『雨が、付いてくる』
最初に気づいたのは、梅雨の終わりのことだった。
大学の帰り道、空は晴れていた。なのに、ポツッ、ポツッ……と服に水滴が落ちてくる。
周囲に傘を差す人はいない。空を見上げても、雲はない。
それでも、自分の頭上だけに、雨が落ちてくる。
「まさかね」
気のせいだと、最初は思った。たまたま上の木から滴っただけ。そう思い込んだ。
だが、翌日も、その翌日も……
晴れた空の下、自分のまわりだけに雨がついてきた。
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傘を差しても、意味がなかった。
傘の内側に、ぽつ、ぽつと雨粒が落ちてくる。
周囲には音がないのに、自分の耳元にだけ“雨音”が響く。
まるで、誰かが耳元で水を垂らしているような……そんな不快な、じっとりとした雨音。
「なあ、聞こえない?」
ある日、友人に尋ねた。
「……何が?」
「雨の音だよ、今もしてるだろ?」
「いや、晴れてるし」
彼は笑った。だが、直後に眉をひそめた。
「お前……なんか、濡れてね?」
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数日後。
家にいても、雨音が止まなくなった。
風呂に入っても、トイレにいても、雨が耳元で囁いてくる。
天井からではない。壁の中でもない。
頭の中で降っているような……そんな音。
精神科にも行った。MRIを撮っても異常なし。
ただ、医者はふと漏らした。
「以前もいましたよ、“雨がついてくる”って人」
「え?」
「……その人、最後は行方不明になったんですけどね」
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昨夜のこと。
雨は、ついに音だけではなく“気配”を伴ってきた。
誰もいない部屋の隅に、水たまり。
ドアの前、濡れた足跡。
窓の外、“こちらを見ている何か”が、ガラス越しに立っていた。
そいつはびしょ濡れで、髪を垂らし、ゆっくりと笑っていた。
そして、僕にこう囁いた――
「やっと見つけた。
君も、濡れてるから……わたしと同じ。」
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【現在】
僕は、逃げている。
晴れている場所を求めて、町を、山を、旅している。
けれど、どこへ行っても、雨はついてくる。
誰もいない森の中、ビニールテントの中、乾いたトンネルの奥。
耳元で、今日も、あの音がする。
ぽつ……ぽつ……
“一緒にいてね”って、雨が言ってる。