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春 八

「まぁ、それくらいなら……」

「お前と一緒に出掛ける時は物忌(ものい)みって事にして仕事休めば良いし」

「あのなぁ……」

 貴晴は呆れて隆亮を見た。


 確かに物忌みを仕事を休む口実にする者は多いらしいが……。


 邸から見た方角の方塞(かたふた)りと違い、物忌みは個人によって理由が異なるから真偽は他人には分かりにくい。

 夢見が悪かったというのも物忌みの理由になるから言い訳として使いやすいのだ。


「隆亮殿は右大将の随身(ずいじん)になった」

 祖父が言った。


 随身というのは護衛のことだが私的に雇っているのではなく、近衛府から派遣されるのだ警護の者なのだ。

 そして隆亮は近衛府の役人である。


「え、そうなんですか?」

 隆亮が驚いたように声を上げた。

 どうやら隆亮自身も知らなかったらしい。


「無論、実際は貴晴の手伝いだ」

 祖父が言った。

「もしどこかへ行くことになったら物忌み……」

「そんなことをしなくても右大将に話を通してある」

 祖父が隆亮の言葉を遮って言った。


 随身の仕事は警護だが、護衛している相手の(つか)いをすることもある。

 例えば文を届けたりなどだ。

 そして右大将というのは女好きで勇名を()せている。


 悪名と言うべきか……。


 文を届けるように頼まれたことにすれば右大将の側にいなくても怪しまれないだろう。


 しょっちゅう女に文を出してるだろうしな……。


 話を通したのは祖父ではなく弾正台の話を持ち掛けてきた『誰か』だろう。


 おそらく帝か上皇……。


 貴晴は溜息を()いた。


 一生関わりたくないと思っていたのに……。


「じゃあ、早速行こう……」

 何故か隆亮の方が乗り気で立ち上がった。


「隆亮、すまんが先に行っててくれるか」

「分かった」

 隆亮はそう言うと出ていった。


 貴晴が祖父に向き直る。


「隆亮にはどこまで話してあるんですか?」

 貴晴が訊ねると、

「私がお前を弾正台に推挙したと言うことだけだ」

 祖父が答えた。


「祖父上から話を持ち掛けたのですか!?」

 貴晴が気色ばむと、

「隆亮殿にはそう話してあると言うだけだ」

 祖父が「落ち着け」というように答える。


「では祖父上は話を持ち掛けられたのですね。どなたにですか」

「それが関係あるのか?」

「雇い主を知らずに働くことは出来ないでしょう」

 貴晴が答えた。


「お前が正式に弾正台になると決まったら教える」

 祖父の答えに貴晴は引き下がるしかなかった。


 身分の高い者を調べて、場合によっては摘発するかもしれないのだから迂闊(うかつ)に人に()らすわけにはいかないのは分かる。


 邸を出ると牛車の前で隆亮が待っていた。


 貴晴が隆亮に続いて牛車に乗ろうとした時、

「誰か!」

 女性の叫び声が聞こえてきた。


 檳榔毛(びろうげ)の車からだ。


 牛車の横を歩いていた男が驚いたように身体の向きを変えたが、別の男が、

「構わねぇ、このまま行くぞ!」

 と声を掛ける。

 どちらも牛飼童(うしかいわらわ)や貴族の使用人の格好ではない。


 牛車を盗もうとしているのか……!


「おい、お前ら!」

 貴晴(たかなり)は牛車に向かって駆け出した。


 男達は貴晴が一人と見て取るとこちらに向かってこようとした。

 貴族一人、どうということはないと思ったのだろう。


 だが、貴晴の後ろから隆亮(たかあき)と供の者達も付いてきているのを見ると慌てて逃げ出した。


 貴晴は牛車の横で足を止めたが、

「待て!」

 従者達は盗賊達を追い掛けていく。


 由太(ゆうた)が隣を駆け抜けた瞬間、

「捕らえるなよ」

 貴晴は由太にだけ聞こえる声で命じた。

 由太は前を向いたまま頷くとそのまま走っていった。


「大丈夫ですか?」

 貴晴はそう声を掛けてから御簾の下に見えている裾に気付いた。


 桜の(かさね)……。


 さっき管大納言の牛車の御簾から見えていた裾と同じ色の(かさね)だ。


 管大納言の大姫なのか……?


 貴晴はとっさに、

「花散らす 風はあらしと 思ふれど 過ぎ去りゆけば 心やすらへと」

 と詠じた。


 織子は車の中で歌を聞いてハッとした。


 さっきの人……!?


「風の()に おぼゆる人の 声聞けば (うれ)い去りしと 心やすらぐ」

 織子はが急いで歌を返す。


 やはりさっきの……!


 貴晴と織子が互いになんと言えばいいのか言葉を探している時、大納言家の随身と(おぼ)しき男達が駆け付けてきた。


「助かりました」

 随身の一人が貴晴達に礼を言った。


「どういう事だ! 何故姫から離れた!」

 隆亮が叱責する。


 そう言えば隆亮は随身達の上司か……。


「そ、それは……」

 随身達が困ったように顔を見合わせると、

「あ、それは私が用を頼んだので……」

 車の中から大姫が答えた。


「…………」

 貴晴と隆亮は視線を交わした。


「あ、あの……」

 大姫が困ったような声で言い掛けてから口籠(くちご)もる。

 大納言の随身は六人。


 大の男が六人も必要になる用……?


 大荷物を運ぶのでもない限り考えづらいし、どちらにしろそういうのは随身ではなくて使用人にさせるものだ。


 となると自分で人払いをしたのかもしれない。


 例えば男との逢瀬とかで……。


 男と二人きりになりたくて人払いをしたのなら随身達が揃っていなくてもおかしくはないが……。


 貴晴はさり気なく身体の向きを変えて牛車の前の御簾に視線を走らせた。

 男物の衣裳の裾は出ていない。


 貴晴が牛車の方に目を向けた時、辺りに盗賊以外の男はいなかったから一人で飛び降りて逃げたのでもないだろう。

 となると男が裾を中に引き込んで、はみ出さないように抱え込んでいるのでもない限り乗っていないという事だ。


「そういうことなら……お気を付けて」

 としか言いようがない。貴晴がそう声を掛けると、

「ありがとうございました」

 という大姫の声を残して牛車は向きを変えた。


 寺の方に戻っていく。管大納言の邸は反対方向だ。


 なんでわざわざ寺に戻るんだ?


 (いぶか)しみながら牛車を見つめていた貴晴は隆亮に促されて隆亮の牛車が止まっているところに戻った。



「どういう事!?」

 牛車に乗ってきた匡が織子を(とが)めた。

「どうと聞かれても……」

 織子が牛車を盗ませたわけではない。

 一番驚いたのも怖い思いをしたのも織子だ。


 それにしても……。


 前に牛車から降りた時は殺されそうになったから今回は中で大人しくていていたのに……。


 牛車には嫌な思い出しか……。


 そう思い掛けてさっき助けてくれた人のことを思い出した。

 まさか誰かと歌のやりとりが出来るとは思わなかった。


 歌のやりとりなんて物語の中でしかあり得ないと思ってたのに……。

 お互い姿が見えないのに歌だけで思いを伝え合うなんて……。


 そう思うと胸がときめいた。

 もっとも、これで終わりなのだが――。


 下の句を詠んだ時もさっきも、お互いどこの誰か知らないのだ。

 もし次の機会があったとしてもそれがさっきの人かどうかは知りようがない。

 まさか合い言葉みたいに今朝の歌の下の句と上の句を言い合って確かめるわけにもいかない。

 出来なくはないがあまり様にならない。


 きっと一度だけの思い出にしておいた方がいいのだろう。

 思い出はいつまでも綺麗なままだ。

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