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「……懐かしい。」
森を前にして、私はぽつりと呟いた。
王都とは風の匂いが違う。生き物の気配も、静かすぎて逆に落ち着かない。
魔物討伐の実地訓練。学園三年、恒例の地獄イベント。私はくじ運が悪いのか、よりによって“ノルディアス領”担当の班に入っていた。
「辺境の魔物は数も強さも桁違い。油断せず行動するように。」
教師の声が響いたその直後。
「──ノクターン騎士団団長、セラフィム・ノルディアス殿、到着!」
その名を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。
銀の髪。蒼い瞳。冷たい空気をまとった青年が、馬を降りてこちらへ歩いてくる。
(……ほんとにいた。セラ。)
何年も夢で見た横顔が、今、現実になって目の前にいた。森の中、冷たい風が通り抜ける。空は重たく曇っていた。
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下級貴族クローデリア家の三女、フローラとして生まれた私は、栗色の長い前髪で薄紫の瞳を隠し、地味な令嬢として振舞っている。普段はニコニコとしながらあまり喋ることがない。
理由は簡単。『口調が令嬢らしくない』からだ。
貴族教育を受けたが口調が直らず、すぐにボロが出る為、政略結婚は難しいと早々に匙を投げられた。それを理由に、仕事を自由に選べる私は、上位貴族に目をつけられたくないって訳だ。
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――私には、誰にも言えない記憶がある。この世界で生きた、もう一つの人生の記憶。幼い頃に高熱でうなされ思い出した『フラン』としての記憶。
フランとして生きた私は孤児院で育った。今とは違う赤毛緑眼のやんちゃな少女だった。面倒見の良かった私は、孤児院で下の子の面倒ばかりみていた。
仕事につける年になると、迷わず報酬の高い辺境伯家直属の騎士という職を選んだ。この国は魔の森に面していて、その森の魔物から国を守っているのが、ノルディアス辺境伯家なのだ。元々運動神経の良かった私は、数年のうちに実力をつけ、仲間に認められるようになった。
二十四歳になった頃、次期辺境伯当主となるセラフィム様の部隊へ所属が決まった。『ノクターン騎士団』と名付けられた彼の部隊は、結成したばかりで歪だった。
「一緒に食べていい?」
食事の時間、隣に座って声をかけた。十歳とはいえ、次期当主に対して適切では無いのは分かっていた。でも、一人で食事をする姿が、孤児院で暗い顔をしていた子と重なってしまったから。
彼は驚きながらも静かに「好きにしろ」と言った。だから好きにした。休憩時間には話しかけ、くだらない話を聞かせた。明るく夢を語り、おとぎ話を語って聞かせた。
「夢物語だ。」
と呆れながらもいつも黙って聞いてくれていた。弟のような存在だった。
「セラ!」
「セラじゃない。セラフィムだと言っているだろう。」
拗ねたように言う姿が少年らしくて可愛かった。
「いいじゃないか。可愛いだろ?セラって呼び方。」
「だから嫌なんだ!」
一年経つ頃には軽口を言い合う仲にまでなっていた。本当の家族のようだった。
日常が崩れ去ったのは突然だった。
スタンピードと呼ばれる魔物の大量発生が、森で確認された。ノクターン騎士団も十分に準備をし、前線へ馬を走らせた。戦況は悪くはなかった。
私はセラの前方で魔物を切り倒していた。魔法があまり得意ではない私は、身体強化くらいにしか魔力を使えない。逆に魔法が得意なセラは、後方から魔物に向けて魔法を放っていた。
勝機が見え、皆の気が少しだけ緩んだ瞬間、森から最後の攻撃と言わんばかりに魔法が飛んできた。その一つがセラに向かっていくのが見え、私の体が咄嗟に動いた。
足に集中してかけた身体強化でセラに飛び込む。転がった瞬間、私に押されたセラに、怪我がないことを確認して息をついた。反対に自分はもう助からないことを理解した。お腹に空いた穴は熱く、既に痛みは感じなかった。
「フランっ!」
駆け寄ってきたセラに血がついてしまうと、泣き虫だなと笑うと怒られる。
「そんな事より、最後なんだから、笑ってよ。セラ。」
声が出なくなる前に絞り出した言葉は、かろうじて聞こえたようでセラはぎこちなく笑う。
「…バカなことを言うな。こんな時まで、お前はっ!」
「セラは、ね。笑ってる、ほうがっ、かわ、いい…よ?」
そう言って笑ってやると強く抱き締められた。ポタポタと降ってくる雫を拭ってやりたかったが、もう体は動かなかった。
「あ、…いし、て、……るよ。」
最後に絞り出した言葉は、掠れて汚い。それでもセラは笑って「俺もだ」と返してくれた。目を閉じると、セラの泣き声が大きくなったが、もう目を開けることは出来なかった。
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前世と同じ失敗はしない。そう決意し、間の森と向かい合う。訓練班が魔物の気配を察知し、各自戦闘態勢に入る。連携を確認しながら次々と魔物を倒していく。今世は剣は最低限に魔法を中心に戦う。
魔物が減ってきたため、そろそろかと思ったその直後──前方の生徒のひとりが突っ込みすぎてバランスを崩す。
「何やってるの!」
舌打ちと同時に、私は風の魔法で間合いを詰めた。
間に合わない。そう判断するより早く、体が動いた。
魔物の爪が振り下ろされる。私は剣を抜いて割り込んだ。
「ふざけんな!」
斬撃と同時に、風が弾けた。魔物がのけぞる。私は倒れた生徒を引きずって後方へ蹴り返した。
視界の隅、森の陰に人の気配があった。
銀白の髪。氷のような眼差し。
(──セラフィム・ノルディアス。)
私が助けた生徒の息が落ち着くより先に、その視線は、まっすぐにこちらを見ていた。
彼の表情は、変わらない。冷たく、無表情。
でもその目は、確かに──何かを、思い出そうとしていた。