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あれから驚く程に何も無かった。セラからの視線は感じるが、特に何かを言われることもない。
一月あった実地訓練も残り半分となった事で、私は気が緩んでいたのかもしれない。
「フラン。」
「はい?」
後ろからかけられた声に何気なく反応してしまった。振り返ってセラが立っていると理解した瞬間、自分のやらかしを悟った。
「あっ……。」
「…フラン、なんだな?」
確かめるように聞くセラに、笑って誤魔化そうとしたが出来なくなった。彼が、泣きそうな少年のような顔をするから。
何も言えず立ちすくむ私に距離を詰めたセラは、私を強く抱き締めた。
「…フラン、いや、今はフローラといったか。会いたかった。ずっと。」
貴族としての立場がとか、噂になったらとか、言うべきことは沢山あるはずなのに、掻き抱くように力を込めるセラを前に言葉にならない。
「…どうして、俺を庇った。」
その言葉にまだ気にしていたのだと理解した。宥めるように背中に手を回して答える。
「…セラが大事だから以外に理由なんてないよ。」
「でも、俺も、お前が大事だったっ!俺がどれだけ後悔したかっ!」
本当に悔しそうに言うセラは、さらに腕の力が強くなる。まるで私がいることを確かめているようだった。
「うん、そうだよね、ごめんね。でも、あの時私も必死だったんだ。咄嗟に体が動いてさ。」
そう言いながらセラの背中を撫でる。
しばらく黙っていたセラは、少し腕の力を弱めると弱々しく言う。
「俺の前から居なくなるな。」
「ごめんねって。…それよりも離して?流石に人に見られたらまずいよ?すぐに噂になっちゃう。」
少し落ち着いただろうと、離すように頼むとセラは逆に力を強めた。
「ちょっと、セラ?どうしたの?」
「……いいだろう。別に。」
その言葉に訳が分からなかった私は、セラの背中をパシパシと叩く。
「ねぇ、ほんとに噂になったらどうする気?」
すると少し間を空けてセラが言う。
「……本当にしたらいい。」
「え?」
少し離れたセラは私の腰をぐっと押さえ、私の顎を固定する。今度は無理やりではなく、添えるように優しい手つきだった。
「俺の婚約者になればいい。噂の責任は取ろう。」
「は?」
セラの言葉の意味が理解出来るはずなのに、出来なくて混乱する。
「すぐに子爵家に申し出を送ろう。」
「いやいや、待って、今離せばいい話じゃん!」
セラから離れるように腕に力を入れるが、この華奢な体ではビクともしない。
「…お前にはストレートに言わないと伝わらないよな…。」
小さな声で呟いたセラは、覚悟を決めたような顔をする。
「え?なに?」
私がそう聞くと、セラは私の額に口付けを落とした。思いがけない行為にピタリと固まる。
「…フラン、いや、フローラ。お前を愛している。ずっと、ずっと前から。俺はお前がお前であれば構わない。たとえ外見が違くとも、お前の心に惹かれた俺の気持ちは変わらない。」
真剣な顔で言うセラに、ヘラっと笑って誤魔化す。
「それは、憧れとかそんなんじゃない?」
すると眉間に皺を寄せ、私の顎に添えていた手で唇をスリっと撫でると、そのすぐ横に口付けた。
「は?」
「好きでもない女にこんなことするか?」
ニヤリと笑ったセラに顔が熱くなるのがわかった。
「分かったか?俺はそういう意味でフローラを愛している。お前も愛していると言ってくれただろう?騎士として腹をくくったらどうだ?」
耳元で囁くセラに抵抗をやめない。
「い、いや、それでも、身分が違いすぎないか。」
「気にするな。俺は元々お前以外とつがう気は無い。周りには何も言わせない。俺にはそれだけの権力がある。」
段々と逃げ道を塞がれている気分になる。せめてもの抵抗としてもがくが、両手纏めて捕まってしまう。
「俺は存外、好きな女には甘いぞ。浮気もしないし、フローラの好きなようにしても怒らない。…浮気は許さないが。」
そう言いながら、真っ直ぐ私を見つめるセラに何も言えなくなる。
「自分で言うのもなんだが、優良物件だと思うぞ?フローラ。俺はお前なら特別大事にするよ?」
「ま、待って、追いつかないよぉ…。」
私がそう言うと、セラはフッと余裕そうに笑って続けた。
「知ってる。ずっと弟だと思ってたんだろ?だが、もう俺の方が十一も年上だ。婚約者になってから、ゆっくり俺の事を男だと認識したらいい。俺はもう伝えることを躊躇わない。」
私の手を離し頬をスリっと撫でたセラは、自分の顔を近づける。
「悪いが、拒否は聞かない。お前が他人のものになるなど俺は考えられない。それでも否と言うなら、このまま強引に奪ってやるよ。」
その言葉に驚いた私は咄嗟に「わかったから!」と絞り出した。
「良かった。」
優しい声色と共に抱き締められ、親の驚く顔を想像して前途多難だと感じた。