冬 二
「姫様、外へ!」
侍女がそう言って織子を牛車の外に突き飛ばす。
織子は牛車から転がり落ちた。
目の前に地面が迫ってくる。
ぶつかる!
織子は目を瞑った。
だが、いつまでたっても衝撃はない。
誰かが受け止めてくれたのだ。
目を開けようとした時、顔の上に御簾が落ちてきた。
受け止めてくれた人が織子を地面に下ろす。
「御簾を取るなよ!」
と言う男の人の声がした後、叫び声や金属がぶつかるような音が聞こえてきた。
織子は恐ろしさに目を瞑った。
「伏せろ!」
不意に遠くから声がした。
誰かに地面に押し倒された。
その誰かが上に被さっている。
そして風を切る音がたくさん聞こえ、周りで男の人達の叫び声が上がる。
何が起きているか分からないまま織子は怖くて泣き出した。
織子が泣いていると、
「お小さいようですし、歌でも歌って差し上げては」
と言う声が聞こえた。
いつしか辺りは静かになっていた。
「歌ねぇ……」
助けてくれた男の人がそう言ったかと思うと、
「秋萩に 鹿ぞな鳴きそ 妻を恋ふ 涙の露で 枝が折れなむ」
と歌を詠んだ。
「違うだろ!」
別の男の人の声がした。
「え……?」
「こういうときに歌って言ったら子守唄とかだろうが!」
「そこまで小さくないだろ」
「歌のやりとりするような年でもないだろ!」
「…………」
な泣きそ……。
(泣かないで……)
「どうか、泣かないでおくれ」
その人はそう言うと、こちらに身を乗り出して頭を撫でながら歌を詠んだ。
「白浪の 織姫な泣きそ かささぎの 橋ぞ流るる 溢る涙に」
(泣かないで、かささぎが架けた橋が流れてしまうよ)
あれは……。
「父……様……」
織子の身体の震えが止まった。
「露散らす 萩の枝ゆらす 玉垂に 覚ゆる人を うつらましかば」
(萩の枝に宿っている露が懐かしい人を写して見せてくれればいいのに)
織子は思わず口にしていた。
その時、
「ご無事ですか?」
また別の男の人の声がした。
一体何人いるのかしら……。
織子が首を傾げる。
牛車の中から覗いた時は建物もろくにない場所に見えたのに。
「ああ、助かった」
助けてくれた人がそう答えたが、
「姫様?」
と男の人が言った。
織子は頭から御簾を取るとおそるおそる顔を上げた。
見慣れた姿に安心する。
この男性は知らないが、冠に緌、衣裳は位襖という武官が着用する束帯と言う出で立ちだった。
位襖を着ているということは随身だ。
「ご無事ですか?」
随身が再度声を掛けてくる。
織子は頷いた。
「ではこちらへ」
浅緋の位襖を着ている随身がそう言うと、下馬した深緑の位襖の随身が近付いてきて織子を馬に乗せた。
「姫様……。姫様……」
深夜、織子は侍女に起こされた。
「どうしたの?」
「お静かに」
侍女が声を潜めて言った。
「このまま都へ入るのは危のうございます。いつ、昼間のようなことがあるともしれませぬ」
「でも、どうすれば……」
行くあてなどない。
都に織子が知っている人は誰もいない。
「姫様のご親戚のところへお向かいください」
「……私が行くことをご存じなの?」
「はい、お知らせしてあります。お送り致しますのでこちらへ……」
織子は侍女に連れられて邸の外に出た。
親戚の邸に着くとそこへ織子を連れてきた侍女はどこかへ行ってしまった。
そして織子は母の妹の養女になった。
朝――
織子は目を覚ました。
昨日、ヘビを見たから昔のことを思い出したのかしら……。
織子が都に来る前に住んでいたところではヘビは神の使いとされていたのだ。
「浮かれてるな」
隆亮が言った。
「大姫とつつじの君は別人だったんだ」
貴晴は隆亮につつじの君と会った時の話をした。
「牛車を止めた?」
「ああ。ヘビが怖いのに神様の使いだから轢かないでくれって。優しいよな」
「それで、ぽーっとなってたのか」
隆亮が笑う。
なんとでも言え……。
妻が二人もいる隆亮からしたら可笑しいのかもしれないが――。
大姫は間違いなく歌会に出ていたと言うからつつじの君とは別人だと分かったのだ。
「あのヘビのお陰でつつじの君と再会出来たし、確かに神様の使いかもしれないな」
「つまり大姫が入内してもつつじの君がいるって事か」
「人聞きの悪い言い方をするな」
貴晴はそう言ってから、
「つつじの君も姫って呼ばれてたが、大姫の妹なのか?」
と続けた。
「さぁ?」
隆亮はそう言って首を傾げた後、
「しかし、私が泊まりに来ると襲撃がないんだな」
と言った。
そういえば、ずっと襲撃がなくて来たのは隆亮がいなかった晩だ。
こいつ戦うの好きだな……。
そもそも知り合ったのも戦ってるところに入ってきたからだし……。
「歌を送ってきたのも謎だしな」
貴晴が答える。
「歌?」
「襲撃予告をしてきたんだ」
貴晴は歌を見せた。
〝望月の 沈む山の端 をぐるまの にしきの紋の 門は開くかと〟
「…………」
歌を見た隆亮が黙り込む。
「どうかしたか?」
貴晴が訊ねた。
「これは予告じゃないんじゃないか?」
「え?」
「これは『錦』と『西』を掛けてるんじゃないか? で、丑の刻に西の門を開けろって意味じゃないのか? 多分、姫との逢引を手引きしている侍女に送ったんだろ」
『をぐるまの』は枕詞で『錦』、『わかれ』、『うし』は被枕(枕詞の直後に来る言葉)なのである。




