秋 十二
「由太! 飛び降りるぞ!」
貴晴は由太に声を掛けた。
「はい!」
貴晴と由太は続いて後ろから飛び降りた。
ぐっ……!
地面に勢いよく叩き付けられる。
一瞬、気が遠くなり掛けた。
背後で何かが砕けるような大きな音がした。
石段にぶつかった牛車が壊れたのだろう。
当然だが牛車だけではなく牛も生きてはいないはずだ。
牛車も牛も高いんだが……。
祖父上は新しい牛と車を買ってくださるだろうか……?
仕事で必要な費用は全て持ち出しなのだ。
公式行事の準備をしていた役人が束帯(正装)ではないという理由で追い返されたという話を聞いたことがある。
束帯も自腹で揃えなければならないが下級の役人ではそんな高価な衣裳は持っていなかったので着られなかったのだ。
それくらいだから牛車が壊れた場合も新しく買うとなれば金は父か貴晴が出さなければならない。祖父が出してくれなければ、だが。
貴晴が溜息を吐いた時、
「若様!」
由太が声を上げた。
見ると向こうから男達が駆け寄ってくる。
人相も身形も悪い。
貴晴を狙っているのだろう。
しかし男達は息を切らしている。
牛が走り出すことは予期してなかったようだ。
襲撃しようとしてうっかり暴走させてしまい、慌てて走って追い掛けてきたのだろう
仕切り直せばいいだろうに……。
運が良ければ――貴晴達にとっては悪ければ――暴走した牛車が壊れた時に死んでいたかもしれないのだ。
急ぎでないのなら生死を確認してからでも遅くないと思うのだが――。
とはいえ、貴晴と由太も武器がない。
牛車の中では太刀は外していたし、持って飛び降りるのは危険だったから置いてきてしまった。
「由太、牛車――の残骸から太刀を拾ってこい」
「若様はどうするんですか!?」
「ここで連中を食い止める」
「それは私が……!」
「裾を良く見ろ。どっちが速く走れると思う」
貴晴の裾は一応足首のところで結んであるが、由太の裾は貴晴より短いから走るとき邪魔になりづらい。貴晴と比べたら。
「では一緒に行きましょう……」
「追い付かれたら二人共やられるだろ。いいから早く行け!」
貴晴の叱責に由太は一瞬躊躇ってから、
「危なくなったら逃げてくださいよ!」
と言って駆け出した。
貴晴は走ってくる男達に目を向けると屈んで小石を拾った。
ついでに手の中に入る程度の短い小枝も掴む。
一番近くまで来た男が刀を振り上げる。
立ち上がりざま、その男に小石を投げ付ける。
顔に石が当たった男が一瞬、怯んだ。
その隙に踏み込む。
男が刀を振り下ろす。
左足を引き、体を開いて避けると、男が振り下ろした刀の柄を抑え、もう一方の手で小枝を男の手の甲に突き刺す。
「うっ」
男の力が一瞬、緩む。
貴晴は男の刀を奪った。
その刀を男の首に突き立てる。
刀を引きながら男の腹を蹴り飛ばす。
男が首から血を吹き出しながら倒れた。
貴晴は別の男に駆け寄ると、その男の後ろに別の男が近付いてくるのを見計らって刀を男の腹に突き立てた。
だが刀の切っ先が鈍かったのか、手前の男の腹は貫通したものの後ろの男はかすり傷だったようだ。
「ちっ」
貴晴は刀から手を離すと手前の男を蹴り飛ばした。
男が後ろの男にぶつかる。
「若様!」
振り返ると由太が太刀を投げてよこした。
貴晴は太刀を掴むと石突(鞘の先端)で敵の鳩尾を突く。
よろけた敵を抜刀しながら斬り上げる。
敵が血を吹き出しながら倒れる。
その勢いのまま身体を反転させて別の男を袈裟に斬り下ろす。
貴晴は残心の構えで辺りを見回したが敵は全員倒したようだった。
織子は牛車の中であくびを噛み殺した。
眠いが手形から手を離したら揺れた時に引っくり返ってしまうから寝るわけにはいかないのだ。
歌会からの帰りだった。
何も二回もお月見をしなくても……。
織子は再度あくびを抑える。
今年は八月の後に閏月の八月があるので先月だけではなく今月も仲秋の観月会があったのだ。
眠い……。
織子がそう思った時、牛車が止まった。
「あら、もう着いたの?」
匡の侍女が牛飼童に訊ねた。
「いえ、内大臣の邸の前に牛車が止まってて……」
牛飼童が答えた。
内大臣……。
「あ、降りたようです」
牛飼童がまた牛を歩かせ始める。
織子は御簾から外を覗いた。
月に雲が掛かっていて辺りは真っ暗だ。
これではお顔は分からないかしら……。
そう思った時、雲が晴れて月の光が周囲を明るく照らし、邸に入っていく男の顔が浮かび上がった。
多田様……。
織子は信じられない思いで目を凝らした。
内大臣家に婿入りしたというのは本当だったのね……。
行きに分かっていればさっきのお寺で出家したのに……。
織子は溜息を吐いた。
「若様」
由太が小さな声で貴晴を呼んだ。
「なんだ」
「こんなものが庭に落ちていたそうです」
〝望月の 沈む山の端 をぐるまの にしきの紋の 門は開くかと〟
(をぐるま=牛車(小車)は牛が引くことから牛→丑の刻、門は開く=中に入る→押し入る)
襲撃の予告か……。
「紙を持ってこさせろ。それと弓も」
〝をぐるまの わかれをつげる うしのおと 君は帰らじ 我の元から〟
(ここへ来たら二度と帰れないと思え)
貴晴は紙を矢に結び付けると、
「矢はどっちから飛んできた?」
と郎党に訊ねた。
「あちらからです」
郎党が西を指す。
貴晴はそちらに向かって弓を構え、目一杯引き絞ると矢を放った。
「由太、今夜来るぞ。郎党達に準備させとけ」
「はい」
月を見上げるとわずかに西に傾き始めている。
そろそろ丑の刻か……。
そう思った時、男達の声がしたかと思うと何本もの矢が風を切る音が聞こえた。
貴晴の郎党達が一斉に矢を放ったのだ。
塀の向こうから矢に当たったらしい男達の叫び声がする。
「一人でも多くの賊を仕留めろ!」
由太が郎党に指示をする。
更に多くの矢が放たれ、塀の向こうで男達の悲鳴が上がる。
「引け!」と言う声と「おい、逃げるな!」という声が交錯する。
どうやら敵は浮き足立っているようだ。
「由太、縄の用意は?」
「全員捕縛しても余るくらいあります」
由太の答えに貴晴は頷いた。
さすが由太は良く出来る。
縄の準備がしてあったなら生け捕りにするよう指示してあるはずだ。
せめて賊を捕らえて祖父上から新しい牛車を買っていただかなければ……。
しかし――。
あんな文をよこしたら待ち伏せされることくらい分からなかったのだろうか?
貴晴は首を傾げた。




