幕間 過去・母禮と氷沙瑪の最期 その1
*人物紹介、用語説明は後書きを参照
*サブタイトルの【 】内の人物視点で書かれています
「王よ……」
最近建築されたばかりの、新しい倭人たちの京の東。音羽山清水寺に晒された阿弖流為の首を見て、悔しさに握りしめた氷沙瑪の拳から赤い血が地面に落ちた。
脇に設置された立札に何かしらの文字が書かれていたが、戦に生きてきた羅刹にはそれを読むことはできない。さんざん主の母禮からいち指揮官として読み書きくらいできるようになれと言われていたのを、笑ってごまかしてきたことを悔んだとて今更どうにもならないが、何が書かれているのか推測はできた。
どうせ支配者たる朝廷に逆らった僻地の蛮族の首領の首だの、それを討った田村麻呂の功績などが書かれているに違いない。そう結論に至った氷沙瑪は大きく舌を打った。
「田村麻呂……ッ! テメエが金出して造らせた寺に、騙し討ちにした王の首を晒すとはな。どす黒い自己顕示欲の権化が反吐が出るぜ」
憤りから大声で叫びたくなるのを抑え、すでにとっぷりと暮れた夜の闇の中、もう1人の首を探す。しかしどこをどう探してもそれらしいものは見当たらない。
この晒し首が賊の討伐を喧伝するためのものなら、2人の首領の首を並べない道理はない。
「どういうことだ? まさか……王に比べて小せえからすでに腐り切っちまった、なんてことはねっすよね?」
田村麻呂からの降伏勧告を受け入れ、京に向かった阿弖流為が処刑されたと聞きすぐに駆け付けたわけだが、京と陸奥では情報の伝達にとても時間がかかる。実際、阿弖流為の首と、その下で野ざらしにされている胴体もだいぶ腐敗が進んでいるのが見て取れた。
それでも、2つの死体が並べられていたというには阿弖流為の首を乗せている台にはスペースに余裕がなく、近くに他の台が設置されていた形跡もない。
そこで氷沙瑪は1つの結論に至った。それは都合の良い自分の願望と言っていい、あまりにもわずかな希望。
「まさか……生きていらっしゃるんすか? くそ、立札の字さえ読めれば状況がもっと分かったかもしれねえのに……! 王よ、しばしその玉体をそのままにするのを許して欲しいっす……!」
本当なら担いで持ち去りたいところだが、仮に母禮が囚われのままなら担いでいては邪魔になる。氷沙瑪は阿弖流為に詫びると、腕に巻いた鎖のじゃらつかせながら京の方向へ駆け出した。
*
「何だ……? ごふッ!!」
「曲者だ―――ぎゃッ!!」
暗闇に乗じて城壁を駆け上げた氷沙瑪は、城壁の上にいた2人の見張りを鎖で殴り殺すと上から京の街並みを見下ろした。
まだ出来たばかりで段階的に民の移動を行っている状態の京には明かりが少ない。そんな中、過剰とも言うほど篝火を焚いている屋敷があるのに気が付いて目を凝らす。
「あれは…………外に武装した人間を配置までしてるとか怪しいな」
他にもいくつか候補はあるものの、まず目に入った厳重な警備の屋敷。そこに当たりを付けた氷沙瑪は城壁から飛び降りて夜の道を走る。
屋敷に着くと塀を飛び越え植木の影に隠れて様子を窺った。
(外の見張りは8人か。下手に騒ぎを起こしと、ここがハズレだった場合に本命の警備が……いや、主様が囚われてるとなると時間をかけてらんねえ。なら――――騒がれる前に皆殺す!!)
まず離れたところに1人で立っていた男めがけて鎖を振るうと、男は何が起きたか気づく間もなく崩れ落ちた。倒れる音に他の見張りの視線が1か所に移ったのを見て、死角に入り込むと両手の鎖で2人ずつ1度に頭を砕く。
ここでようやく不審者の存在に気づいた他の見張りも、騒ぐ暇を与えられずに頭を砕かれて地面に倒れた。
「よし、外は完了ッと。ここからは慎重にいかねえとな」
屋敷の狭い廊下を足音をたてないように進む。ここでは、もし誰かに鉢合わせた場合、それが離れた位置からだと鎖が使えない。
もちろん素手でも負けることはないが、いかんせん攻撃範囲が極端に短く、騒がれては対処が難しい。読み通り母禮が生きて囚われているのであれば、それは致命的な失敗だ。
(……人の気配がない。眠ってるのか? ただのお偉いさんの屋敷で警備を厳重にしていただけ―――いや)
耳を凝らすと確かに遠くから人の声が聞こえて来た。城壁の上から見た時も思ったが、とにかく屋敷が広すぎる、そのせいで人の気配が感じられなかったのだろう。
自分の息を殺し、足音を殺し、時には空き部屋を利用しながら屋敷を進む。声は次第に大きくなり内容もはっきり聞こえるくらいの位置まで来た氷沙瑪は、それがとても下卑たものだと分かり眉を顰めた。あまりに聞くに堪えないものに思わず耳を塞ぎたくなった時、その中にほんのわずかによく知る女性の、哀れに懇願する泣き声が聞こえた。
「――――もう、止めてくれ。これ以上は身体が持たな……んぐぅ!?」
「止めて欲しければさっさと外海を渡れる船の作り方を喋ることだな。どのような手段でそれを知ったのかは知らんが、卑しい蛮族にはあまりにも過ぎた技術よ」
「ははは! 不細工な野蛮人ではあるが、体つきだけは極上。これを使って技術ある優秀なものを誑かしたのだろうさ! なあ!?」
「そうに違いない。さあ、さっさと喋ることだな」
1瞬で脳みそが沸騰し、氷沙瑪が声の漏れ出る部屋に飛び込む。そこにいたのは10数人の男と1人の女。誰1人着物を着ておらず、部屋の中央で女が下から1人の男に突き上げられながら、両手にそれぞれ別の男の男根を握らされ、その片方を口にねじ込まれている。それを周りでニヤニヤと笑いながら男が取り囲むという、おぞましい光景が広がっていた。
「クソどもがああああああああああ!!!! 殺すッ! 殺す殺す殺すッ!」
狭い廊下ではなく鎖を振るうにも十分な広さの大きな広間。すぐさま周りを囲んでいる男の頭が2つ弾けた。
「羅刹!? この女を助けに来たのか!?」
「外の警備は何をしていた!? それよりその女を人質に――――」
「うぎゃああああああああああああああ!!!!」
氷沙瑪の乱入に混乱した男たちだったが、すぐに冷静になって母禮を人質に取るよう指示をしたその時、突如乱入者とは反対の方向、自分の間後ろから響いた悲鳴に振り返る。
その顔めがけて飛んできた柔らかいものを、ずり落ちる前に手で押さえると、それは真っ赤に染まった肉の塊。
雄の匂いが沁みついた液体に体を濡らしながら立ち上がった、さっきまで泣き叫んでいた女の口が真っ赤に染まっているのと、股間を抑えて痙攣する男の姿に、それが噛み千切られた男根と理解したがその次の瞬間には鎖で頭を砕かれた。
すべての男が物言わぬ躯になった部屋で、氷沙瑪が母禮のもとに駆け寄る。
「主様――――!! 申し訳ねえっす! あたいがもっとしっかりしてれば、こんな目には……!」
「それはムリだろ。だから気にするな氷沙瑪」
今にも泣きだしそうな副官の肩を叩いて慰めようとするものの、その手が男の精液でべとべとになっていることに気づき、優しい言葉をかけて労をねぎらう母禮。
「今の私は首に付けられた首輪が道力を吸い上げるせいで術が使えん。そうなると武器を持たれたら私ではどうにもならんので、哀れったらしく泣き叫ぶことで素っ裸になるよう仕向けただけよ。股間にぶら下げた弱点をわざわざ握り潰してくれと近づけて来るのだから滑稽なことだ」
「……悲鳴上げるのはらしくないとは少し思ったっす」
「1人で脱出するつもりだったが、助けに来てくれたことは感謝する。……だが、お前が来たということは陸奥に何かしらの知らせ……いや、良い知らせなわけがないな。……阿弖流為か?」
「……はいっす。清水寺にてご遺体が晒されているのを確認したっす。そこに主様の体がなかったので、ご遺体をそのままにまずは主様の捜索を優先したっす」
「ちッ……だが、遺体があるのは重畳。すぐに回収するぞ、案内してくれ」
「いやいやいや! まずは体を清めて服を着てくださいっす!」
「今は時間が惜しいのだがな……」
そうは言いながらもすぐにでも水に飛び込みたいくらいの気持ちなのは確か。襖を開け隣の部屋を覗き込むと、その奥に数着男物ではあるが着物が広げられているのが目に入った。
母禮がそのうちの1つで体をふき、その隣にあった着物を身に着けると、襖のところに立つ氷沙瑪に声をかける。
「今はこんなものか。待たせたな氷沙瑪、すぐに出るぞ」
普段であれば即返事をする氷沙瑪が、なおも立ち尽くすのを見て母禮は違和感を抱いた。暗い部屋の中から隣の明かりで逆光になっているため、その表情を読むことができない。
「どうした氷沙瑪? 何かあったのか――――」
「あひゃひゃひゃひゃははははははひひほほほへへひゃひゃひゃひゃ!!!!!」
「ッ!!?」
その問いかけに応えたのは聞きなれた氷沙瑪の声とは違う甲高い笑い声。身構える母禮の目の前で、氷沙瑪の首からその首よりひと回り細く長い何かが引き抜かれると、氷沙瑪の大きな体が音を立てていた魔に崩れ落ちた。
【人物紹介】(*は今作内でのオリジナル人物)
【母禮】――芦屋道満の中の人。阿弖流為とともに大和朝廷に反旗を翻した大逆罪人。
*【雄谷(吉弥侯部)氷沙瑪】――前世は羅刹の転生者。生前も死後も母禮に仕える忠義者。道満の播磨守就任を機に京に移った。
【阿弖流為】――羅刹の王。母禮とともに大和朝廷に反旗を翻した大逆罪人。
【坂上田村麻呂】――日ノ本の大英雄。蝦夷を平定した。
【用語説明】(*は今作内での造語又は現実とは違うもの)
*【羅刹】――鬼と同義。陸奥に住む鬼をそう呼んでいるだけ。
*【神力】――生物が持つ超常を起こすための力。魔力・道力・気力・妖力と所属勢力によって呼び方は異なるが、全部同じもの。