冬 十
「さら……? 祖父上、つつじの君の名前は違います」
大納言の邸の前にいた女性が『しきこ』と言っていたはずだ。
「いえ、織姫の『織』って書いて『さら』って読むんです」
織子の言葉に貴晴が振り返る。
更紗織の『さら』か……?
女性の名前は予想も付かない読み方をすることが多い。
『明子』とかいて『あきらけいこ』とか『兄子』、『亀子』などである。
それはともかく、内親王なら名前に『子』が付いていたのも納得がいく。
『子』が付くのは皇族か帝の妃、もしくは官位がある貴族の女性なのだ。
出仕している女官でも官位がないことは珍しくない。
まして出仕していない女性が官位を持っていることは滅多にない。
「『しきこ』と名乗ってたのは義母にそう言われたからで……」
「内親王様という事を知られないようにと言う配慮でしょう。襲撃された後、どちらに?」
祖父が訊ねる。
「叔母の養女に……」
「内親王様の叔母君ということは管大納言の北の方ですか?」
「はい」
織子がそう答えると祖父が深々と溜息を吐いた。
「まさか、お身内の元にいらしたとは……ですが、都の外からどうやって……」
「侍女が送ってくれました」
「なるほど。一人は忠義のある者がいたようですね」
祖父が言った。
そうか……。
確かに内親王なら随身が随いていたはずだから本来なら襲撃された上に生死不明になるというのは考えづらい。
侍女が織子を随身達にも見付からないように密かに連れ出したから行方不明と言うことに出来たのだろう。
「通常、退下された斎王は帝がお世話するのですが――」
祖父が話を続けた。
世話をすると言うのは養うという意味である。
退下した斎王には帝から生活に困らないだけの領地を与えられるのだ。
「帝が織子内親王様には内裏にお引き取りしたいと……」
「え……」
織子が戸惑ったような声を出す。
「お待ち下さい! まさか内裏でまで斎王の真似事をさせる気ですか! 二年前の帝の病は斎王の退下とは……」
「そうではない。春宮の妃に迎えたいと……」
「は!?」
「え!?」
貴晴と織子が同時に声を上げる。
「貴族の娘が皇后になればその娘の父親が権力を持つ。皇族でなければ皇后になれなかった頃にはそのようなことはなかった」
祖父の言葉に、
「冗談じゃない! 斎王を押し付けた上に襲撃されたあと何もしなかったから、その罪滅ぼしのつもりかと思えば……! 見付けた途端利用しようとするなんて……!」
貴晴が激昂する。
「何もしなかったわけではない。手を尽くしてお探ししていた」
「叔母上のところにすら行かなかったのに?」
「もちろん行った。何度も。しかし内親王様はいらっしゃらないと……」
侍女が襲撃したことを話していたなら身内でもない祖父を警戒して教えなかったのは当然だろう。
「つつじの君も私も、敵には見付けられたのに祖父上には見付けられなかったなど……本気で探していなかっただけでしょう!」
貴晴が怒気を孕んだ声で言った。
二年前――
久美に騙されて殺されそうになった後、貴晴は助けてくれた郎党達と共に祖父の元に向かった。
「まさかこの時期に発覚するとはな……」
祖父が険しい顔をした。
「発覚? 久美は母上を恨めと言っていましたが……母上は一体何をなさったのですか!?」
「お前の母が何かしたわけではない。お前が狙われるのは父君が帝だからだ」
祖父が言った。
「冗談はおやめ下さい。母は父がいながら帝と通じたと?」
貴晴は呆れて祖父を見た。
「身籠もったことが分かったから、お前の父を婿にしたのだ。ただでさえ色々揉めていたのにそのうえ妃でも女官でもない者に子供が出来たとなっては更にお立場が悪くなるからな」
春宮には後宮がないのだが妃を持つことは出来るし女官に手が付くこともある。
そもそも帝が即位した時に立てられる斎王は本来、当の帝の娘である内親王がなるものだった。
当然、即位した時に娘がいることが前提である。
そして春宮が邸に泊まりに来たと言うことはその頃の祖父は既に公卿だったということだろうし、それなら妃は無理でも女官にすることは出来ただろう。
だが帝――当時の春宮――はしなかったのだ。揉めるのが嫌で。
そして帝と祖父は父に子供(貴晴)を押し付けた。祖父の話が本当なら。
「つまり祖父上は私が帝の落胤だとでも言いたいのですか?」
「そうだ」
「祖父上……」
「私の一人娘の婿が木っ端役人なのをおかしいと思ったことはないのか」
祖父が貴晴を遮る。
「出世のために身分の高い姫の婿になるのは普通でしょう」
貴晴が言い返す。
「お前の父は出世してるか?」
「それは祖父上が援助されないからでしょう」
その点に関しては貴晴は祖父が恨めしかった。
出世というのは本人の名誉だけの話ではない。
官位や官職で収入が決まる。
つまり家族にとっても生活がかかってるから夫や父親には出世してもらわなければ困るのだ。




