1.初恋。そして君にー…
中学生の時に書いていた恋愛小説のリメイクです。
当時はケータイ小説がとても流行っていて、そこからだいぶ影響を受けています。
かっちりとした小説ではありませんが、ケータイ小説のような読みやすさを売りにしています。
気軽に読めると思うので、よかったら楽しんでください!
もし、君に出会わなかったら。
どんな人生を歩んでいたんだろう?
もし、君と過ごしていなかったなら。
どんな私になっていたんだろう?
そんなことを考えてしまう。
多分、ずっと、この先もー。
『由美ちゃんは俺の天使みたいだね』
暖かな風がふわりと靡いて、穏やかな声がわたしへ降り注ぐ。陽の光に髪の毛が透けて、キラキラと希望のように光っていた。
わたしは、今でもあの言葉を覚えている。
髪の毛はふわふわ、目がくりくりの男の子、夕梧と出会ったのは今から10年前。
『何してるの?』
少し高めの声に顔をあげると、そこには穏やかな表情でこちらを見つめる優しい顔立ちの男の子がいた。
田舎から急に引越してきたわたしは、友達がいなかった。毎日のように家の近くにある公園のベンチへ行ってうつむいて座り込む日々。そんな日常に突然その男の子は現れた。
『と、ともだち......いないの…』
弱々しい私の言葉を聞いた男の子は、綺麗な瞳をまんまるにしてすぐに微笑んだ。
『そんなの、おれが友達になってあげる!』
太陽みたいなまぶしい笑顔。その日からわたしの隣には常に夕梧が居た。居てくれた。
『夕梧くん、だいすき!』
わたしの初めての恋、初恋はー…。
ピピピピピピ!
目覚ましがうるさく鳴る。
「また、あの時の夢だ...」
わたしを起こそうと必死な携帯のアラームを止めながら、もう一度目を閉じる。あの時の景色、あの時の優しい匂い、吹いていた風の暖かさも全て覚えているはずなのに、夢では彼の姿を鮮明に映し出してはくれない。
「夢でも学校でも、会えたらいいのに...」
そう呟きながら、目を閉じ続ける。もう一度彼の夢を見たい。
「由美!高校初日に遅刻したいの!?」
「...っやば」
1階から聞こえてきたお母さんの声で慌てて我に返った。わたし、相田由美は、今日から元気な高校一年生!
普通の体型に、普通の成績。ただ、運だけはものすごく悪い…らしい。
「ふぁ〜…よいしょっと…」
ベッドから起きて、鏡で髪の毛を確認する。…案の定、鎖骨くらいまで伸びた髪の毛はボサボサ。外に跳ねまくっている。まあ寝起きだし仕方ない、髪の毛を梳かそう。そう思い1階へ行くために階段を降りた。
「おはよ!ご飯とっくにできてるわよ」
お母さんがいつもの調子で話しかけてくる。わたしは軽く返事をして、目の前の体重計にドキドキしながら乗った。
「お母さん!ダイエット、成功してる!」
体重計の数字は2キロの減量に成功していることを表していた。いつまでも普通の体型、普通の成績じゃいられない。高校生になったら流石に初めての彼氏が欲しい。スタイル抜群の、歩けば誰もが振り向くような制服美人は夢のまた夢かもしれないけど。
「よかったじゃないの〜。このまま上手くいけば夕梧くん、振り向いてくれるかもね?」
からかうようにウインクしながらお母さんがにやける。お母さんはわたしをからかうのが大好きだ。
「う、うるさいなぁ!」
内田夕梧。わたしの気になる、夢に出てきた人が彼だ。幼馴染でまるで姉弟みたいに育ったけど、いつの間にか恋愛感情のようなものが芽生えていた。そんなことを考えながら窓の外をぼうっと眺めていると、外にふわふわの茶色い髪をした男の子が歩いているのが見えた。
「あ、夕梧…」
流石に高校生にもなって一緒に登校、はなんとなく気が引ける。お互い家がすぐ近くだから中学までは一緒に登下校していた。...が、今日からは話が別だ。
「一緒に行かないの?」
お母さんがニヤニヤしながらこっちを見てくる。本当にからかうのが好きだなぁ…。
「だってもう、高校生だよ?夕梧も嫌がると思うし…」
そう言いながらわたしは窓際に移動し、夕梧の歩く後ろ姿を眺めた。
(あれ、背伸びたかな…)
首に掛かるか掛からないかくらいのふわふわとした柔らかそうな髪の毛が歩くたびに少しだけ風に靡いている。
(あ…どんどん歩いていっちゃう)
当たり前のことを思いながら寂しそうに見つめていると、突然夕梧が振り返った。ピクリと驚くわたしを見つけて、口をパクパクさせている。当然、何を言っているか分からないので仕方なく窓を開けた。本当はこんな寝起きの顔、見られたくない。
「おう、由美!遅刻するぞー?」
悪戯げな表情で微笑む夕梧。同年代の男の子たちと比べると少しだけ高い聞き慣れた声。寝起きから聞けるなんてわたしの運も良くなってきたのかも?
「うるさいなぁ、寝坊したのっ」
気持ちとは裏腹に舌を出して不機嫌そうに伝えた。そんなわたしを面白そうに見つめて、夕梧が口を開く。
「ったく、早くしろよ〜?待ってるからさ」
「えっ」
当たり前のように言ってくれた。どうしよう、凄く嬉しい。勢いよく2回頷き、急いで窓を閉めて洗面所に向かった。顔を洗って歯を磨いて、少しだけ茶色がかった黒髪を念入りに梳かした。階段を上り部屋へ行き、制服に着替える。スカートは少しだけ…短く。赤色のリボンが曲がっていないか鏡で最終確認して、リビングへ降りた。この間約10分。新記録かもしれない!
「あら、ご飯食べないの?」
お母さんが不服そうにトーストを指差した。わたしは顔をぶんぶん横に振る。
「登校しながら食べるっ」
そう言って口の中に無理やりパンを押し込めた。行ってきます!と明るく言うと、少し呆れたような、でもどこか微笑ましいような表情でお母さんが返事をしてくれた。
(夕梧と…夕梧と登校できる…)
頭の中はそのことでいっぱいだった。待っている夕梧のもとへ全力で走っていく。
「はぁっ、はぁ…。お待たせ!」
手を膝につき、肩で息をする。少し落ち着いてから顔を上げると、いつものように明るい表情でわたしを見る夕梧の姿があった。
「さっき起きたにしては頑張ったな」
優しくそう言ってくれた。そう、夕梧はどうしようもないくらい、不安になっちゃうくらい、すごくすごく、優しい…。
「結構待たせちゃったよね...。ごめんね?」
気まずそうに謝るわたしの頭に、夕梧がさらっと手を置き軽く微笑んだ。
「問題なし。さ、行こう」
わずか1秒くらいで離れた夕梧の手を、内心名残惜しむ。歩き出した夕梧のあとを慌てて追いかけ、隣に並び、横目で制服姿を見つめた。
所謂正統派の好青年、だろう。幼い頃から空手とサッカーを習っていて、引き締まった体に新しいブレザーがとても良く似合っている。運動中目に掛からないようあげられた前髪のおかげでくりっとした大きな瞳がよく見える。ふわふわの茶髪と大きな目は夕梧のチャームポイントだ。外にいることが多いせいか、少し肌が焼けている気がする。
(中学でも十分影で女の子たちに好かれていたけど...きっと高校ではもっとモテちゃうんだろうな...)
憂鬱な気持ちになると同時にそんな夕梧と一緒に登校できる喜びにも浸る。隠れてにやにやしながら歩いていると、後ろのほうからもうひとつの馴染みある声で呼ばれた。
「あっ、由美〜!内田もいんじゃん!」
「千奈!」
こっちに走ってきたのは中学からの友達、中川千奈。わたしの大の親友で、同じく夕梧とも仲が良い。
「ラブラブじゃん?」
「えっ?えへへ…」
こっそりと千奈が囁いて、肘で体を押された。おっさんか…なんて思いながらも、改めてまじまじと千奈の制服姿を見つめた。
(相変わらず美人だ...)
わたしが最終的に目指したいところは千奈になるのかもしれない。それくらい千奈は細くて、スタイルがいい。もちろん顔も可愛いし、まるでモデルみたい。猫みたいにキリッとした大きな瞳。小さい鼻、薄いくちびる。胸くらいまである髪の毛は何度か染めているようで明るめになっているけどサラサラだ。分けた前髪から綺麗な形のおでこが覗いてる。今日は登校初日で気合が入っているのか長い髪の毛は緩くウェーブに巻かれていた。
「千奈、今日はいつにも増してかわいいね♪」
思わずじっと見つめてしまったので慌てて千奈を誉めた。すかさず夕梧が横から千奈に話しかける。
「ほんとほんと!今日は一段と気合い入ってんなぁ」
「内田うっさい!由美アリガト♡由美だってかわいいじゃん〜。特に気合い入れてるって理由では...なさそうだけど」
千奈の言葉がぐさっと胸に刺さった。
(そ、そりゃ今日は髪の毛梳かしただけでメイクも全然できてないもん...)
改めて自分の見た目の普通さに落ち込む。千奈と比べたらわたしは美人系じゃない。目の上で切り揃えられた前髪が余計そうさせるのかもしれないけど...。告白だってまだ一度もされたことがない。
「中川は高校で新しい男を引っ掛けるためにバッチリ決めてきてるもんなぁ」
「はぁ!?んなわけないでしょっ!」
千奈はあの優しい夕梧が軽口を叩く数少ない存在。きっと千奈のサバサバとした性格に安心してるからなんだろう。軽く喧嘩みたいになってるけど、実はすごく羨ましい。
(わたしも、あんなふうにふざけて夕梧としゃべりたいなぁ)
「由美どうしたの?お腹いたい?」
黙ってるわたしを心配して千奈が話しかけてきてくれた。ヤキモチを焼いてるなんて、とてもじゃないけど言えない。
「大丈夫、なんでもないよ!あっ、それよりさぁ...」
他愛もない話をする。学校まで20分くらいの道のり。とっても充実した時間。大好きな親友と、気になる男の子。高校初日から2人と一緒に登校なんて、やっぱり運が向いてきたかも?なんて。
「千奈はきっとさぁ、高校行ってもモテモテだねぇ」
わたしがそう言うと、夕梧がまた面白いことを見つけたと言わんばかりに笑いながら口を開いた。
「やっぱり中川ってモテるんだ?」
その言葉に千奈が夕梧をにらみつけた。
「モテちゃ悪いですかー」
「別に悪いとか言ってねぇけど?ホントかなぁと思ってさ」
悪戯げな夕梧の言葉を聞いて、千奈がわたしを見つめてくる。何かを訴えるような少し拗ねた表情に慌ててわたしは夕梧に説明した。
「あ、うん!ホントに千奈はモテるんだよ。告白とか1ヶ月に5か...」
「おい中川、いつの間に由美がこうやって言うように洗脳したんだよっ」
夕梧がふざけるように遮ってきた。またしても千奈がムキになって言い返す。でも、いつの間にか楽しそうに笑いあっている二人。
「はぁ...」
二人に分からないようにため息をついた。
(やっぱり仲良いなぁ、あの二人。)
わたしももっと夕梧とー...
「あ、そういえばさぁ」
そんなことを思っていると、不意に千奈が話題を変えた。
「水野高校に、すっごくカッコいい人がいるんだって~!友達から写真見せてもらったの!」
水野高校はわたしたちが今日から通う学校。流石の千奈、情報収集の速さはピカイチだ。そんな女子会で盛り上がりそうな内容にも関わらず、まさかの夕梧が反応した。
「お、おれもなんとなく知ってるわ。サッカー部の先輩が言ってたんだよなぁ。なんて名前だっけなぁ...」
頭を掻きながら眉間にしわを寄せてる夕梧。困ったり悩んだりしているときの癖だ。そんなところも、かわいい...。
「で、その人のこと狙ってるんだよね~あ・た・し!」
「「ええ~!?」」
わたしと夕梧が一気に反応する。千奈がイケメンに弱いことは知っていたけど、会ったこともない人を狙うなんて驚きだ。
「え…でもでも、どんな人かわからないんだよ!?」
慌てて千奈に言い聞かせてみる。
「ふふ~。もっちろん、リサーチ済みよ♪」
そう言うと千奈は、カバンからメモ帳らしきものを取り出した。…こういうところだけは抜け目ないんだよね。千奈は細かく書いてある可愛らしい丸文字を読み上げ始めた。
「性格はエロい、軽い、チャラいの三拍子!モテまくってるのに今まで付き合ったことのある女の子は何故かゼロ!それなのに女友達は数え切れないほどで、噂だと経験人数は10を超え…」
「千奈!そんな人やめたほうがいいってばぁ!」
どこにも惹かれる要素が無さすぎて慌てて間に入ってしまった。惹かれる、じゃなくて引かれる、の間違いだよほんと...。夕梧も珍しく複雑な表情を浮かべて口を開いた。
「同感だな」
「いいのいいの。顔良ければすべてよし!あたしのモットー☆」
千奈はそう言い放ち、唖然としている夕梧に向かって可愛くウインクをした。そのままニコニコしながらどんどん先に進んでく。わたしと夕梧は思わず顔を見合わせて、呆れつつも笑ってしまった。それから、千奈のあとを急いで追いかけていく。
(そんなにチャラい先輩が当たり前にいるのが高校かぁ。波乱万丈な学校生活になりそうだなぁ)
わたしはなんとなくだけど、そう感じた。
「着いたぁ!水野高校!」
叫ぶ千奈の目の前には、クリーム色の綺麗な校舎があった。夕梧も千奈も気持ちは同じようで、これから始まる高校生活に胸をときめかせているのが見て取れる。
「ねぇねぇ、あっちにあるクラス表見てこよう!」
千奈はそう言うと、人がたくさん集まっている場所を指さした。どうやらあそこにクラス表が貼ってあるらしく、皆口々に喜びや悲しみの声を上げていた。わたし達もドキドキしながらそこへ向かった。茶色の掲示板に貼られたA4サイズの紙へ目を凝らす。何枚か確認していくうちにわたしの名前と、そのすぐ後に千奈の名前を見つけた。
「やった!千奈と同じクラ…きゃっ」
嬉しくてつい両手をあげて喜んだら、後ろを通りがかった誰かにぶつけてしまったみたいだ。あわてて振り返り、頭を下げて謝る。
「す、すいませんっ」
ちらりと顔を上げると見えたのは紺色のネクタイ。
「あ。こっちこそ」
低く、素っ気ない声。背の高い男の人だった。見上げるような形で顔を確認すると、切れ長で色素の薄い茶色の瞳と目が合った。
(まつ毛ながっ...!い、いわゆるイケメン...)
染めているのか、金髪に近い髪の毛は薄く透けるようだ。男の人にしては、長髪の部類だろうか。綺麗な鼻筋のすぐ下に添えられた薄いくちびるは、なんとなく外国人モデルを彷彿とさせた。肌が白く透き通っているせいか、まるで唇にはリップを塗っているように見える。
「あの...?」
サラサラとした髪の毛から覗く瞳が、わたしをしばらく見つめていた。あまりにも綺麗な瞳に吸い込まれそうになって、堪らず声をかける。
「きゃ...!!」
信じられない、というかのように後ろで千奈が声を上げた。どうやらこの人を見て驚いているようだ。男の人は千奈の声でようやくわたしから視線を外すと、小さな悲鳴をあげた主を確認した。千奈を見た男は初め驚いたような表情を浮かべたが、すぐにニコっと微笑んだ。そのまま、まるでわたしが最初からいなかったかのように目の前を通り過ぎ、千奈へと話しかけた。
「キミ、かわいいね~。新入生だよね、クラス何組?遊びに行くからさ~」
唖然。
(何この人!わたしの存在はガン無視だし、千奈に馴れ馴れしいし...)
そんなわたしの心情も知らずに、千奈は照れたように笑顔で受け答えしていた。せっかく親友の心配もしていたのに、面白くない。知らず知らずのうちに唇が尖ってしまう。
「ムッ...」
「どうしたんだよ」
隣の夕梧がわたしの不機嫌そうな顔を見て、吹き出しそうになってる。というか、吹き出してる。
「なんでもないっ」
あんなチャラ男、二度と会いたくない。見たところ、ネクタイの色が違うから学年も違うようだ。私たち1年生は少しくすんだ赤色。相手は青に近い紺色。もう滅多に会うことはないはずだ。モヤモヤとそんなことを考えていると、始業時間を伝えるチャイムが鳴った。慌てて会話に夢中になっている千奈を呼ぶ。
「千奈!行かないと!」
「あ、ごめん!今行く!それじゃあ…」
あの男と別れて千奈がこっちへ向かってくる。満面の笑みを浮かべて、心無しか頬も赤い。あんな顔だけの男に浮ついちゃって、なんて思いながらも、とりあえず今は急いで教室に向かった。
ー新しい教室。初日は好きな席に座っていいと指示があったので千奈と隣同士の席を確保した。校舎の説明や先生の紹介などがひと通り終わり、一旦休憩が挟まれた。千奈は休み時間に入ってからずっと携帯をいじっている。
「連絡先交換したんだ〜。もぅめっちゃタイプ!」
「ハイハイ、よかったね...。わたしなんて、夕梧と違うクラスだし最悪だよ...」
あの後、チャイムが鳴り校舎へ入った私たちは当たり前のように夕梧と同じ教室へ向かうと思ってた。だけど現実は甘くなく、夕梧は軽く手を振りながら私たちとは違うクラスに向かっていったのだ。
「運悪いの出ちゃったね〜由美」
千奈はわたしが気にしていることをグサッと言い放った。昔から思ったことをすぐに口から出してしまうタイプだから仕方ないけど、いまくらいは手加減してほしい...。一人心を痛めていると、同じクラスの男子が千奈を呼んだ。
「中川、だよな?誰か呼んでるぞー」
流石千奈と言うべきだろうか。綺麗な顔立ちは違う中学から来ていた男の子たちの間でもすぐに話題となり、名前も容易に覚えられたようだった。千奈を呼んだ男の子が指差す廊下を見ると、背の高い男が教室の入口のドアにもたれ掛かりながらこちらを見つめていた。
「げっ」
あのムカつく男だ。
「高梨センパイっっ!」
千奈が嬉しそうな声を上げ、呼ばれた男の元へ走っていった。わたしはげんなりとしながらも千奈が心配なので後からついて行く。ついさっき、あの男のことは千奈から聞いていた。名前は、高梨泉。1学年上の、水高一カッコイイと言われている話題の男、らしい。話題というのも、割と最近引っ越してきたからだそう。なにせ登校中に夕梧と千奈と話していた噂の男の正体で、千奈が驚いていた理由でもある。
「由美!この人が、さっき話してた高梨泉先輩っ。先輩、友達の相田由美チャンです♡」
(最初に出会ったのはむしろわたしのほうだから知ってるよ...)
タカナシイズミは、紹介されて初めてわたしに気付いたような顔をした。
「あ、キミ友達だったんだ。ふ~ん…。よろしく由美チャン」
(よ・ろ・し・く・由美チャン?心にもないこと言うなぁぁああ!!あんたが興味あるのは、千奈みたいな可愛い子だけでしょっ!!)
「よ、よろしく…」
笑顔が引きつっていて、上手く喋れない。そんなわたしを気にする様子もなく、タカナシイズミは軽い口調で続けた。
「二人とも、俺のことは泉でいいから」
「え!先輩なのに良いんですかぁ?」
常に♡が語尾についている千奈。この様子じゃ、どんなに忠告しても無駄だろう。それにわたしは別に泉なんて呼びたくない。なんならずっとフルネームで呼んでやってもいいくらいだ。
「もちろん。あ、一応さ、由美ちゃんも連絡先教えといてくんない?可愛い千奈の友達なら、仲良くしようぜ〜」
なんでこんな奴に教えなきゃいけないのか。そう思い断りかけたが、親友である千奈の手前あまりにも不快感を全面に出すのも気が引けた。
「…由美でいいです」
諦めて大人しく携帯を差し出す。コイツにちゃん付けなんて、されたくない。媚びていると思われないように、精一杯の低い声を出した。
「じゃあ、由美。ありがとな」
そう言ってタカナシイズミは、わたしをじっと見つめた。初めてぶつかってしまったときに感じた視線と同じで、少し居心地が悪くなる。もちろん深い意味なんて、ないのはわかっているけど。
(この人の目...なんか、苦手...)
なんとなく心を見透かされているかのような瞳に、わたしはつい視線を逸らしてしまう。さっきといい今といい、こんな経験は初めてで少し戸惑った。高梨泉は慣れた手つきでわたしの連絡先を追加し、背を向けたかと思うと少しだけ振り向き笑顔を見せた。
「んじゃ二人とも、これからよろしく〜」
軽い口調でそう言って、手を振り教室から出ていこうとした。それを千奈が甘えた声で引き留めようとする。
「泉先輩…もう、行っちゃうの?」
「ごめんな千奈。また今度ゆっくり、色んなことしような」
千奈に負けないくらいの甘い声色でタカナシイズミが囁く。そしてヒラヒラと手を振りながら今度こそ教室から颯爽と立ち去っていった。
(色んなことってナニ!?)
クラスの男子たちは先程の千奈とタカナシイズミのやり取りに少なからずショックを受けているようだった。
「ち、千奈…。アイツなんかやめなよぉ」
わたしがダメ元でそう言うと、千奈がさっと振り向く。
「もしかして由美、泉先輩のこと好きになっちゃったり...?」
真剣な表情でにらんでくる千奈。怒りとも取れるその表情に慌てて言い返す。
「な、なってないなってない!」
「ふぅーん…」
千奈は怪しげな目でこちらを見てくる。でも、そのあとすぐに違う話題に切り替えたからほっとした。
(ホントに波乱万丈になりそうだな、高校生活...)
ー高梨泉との出会いが、夕梧や千奈との関係、そして念願の高校生活に大きな変化をもたらすきっかけになるなんて、わたしはこのとき思いもしなかった。
「由美~…」
高校生活が始まって一週間が経った。くじ引きの席替えで離れてしまった千奈が休み時間にわたしの席へ来て、情けない声で話しかけてきた。
「どうしたの?あっ、アイツに変なことでもされた!?」
「違うって!されたのは変なことっていうか...」
そう言い淀む千奈が恥ずかしそうに俯く。まさかとは思うけど。タカナシイズミなら有り得る、と思い念のため何があったか聞こうとしたとき、千奈があわてて顔を上げた。
「そうじゃなくて由美っ!本題本題!あのね、内田ね、すんごいモテてるらしいんですけどっ」
「うそっ」
先程の内容が飛んでしまうくらいに驚いてしまった。確かに、元々優しい好青年だからモテてしまう心配はしていた。でも、高校生活が始まってまだたったの1週間。違うクラスにいる千奈の耳にも噂が入ってくるなんて、よっぽどのことだろう。
「ほっといていいの?」
俯くわたしの顔を千奈がのぞき込む。
「ほっとくもなにも、付き合ってるわけじゃないし...」
「それは分かってるよ!でも由美、内田のこと好きなんでしょ?内田にカノジョが出来てもいいの?」
両手をグーに握り、千奈がわたしに問いかける。こんな時、素直になれない自分の性格が、わたしはとても嫌いだった。
「好きかどうかは、わかんないよ...」
思わず、真っ直ぐな千奈の視線から目を背ける。わたしは恋愛感情というものがよく分からない。夕梧に向けているこの気持ちが、恋なのか、分からない。
「まだそんなこと言ってるんだ。あのねぇ由美、何回も夢に見るんでしょ?一緒に登校できて嬉しいんでしょ?そんなの好きじゃん!」
千奈はいつも、わたしの夕梧へ対する煮え切らない思いにイラついている。言い返す言葉もなくてわたしは唇を噛みしめた。
「あのね。噂で聞いたんだけど、内田今日の放課後、同じクラスの須々木栄って子に呼び出されたらしいよ」
「えい?なんか変わってるけど、かわいい名前だね」
「それが、顔もメチャかわいーんだよっ!性格もいいらしいし」
千奈はそう言いながら鏡で自分の顔を確認し、前髪を直す。
「そうなんだ...ってか千奈、ホントに他のクラスの事情に詳しいよね!?」
「まぁ内田がいる3組には情報仲間がいるからね〜。毎晩連絡取り合ってお互いのクラスの情報交換してるもん!」
「流石です...」
感心した表情で千奈を見ていると、近くにいた男子がわたしたちに話しかけてきた。
「須々木って、あの男嫌いの須々木?」
予想外の内容に驚きながらも、わたしは続ける。
「男嫌いなの?なんで?」
「俺、中学一緒だったから知ってっけど。あいつ最後の年はロクに男と話してもなかったぜ」
男子はそう言いながらチラチラと千奈を見た。情報を渡して、気に入られるためのアピールをしているつもりなのだろうか。彼の想いとは裏腹に、千奈は乱入してきた相手のことは全く眼中にないようだった。あくまで千奈が興味を持ったのは、情報の内容だ。
「男嫌いの美少女、男を呼び出す、か...。なーんか腑に落ちないわねっ!あたしはてっきり告白だと思ったけど...」
「告白...」
「異性を放課後に呼び出すなんて告白以外にある!?今までそれ以外の展開なんか経験したことないから...」
ぶつぶつと呟いている千奈の言葉が、急に耳に届かなくなる。
(夕梧が告白される?しかも、すごくかわいい子に?)
「ねぇ、千奈。見に行こう」
なにも考えないで口走っていた。ただでさえ大きな千奈の瞳が、めいっぱいに開かれる。
「えっ!?由美、本気?」
夕梧はどんな反応をするんだろう。告白だとしたら、どんな言葉で答えるんだろう。わたしは千奈の大きな瞳を力強く見つめ返した。
「…本気」
確かめたい。自分の、この目で。
ー放課後。千奈の情報仲間が教えてくれた内容を元に、中庭へとやってきた。いかにも告白されそうなその場所で、わたしたちは夕梧達に見つからないよう木の影に隠れるようにして2人が現れるのを待った。
「もぉ!由美のために先輩の約束断ったんだからぁ」
「ごめんごめんっ」
そう言いながらも千奈はどことなくわくわくしてるように見えた。昔から噂話や恋バナが好きな千奈なら、今回の件は食いつかないほうがおかしい。
「でも仕方ないっ。親友のため♡」
「千奈…」
きっと、千奈が一番わたしを心配してくれている。煮え切らないわたしの態度に、諦めることなく付き合い続けてくれるたった一人の親友。
「...夕梧とのこと、いつもありがとうね」
「え?いきなりどうしたのよぉ」
素直に感謝されると恥ずかしいのか、千奈が気まずそうに頬をかいた。
「わたしはずっと自分に自信がなくて、夕梧に対する気持ちもハッキリさせるのが怖かった。幼馴染で...友達でいいやって、思ってたの。ただたまに笑って、話せるだけでいいやって」
「由美...」
そう、そう思っていたはずだったのに。
「だけどね、千奈がわたしに毎回喝を入れてくれるでしょ?好きなんでしょ、認めなよ!って。だからわたしも、まだ恋ってなんとなくしか分からないけど、ちゃんと自分の気持ちに素直になってみたい」
しっかりと千奈の顔を見つめて、息を大きく吸った。わたしはこれから、自分の感情を初めて言葉にしてみるのだ。
「わたし......夕梧のことがー」
「由美待って!静かに!」
いきなり千奈に袖を掴まれて、更に木陰へと引き寄せられる。何事かと驚いて千奈の指差すほうを確認すると、そこには今しがた頭に浮かべていた大切な幼馴染の姿が見えた。
「ゆ…」
「シッ!バレたら内田になんて言われるか…」
聞き取れるか聞き取れないかくらいの小声で千奈が遮る。相当警戒しているようで、辺りをキョロキョロと見回していた。わたしも同じように周りを観察していると、夕梧が来た道とは反対側の道から人影が来るのが見え、思わず声が漏れた。
「...あ」
現れたのはスラリとした背の、綺麗な栗色の髪を靡かせた色白の女の子だった。腰あたりまである髪の毛はサラサラで、艶々ときらめいているようにも見える。千奈とはまた違うタイプの美人で、なんだか爪先まで整っているように感じた。少し分けられた前髪から覗く右目は目尻が若干下がり、優しい印象を与えている。
「内田くん」
女の子が、夕梧に話しかける。言わずもがな声も綺麗に透き通っていて、可愛らしかった。
「よ。わざわざどうした?須々木」
やはり彼女が須々木栄だった。見たところ、夕梧と身長はあまり変わらない。女子にしてはだいぶ高いほうだろう。
「ごめんね、あんまり教室じゃ言いたくない内容だったから」
「ん?」
心臓が高鳴る。ただ二人が会話しているだけなのに、空気が張り詰めているように感じた。須々木栄の次の言葉を待つのが怖い。千奈の手をぎゅっと、握り締めた。
「内田くん、私と同じ体育委員に入ったよね?先生にお願いされて。私は、もう1人も女の子にするって条件があったから、承諾したのに...」
予想外の内容に、わたしも千奈も、もちろん夕梧も、キョトンとした。
「そうなのか?なんか他の女の子が全然やりたがらねぇって先生困ってて...おれ、サッカー部入る予定だから委員会入っておけば色々と便利でさ。力仕事も任せられるから丁度いいだろって」
「うん。だから内田くんは何も知らないだろうしいいの。でもひとつだけお願い、必要最低限のこと以外で、私に話しかけてこないで」
千奈もわたしも、状況がつかめなかった。
(まさか、告白じゃないなんて...)
戸惑う夕梧をよそに、鋭い言葉で須々木栄は続けた。
「あなた、私が同じ体育委員だって知った日からよく話しかけてくるようになったよね?朝のおはようから始まって、部活は入るのかとかなんとか...それをもうやめてほしいの」
「...ごめん。同じ委員会の仲間だし、週に1度は委員会の集まりに出たりするからコミュニケーションは取っといたほうがいいかなと思って。変な意図はなかったんだけど...」
困ったように頭を搔く夕梧。だいぶきつい内容を言われているのは傍から見ているだけのわたしたちでも分かる。ましてや夕梧は今まで人から嫌われるようなことはなかっただろうから、余計心に刺さるだろう。
「嫌な思いさせてごめんな...」
綺麗な夕梧の顔が歪む。それでも須々木栄に対して最大限の配慮をしたのだろう、口元は少しだけ微笑んでいた。怒ったり、不快な思いなどはしていないと、伝えるかのように。
「なによあいつ...」
隣で千奈が怒りに震えているのが分かった。事情を知らないとはいえわたしも同じ気持ちだ。大切な夕梧を傷つけられた。悪いことなんて何も、していないのに。
「...私も言い方がきつかったのはごめんなさい。ただ、こうでも言わないとあなた...毎日私に話しかけてきそうで」
「あぁ、......だよな」
それの何がいけないというのだろう。わたしからすれば羨ましい以外の何物でもないのに。
「話は以上です。それじゃ」
「おう、わざわざごめんな」
すたすたと足早に立ち去る須々木栄の後ろ姿を見送った夕梧は、気まずそうに俯き気味でどこかへ歩いて行った。わたしと千奈は百年ぶりに息をするような気持ちで、ゆっくりと深いため息を同時に吐いた。
「…どうゆうことぉ…由美…」
「わかんないぃ...」
千奈と二人でしばらく放心状態でいると、後ろからいきなり声が聞こえた。
「須々木 栄、かわいいよなぁ♪」
「いぃずみ先輩っ!?」
どこからともなく現れたタカナシイズミに、心臓が飛び出るくらいの勢いでわたしたちは驚いた。千奈の裏返った声を聞いたのは何年ぶりだろう。
「千奈ぁ...泉先輩じゃなくて、泉、だろ?俺何回言った?」
タカナシイズミはそう言いながら、恨めしそうに千奈の頬を長い指でつまむ。
「ほへんなひゃい...っへひふか、ぷはっ...泉っ!なんでここに!?」
頬をつまんでいる指をぶんぶんと振り払い、千奈は問いただす。空中で行き場を失ったタカナシイズミのスラリとした大きな手は、今度は千奈の腰へと移動した。
「お前が約束断ってきたんだろ?須々木栄の告白現場を見に行く〜って。新入生で可愛いって噂のもう一人のコの告白、見逃すわけにはいかねーだろ♪」
もう一人の子。つまり可愛いと噂の二人は須々木栄と千奈のことだろう。抜け目のない浮気性な男は本当にイライラする。
「そーゆうことぉ!?でもまさか来るとは思わないじゃーん...」
腰にあてられた手をすんなりと受け入れている千奈は、不服そうな表情でタカナシイズミを見つめていた。須々木栄に対しての態度に怒らないのは、少し意外な気もするが、今はそれどころじゃない。
「タカナ...泉先輩は何か聞いてますか?須々木さんの噂」
「い、ず、み、な。堅苦しいのはやだからさ〜タメ口も解禁〜」
話を進める気のない返答に、苛立ちを隠せなくなる。しかし今は、女の子の情報に関しては抜け目のなさそうなこの男を頼るしかない。
「...泉が知ってることがあるなら教えて。わたしと千奈にとって夕梧は大切な友達なの。理由なくあんなこと言われてたんじゃ、納得できないよ」
「ふ〜ん...内田夕梧、ねぇ...」
表情からは読み取れないが、若干低くなる声に少しの嫌悪を感じる。やはり噂のモテ男からすれば、夕梧は脅威となり得る存在なのだろうか。
「なによぉ泉ぃ...意地悪しないで教えてよっ。内田は優しいから、あんなふうに言われる筋合いないはずだもん...」
珍しく必死な千奈に、とうとう泉も口を開いた。
「...須々木栄は中学で男から相当酷い目にあったらしいってのは、後輩から聞いたわ。ま、繊細な過去に関係ないお前らがあんま首突っ込むなよぉー」
そう言い残し、いつものようにひらひらと手を振りながら泉は去っていった。
「中学で酷い目にあったって...そんなの内田は知るわけないじゃん」
千奈の意見はもっともだ。だけど、須々木さんの過去を知らないのに一方的に非難し続けるのもなんだか違う気がして、わたしは考え込んでしまった。
「関係...なくないよね、由美」
「...え?」
「あたしたち!関係なくないよね!?」
千奈の目は潤み、涙を浮かべているように見えた。友達思いなのは知っていたが、ここまで夕梧に対して感情を出している千奈を見たのは初めてのことなので少しだけ驚く。確かに先程の夕梧の悲しそうな表情は、胸に来るものがあった。
「うん、それはそうだよ。とにかく須々木さんの事情が分かれば、夕梧も少しは納得できるかも。わたしたちで調べてみよう?」
「だよね。ちょっと情報仲間にもっと詳細な内容聞いてみる!まだ教室いるかもしれないから、見てくるー!」
猪突猛進な千奈はすぐに行動に移す性格の通り、ダッシュで教室へと向かっていった。本当にあの身軽さはわたしも見習いたいところだ。少し前の重たい気分は薄れていて、ほっと息をついた。
「そう言えば結局、言えなかったな...」
わたしの言葉はたった一人だけの広い中庭に、静かにぽつりと響き渡った。
ー帰り道。そのまま帰宅する気分にはなれなくて、わたしは家からさほど遠くもないお気に入りの公園に寄り道をしていた。ここには夕梧との思い出が沢山詰まっている。
「はぁ...」
ブランコに乗りながら自然とため息が出た。色々なことが頭の中をぐるぐると回っていて、考えがまとまらない。
「夕梧...」
「へぇー、アイツのこと考えてんだ」
驚いて振り返ると、そこには腕を組みながらベンチに座っている高梨泉がいた。予想外である本日二度目の登場に、思わず反応が遅れる。
「いっ、いずみ...!なんでここに!?」
「いや、俺んちまぁまぁ近くだから」
当たり前のように言い放たれた。だとしても先程といい今といい、偶然にしては遭遇率が高いように思えてしまう。
「わ、わたしの家だって近いし...ってか、さっきの聞いてたの!?」
「あー。ゆうごぉ...ってヤツ?聞いてた聞いてた♪」
からかうようにクネクネと動きながらわたしの真似をする泉に、無性に腹が立った。
「やめてよ、馬鹿にしないで。本気で悩んでたんだから」
自分とのことだけじゃない。須々木さんとのことも千奈のことも色々なことが合わさって、複雑に考えてしまうからだ。それをよく知りもしない相手に茶化されるなんて、嫌に決まっている。
「別にバカにはしてねぇけどさ。...アイツのこと好きなの?」
興味本位で聞いてきているんだろう。わたしの大切な気持ちを泉のおもちゃにはさせたくない。
「そーゆうのじゃないよ。夕梧は大切な幼馴染なの、だから色々と心配な、の!」
「ふぅん」
泉はあくびをしながら頭を掻き、空返事をした。それからわたしのことなど放っておいて、何やらカバンをごそごそと漁っている。わたしは呆れて肩を竦めた。
「...泉って1人で公園来たりするイメージないんだけど」
女の子と来るなら大体イメージ通りだが、公園でベンチに座り物思いにふける泉は全く想像ができない。
「勝手に人のイメージ決めつけんなよな。つぅかたまたま通りがかったときに由美のこと見かけたから声かけただけだよ」
カバンを漁りながら投げかけられた言葉に、若干の警戒をする。そうだ、そういえばコイツは生粋のナンパ師なんだ。いくらわたし相手といえど、女の子なら誰だっていい可能性もある。
「な、なに。言っとくけどわたし、親友の千奈を裏切るようなことはする気ないからねっ」
「ふっ、なんだそりゃ。...おー、あったあった」
少しだけ可笑しそうにくすりと笑った泉は、カバンの中から可愛らしいラッピングが施された小さな透明の包みを出した。金色のリボンで結ばれた袋の中に入っているのは、どうやらチョコレートのように見える。
「ほら、やるよこれ」
ベンチから立ち上がり、ブランコに座る私の目の前までやってきた泉は長い腕をわたしの前に差し出した。ただでさえ小さく見えていた袋が、泉の大きい手に収まることによってよりコンパクトに感じる。
「なに、これ」
「さっき駅前に寄ったとき、メイド喫茶の女の子が配ってたんだよ。個包装だから別に怖くもねぇだろ?女子って甘いもん好きだし」
泉はキラキラとした瞳で子供のように笑った。彼の意図が掴めないわたしは混乱するばかりだ。
「いや...なんでそれをわたしにくれるの?自分のこと好きな取り巻きの女の子たちにあげたほうが喜ぶよ」
わたしの言葉に、泉の表情から笑顔が消えた。やばい、何か言われる?そう構えていると、差し出していた泉の右手が更にわたしへと近づいた。恐怖を感じ、思わずぎゅっと目を閉じる。
「ばーか」
穏やかな声色に恐る恐る目を開けると、ブランコに座るわたしの膝の上に先程のチョコレートが置かれていた。
「元気な女にあげてどうすんだよ。甘いもんはストレス解消にピッタリだろ?」
そう言い残すと、泉はいつものように手をヒラヒラと振りながら公園を後にしていった。予想外の行動に驚いたわたしは、今更ながら頭をぐるぐると回転させる。
(普通に優しくされた...)
そして先程の泉の言葉を頭の中で反芻した。
『たまたま通りがかったときに由美のこと見かけたから声かけただけだよ』
(もしかして、わたしが落ち込んでいるように見えたから...?)
手元のチョコレートは泉の言う通りメイド喫茶の宣伝だろうか、可愛らしいショップカードが入っていた。これを受け取ったときの泉を想像して、なんだか少し可笑しい気持ちになる。
(女の子に弱い泉の性格だもん。可愛いラッピングだけど断れなかったんだろーなぁ)
先程までの憂鬱な気持ちは少し和らいでいた。無駄に触れてくることもなく、あっさりと帰って行った泉には面食らったが、もしかしたら考えているほど悪い人ではないのかもしれない。
「甘い...」
貰ったチョコレートのひとつを口に含み、呟いた。今日に限ってはナルシストのなんぱ野郎に感謝しておこう。だってわたしは甘いものが大好きだから。
(ひとつ貸しだなぁ)
ブランコから立ち上がり、公園を出て家へと帰る道を歩く。カバンの中には泉から貰ったチョコレート。わざわざ千奈には言わない。なんとなくヤキモチを焼かれても、困るから。
「そういえばわたし、泉の嫌なところは全部、噂でしか聞いてないんだよね...」
もしかしたら女の子に弱いだけの、優しい人なのかもしれない。そして千奈と深い関係になったとしたなら、きちんと一途でいるのかもしれない。千奈の親友であるわたしにも優しく接し、かといって不用意にスキンシップなどは取らないようなその姿が立派な証じゃないか。
(ナルシストなのはナルシストだろうけど)
自分が直接接して感じたことを信じる。須々木さんのことも同じように思えた。確かに夕梧とのやり取りは酷く感じたけれど、あれはわたしに対しての須々木さんじゃない。過去のことも何も知らない。それなのに、一方的な想像だけで須々木さんを悪者にしようとしている自分がいた。
(他の誰かに噂で聞くんじゃない。確かめるならやっぱり、本人と直接関わらないと)
わたしは大切なことを忘れかけていたのかもしれない。それを今日、思い出すきっかけを作ってくれたのは泉だ。偶然とはいえ、だいぶ気持ちが軽くなった。家に帰ろう。きっとお母さんが私の大好物を用意して待っていてくれるはずだ。そして明日学校に行ったら、この気持ちを千奈に話してみよう。わたしの大切な大親友だ、分かってくれるはず。
綺麗な夕焼け空を眺めながら、わたしは清々しい気持ちで我が家へと歩いていった。