邪神の使徒
*人物紹介、用語説明は後書きを参照
*サブタイトルの【 】内の人物視点で書かれています
雑に荷物の積み上げられたとある1室。全体的に唐国風のその部屋は、南側は装飾の施された入り口となっており、他の3方は漆喰の壁となっている。東西には窓があるが北側には窓がない。
光は入るものの部屋の広さに対して十分とはいえず、北東の隅の薄暗い角で1つの影が動いた。
青いボサボサの髪の下、赤みがかった顔の左頬には真新しい切り傷が付き、額の右側から黒く光沢のある美しい角が伸びているが、その反対側、同じものが生えていただろう額の左には砕かれた角の根元が、痛々しくも鈍い色を放っている。
左腕が動かないのか、三角座りした膝を右腕で強く抱きしめた丑御前は、立てた膝に顔を埋めて声を殺して泣いていた。
「ふぐッ……オレ……誰よりもカッケー……鬼になるって言ったのに……」
為すすべなくボロボロにされた惨めな姿を誰にも見せるわけにもいかず、沈む気持ちの中浮かぶのは自分を打ちのめした相手の姿。
右目のあるべき場所は抉られたのか赤黒い空洞となり、左足は膝から下がない。誰が見ても今の自分と比べてもなお相手の方が傷が深く見える。
そんな中にあっても言動の1つ1つに自信が溢れていたのは歴戦の戦士である証左であるが、5体満足だった自分が手も足も出なかった言い訳にもならず、丑御前の心を苛んだ。
「このような場所に集めるとは本気ですか? すぐ近くを人が行き来する場所ですよ!?」
「なあに、この近辺を通るものは既に我らが全知神の支配下にあります。心配には及びませんよ」
入り口が開けられ2人の男たちの声が中に入って来るのを察した丑御前は、とっさに右手で口を塞ぐと息を殺して荷物の影に体を隠した。その行動は以前の丑御前からは想像もつかないほど弱気なもので、角と一緒に強気な彼女の気概も折れてしまったかのようだ。
そんな丑御前に気づかず男たちは部屋の中央に進むと、担いでいた麻袋を部屋の奥へと投げ入れた。外にも仲間がいるのか、次々と麻袋が手渡されては中央の男が四方八方へと投げ入れていく。
それを繰り返すこと数10回。しゃがみ込む丑御前が目の前に落ちた麻袋がほどけ、腐った腕が投げ出されたことに声を挙げそうになった時、ようやく投げ入れる音が止んだ。
「ふむ、運んでいる時から感じてはいましたが、意外と少ないものですね。京周辺からかき集めてこれとは。部屋を埋め尽くすとはいかずとも、半分は埋まるものと思っていたのですが」
「半年ほど前から京の道に転がる行倒れはおろか、家族に葬られる折も墓に入れる前に焼くことが増えましたからな。それどころか墓を暴いて埋まっていた死体まで焼くなど、神仏を畏れず邪教に傾倒する愚か者が溢れておりますよ」
「やれやれ、困ったものです。全知神を知らず崇めないことは仕方ありませんが、これは明らかな全知神への挑戦といったところでしょうか」
「どういうことですか?」
「全知神はその身を作り給うた全能神に次ぐ力を持つ御神。その力を妬み、策謀を巡らせた邪神により神界より追放の憂き目にあわれました」
部屋の中で高説を垂れる男の声に耳を傾ける配下の者たち。それに対して決して見つかるまいと丑御前が頭を抱えて小さくなる。
「その邪神を討つべく現世に降り立たれた全知神でありましたが、そこは狡知に長けた邪神、巧妙に姿をくらませていました。全知神の目を欺くこと数1000年、ついにその姿を確認されたのが半年前。ですが、往生際の悪い邪神はこの世界に1人の使徒を生み出しました――――それが源頼光なる女武士です」
思いがけない名前が飛び出したことで、丑御前は弱気を振り払い荷物の間から入り口の方を窺った。
人数は全員で15名ほど、武装しているのが10名で、他の者も上質な着物を身に着けていることから貴族と見える。ただ、この集団の長と思われる男は入り口の方を向いているため、背中が見えるだけで顔は見えない。
「源頼光……その者が我らが邪神の使徒として我らが全知神の邪魔をしている……」
「そうです。私は以前同じ神を崇める同朋に請われ、播磨の役人に神の力を授けました。その者を討ったのが源頼光」
「思い出しましたぞ! その名、蓮台野を掘り返して法要と銘打って死体をことごとく焼き尽くした!」
「言われてみれば。しかもその後も例の死体を集めては焼くという邪教を教祖と共に広めて回っているとか」
「それだけではないぞ。最近安倍晴明が水を煮沸して飲むよう上奏したということだが、その前後辺りから源頼光と親しげに話しているのが目に付くとも聞く」
「馬鹿な! 全知神の神水は沸騰させるとご利益が失われる。それを狙って邪魔しているとしか思えぬではないか!」
「はい、その通りです。どうやら皆様方にもこの者がどれほど全知神の邪魔をしているのかご理解いただけたようで。この先、折を見て討たなければ禍根となるのは自明の理」
長の言葉に唾を飲み、覚悟を決めた目で団結を強くした者たちはそのまま部屋を出て行った。
聞き捨てならない話に腹が立ったものの、その怒りに任せて人を傷つけては頼光の立場が悪くなりかねない。まかり間違って殺してしまった時には、それを忌避する頼光に失望されるかもしれないし、なにより今の者たちが束になってかかったところで、頼光をどうにかできるようには見えなかった。
そこまで考えた丑御前は再びその場にしゃがみこんで項垂れた。
「ははッ……最低だオレ。姐御を狙う奴らが目の前にいたのに、動かねえ理由ばっかり探して何もしねえで……ほんとにかっこわりーや。それに引き換え姐御は、邪神の使徒なんてかっけー呼ばれ方もしてんのかよ。ほんともう……合わす顔がねえや……」
*
「――――ッ!!」
「どうした、風邪でも引いたのか? つーかもう冬だってのに、いつまでそんな肩と生足だした格好してんだよ」
いきなり全身に感じた悪寒に身震いすると、くっついた腕の調子を確かめる虎熊の横にいた酒呑に目敏く見つけられた。
うるさいなあ……動きやすくていいのよこの服。でもまあ、夏の間は暑苦しくて仕方なかった虎熊の毛皮の服がうらやましくもなくもないわね。
「あははー! これに関しちゃ酒呑の言うことがもっともだよねー。てか夏でも十分はしたないけどー」
「うっさいなー、今震えたのは寒いからじゃないの。そうじゃなくて――――なんかこう、自分の知らないところで濡れ衣を着せられたような、ざわざわした感覚が!」
「……それ、ほんとに濡れ衣なんやろな? 前にもそないこと言って実は頼光のせいでしたーってのあった気がするんやけど。妹分がいなくなって気が動転してるだけやろうけど、しっかりしてな」
「とにかく今は1刻も早く丑御前を見つけることだ。いつもならこんな心配しねえんだが、金熊童子にどれだけやられたのか見当がつかねえ。致命傷を負ってる可能性もあるからな」
「……そうね、急ぎましょう。人手が欲しいけど、橋姫様に季武と貞光は丑御前の顔を知らないのよね。」
「鬼であるということは角は生えているのでありやしょう? 最悪人里に降りて捕まったことも考え、蛇丸の中から牢などを探してきやす」
貞光がそう言うと、季武は周辺の山を橋姫様はここに残って屋敷を守るということで話が決まる。公時は――……ここに置いていくのは橋姫様が大変そうだし、連れて行くしかないかな。
そんな中、何かを思い出したように虎熊が袋から何かを取り出した。
「おっと、言い忘れてた。こいつと同じ角が片側には残ってるはずだ。角が折れてる奴を探してくれ」
「これ丑御前の!? 嘘でしょ、緋緋色金とまともに打ち合えるだけの角よ!?」
「言っただろ、化け物だって。マジで金熊童子には軽々しく喧嘩売るなよ?」
それにしても角まで折れてるとは、ここにきてようやく本当にマズい状態になってるって実感したわ……。
いざ出発と腰を上げたその時、入口の扉が開いた。
【人物紹介】(*は今作内でのオリジナル人物)
【源頼光】――芦屋道満直属、摂津源氏の長。幼い頃の約束のため陸奥守を目指している。
【渡辺綱】――摂津源氏。平安4強の1人。源氏の狂犬の異名を持つ。
【茨木童子】――摂津源氏。大商人を目指す少女。商才に芯が通っている。本名月子。
【火車】――摂津源氏。ブリターニャ出身の精霊術師。生者を救い、死者を燃やすことを使命とする。本名キャス=パリューグ。
【碓井貞光】――摂津源氏。源頼光の配下。平安4強の1人。
【卜部季武】――摂津源氏。夜行性の弓使い。
【坂田公時】――頼光が命名。阿弖流為。
【橋姫】――摂津源氏。橋の守り神。元は橋建設のため人柱になった女性。
【酒呑童子】――大江山首領。人の体と鬼の体が同居する半人半鬼。相手の表情から考えていることを読める。
【虎熊童子】――虎柄のコートを羽織った槍使い。
【丑御前】――大江山に住む鬼。頼光を姐御と慕う。
【金熊童子】――大江山の客人。強欲のドラゴン。
【用語説明】(*は今作内での造語又は現実とは違うもの)
*【唐国】――現在の中国にあたる国。
【蓮台野】――墓地のこと。