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平安幻想譚~源頼光伝異聞~  作者: さいたま人
3章 集結、頼光四天王
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幕間 過去・母禮と氷沙瑪の最期 その3

*人物紹介、用語説明は後書きを参照

*サブタイトルの【 】内の人物視点で書かれています

 思えば田村麻呂の言葉を聞いた言葉を聞き入れたことから始まった。共に故郷に暮らすモノたちのために戦場を駆けた義弟と腹心の死が、安易にこの男の口車に乗ってしまった自分の落ち度であると痛感した母禮もれは唇をかみしめる。


 もちろん鈴鹿御前の人形ゴーレム部隊を相手にもはや戦線を保つことは不可能だったことで、全面降伏を受け入れたのは仕方のないことだったが、それでもはらわたが煮えくり返る。


(もはやこれまでか。阿弖流為の死体がどうなっているのかもわからず、氷沙瑪ひさめも故郷に帰してやれんとは……)


 完全に頭に血が上った母禮には田村麻呂の表情が読めなくなっていた。ただ、死んでも死にきれないという強い気持ちと、田村麻呂憎しの感情に支配されている中、肩に担いだ氷沙瑪の喉から洩れる空気に何かを言いたいことがあるのかと目を向けると、弱弱しくではあるが確かに氷沙瑪の唇が動くのを見た。


――――あたいの体を使ってください


 それだけ言い残してついに動かなくなった忠臣の最期の言葉を聞き、その死を悼みながらも頭の中をフル回転させる母禮。


 なるほど、術も使えぬただの人間には無理でも羅刹の体を使えばここから脱出することも叶うかもしれない。だがそれには2つの障害がある。


 1つ、目の前の田村麻呂とその側近は羅刹とも渡り合える武人であること。そしてもう1つ、イタコとしての力も封じられている状態では、1度死んだのち霊魂となって氷沙瑪の体に入ること。


 非常に分の悪い賭けではあるが、忠臣の最期の奉公を無碍にするようなことはするまいと迷いを断ち切った母禮は、氷沙瑪の体を脇に置くと着物を奪った隣の部屋に戻り、そこに置いてあった刀を田村麻呂たちに突きつけた。


「田村麻呂―――――!!」


 術など使わずとも燃え盛る炎さえ凍り付かせるのではと錯覚するような、黄泉の底から響くかのような冷たい声に、男たちがたじろぐのを見やりつつ母禮は続ける。


「貴様のせいだ田村麻呂。貴様と言う男を見誤り、その言葉を信じた結果がこの様だ。阿弖流為は罪人として処刑されたうえでその首を晒され、氷沙瑪は死に、私の体は汚された――――!!」


「違う! 話を聞いて欲しい母禮殿! それがしは決して貴方がたにこの様な真似を――――待たれよ!」


 本来、田村麻呂の実力があれば止めることは容易かったろうが、だがこの状況に動揺していた彼はその1歩が遅れた。


 目の前で母禮が持っていた刀を喉に突き刺すのを止めることができず、その場に崩れ落ちる段になってようやく側に駆け寄った田村麻呂だったが、その襟を口から鮮血をあふれ出した母禮が掴んでしゃがれた声を出す。


「呪われろ田村麻呂。子々孫々、未来永劫において貴様とその1族が艱難辛苦に見舞われんことを――ッ!!」


 呪いの言葉と共に吐き出された血に顔を赤く染め、呆然とする田村麻呂。その場に座り込んでしまったその肩をゆすって部下たちが叫んだ。


「将軍! その御心の傷つきよう察するに余りありますが、まずはご避難を! この屋敷はもう持ちませぬ!」


「…………そうだな。それがしはこのまま母禮殿を運ぶ。そなたたちは氷沙瑪の遺体を運んでくれ。丁寧に体を清めた後、蝦夷えみしに返却する故くれぐれも丁重にな」


「はッ!」


 田村麻呂は己の事を心配して部屋に飛び込んできた部下に、隣の部屋に置かれた氷沙瑪の死体を回収するよう指示すると、母禮の体を両手で抱え上げる。


 その体に染みついた男の匂いに、自分が帝に前都の長岡にて雑務を命じられていた間、ここで何が起きていたのかを理解し、後悔する田村麻呂の耳に隣の部屋から悲鳴にも似た驚愕の声が響いた。


「どうした」


「それが……我らがほんのわずかの間目を離したすきに、例の羅刹の遺体が無くなっているのです」


「燃え尽きたわけでもないと思うのだが。まさか死んだふりをしていて逃げたか」


「……そのようなことあるわけがなかろう」


「そうはおっしゃいますが、実際に無くなっているのであります!」


「……そういう意味ではない」


 ともに蝦夷と戦った側近たちの理解の低さに少し寂しい気持ちを覚えながらも、母禮の死体を抱き上げた田村麻呂は炎の中を駆け抜け、無事に外まで逃げおおせると夜空の星を見上げた。


(蝦夷は土壇場においては己よりも他を優先する者たちだ。仮に氷沙瑪が死んだふりをしていたとしても、取る行動は逃げるのではなく母禮殿の奪還。あの場で母禮殿のご遺体に見向きもしない蝦夷がいるとすれば、それは母禮殿本人以外は考えられん)


 田村麻呂が思い浮かべるは蕗の大きな葉に隠れながら、死人を操っていた蝦夷の小人。そしてその師が母禮だったことも数珠つなぎに思い出した。


(羅刹の体を使って逃げるため隣室に誘い込まれたか。とはいえ、あの時吐きかけられた呪いの言葉と感情は紛れもない本物。……正直此度の件でこの国の貴族どもにはほとほと愛想が尽きた。例え許されざるとも、残りの命は陸奥に出羽、そしてそこに暮らす蝦夷たちのために――――)


 この時夜空に誓った言葉の通り、残りの生涯を陸奥の発展に捧げたのが頼光のよく知る田村麻呂像だったが、残念ながら立ち去った母禮にそれを理解されることはなかった。



――――それから時代は130年ほど跳んで、若狭国の海岸線にある俘囚ふしゅうの町。


「……以上が我らからの報告になります。最近は倭人の貴族たちの権力争いも定まりつつある状況、その家系に連なる者の横暴もひどくなっております故、道満さまもくれぐれもお気を付けくだされ」


 芦屋道満と名を変えていた母禮が協力者とのやり取りを終えて外に出ると、遠くから人々の騒ぐ声が聞こえて来た。


「喧しいぞ! 道満さまが逗留なされている時に何の騒ぎだ!」


「すいやせん! 小成の女房が鬼子を産みやして……。生まれたばかりだってのに、汚い言葉でまくしたてるわ、そこいらの物を持ち上げては暴れまわるわ。その力の強えのなんのって、大人が複数人がかりでも止められやしねえ」


「そんな馬鹿なことが……。申し訳ありません道満さま、悪鬼の調伏は陰陽師様のご領分。どうか様子を見てやってはくれませんか?」


 首肯した道満が現場に着くと、なるほどそこには生まれたままの姿で大人相手に大立ち回りをする女児が1人。その立ち回りに人間が羅刹の子供に翻弄される姿を思い出した道満は、誰にも届かない声で1人感嘆の声を上げる。


『何とも……懐かしい光景だな。これは確かに鬼子と呼ぶのも無理はない』


「あん? なんだコラ、見せもんじゃねえぞ―――――……ってあたいだ!?」


 ローブの下から覗く顔を見て叫び声をあげた乳児の首根っこを掴んで目線を合わせると、怪訝な表情の道満が問いかけた。


『まさか貴様……氷沙瑪か?』


「その声、中身は主様っすか!? うおーん良かったっす! 母ー禮ーやっさ! 母ー禮ー……って痛った!?」


 町の俘囚たちが見守る中、不穏なことを言い出した氷沙瑪の尻を叩いて黙らせると、木片を使った筆談で親が誰かを問いかけると、20歳前の男が1歩前に歩み出た。


「私です道満さま。父の下で商売の勉強をさせていただいてるもので、名を雄谷小成と申します」


「あーん? こんな、なよなよした青びょうたんの人間が親父? しっかし羅刹の雄たる吉弥侯部きみこべの1族たるあたいが何だって人間なんかに……って痛った!? さっきから軽々しく尻を叩きすぎじゃねっすかね!?」


『こうして再びこの世で出会えたことだし、今1度私に仕えて欲しいが、いかんせん今のお前の姿では目立ち過ぎる。私はすることが山積みで面倒見ていられんが、父親が商売人なら丁度良かろう。これを機に読み書き程度できるよう勉学に励め』


「ぬぅ……分かったっす」


『なんだ随分と聞き分けの良いことだな』


「王の亡骸の脇にあった立て札を読めなかったことで、必要性を痛感したもので。手足が短すぎて動き辛いのもありますし、今んとこ主様についてっても足引っ張りそうっすし、主様が必要と思うことを身に着ける期間だと割り切るっす」


 2人だけのやり取りの後、迷惑をかけた町人たちに頭を下げさせると、小成に娘には氷沙瑪と名付けさせた。


 こうして同じ日に命を落とした主従は長い年月を経て再びめぐり逢った。

【人物紹介】(*は今作内でのオリジナル人物)

【芦屋道満】――播磨の遙任国司。左大臣・藤原顕光に仕える陰陽師。

【雄谷子成】――道満の目代。

*【雄谷(吉弥侯部)氷沙瑪】――前世は羅刹の転生者。生前も死後も母禮に仕える忠義者。道満の播磨守就任を機に京に移った。

【坂上田村麻呂】――日ノ本の大英雄。蝦夷を平定した。

【鈴鹿御前】――坂上田村麻呂の妻。第6天魔王・波旬の娘。

【母禮】――芦屋道満の中の人。阿弖流為とともに大和朝廷に反旗を翻した大逆罪人。

【阿弖流為】――羅刹の王。母禮とともに大和朝廷に反旗を翻した大逆罪人。


【用語説明】(*は今作内での造語又は現実とは違うもの)

*【羅刹】――鬼と同義。陸奥に住む鬼をそう呼んでいるだけ。

【黄泉】――あの世のこと。

【蝦夷】――陸奥や出羽にあたる地域に土着してた先住民。

【俘囚】――朝廷に降った蝦夷のこと。

*【倭人やまとびと】――大和朝廷から続く、大体畿内に住む日ノ本の支配者層。蝦夷など各地域に土着してた人々から侵略者に近い意味合いで使われる。



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