出発前のアレやコレや
世界各国に突如として現れたのは、地球とは異なった土地に通じる”門”であった。世界各国は”門”の向こうの世界と交流を行い始め、そしてそれは日本でも同じ事が言えたのだ。そして世界的に現在、”門”の向こうへの旅行が一大ブームを巻き起こし、私ことかがやまちは、異世界専門添乗員として、とある小さな旅行会社で働いているのである……
朝とすら言いにくい明け方三時。そこで私はスマホのアラームによって目を覚ました。
遅刻は命取りの仕事に就いているが故に、スマホのアラームは一分単位でかけている。
とにかく意識が浮上してきて、立ち上がれたら即座に蛇口の水で顔を洗う。これは起きるという概念を、顔を洗うという行動で意識するための方法だ。
他にも冬場はきついメンソール系の目薬をさすと言う事もする。とにかく何をしたいかって? 二度寝防止だ。一瞬でも油断すると布団に戻ってきてしまうが故に、色々な本をあさってこの結果にたどり着いた。
明け方三時に目を覚ましたら、食事の用意をする。今日は……結局インスタント味噌汁にレンチン白飯だ。
自炊をしろ? 一ヶ月のうちに三回も異世界一週間滞在ツアーなんて物に出ていると、生鮮食品なんて買えない。大体腐る。
そのため私の家に常備されているのは……レンチンして食べる白飯とインスタント味噌汁と、あと申し訳程度の乾物だ。
冷蔵庫は最低の、飲料がちょっと入れば良いくらいの大きさ。逆にあるのは冷凍庫。冷凍庫はあるのかいと言われそうだけれども、一ヶ月のうちに日本にいる日数分の冷凍食品のおかずを突っ込んでいたりするためで、私のエンゲル係数はきっと一般的よりずっと高い。
異世界滞在ツアーから戻ってきたら、家に帰り着くまでの記憶が半分くらい無いって事もあるくらいに疲労するから、帰ってきての24時間営業系スーパーに行く根性はない。
コンビニ? あれはプラごみが多くて大変だ。一回自宅をゴキブリ大量発生系にしそうになって以来、足が遠のいた。冷凍食品のパッケージならば、そのまま冷凍庫に袋に詰めて突っ込み直せばギリギリセーフ。一人暮らしだから出来る荒技だ。生ゴミも冷凍庫の中に生ゴミブースを作ってそこに袋に入れて口を縛って投入している。ゴミの日が指定されている生活環境なので、その曜日を過ぎても異臭騒ぎにならないようにの対応だ。一回近隣から不動産経由で苦情が入った。ごめんなさい。
そんな朝ご飯を食べた後は身だしなみを整える……んだが。
「どうせ汚れる。どうせ全力疾走する。どうせ汗で化粧は落ちる」
……異世界滞在ツアーにきれい事はない。いや、あるけれども、添乗員の仕事が地球内と比べて異常なくらいに肉体労働系なので、お化粧を綺麗に決める人も多い添乗員業界でも、異例のシンプルさになるわけだ。
だが異世界では髪の毛を下ろしていると未成年扱いを受ける……というのが実は定説になりつつあるが故、髪の毛はしっかりと紐を使ってまとめて置く。ヘアゴムでは無い理由は後々説明が行われるだろう。
食事に身支度、それから昨日のうちに回ってきている可能性のある、会社からの業務連絡その他の確認をする。たまに他の会社の添乗員の情報で、ツアー先で魔物の大量発生が起きてツアー先を変更しなくてはならない……なんていう事も回ってくるのだ。
「よし、今のところ天候も悪くなければ、戦争の火蓋もきられていない。魔物の大量発生は無し。政変による内乱もなし」
スマホの画面をスクロール。それであらかたの情報を確認し、私は荷物を持って立ち上がる。異世界へむかう”門”へ行くのは楽じゃない。
”門”に行く前にも、関東”門”付近までは高速バスやタクシー、ツアーバスで向かわなければならないのだ。自家用車は無し。自家用車を止める駐車場が無いのだから仕方がない。
私は添乗員なので、ツアーバスの待ち合わせ場所である集合場所の駅でスタンバイしなくてはならないのだ。そして残念な事に、集合場所まで電車で二時間前後かかる。これは乗り換えの都合なので諦めてはいる。就職先の旅行会社には割と近い良い自宅だけれども、お客様をお迎えする場所までは遠いのだ。
電車に乗って駅で乗り換え。そして横浜駅まで到着したら、私はあくびをかみ殺しながらコンビニのカフェオレを買う。異世界にマイボトルは重すぎて持っていけないので、こういう事をしなくてはならない。ラテマネーは高いと思うが、眠気覚ましは欲しいのだ。
本日は師走の異世界一週間滞在ツアーなので、冷える指先に温かいカフェオレのカップの温度が心底しみる。だが夏の朝でも私のお供は温かいカフェオレだ。
それを飲み終えると、ちらほらと横浜駅に人が行き来するようになる。関東”門”に朝一番に入るためには、横浜駅を朝七時半に出発しなければならない。私は古めかしくも思われるが、スマホ系端末ではなく、本日の参加者リストを紙で用意し、ぱたぱたと目印の旗を振って、それっぽい人に笑顔で挨拶をする。
「おはようございます、幸旅です!」
幸旅とは旅行会社の略称だ。正式名称は幸走旅行である。幸せが走ってくるような旅を、と言うのをモットーとしている会社なのだ。
そして集合七時に、大体のお客さんが集まってきたら、参加者リストを使っての受付が開始される。
「おはようございます! 幸走旅行です! 今から受付を開始いたします!」
横浜駅は広いので、結構な声を張る。目立たなければならないので、羞恥心は捨てた。
「おはようございます。はい、はい……二名様の佐藤様ですね、こちら参加者の皆様の上着に付けていただくツアーシールです」
「わかりました、ありがとう」
このように速やかに受付が済む場合と
「三名様で参加の茎崎様……二名様? あ、お手洗いですね? おそろいになったらまたお声をかけてください」
気の早い人達のあしらいをする事もある。
そして本日は遅刻者が一人も居ない状態でそろったため、私はぱたぱたと旗を振って
「今から関東”門”へ移動するバスに乗ります!! 皆さん着いてきてください」
しっかり三回繰り返して出発した。何度か後ろを振り返り、お客さんが着いてきているかは要確認事項だ。たまに転ぶ人がいる。
横浜駅を出てのバスターミナルで、今日のバスを軽く探し、バスの前でもう一度人数確認を行ってからお客様を乗車させた。たまに失踪する人がいるのは、気が散って迷子になるパターンらしい。ちょっとなら大丈夫、と自販機を使ってそのままはぐれた……なんて事もある。
「今日もありがとうございます。本日もよろしくお願いします」
「今回はこの高速道路を使って関東”門”に入ります」
「わかりました。次は一週間後ですが、よろしくお願いいたします」
運転手さんと軽い打ち合わせをして、シートベルトをするようにアナウンスをし、バスは朝の空気の中出発した。
関東”門”までは高速道路を一時間弱の走行が基本で、その間にバス内で、荷物検査の注意事項を言っておく。これは参加が任意の異世界旅行説明会でも話しているし、重要書類を渡した際にも伝えてあるが、念には念を押すのが、異世界滞在では重要だ。
「皆様、本日は幸走旅行の一週間異世界滞在ツアーを申し込んでいただき誠にありがとうございます。皆様には”門”で行われる荷物検査についての重要事項を、今一度確認していただきたくアナウンスさせていただいております」
これを聞かずにイヤホンを付けている人や、おしゃべりに夢中な人もいるが、説明したという行為が添乗員や会社の安全のために大事なのである。聞かないで損害を被ったと言われても困るのだ。そもそも書類で渡してある事の繰り返しだし。
「異世界に渡るための”門”、そこでは飛行機の荷物検査以上の手順で、あらゆる持ち物が検査されます。関東”門”で一度。”門”の先にある”市場”の先にある異世界”門”で二度目の荷物検査が行われます。関東”門”以降は、スマートフォン、携帯電話、その他電子機器の電波が非常に悪くなりますので、あらかじめご了承ください。また、異世界”門”をくぐった後の異世界では、”電子機器の一切合切が使用不可能”になりますので、ご注意ください。異世界で起動させた場合の損害については、当社は一切責任を負いません。また重要書類との重複になりますが、異世界では”あらゆるプラスチック用品の消耗が地球の最低でも数十倍で進みます”ので、十分にご注意ください」
これである。大体の現代人が悲鳴を上げたくなる中身がこれだ。
異世界には魔力と言うべき、地球には存在しない何かエネルギーが存在している。
この魔力が、現代の文明の利器と非常に相性が悪い物で、地球産のプラスチックを異常な早さで分解し、何の変哲もない砂に変えてしまうのだ。その速度は地球の経年劣化の数十倍から数百倍とも言われていて、プラスチック製品は異世界に持って行ったら、もう地球で使える事は二度と無い。
さらに異世界にはWiFiもないし電波塔もないので、スマホは使えない。それだけならいいが、異世界で電化製品を起動させると……これまた魔力の影響で、壊れてうんともすんとも言わなくなる。
異世界旅行は現代の便利さになれた人々にとって、悲鳴を上げたくなる事目白押しのツアーなのだ。
それでも狂気的な人気があるし、一大ブームなので、こうして私の仕事は成り立っている。
「添乗員さん! まちさーん! じゃあどうすればいいんですか-!」
私の説明を聞き、ぱっと手を上げてきたのは……異世界ツアー参加が五度目のリピーターである樋口さんだった。もう顔見知りの人と言って良い。
私の担当するツアーじゃないと行かないと断言する人で、うちの会社が同伴する添乗員の記載まであるから、こうして何度も参加してくれる人だ。
たしか四十代である。
「はい、ご質問ありがとうございます。異世界で使用される物は、関東”門”先の”市場”にて、異世界でも、地球でも使用可能な品物を販売している国際指定店がございますので、このマークがあるお店をお探しください。このたびのツアーでは”市場”でのお買い物も含まれておりますので、異世界”門”を出発する前にも、お買い物がお楽しみいただけます。”市場”では異世界のあらゆる地点からの品物が入ってきていて、大変異国情緒漂う場所ですよ。”市場”では地球のお金を両替してのお買い物になりますので、関東”門”を抜けた後に見えます、このマークの建物での両替となっております」
「異世界の品物は、地球では壊れないの?」
またも樋口さんの突っ込みだ。地球の物が壊れやすくなるのだから、異世界の物も壊れやすくなるんじゃないかという事は、誰もが一度は思うだろう。
だが。
「いいえ、異世界の品物は些細な物でも非常に堅牢になりますので、……断捨離などを行った場合非常にゴミ捨てに困ります。そのため異世界の物を処分する際には予約が必要な地域が多く、高額な処分費がかかるケースが多いため、それを念頭に入れてのお買い物をお楽しみください」
「えーっ、じゃあ異世界の物っていったら何を買うといいの、添乗員さん!」
これはサクラか? と思う物の、樋口さんの娘さんが大声を上げた。樋口さんの娘さんは今回が初めての異世界ツアーだったはず。
「おすすめは……異世界のお砂糖です」
「……はい?」
私が心の底から思っている事を言うと、娘さんがわけがわからんと言う調子になった。
「確かに皆様、添乗員かがやまちのおすすめがお砂糖と聞いても、何故、と思うかもしれません。しかしこれにはきちんとした理由があります。皆様の中には、異世界の農作物を地球の”門”に通した後、その農作物が非常にアンチエイジングなどに効果のある成分を、適量有するようになるとご存じのお方もいらっしゃると思います。それは異世界のお砂糖にも言える事なのです」
「……」
女性のお客さんがほぼ全員黙った。そして女性のお客さんの異様な雰囲気に男性のお客さんも黙る。静かな車内で私の説明が続く。
「異世界の農作物は、皆様がお帰りになられる関東”門”で、取り上げられる物になります。それは地球でも、農作物や種を持ち込めない事と同じです。ですが、その精製物であるお砂糖やお塩は、今のところ取り上げられたというケースがありません。保存性がきき、毎日使う物ですし、少し重たいところが難点ですが……お土産として小分けにしてプレゼントしても喜ばれるものと言う事で、お砂糖をおすすめしています。あ、もちろん食べ過ぎは体の毒ですよ!」
「お菓子じゃだめなの?」
「異世界のお菓子は……非常に好みが分かれる場合が多く……異世界には地球と同じ保存料はないので……日持ちするのは砂糖漬けやお酒がたっぷりしみこんだ物の場合が多く、異国情調は満点ですが、おすすめできるとは断言できません。その点お砂糖という物ならば、今のところそこまでの当たり外れが無いと、お客様アンケートでも評判の良い物ですので」
「調味料は?」
「調味料の入っている容器が、異世界ガラスですので、処分の際に処分費がかかりますから、おすすめしておりません。お砂糖は”市場”では、旅行をする方や、地球から仕入れに来る方向けに、地球のチャック付袋などに量り売りしてくれますから」
「さすがまちさん! あたしねえ、異世界のお砂糖でお肌のシミ減ったのよ! お義母さんから若返ったわねって褒められたの!」
樋口さんの言葉に女性達の目の色が変わった。私はにこやかに続ける。
「また、異世界で一週間お食事をすると、体内に異世界特有の魔力と言われる物が微量ながらも蓄積され、地球の”門”をくぐった際に、その魔力が変質し、体内の毒素を一週間ほど排出するというデータも科学的にあるので、むくみや便秘といった症状も軽減されるそうですよ。でも、だからと言って食べ過ぎてはいけません。どの世界でも食べ過ぎは体の毒ですよ」
「本当そう! だってまちさんめっちゃお肌つやつやだもの!」
樋口さんがケラケラ笑い、娘さん……宮子さんが自分の、ニキビの浮いた顔に触れていた。樋口さんはぷるぷるつやつやお肌で、宮子さんがそうじゃないのは……確か一人暮らししてたからだったと思う。樋口さんはこのツアーのベテランのお客さんなので、私に張り付いていれば問題ないと知っている人だ。結構一緒の時間が長いので、おしゃべりに付き合う事も多く、手に入れた情報だ。
とまあ樋口さんの情報はさておき、女性達が目の色を変えて何かをメモし、男性達の中の一人が恐る恐る手を上げた。
「それって男性も効果がありますか……」
「あります。確か加齢臭が激減したというお客様がいらっしゃいました」
「はげは!?」
「申し訳ありません、はげのデータはまだ手元になく……研究機関の皆さんが調べているはずです。それに皆様、地球に輸出される異世界産の農産物はとてもお高いですよね? ですがこのツアーなら一週間、毎日三回、当たり外れはありますが異世界の食べ物が食べられるんですよ! 素敵ですね!」
これにお客さんの結構な割合がスマホで、金額を計算し始めた。
そしてぼそりと呟いた。
「……このツアー、そう考えると……異世界滞在ツアーの中でも格安……」
そんな会話が行われたりしているうちに、いよいよ関東”門”がある建物が、バス正面に見えてきたのであった。




