【短編】あなたの被害妄想では?
フィリスが学園に戻ると相変わらず浮いていることに変わりはなかったが、ダイアナとブルースの虐めの対象はフィリスから変わったらしく今度は別の気弱そうな女の子がいじめられていた。
「ああああっあの、か、買って来ました! おおおおっ、おっお金を!」
「え? な~に? どもりすぎてて聞こえな~い」
「ハハハッ、流石にどもりすぎだろ、よくそんなで俺らと話ができるな」
「ほんと、オットセイみてぇ!」
「あ、それ私のだから」
彼女の名前はジゼルと言って、緊張するとああしてよくどもってしまうのだ。
そのたびに顔を赤くして黙り込むので、それを面白がって彼らは近づいている様子だった。
それをフィリスは隣にいるジェラルドとともに見つめていた。彼は何も分かっていなさそうな無垢な瞳をしていてとても可愛い。
そして傍から見てみると、同じクラスの人たちは彼らのいじめについてとても忌避的な感情を抱いていることが見て取れた。
……みんな私の事嫌っているなんて言っていたけど、その皆は、彼らの周りの少ない友達だけだって言っていたカイルの言葉は正しかったんだ……。
その様子を見ていて素直に彼の助言に納得した。
「……あのぉ、フィリス様、そのぉえっとぉ」
「すこしだけ、その可愛い魔獣に触れてもいいですか」
彼らのいじめを一番遠い席から眺めていると、いつの間にかクラスメイトの女子がそばにきて恐る恐る聞いてきた。
そんな彼女たちにフィリスは瞳を瞬いてから「いいよ」と短く言ってジェラルドを差し出した。
すると彼女たちはきゃあきゃあ言いながらジェラルドを優しくも激しく撫でまわし始めて、ジェラルドはクーンとかわいこぶって鳴いた。
この子はフィリスの使い魔だ。フィリスの仕事を手伝う代わりに、聖女の濃密な魔力を喰らう獣。
本来はあまり可愛らしいものではないけれど、今の状態だとそれはそれは女の子の感性に刺さるらしい。
確かに雲のようにフワフワとしていて、手も足も見えないような毛足の長い銀色の毛並みが全身を覆っているけれど、本性を知っていると愛でようという気持ちにはならない。
「あのぉ、フィリス様ぁ」
「ところでこの子は、どういう経緯でここにいるんでしょう」
おずおずと聞いてくる彼女たちに、ジェラルドを連れてきた日の事を思いだした。
使用人に運ばせればいいとフィリスは言ったのに何故か馬車に乗ってやってきたカイルとの会話だ。
「指示通り、できるだけ小さくして持ってきたが、威圧するなら大きな方が良かったんじゃないか?」
言いながらバスケットの中で眠っているジェラルドの姿を見てカイルは首を傾げた。
ブルースとの婚約を破棄してからは彼がフィリスの婚約者だが、そうなってみても彼の対応は今までとまったく変わらなかった。
「……良いの。怖い思いをするのは取り返しがつかない事をした人だけだから」
「一体何するつもりだ?」
「別に、いつもの事。ちょっと卑怯かもしれないけど」
「卑怯?」
「気にしないで。……ところで、どうしてあなたがジェラルドを連れてきたの?」
フィリスは、学園で色々あったが、それでも彼らの本性を知ったからには、特に恐ろしくも思わなくなったのでせっかく入学した学園に戻っていた。
必然的に結局のところ家の事をやったり、話をつけたり、そういう仕事をするのはすべてカイルになった。
買って出てくれたとはいえ申し訳ないし、面倒事が多いのだから、彼の仕事を増やすようなことはしたくない、だから使用人に運ばせればいいと言ったのだ。
それなのにカイルが来てしまっては元も子もないだろう。
婚約者になってくれて母のダーナやブライトウェル公爵である父との間を取り持ってくれたカイルには、返しきれないほどの恩がある。そんな彼にこれ以上負担をかけたくなかった。
「……来てはいけなかったのか? 本当ならこんな獣ではなく自分を連れ歩いてもいいんだ、フィリス」
言いながらジェラルドの入ったバスケットに手を伸ばして中にいるジェラルドに鋭い視線を向けた。
フィリスはいわれたことについて考えてみるが、フィリスの学園生活中ずっと後ろからカイルが威嚇しているなんて変だろう。
たしかに稀有な身分の人間は、付き人や騎士をつけて学園生活を送れる特権を持っている。
しかしフィリスはその特権を使わずに普通の魔法学園の学生でも契約して連れて歩くことが出来る魔獣を使う事を選んだ。
「提案はうれしいけれど、それだと皆が怖がってしまうし、なによりカイルにはもう十分助けられているから」
「そういう事は気にせず、いくらでも頼ってくれ、君の尽力のおかげで多くの領地が平穏を手に入れているんだ。自分の仕事が滞ることが不満なら騎士団から連れてきてもいい」
「……」
「フィリスが心配なんだ。どれほど強くとも愚かな連中に傷つけられる時もある」
真剣に言う彼に、フィリスは、深く刻まれた皺と低い声に、傍から見たカイルはとても恐ろしく感じると思う。
しかしフィリスにとってはとても愛情を感じる表情と言葉で、嬉しくなって笑みを見せた。
「ありがとう。でも私、もう大丈夫、そろそろ行くね」
「……」
お昼休みの時間を通じてジェラルドを取りに来たので、そう長く馬車の中で話し込むわけにはいかない。
フィリスがジェラルドの入ったバスケットをきっちりともって学園に戻る準備をしようとすると、カイルは最後に、フィリスの肩に触れた。
それから優しく抱き寄せてその胸元にフィリスの顔をうずめさせた。
「……いつでも帰って来てくれ。自分は君をいつでも待ってる」
「うん。ありがとう」
「じゃあ、気を付けてな」
数秒間の抱擁の後にはすぐに手を離されて馬車から降りる。
最初はお互いに距離を測りかねていたが、今では、家族のように触れ合うのが当たり前の関係になれた。
しかし、彼の付けている香水の香りが少し残っていて、匂いを嗅ぐとにカイルの存在を感じる。
そうするとまたすぐに会いたいような気持になってどうにも落ち着かない。この現象だけは家族にも感じたことがないことで、どうしても慣れないのだった。
「婚約者が私の為に連れてきてくれたんだ。仕事の合間を縫って……」
「へぇ、婚約者からの贈り物かぁ」
「いいですね。犬型の魔獣は小動物の簡単に使役できる子たちと違ってずっと強いし、他の動物に比べて人間に従順ですもん。でもその分とっても稀少……愛を感じますね」
……たしかに正規のルートで購入しようとすると相当難しいかもしれないけどジェラルドは、直接飼いならしたというか……。
しかしそんなことを言っては、彼女たちはドン引きだろう。
ここはとりあえずいい話で終わらせておいた方がいいに違いない。
「うん。……とても大切にしてくれていると思う」
「いいなぁ、私も小さい子でもいいから使い魔が欲しいよぉ」
「そうですね。今度の学園外演習で向かう王都の森には、小動物の魔獣がたくさんいるらしいですから、どうにか友好的な子を探しましょう」
「そうしよぉ」
二人は仲良くそうして話をしながらも手だけでは、ジェラルドを丹念に撫でまわしていて、相変わらずジェラルドはクーンと鳴いていた。
……学園外演習……たしかに友好的な使い魔となる魔獣を探すのにうってつけ。魔法学園に入って基礎学習を終えてカリキュラム的にもそろそろ実戦に入る時期。
これからの学園の授業ではどんどん実技の訓練が増えていくから、おのずと魔獣が発生する森へと行くことが多くなる。
そのあたりがフィリスが策略を巡らせている部分であり鍵になる部分だ。
そう考えてフィリスは、彼女たちに視線を向けた。
「それじゃあ私、そろそろやることがあるから」
「うん、ありがとぉ、触らせてくれて」
「凄くふわふわでした、感無量です」
「良かった。いつでもまた声かけてね……よし、行こう、ジェラルド」
声をかけて席を立つ、そうすれば後ろから短い脚を動かしてジェラルドがもふもふとついてきた。
向かう先はもちろん彼らのところだ。
「じゃあこれから賭けようぜ! ジゼルさんが俺らの名前どもらずに言えるかどうか!」
「何言ってんだお前、それじゃ賭けになんないだろ。だってずっとどもってんだから」
「そうよ~! これでも頑張ってるのよ~。それなのに馬鹿にして~。かわいそ~!」
「それにしてもありえんぐらいどもるよねー、もう普通に会話できなくねー?」
一つの席に集まってきゃはきゃはと楽しそうにしている彼らのそばまで行って、フィリスは、だらしなく椅子に座っている彼らを見つめて口を開いた。
「……そんなに弱いものいじめが楽しい?」
まったく意識外だったらしくフィリスがそう問いかけると彼らは一瞬にして黙って一斉にフィリスに視線を向けた。
しかしとりあえず犬型の魔物であるジェラルドを持ち上げて視線をガードした。
「ジゼル、こちらにきて」
真剣に見つめて声をかけると、彼女は慌てた様子で何度か何もない所でつまずきながらもフィリスの方へとやってきた。
「……はぁ? なにそれ、抑止力のつもり?」
「お兄さまに守ってもらって調子に乗ってんのかよ」
周りの取り巻きたちは黙り込んでダイアナとブルースがフィリスに敵対的な視線を向けた。
彼らは、自分たちのフィールドに戻ってきたからかフィリスに対して強気な姿勢だ。
実はすでに彼らの領地からの救援要請について対応を他領とは差別することについては通達済みだ。
そのうち事情聴取の為に実家に呼びもどされるだろうということは確定している。
しかし、その間だけだとしても他人がいじめられているのを黙って見ているのはフィリスの性に合わないし、それに彼らに関して言えばフィリスが彼らのことを増長させたかもしれないとも思う。
だからこそ野放しには出来なかった。
けれども口で彼らに勝てるとも思えない。なので真っ向からは取り合わずに、ジェラルドをずいっと差し出した。
「っ、これは!」
未だにあの時のことを思い出すと少し恐ろしい、しかし、それでも攻略方法はわかっているのだ、確実に無力化できる。
「これは、私を守る使い魔のジェラルド。誰がどう正しい事を言っても改心しないあなた達に相応の罰を与えるために連れてきた」
「は?」
「何言ってんの?」
「あなた達がいじめをしようとしてもジゼルについて回って守るし、誰にももう苦しい思いはさせない」
「守るって、バッカじゃないの? そんな弱そうな犬で?」
「いや、世間知らずな聖女様の精一杯の虚勢だろ! 俺に婚約破棄されて気を引きたいのか?」
ふざける彼らに周りの取り巻きたちが茶化して、さらにその場は騒がしくなった。
しかし、フィリスは真剣に続けていった。
「何もしなければ、悪いことは起こらない。でも、私でもジゼルでも虐めようとしたときの今後の保証はできない」
「脅しとか、痛すぎ」
「ていうか虐めてないだろ、俺らはただジゼルさんと仲良くしてただけだしな」
そういってフィリスのそばにいたジゼルに視線を向ける。
彼女はその言葉にびくっと反応してうつむいた。その姿に以前の自分の姿を重ねてフィリスは言うことは言ったので身を翻して、ジゼルの手を取った。
すると彼女は大人しくついてくる。
彼らの言葉を無視して自分の席へと戻るとジゼルはやっと顔をあげて、ジェラルドを見た。
可愛らしい小型犬然としているジェラルドにジゼルは少し表情をほころばせてふんわりしている毛並みに触れた。
「せせっ、…………聖女フィリス様、たたたっ、助けていただき、アありがとうございます」
少し落ち着いた様子で言う彼女は、相変わらずとてもおどおどとしていて、自信がない様子だった。
しかし、気にしないでほしい。助けたのはただの自己満足だ。
それにフィリスとジゼルはこの場所では同学年の同じクラスだ。そんな風にかしこまられる存在ではない。
「ううん。私はただ、自己満足の為に助けただけだから、それよりも急に声をかけて驚かせてごめんなさい。それに付け加えて、しばらくジェラルドと私と過ごしてもらってもいいかな……」
「え、え? はい、はい!いい、いいですけど、だって、私、おおお友達いないしっ」
フィリスが言うとジゼルはとても驚いた様子でコクコクとうなずいて、戸惑っている様子だったが了承してくれる。
それに安心しつつも、ジゼルの言葉にフィリスも思わず笑みを浮かべて同意した。
「わ、私も、友達いないから……お揃いかも」
「え、あ、ううう、うんっ、お揃い」
フィリスの言葉に彼女はすぐに同意した。その顔に浮かんでいる笑みはとても素朴で愛嬌のあるものだった。
しばらく彼女とともに平穏な学園生活を送ることが出来た。
犬型の魔物であるジェラルドはたしかに抑止力になったし、ジゼルと離れるときには彼女についていてもらうことにした。
しかしすぐに狙い通りに事件は起きた。
それは学園外演習の迫った日の放課後の事で、魔術別クラスを終えた後にクラスで自習をしていたフィリスの元へと、ジゼルが涙を堪えながらやってきた。
「フィフィフィ、フィ、ふぃりす!!!」
一瞬彼女が変な泣き声か笑い声をあげているのかと思ったが、例によって恐ろしくどもっているだけであった。
そんな彼女の手には、血まみれになってぐったりとしているジェラルドの姿があった。
いつものもふもふの毛皮は血にまみれてボリュームを失っていて、腹部には大きく抉られたような傷がある。
「っ、ふぃふぃっ、フィリス!!! ジェリーがっ、ジェリーがっ、死んじゃししっ、うわあぁん」
ジゼルはその手を血に染めながらも、ジェラルドを必死に差し出してきて、自分でも水の魔法道具を使って彼を治療しようとする。
ところでジェリーというのはジェラルドの愛称らしい、随分と可愛らしいし本人も気に入っている様子なのでそのままにしているが、どうにもフィリスから見たジェラルドの印象と会わない。
「ジゼル落ち着いて、大丈夫」
「だだだっ、大丈夫?! 大丈夫じゃあないよ!! これは死んじゃう傷だよ、よよよっよく見て」
「大丈夫、余力は残してる」
そう口にしてフィリスは教室にまだ誰も戻ってきていない事を確認しつつ、ジェラルドの頭を優しく魔力を込めてなでる。
あまり魔力を込めすぎると大きくなってしまうので注意が必要だ。
「起きて、ジェラルド。起きてきちんと役目を果たしたか教えて」
魔力を込めてやるとキラキラと彼の瞳は輝いて魔力の光がともる。それはとても美しい光景で、見る見るうちに血も失った毛並みもあっという間に戻っていく。
『っ、ぷは~、久しぶりの神聖な魔力うめぇ~!』
カパッと口を開けてどこからともなく人語を発する彼に、フィリスはやっぱりジェリーという感じではないなと思うが、それよりも重要なことがあるのだ。
じっと見つめると彼は、目を見開いて、それから舌を出してへっへっへっ短く呼吸をしながら、無害そうな犬みたいな顔をしてフィリスに言った。
『そう渋い顔すんなって! ちゃんと俺に手を出したやつらに返り血を浴びせてやったぜ!』
「わかった。……それなら、契約通り━━━━」
フィリスが彼の頭をもう一撫でしようと手を伸ばすと、信じられないものを見るような眼でこちらを見ていたジゼルが、瞳を輝かせておもむろにぎゅうっとジェラルドを抱きしめた。
「ジェリー!! 良かった!! 私を守って死んでしまったらどうしようってずっと思ってたの!!」
『おう? おう!』
「ああ、良かったものすごくふわふわっ、ありがとうジェリー!」
彼はジゼルに抱きしめられてなんだか間抜けな犬みたいな顔をして、そのままジゼルの頬をぺろぺろと舐めた。
そのまま魔力を供給するがジェラルドはジゼルの胸の中から動く気はないらしく、ジゼルがそのまま受け入れているならいいかとフィリスも適当にその場を放置した。
なんせ人語を話すという特徴は、人をたくさん食らった魔獣に現れる特徴だ。
それほど彼は危険で恐れられるべき存在だが、ジゼルが大切に思ってくれているのにわざわざ水を刺す必要はないだろう。
それよりも計画のことだ。
今日、たまたまフィリスの使い魔である彼は、誰かしらからの攻撃を受けた。
そのせいで、聖女であるフィリスの魔力を纏っている獣の血を浴びた。
魔力が豊富で神聖で、そこらじゅうの魔獣を殺して回っているフィリスの魔力の籠った血だ。
体に付着したそれは、簡単には落ちない、そして数日後にある学園外演習。
「ジゼル、学園外演習は今回だけおやすみしてほしいの」
「え、えええと、どうして?」
「理由は言えない、ただ、あなたを危険にさらしたくないから……お願い」
「う、うう、うん。わかった、ふぃふぃ、フィリスの為だもん」
笑みを浮かべて了承する彼女にフィリスはほっと息をついて、教師にジゼルが休む件についてとその演習の評価を根回ししておくのだった。
学園外演習は一クラス全員で移動して王都の森に入り、攻撃的ではない魔獣を相手に駆除作業を行ったり、場合によっては使い魔となる魔獣との契約をしたりすることもできる。
騎士団の詰め所から一番近い魔獣の出現場所とあって常に危険な魔獣がいないか注意を配られているのでこの森はこの国で一番安全な森だ。
魔法学園の生徒が演習の為に使う部分は特に、休憩場所も集合できる広場も完備されていて、安全が保障されている。
しかしそれも通常時の場合に限られることは教師も理解しているのでそこそこの注意を払っていた。
それでも、自由時間の後に集合した時にはすでに、ダイアナとブルースの姿はいなくなっていて、事が起こったのだと理解できる。
引率の教師たちは顔を青くして騎士団に救援要請を出し、物々しい雰囲気にまだ学生であるクラスメイト達は不安そうに教師たちの動きを見ていた。
そんな中でフィリスは一人、ジェラルドを連れてクラスメイト達の輪から抜けた。
クラスメイト達はいつもダイアナとブルースの取り巻きとして側にいるチャーリーやハンナを問い詰めていいて、わからない、急にいなくなった、という彼らから情報を引き出そうと躍起になっている。
それほどクラスメイトに何か危険があったのではないかと考えるのは不安なのだろう。
「あ、フィリス様、どこ行くのぉ?」
「危ないですから固まっていた方がいいです」
クラスの輪から外れて森の方へと向かうフィリスに背後から声がかかった。
彼女たちはジェラルドをよく愛でに来る女子たちで、こんな時でもフィリスの事を気遣ってくれるらしい。
優しい人も案外いるものなのだななんて考えて、フィリスは笑みを浮かべて「大丈夫」と返した。
「ジェラルド、行くよ」
声をかけて後ろをついてきていた彼を振り返る。そのままかがんで魔力を込めて頭を撫でた。
『おうよ! 早く魔力よこせ!』
「うん」
喜んで尻尾を振り回す彼に魔力を強く込める。すると魔力の光が飛び散り彼は魔獣としての本来の姿を取り戻す。
その手足はすらりと長く、口には大きな牙が生え、毛の塊のようだった胴体は美しい白銀の毛皮におおわれた一匹のオオカミになる。
イヌ科ではあるが、ジェラルドは正しくは犬の魔獣ではない。どう猛で凶悪なオオカミの魔獣だ。
その背に飛び乗って毛並みをがしりと掴むと、風のように森の中へと走り出す。
「魔力をたどって、まだ死んでないはず」
『わかってんだっての』
魔獣は魔力を活力にして動く獣だ、おのずと潤沢な魔力を持つ人間を感じることが出来る。
多くの貴族が魔獣を恐れ、対抗策である騎士団を頼りにしているのは、自分たちが彼らに一番に狙われる存在だと知っているからだ。
平民は魔力をほとんど持っていない。それに比べて貴族は魔獣たちに感知されるほどの魔力を有している。
林の中を抜けていく、風が頬をきって、樹々の生い茂る深い森への入口、岩場に隠れるような形でダイアナとブルースはお互いに身を寄せ合って小さくなっていた。
『いたぞ~! 魔法使いの子供っ、うまそうだ!!』
「黙って」
そっと息を殺してフィリスは茂みの中からジェラルドの上に乗って、彼らを見つめた。
昼の強い日差しも、曇りの日のようになってしまってここには届かない。フィリスは杖に手を伸ばしてそっと握る。
助ける気はもちろんある。殺すほどの事を彼らがしたとは思えないし、彼らが死んだら悲しむ人間だっているだろう。
「ねぇ! ねぇ! どうすんのよ!! 私、足がっ足が動かないのよ、さっき転んだせいよ!」
「黙れ!!……静かにしろ。魔獣に見つかったらどうすんだ」
必死にあたりをきょろきょろと見回しながらブルースはダイアナにきつく言った。
囁き声で魔獣に気がつかれるのを防いでいるつもりらしいが、獣はそんな程度の配慮では、やり過ごすことなどできない。
それに魔獣は魔力を感知する器官が備わっているので隠れても意味などない。迎え撃つか逃げ続けるかの二択しか選べないのだ。
授業でも習っているはずだろう。
けれども彼らは、息を必死にひそめて周りを警戒していた。
「なんでこんなことになったのよッ、安全なはずでしょッ、早く助けに来なさいよッ、無能な教師どもッ」
「だから静かにしろって言ってんだろ! ……ああッ、クソッ、もういないだろうなあのキツネ、執拗に俺たちを狙ってきやがって、何の目的で……」
「そんなことより、私を背負って逃げてよッ。わ、私、こんなんじゃ這いずって進むしかないッ」
ダイアナはブルースに悪態をついて彼の腕を引く。たしかに彼女の膝からは血が出ていて妙に腫れているようにも見えた。
……折れてる?
実際のところはどうかわからないが、歩けなさそうということはそうだろう。
普段から高飛車で常に、飄々としている彼女は窮地に陥って人に助けを求めるしかなくなっている様子だった。
ブルースも余裕ぶって軽口を叩いてばかりいるような人間で、決して自分が完全に悪者になるようなへまを犯さないタイプだが、ダイアナの足を凝視して固まって黙り込んだ。
荒い二人の息づかい、恐怖に満ち足りた空間、充満している緑と血の匂い。この場所こそがフィリスのフィールドだ、殺すか死ぬかしかない、明確な命のやり取りができる場所。
ここでは、面倒な選択をする必要もない。
やっと二人はフィリスの居場所に顔を出してくれたのだ。
彼らの行く先は決まっている、もちろん死なない。しかし、苦しい気持ちのお返しだ。
「そ、そんなことして、俺までっ、俺まで走れなくなったら、意味なくね?」
ブルースは震えながら薄ら笑みを浮かべてダイアナの手を振り払って、数歩距離を取った。
「はぁ?」
「だから、お前を背負うなんて風の魔法使いでもないし、無謀すぎだろ。てか水の魔法で治せよ」
「だからッ、演習の時に魔力は使い果たしたんだってば!」
普通の魔法使いは、そうなる前に森から離れる。
しかし彼らはまだ魔法学園一年生である初心者なのだ。騎士ならまだ自力で戦う選択肢もあっただろうが魔法使いは基本的に武器を持たない。
持っているのは杖ぐらいだろう。
だから魔力を使い切った魔法使いなんて豪華な獲物でしかない。
「それは、自業自得だろ。お前が悪い。俺は、無傷だから助けを呼んできてやれるぞッ、だから悪いな」
「待って、待って待っててばぁ!! 嫌だ!! 私をおとりにして逃げる気なんでしょ!! 人殺し!人殺し! 連れてきなさいよぉ!!!」
「うるせえんだよッ、使えねぇ女のくせに!!」
喚き散らして涙をこぼすダイアナは、縋るようにブルースの足にしがみつく。しかしすぐにブルースは怒鳴りながらダイアナを蹴り飛ばした。
「ガハッ」
「お前を食ってる時間があれば逃げられる!! 悪いな、俺を恨まないでくれ!!」
蹴り飛ばされた衝撃でダイアナは体を背後の大岩に打ち付けた。震えて涙をこぼす彼女を気にも留めずに、ブルースは大岩の陰から飛び出て、駆け出していく。
その瞬間、弓のような速度でキツネの魔獣が姿を現した。魔獣はブルースの肩にすでに噛みついていて、実はこの瞬間をずっと狙っていた。
大岩の向こう側で、足を悪くした獲物を置いて、健康な獲物が走り去ろうとするその隙を突くためにただじっと待ち伏せていた。
「ひぎゃっ、うっ、うわっ、うわぁぁ!」
「いやあぁあ!!」
鮮血が飛び散る。ブルースの血を浴びたダイアナは正気を失ったように叫び始めた。
そしてキツネの魔獣はついに獲物をしとめようと岩石を生成し始める。魔力を持つ獣だ。当然魔法だって使う。
しかしまだ魔力を残しているはずのブルースは咄嗟に魔法を使うことが出来ない様子だった。
爪で肉を引き裂かれる痛みにもだえ魔獣の下で涙を流して、めったやたらに手足を動かしていた。
その様はまるで赤子のようだった。
魔獣の攻撃が放たれる前にフィリスは小さく杖を振る。
魔獣と同じ属性ではあるが、フィリスは女神の加護を受ける、聖女だ。当たり前に魔法の形も変わってくる。
魔力の光が飛び散って、ゴゴゴゴと低い地鳴りのような音がする。
そしてほとんど間もなく地面からいくつもの鋭利な形の岩石が飛び出し、魔獣を串刺しにした。
魔獣はぎゃうと鈍く鳴いて、それからすぐに絶命した。
この程度の魔物ならばフィリスひとりだって軽い、念のためにジェラルドを連れてきていたが、今回は不要だったようだ。
「……」
錯乱している状態の彼らの前に姿を現すと目を丸くしてこちらを見ていた。
さすがに怪我が酷い。このまま放置すれば別の魔獣に食われるだろう。
仕方がないので、ジェラルドにまた跨って、彼らを咥えさせて森の出口へと向かった。
キツネの魔獣以外にも実は彼らを取り囲むようにしてたくさんの魔獣が今か今かと彼らを食す為に待っていたのだが、一番槍があっけなく殺された今、実力が違いすぎるフィリスに挑むものは居なかった。
二人は抵抗することなくジェラルドに咥えられて窮地を脱することが出来た。
森のそばで待機していたクラスメイトや引率の教師たちは、フィリスが彼ら二人を連れて戻ってきたことを驚きはしていたものの、そもそも魔獣に対するフィリスの役目を知っている教師たちはすぐに頭を下げた。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「いえ、あ、頭を下げるのはやめてほしいんだけど……」
「!……そうでした。ですがありがとうフィリス、二人が無事で良かった」
教師の女性はフィリスの言葉に、すぐに教師と生徒という立場を思い出して、ジェラルドにほっぽられて地べたに這いつくばるようにしている彼らのことを見た。
血まみれなので無事かどうかといわれると微妙な気もするが、命があるというだけで、貴族は魔法で何とでもなる場合がほとんどだ。
彼女の言葉も特に問題はないだろう。
これにてフィリスの仕返しは終わりだ。彼らにはフィリスの力を誇示できたと思うし、少しはこれで学園も過ごしやすくなるはずだ。
そう考えて、ジェラルドを元の小さな姿に戻すために彼から降りると、彼にクラスメイト達が異様な視線を送っていて、今すぐに戻すのはやめておこうと思う。
あの小さくてかわいこぶっているジェラルドと今のジェラルドがイコールで繋がってしまったら恐れられてしまうかもしれない。
「さあ、二人とも、騎士団の方々といっしょに魔法使いの方も来るから、傷の治癒をお願いしよう。……あ、それよりも、二人とも好意で助けてくれたフィリスにちゃんとお礼を言わないと」
ジェラルドの扱いについて考えているフィリスに向かって、教師はダイアナとブルースに子供に言い聞かせるようにそう言った。
するとぽかんとしていた彼らは、座り込んだままフィリスを見上げて、ブルースは血を流しすぎたのか、いつもの気取った雰囲気はなく、朦朧とした様子でフィリスを見上げて「……ありがとう、ありがとう」と小さく言った。
あまりにも惨めな姿だったが、よっぽど死への恐怖を感じたのだろう。これならばもうなにもできまい。
満足のいく結果にフィリスは「どういたしまして」と短く言った。
しかし、その言葉に鋭く怒りを見せてダイアナは瞳をぎらつかせた。
けれども足のケガから立ち上がることはできない様子で地面に拳を叩きつけて、フィリスを睨みつけた。
「何がどういたしましてよ!! あ、あんなにタイミングよく助けに来られるなんておかしい!! 絶対おかしい!! あんた何かしたんでしょ!!」
「……」
「あんたが、悪いに決まってる!! 何?! 私たちの事恨んでるわけ?! お門違いもいい所でしょ!! だっさぁ!」
「……」
「黙ってないで何とか言いなさいよ!! 先生! 全部フィリスがやったのよ!! 私たちが使い魔を痛めつけたから!」
一人で喚く彼女のそばに寄る、そのまま見下ろして未だにわめき続けている彼女に呆れつつもフィリスは、良い言葉を思いついた。
しかし流石にそれを言うのは性格が悪いかと少し考える。
けれども、滅多に口では敵わないんだ、こういう時ぐらい言い返してもいいだろう。
「何よ!! なんとか言いなさいよ!!」
「……ダイアナ、それって、ただの私に対する被害妄想じゃない?」
「なんですって?!」
「だって、私はただ、良かれと思ってそうしただけ。あなた達はずっと自業自得、自分の行動を顧みてみてみなよ。忠告はしたし、選択肢はあった。それでも……常識知らずで、幼稚なあなた達は間違いを犯した」
「っ、……それは」
「それを他人に押し付けて、恩人にもお礼を言えない。ましてや私を加害者にしようとして、見苦しい」
これは彼女たちに言われたことだ。状況は違うけれども、私なりの意趣返し。
「そんなことじゃあ、到底貴族社会で生きていけない。被害妄想はやめて大人になって周りを見てみたらいい、できなきゃそのうち被害妄想をいう相手すらいなくなるよ」
あの日に言われてカイルが言い返してくれた言葉を自分なりに言い返すことが出来た。
ダイアナは自分の過失に心当たりがちゃんとあるらしく、フィリスに口答えをすることは無かったが、睨みつける視線は変わらない。
しかし、少し離れた場所でやり取りを見ていた、教師がこちらへと戻ってきてダイアナの頭を押さえ付けた。
「そうよ。ダイアナ、温厚なフィリスがここまで怒ってるんだから、ちゃんとお礼を言おうね。あなたったらいつも授業も真面目に聞いていないから今回みたいなことになったの。わかる?」
「はっ、はぁ?! やめて! せんせぇ!」
「フィリスが勇敢に立ち向かってくれたから良かったけど、そうでなかったら死んでいたのよ? こんなことになったのはあなたが勝手に森の奥に入ったから、クラスメイト達も待たせて、迷惑をかけてそのうえで責任転嫁なんて許されません!」
「っ、……」
「ほらっ、しっかり皆にもフィリスにも謝って!」
そうして教師はダイアナが抵抗しようとしても頭を下げるように強要し、最終的には、ダイアナは折れた。
教師としても彼女の授業態度や他の生徒に対する横暴について思う所があったのだろう。
ダイアナはしょっちゅう誰かに対してそうして自分の意見を押し通して折れることを強要していた。
だからこそされる立場になった彼女に対する教育の一環なのかもしれない。
最終的に謝罪をした彼女はそのまま泣き出して魔法使いに治療をしてもらってからすぐに寮へと帰って引きこもった。
多分プライドが許さなかったのだと思う。
数日間はクラス内もぎすぎすとしていて雰囲気も悪かったが、日々の授業が進んでいくたびに彼らの事件は忘れ去られて平穏な日々が訪れた。
フィリスは新しくできた友人とともに当初の目的とは違うけれど、学園生活をそれなりに楽しく過ごしていくのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。読者様の声にこたえる形で、急ごしらえしたものなので尻切れになってしまったのですが、スッキリしていただけたら幸いです。
また、評価をいただけますと参考になります。