消えない。――離れないんだ。
旅の最終日。
空は澄み、街道は穏やかだった。
このまま何事もなく、夕方には隣町へ辿り着くだろう――誰もがそう思っていた。
だが、森の切れ目を抜けた瞬間。
幌の横から、影が躍り出る。
「――ゴブリン、四体です!」
ソフィアが叫ぶ。
たかだか数は四、しかもゴブリン。
武装も粗末で、連携も甘い。
正直に言えば、余裕だった。
マリアが前に出る。
斧を構え、一歩踏み込む。
その動きに迷いはない。
しかし、ゴブリンの一体が剣を振りかぶった瞬間――
御言の視界が、狭まった。
(――危ない)
考えるより早く、体が動いていた。
「御言――っ!」
ソフィアの声が聞こえた気がする。
次の瞬間。
鈍い感触と共に、腹部を貫く振動。
ゴブリンの剣が、御言の身体を突き抜けていた。
ほぼ同時に。
マリアの斧が、横薙ぎに振るわれる。
ゴブリンに向けて振るわれたマリアの斧が、
割り込んだ御言の身体を避けきれず、血を散らした。
御言の視界が、一瞬灰色に染まる。
――メメント・モリ。
次の瞬間、傷は消え、身体は元通りになっていた。
戦闘自体は、それで終わった。
残りのゴブリンも、程なく討ち取られる。
誰も怪我はしていない。
だが。
「……なんで、割り込んだ」
マリアの声は、低かった。
「庇わなくても、倒せた」
マリアの声は、震えていた。
「でも、怪我するかもしれないじゃないか」
御言は、そう返した。
本心だった。
マリアは、歯を噛み締める。
「そのせいでさ」
一歩、御言に近づく。
「アタシは、アンタを斬るハメになったんだ」
訪れる沈黙。
ソフィアが慌てて間に入る。
「取り敢えず、落ち着いてください。マリアも――」
「……誰も怪我してないんだから」
御言が、静かに言った。
その言葉で、空気が止まった。
確かにそうだ。
事実として、誰も傷ついていないじゃないか。
マリアは、何も言わなかった。
ただ、視線を伏せたまま、口を閉ざした。
それ以降、彼女は一言も発さなかった。
夕方、隣町に到着する。
気まずい空気感の中、ホッグに別れを告げ、護衛依頼を終え、ギルドで報告を済ませる。
淡々とした時間だけが流れていく。
その帰り道、マリアが一人立ち止まる。
「……アタシは、ここで抜ける」
唐突に、マリアが言った。
「悪いけど、さ。ここでお別れ」
何かを言う暇も無くマリアが続ける。
「え……?」
御言は言葉を失う。
「どうしてですか……!」
ソフィアが戸惑いながらマリアに尋ねる。
マリアは、拳を握り締めた。
「御言を斬った感触が、手に残ってる」
震える指を見る。
「消えない。――離れないんだ。」
その声色は震え、目には涙が滲む。
一度、息を吐いてから続ける。
「このまま一緒にいたら、また同じことが起きる」
「それが……耐えられない」
御言も、ソフィアも、言葉を失った。
引き留める言葉が、出てこない。
マリアは、背を向けた。
「……じゃあ、ね」
それだけ言って、歩き出す。
彼女は振り返らなかった。
夕暮れの街道に、斧の柄が揺れながら遠ざかっていく。
御言は、その背中を見つめ続けていた。
胸の奥に残るのは、
痛みでも、恐怖でもない。
――取り返しのつかない、何かだった。




