秋 一
〝躑躅花 匂へる君を 我想ひ 襲を涙で くれなゐに染む〟
「今は秋だぞ」
隆亮が貴晴の机の上に置いてあった紙を見て言った。
「だから出してないだろ」
「そうか、じゃあ来年……」
「誰だか分からないんだ」
「え、管大納言の大姫じゃないのか?」
隆亮の問いに貴晴は以前会ったつつじの君の話をした。
「他の姫に詠んだ歌を送るわけにはいかないだろ」
貴晴の言葉に、
「気付かれなきゃ大丈夫だろ」
隆亮が言った。
「お前っ!? 他の姫に詠んだ歌を別の姫に贈ったことがあるのか!?」
「お前と一緒にするな」
「私は贈ってないぞ……まだ」
実は少し手直しして贈ろうか迷ったのは黙っていた。
「私は必要もないのに歌を詠んだりしないんだよ」
「お前、ホントに出世する気ないんだな」
貴晴は呆れた。
以前も一緒に出家しようなどと言っていたが本気だったのか……?
歌が必要なのは恋愛だけではない。
明けましておめでとうも、誕生日おめでとうも、出産のお祝いも長寿のお祝いも旅立ちの見送りもお悔やみも、なんなら宴でも歌を詠むものなのだ。
嫌がらせをされて歌でやり込めたという話にも事欠かない。
それくらい歌はよく詠む。
「しっかし、お前、全然女嫌いじゃないだろ。女嫌いなんてどっから出てきた」
隆亮が言った。
「女は信用ならない」
「男はなるとでも? 乳母子が忠実だなんてのは御伽話だぞ」
隆亮はそう言ってからいつも一緒にいる五郎を指した。
「こいつは私の乳母子にしてはふけてると思ったことはないか?」
「おい、試されてるぞ」
貴晴が五郎に言った。
「私は乳母子ではありません」
五郎が否定する。
そうだったのか……。
「二年前、お前と初めて会った時のことを覚えてるか?」
貴晴が隆亮に言った。
「ああ、侍女に騙されて殺されかけたんだったな。もしかして、その侍女に懸想してたのか? お前、意外と惚れっぽいな」
「失礼なことを言うな。侍女は関係ない」
貴晴はそう否定してから、
「私を騙していたのは……母上だ」
と言った。
……それと、祖父上。
貴晴は心の中で付け加えた。
「織子様、これを」
義母が織子に紙の束を渡した。
その中にきれいな色の紙があった。
裏返してみると歌が書いてある。
〝七夕に かささぎを待つ 天の川 我の思いを 君は知らずや〟
多田様からのお文……!
返事を待っているという恋の歌だが、義母や匡の乳母などに『いい加減、大姫に文を渡してくれ』という催促もあるのだろう。
「あの! これ、お返事は……?」
「しませんよ」
義母があっさり言った。
やっぱり……。
織子は肩を落とした。
返事をするなら返歌を詠むように言われたはずだ。
織子は紙の束を抱えて部屋に戻ると貴晴からの文を開いた。
文を読んで思わずどきどきしてしまってから匡宛だという事を思い出す。
でも……。
部屋に戻ってくる途中で笹が捨ててあるのを見た。
きっとこの文はあの笹に結んで届けられたのだろう。
貴晴が懸想しているのは匡であって織子ではない。
牛車の中で歌のやりとりをしたのは織子だが貴晴は知らないはずだし、仮に知ったとしても妻にしたいと思うのは大納言の姫の匡だろう。
それでも……。
貴晴に諦めないでもらうために織子は返歌を考え始めた。
貴晴は郎党達を使って親王や公卿などの邸を探らせていたが捗々しい成果はなかった。
「お前が歩き回ったところで意味はないだろ」
隆亮が言った。
「そうなんだが……お前は何か噂を聞いていないか?」
貴晴は隆亮の邸で庭を見ながら答えた。
「貴族の姫が狙われてるからな、その噂で持ちきりなんだが塒や正体となると……」
隆亮も近衛府の同僚や知り合い達に聞いてくれているようだ。
貴晴は貴族との付き合いを絶っていたから聞き込みすら碌に出来ないので頼れるのは隆亮だけなのだ。
「そういえば、内大臣の姫の入内や主上の譲位の話も聞かないが……」
貴晴が言った。
春宮への入内はともかく、帝の譲位となれば庶民はともかく下級貴族にも関係があるから噂になるはずだ。
「どちらもまだ日にちは決まってないな」
近衛は内裏の警護が主な勤めである。
「陰陽師が日にちを占ってるんじゃないか?」
隆亮が言った。
何をするにも占いで日取りが決まるのである。
もちろん帝だけではなく妃になる姫も縁起のいい日にちを陰陽師に占ってもらってその日に入内するのだ。
とはいえ結果が出ていれば大分先であろうといつなのかは分かるはずだから、近衛の隆亮が知らないとなるとまだ占ってもいないということなのだろうか。
まぁ私には関係ないが……。
管大納言の大姫が関わっていないのなら貴晴にとってはどうでもいい。
「大姫もまだ入内は決まってないんだな」
「ああ。そもそも、まず願い出てそれが許可されてからだからな。大姫は願い出もまだだから」
隆亮の返事に貴晴は一先ずほっとしたものの、のんびりはしていられないはずだ。
大納言の大姫なら他にも求婚者はいるはずなのだ。
「由太、祖父上の邸に行く前に管大納言の邸の近くを通ってくれるか?」
貴晴は隆亮の邸からの帰り道、由太に言った。
由太が牛飼童に支持した。
「かささぎの――」
管大納言の邸の前まで来ると女性の声が聞こえてきた。
「――橋はなけれど 天の川 君の元へと 声を流さん」
これは私への返歌だ……。
間違いなく文を読んでくれている。
そして返歌も詠んでくれているのだ。
〝声を流さん〟
文は出せないので、(天の川に)声を流す(から届けてくれ)、と言っているのだ。
ならば……。
「出してくれ」
貴晴の言葉に由太が牛飼童に合図をした。
牛車が動き出す。
ふと貴晴の脳裏をつつじの襲の女性の面影がよぎった。
名前を聞かなかったのは失態だった……。
貴晴は溜息を吐いた。
まぁ大姫は返歌を詠んでくれているし……。




