恋 二
貴晴が驚いて振り返る。
暗くてよく見えないが室内に織子がいた。
「つつじの君!? あの時もつつじの君だったのですか!?」
「はい。あれは多田様だったのですね」
織子はそう言うと、しばらく口を噤んでいた。
「あの、今日は内大臣家には行かれないのですか?」
やがて織子が躊躇いがちに訊ねてきた。
「もう用はありませんので」
「用? 多田様は内大臣家の婿になられたのですよね?」
織子が訊ねる。
「は!? まさか!?」
貴晴が驚いて織子の方を見た。
「でも……三日続けて内大臣家に通われたと」
「いえ、私は警護に行っていただけで……。内大臣の中の姫はずっと別邸に行かれていて居ませんでしたし……私はまだ餅を食べたことはありません」
ここでいう『餅』というのは『三箇夜餅』のことである。
三日間通うと正式な婿と認められて『三箇夜餅』という餅が出されるのだ。
そして『露顕』と言われるお披露目の宴をする。
その時に婿は妻の家の用意した衣裳に着替えるのだ。
貴晴は自分が着ているものを見下ろした。
多田家が仕立てたものなら大して良いものではないから『内大臣家の婿がこんな粗末な衣裳の訳がないでしょう』と言えるのだが、今着ているのは祖父が用意したものだからかなり上等なものなのだ。
粗末とはほど遠い。
織子は貴晴の衣裳に目を向けた。
「同じものですね」
織子の言葉に、
「えっ!? な、何が、何を、その……」
貴晴は動転した。
まさか、内大臣家の誰かが同じようなものを着ているのか!?
「以前、助けていただいた時の狩衣の紋と。それにお色も……」
織子が答える。
つまり内大臣家に通い始める前と後で変わっていない――内大臣家が用意した衣裳ではない、という意味だと気付く。
衣裳が替わっていないなら婿入りはしていないということになる。
貴晴は胸を撫で下ろした。
「あの……その狩衣のお色ですけど……」
織子が控えめな口調で訊ねてきた。
禁色だから疑問に思ったのだろう。
「これは……」
貴晴が『色を許されたのです』と答えようとした時、
「それは春宮しか身に着けられないお色と聞いていますが……」
織子が言った。
「え……!?」
「だから義母は多田様の狩衣のお袖を見て父の形見だと思ったようです」
前の帝のものと間違えたと言うことは織子の父が似たようなものを着ていたのだ。
ということは許す許さないではない。
本来なら貴族では絶対に着られない色ということだ。
まさか祖父上が送ってきた衣裳が春宮しか身に着けられない色のものだったとは……。
となると、これを送ってきたのは祖父ではなく帝なのだろう。
春宮に、という話は本気で、しかもまだ諦めてないということになる。
「多田様は春宮様なのですか?」
織子が期待するような声で訊ねてきた。
貴晴が春宮なら織子が入内する相手は貴晴ということになる。
だから織子は微かな期待を込めて訊ねてみたのだ。
やはり、つつじの君も春宮の方がいいのか……?
いや、春宮への入内の話を聞いた後なんだから私が春宮なら嫁ぐ相手は私だと期待したと言うことか?
ただ……。
貴晴は首を傾げた。
「あの……つつじの君は春宮をご存じなのでは?」
「いいえ、私が都を離れたのは四歳の頃ですから……お目に掛かったことがあったとしても覚えては……」
「いえ、春の花見で管大納言の大姫が春宮がお近くにいるときに歌を詠まれたと聞きましたが」
貴晴が言った。
「ああ、それは姉です。多田様が文を贈ってこられていた……」
「今の下の句は……」
「私です。姉と一緒に歌会に行くことがあって……あのときは同じ車に乗っていたんです」
「では大姫というのは……」
「義母の娘で、私の母方の従姉に当たる方です。」
織子が答えた。
「みよしのの、という歌は、てっきりつつじの君が作られたのだと……」
「はい。私が代詠した歌です。姉はお歌が得意ではないので……」
織子が言った。
では大姫が詠んだとされる歌はどれも織子の代詠ということになる。
ということは貴晴が想っていたのは織子一人ということだ。
理想の妻の条件の一つが『趣味が合うこと』である。
他の条件は『見目麗しい(つまり美人)』、『染色や裁縫など衣裳を作るのが上手い』、『財産があり出世の手伝いを出来ること』だ。
趣味が合い、見た目が好み。それに以前、狩衣の袖を破いたとき話した感じからして裁縫なども出来るだろう。
貴晴は出世には興味がないから財産や出世の手伝いはいらない。
となると織子は理想の妻の条件を全て満たしているということになる。
大姫とつつじの君が同じ人物でなかったことを喜んだが、こうなると別人の方が良かった……。
いや、歌が得意ではないなら別人でも意味はないか……。
貴晴にとって大事なのは『趣味(歌が好き)が合う』という部分なのだ。
他はどうでもいい。
顔がいいとか裁縫が得意というのも、別にあってもいいという程度のものだ。




