並べるように。

 そして申し訳無さそうに。


 御言の中で、何かが静かに崩れ落ちた。


 ――減らないと思っていた。

 まだ、大丈夫だと思っていた。


 胸の奥が、冷たくなる。

 それでも、御言はまだ気づいていない。

 これが、取り返しのつかない分岐点だということに。

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