哀傷
「弾正台が弾劾できるのは官人だけ――」
貴晴が言った。
女御は官人ではない。
「――その官人も左大臣までです」
貴晴が言葉を続ける。
左大臣より上の太政大臣や摂政、関白は弾劾できない。
妃は左大臣どころか太政大臣や摂政、関白よりも上である。
女御は妃の中で最も身分が高い。
一番身分が高いのは皇后だが、その皇后も女御の中から立てられるのだ。
女御というのはそれくらい身分が高い。
「女御よりも身分が高ければ問題がないであろう」
と言った帝に、
「それは帝くらいでしょう」
貴晴が言葉を返す。
流罪にされても仕方がないくらい無礼な物言いだがどうせつつじの君と結ばれることが出来なかったら出家しようと思っていたのだ。
つつじの君の入内は決定してしまっているようだし……。
流された先で出家しよう……。
死罪がないからどれだけ重い罪でも流罪なのだ。
罪の重さに応じて流される先が遠くなると言うだけで。
どんな鄙びたところだろうと寺くらいあるだろう。
貴晴は都に執着はないから鄙びた地で歌を詠みながら暮らすのも苦にならない。
「春宮もだ。次の帝だからな。だから、そなたを弾正台に補したのだ」
「ご冗談でしょう」
「織子は春宮が即位する前に内裏に戻ることになる。女御をそのままにしておいたら心配ではないか」
「卑怯でしょう! 私からつつじの君を取り上げておいて……!」
内親王は親王か四世までの王にしか嫁げない。
例外的に臣籍降嫁することはあるが公卿の中でも特に身分が高い貴族――摂関家の大臣の息子でもない限りあり得ない。
「取り上げてはいない。春宮への入内は決まったが相手が今の春宮とは……」
「主上!」
思わず声を荒げると祖父が咎めるような視線を向けてきた。
「お伺いしても?」
貴晴はなんとか声を抑えて訊ねた。
「構わぬ。話せ」
「なぜ私を春宮に? 春宮に母である女御を弾劾させるのは忍びないとか、他の貴族の手から守りたいとかいうことでしたら……」
「……女御は皆、貴族が送り込んできた妃だ。更衣も、尚侍も御匣殿も……」
『女御と更衣はともかく、尚侍と御匣殿は女官(使用人)なのだから当たり前でしょう』と言いたいのをかろうじて堪えた。
尚侍と御匣殿は妃みたいなものとして扱われる、というか、少なくとも娘を出仕させる親は帝の手が着いて子供が出来るのを期待しているが本来は帝の世話をする女官なのである。
「朕が自ら選べた者は誰もいない」
帝の言葉に、
私の母のことも自ら望んだわけではないとでも言うつもりか!
貴晴はそう怒鳴り付けそうになるのを必死で堪えた。
実際、手を付けても女官にすらせず、身籠もったと知るや父に押し付けたのはそういう事なのだろう。
帝にとって母は選んだうちにも入らない取るに足らない女だったのだ。
「せめて春宮だけは自ら選びたいのだ」
「そんな理由で!?」
「貴晴! 言葉が過ぎるぞ!」
祖父から叱責が飛ぶ。
貴晴は頭痛を覚えた。
選ぶと言っても親王宣下されている皇子で存命中なのは一人だけ。
その親王が嫌だとなれば残るは外で作った隠し子しかいない。
まさか、そんなしょうもない理由だったなんて……。
頭痛どころの騒ぎではない――。
眩暈がする……。
「春宮に何か問題があるわけでもなく、私が春宮よりも秀でているというわけでもなく……」
「お前にはなんの実績もないだろう。歌が少々得意というだけで」
祖父が言った。
悪かったな……。
本当のことだから反論のしようがないのだが――。
言い訳になるが十八で突出した実績を作るのは誰にでも出来ることではない。
それでも、大きな仕事を任せてもらえるような職掌(仕事)ならなんとかなるかもしれないが、貴晴は一応貴族を名乗れる程度だから官職があったとしても下働きみたいな仕事しか与えられないだろう。
それで十八歳までに突出した実績を作れるほど有能だなどとは自惚れていない。
今回の弾正台が初めてした仕事だから、別の仕事を与えられていたら何かすごい才能を発揮して途轍もない実績を作る、という可能性もなくはないだろうが……。
まぁないな……。
内裏から帰る途中の牛車の中は沈黙に包まれていた。
隆亮は、貴晴に何かあったと察してくれたのか、いつもの軽口を叩かず黙っている。
貴晴が溜息を吐いた時、牛車が止まった。
前簾の隙間から覗くと前に青い糸毛車が止まっている。
追い越すわけにはいかないので貴晴の牛車も止まったらしい。
糸毛車というのは四位以上の檳榔毛の車よりも更に身分が高い者が乗る牛車で、身分によって車体の色が違う。
青糸毛は皇后と春宮だが、妃でも更衣や尚侍などは紫糸毛だ。
今、皇后はいない。
春宮が乗っている可能性がなくもないが……。
「早く麻呂を連れてきなさい!」
車の中から女性が大声を上げ、随身らしい官人達が猫を追い掛けて走り回っている。
麻呂……?
だとしたら、あの牛車に乗っているのは女御か……!?




