秋 四
木の陰にいた男が公達に向かっていくのが織子の目に映った。
「危ない!」
織子の声に公達は右から斬り掛かってきた男の方を振り返る。
だが左からも敵が向かっていく。
あの方、気付いていない……!
どうしよう……!?
思わず手を握り締めて扇を持っていることに気付いた。
これ……!
あの公達は刀を敵に投げていた。
「えいっ!」
織子は扇を敵に投げた。
扇が狙いとは違う方向に飛んでいく。
「あっ……!」
しまった……!
だが扇は物陰にいた男に当たった。
織子も気付いていなかった男だ。
貴晴は背後で何かがぶつかった物音に振り返りざま逆袈裟に斬り上げた。
敵が振り下ろした刀が太刀とぶつかり金属音を立てる。
そのまま刀を弾いて袈裟に斬り下ろそうとしたが敵の肩に僅かに食い込んだだけで止まってしまった。
敵が刀を振り下ろす。
貴晴は太刀から手を離して後ろに跳びさすった。
敵の刀が空を切る。
貴晴は敵の方に踏み込むと左手で敵の手首を押さえて右手で顔面を殴り付けた。
敵がよろけたところを駆け寄ってきた由太が斬り付ける。
「若様!」
由太が横に視線を走らせる。
視線の先に牛車に向かっていく男が見えた。
貴晴は敵の太刀を拾うと牛車に向かって走った。
「伏せろ!」
貴晴の言葉に織子が床に伏せる。
敵の刃が届く寸前、貴晴が首を刎ねる。
首から大量の血を噴き出しながら敵が倒れた。
白い檳榔毛の車が血で赤く染まる。
貴晴は刀を構えたまま辺りを見回した。
どうやら敵は全員倒したようだ。
「もう大丈夫です」
貴晴が声を掛ける。
織子は牛車の中で身体を起こした。
「あ、でも外は見ない方がいいでしょう。その……姫君は見ない方が……」
その言葉に織子はハッとした。
〝姫君は見ない方が……〟
以前、助けてくれた人と同じ……。
お声も似ているような……。
織子は、そっと御簾から覗いて男性を見た。
「あっ……!」
男性の顔を見た織子は声を上げた。
「え?」
貴晴は女性の驚いたような声に思わず後ろを振り返った。
また誰かが襲い掛かってきたのかと思ったのだ。
だが辺りに視線を走らせても不審な者は誰もいない。
「あの、この前の検非違使の……」
女性の言葉に貴晴は首を傾げる。
「いえ、私は検非違使ではありませんが……」
「では狩衣のお袖……」
「つつじの君!?」
貴晴が驚いて声を上げる。
「え……? つつじ……?」
織子が戸惑う。
お互いの話が噛み合ってない……。
人違い……?
貴晴と織子は黙り込んだ。
「ええと、なぜ検非違使だと思われたのか分かりませんが……」
「義母が検非違使の方は裏地が黄色だと……」
「ああ、なるほど」
そういえば検非違使も五位の弾正台も裏地が黄色だ。
そのためか祖父が送ってきた狩衣の裏地が黄色だった。
だが弾正台なのは秘密だし、かといって検非違使だと偽るわけにも……。
「ええと……あの時、つつじの襲を着ていらした姫君ですか?」
貴晴は女性の言葉には答えずに訊ねた。
「つつじの襲? そういえば五月頃でしたね」
織子が曖昧に答える。
あのとき何を着ていたか覚えていないが、あの頃ならつつじの襲を着ていたかもしれない。
この答えではこの姫がつつじの君なのか分からない。
貴晴はどう考えればいいか分からず答えに詰まった。
狩衣の袖の裏地の色を知っているならつつじの君だと思うが……。
貴晴が答えあぐねていると、
「若様……」
由太の呼ぶ声が聞こえた。
「姫様、寺に向かいます」
牛飼童も車の中に声を掛けた。牛が歩き始める。
「あ……」
貴晴が見ている間に牛車が離れていく。
御簾の隙間から見える男性が遠ざかる。
またお名前も聞けないまま……。
やはりあの方とはご縁がないのかしら……。
織子は溜息を吐いた。
「なのりその 汝は名を告げず 吾も告げず 誰そ彼と問ふ 声は消えなむ」
(あなたは名乗ってくれず、私も言わず、誰かと訊ねる声は黄昏に消えてしまった)
貴晴はその歌を聞いてハッとする。
この歌……!
咄嗟に声を掛けようとしたが牛車は既に闇の中に消えていた。
今のは管大納言の大姫か……!?
つつじの君じゃなかったのか?
「若様、石見様が……」
由太の呼ぶ声に貴晴は牛車が消えた方を振り返りながらそちらに向かった。
翌日――
「つつじの君かと思ったんだが、管大納言の大姫かもしれないんだ」
「なんの話だ」
隆亮が聞き返す。
貴晴は隆亮と共に牛車の中にいた。
内大臣が貴晴に会いたいと言ってきたとかで邸に向かう途中なのだ。
「昨日、寺の近くで会った姫だ。その寺で歌会があって管大納言の大姫が出ていたらしいんだ」
「つつじの君というのは前に話していた?」
隆亮の問いに貴晴は頷いた。
「狩衣の袖の裏地の色を知っていたからつつじの君だと思ったんだが、別れ際に歌を詠んだということは大姫なのかもしれないと……」
「その二人は別人なのか?」
隆亮が言った。
「え?」
「同時に会ったことはないんだろ。それなら大姫がつつじの君という事はないのか?」
隆亮の指摘に貴晴は黙り込んだ。
そう言われてみればそうだ。
それに以前、大姫の返歌を聞いた時、つつじの君が脳裏に浮かんだ。
あれは声が似ていたからかもしれない。
そんな話をしているうちに牛車が内大臣家に着いた。
「頼みたいことがある」
内大臣が言った。
「姫が入内するまでこの邸を警護してほしい」
「それは随身を増やしてもらうか郎党をお雇いください」
貴晴が答える。
「随身は増やせないと言われた」
まぁそう簡単には増やしてもらえないだろう……。
随身というのは役人だから役職毎に派遣してもらえる人数が決まっているのだ。




