【雄谷氷沙瑪】豊穣の村
*人物紹介、用語説明は後書きを参照
*サブタイトルの【 】内の人物視点で書かれています
「着きました。大体あの辺りが姫巫女様のおわす村です」
「村……?」
城から休まず馬を操ること一昼夜。山を抜けた高台から眼前に広がる平野を見渡すもどこにも柵らしきものは見えない。それどころか京周辺じゃ珍しくもない穢物だけど、陸奥国にしてはやたら目に付く。
とはいえ……なんか寝転がったり、近くに命のある動物がいるのに襲わなかったり、随分と大人しいな穢物。
「あると知らなければ絶対に分からんのが阿陀多羅の結界だ。身内であっても外からじゃ分らんのだろ」
「その通りです。辺りに屯している穢物ですが、全て荒脛巾様によって支配されているもの。蝦夷であれば襲われることはありませんので、決して手出しは無用でお願いいたします」
「てことは、氷沙瑪姉は倭人と間違えられて襲われるかもな」
「おいこら滅多なこと言うんじゃねえよ。今のアタイの両親は俘囚だから大丈夫だ、多分」
刃倶呂とバカやってると狩武呂が手を伸ばして来た。
「手綱をこっちに渡せ氷沙瑪。母禮様も初めてですから、ここは私が先導いたします」
狩武呂に手綱を引かれのんびりと歩いてるってのになるほど。穢物たちは我関せずとばかりに何もしてこねえし、馬も危険を感じないのか穏やかなもんだ。事前に言われてるとはいえ、なかなか不思議な気分だな。
命あるものが脇を抜けてるってのに何もしねえ穢物とか、存在価値が疑われるっすわ。
神にアイデンティティを奪われた憐れな獣の間を縫って歩くと、ふいに肌に感じる空気の質が変わった。
「ほう」
「凄っげ」
今まで何もなかった場所に広がる光景に思わず息を呑む。
ほんと、どこをどうすればこんな場所を隠す出来るのかマジで分かんねっすねえ。どこぞの異国かぶれのお貴族様みたいに空間でも捻じ曲げてんのか、遠くまで黄金色の平原が広がってる。
これ全部米っすか? 京のお貴族様たちでもこれだけの数集めらんねえぞ。
「よくもまあこれだけの食物を作れるものだ。猪苗代城だけでなく陸奥国の人々が冬を越すにも十分に見えるな」
「ここからは見えませんが、遠くにある畑では瓜や茄子のようなもともと日ノ本で取れるものや、Papaのような、津軽が交易によって手に入れた異国の野菜も作っております。よろしければ後で味も見てください」
「それはいいけど人手足りてんのか? 冬が始まってるってのに、全く収穫出来てねえのまずくね?」
「氷沙瑪姉はマヨヒガに入ったことないんだっけか? 荒脛巾様の結界は季節さえ操るから冬の心配なんかしなくていいし、1年を通して作物が取れるぞ。なんだったら土が痩せねえから、1年に複数回とれる作物だってある」
「マジかよ」
確かにマヨヒガは常春だけど、春だけじゃなく他の季節にもできんのか。
「荒脛巾様への信仰を否定していらっしゃる亀姫様には、津軽より仕入れているとお伝えしております。コロポックル殿が母禮様の御体に捧げるため、鮪を取り寄せたりするついでということで」
「ふむ、本当になんとかせねばならないな」
「――お話し中のところ失礼いたします。母禮様でございますね」
実りに包まれた村の様子に驚いてると、巫女服に身を包んだ1柱の羅刹が近寄って来た。
「いかにも。阿陀多羅の側仕えか?」
「はい。皆様がこちらにいらっしゃるということは、姫巫女様より伺っておりましたのでお迎えに上がりました」
「そうか。そのようなことができるようになっているとは、歳月を重ねて力を増しているようだな。それでは案内をお願いしよう」
「どうぞ、わたくしについて来てくださいませ」
深々と首を垂れる稲穂の間を進むこと10分ほどで、竪穴住居が何件も立ち並ぶ広場に出た。
その中心、藁ぶきの屋根にコロ助が頭に巻いてるマタンプシに似た模様の入った青い布を飾った大きな住居の入り口に立つと案内の羅刹が中に向かって声をかけた。
「姫巫女様。母禮様たちをお連れいたしました」
中から「おー」と間の抜けた声が返ると、案内の羅刹は振り向いて丁寧にお辞儀をする。
「どうぞ中へお入りください。姫巫女様がお待ちです」
「ああ。案内ご苦労」
一緒に入ってくる気はないのか去っていく羅刹を見送り、主様たちに続いて中に入る。するとそこには……なんか変わった格好の女の子? が立ってる。
身長は140㎝ほど、土気色の肋骨が浮いた肌に所々泥を塗った白いペイントをして、紺色に染めた長い布を首に回して、胸を隠すように交差させた後腰の後ろで縛る。
下半身は褌を履いた上から数珠繋ぎいした瑪瑙にひもを通した黒い布を腰に巻き、両手首・足首にも瑪瑙の数珠を巻いた女の子。
アタイの知ってる姫巫女様と体格は近い……近いんすけど、巫女服を着てたはずが随分ワイルドな出で立ちになってるっすね……。
「阿陀多羅……か? 久しぶりだな、元気そうで安心――――」
「あっららららららーい」
「……ん?」
「もれーあっららららららーい」
「「アッララララララーーーーーーイ!!!!」」
「お、おお。あっららららららーい」
主様も相当困惑してるっすねー。胸をそらしながら大きく両手を広げて、荒脛巾様への祈りの言葉を使うのは……まあいいんすけど、姫巫女様ってこんなによくしゃべる方だったっすか? 言葉遣いもやたらと幼い印象を受けるんすけど。主様に挨拶を返されたことに「むふー」と満足そうに鼻を鳴らすのもらしくないっす。
「とりあえずなんだ……その、魚? いや、大蛇か? 頭に被っている動物の骨を外してくれないか。そういう巨大化した穢物の頭を飾ったり再利用するのは流行っているのか?」
「そういや茨木で初めてあった時の頼光も、牛車の上に穢物の頭乗っけてたっすねー。荒脛巾様のことは知らないみたいだったっすけど、陸奥国の流行ってのは考えられるっすか」
主様に言われて両手で骨を持ち上げると、真っ白な髪を三つ編みにした、眠たそうな垂れ目に真っ黒な瞳の見知った顔が姿を現した。顔にも所々泥が塗られて、その部分だけが白い。
「ふむ……確かに阿陀多羅だな。随分と様子が変わったようだが……先の大戦で心を壊したか? 阿弖流為と私が京に向かうときは普通だったはずだが」
困った顔で主様が問いただすと、こっちもこっちで困ったように狩武呂が答える。
「私からだと憚られますので、どうぞ御自らお話しいただけますと」
狩武呂が姫巫女様に視線を移すと、「おー?」と1声あげたあとキョトンとした表情で首を傾げられた。何かおっしゃられるのかと期待したのに、姫巫女様はゆっくりと目を閉じられた。うーん、マイペース。そりゃ狩武呂からしたら言いづらいことなんだと思うけどさ、ご本人がこれじゃ埒明かねって。
んなことを考えると、ドン! と体が押し付けられるような重さを感じた。その衝撃に狩武呂と刃倶呂が深々と姫巫女様に礼を取る。
そして姫巫女様の瞳が再び開かれると、さっきまでの真っ黒な瞳が外に広がる稲穂の如き金色に変わっていた。
「我、降臨。母禮、そして氷沙瑪よ。こうして直接話すは初めてであるな! はっはっはッ!」
さっきまで以上にこれじゃない感を出しつつ、豪快に笑う姫巫女様。さすがの主様もその変化について行けずにアタイ同様棒立ちになってると、跪く狩武呂が小声で声をかけて来た。
「荒脛巾様です」
正体を告げられ慌てて膝をつこうとすると、荒脛巾様は手でそれを制して、狩武呂と刃倶呂の2柱にも立ち上がるように手で促した。
全員が立ち上がるのを見届けると、小さな体で腰に手を当て渾身のドヤ顔をキメながらふんぞり返られた。
「然り! 我こそが荒脛巾様である!」
以前の姫巫女様はあくまで荒脛巾様の声を聴き、皆に伝える代弁者だったはずっすが、神を御身に降ろすまでになったって事すか。その神様の好みと考えればこの奇妙な服装も納得っすねえ。
とはいえ神様って会うの初めて……いや、なんか頼光たちの拠点で飯炊きしてたのも神様とか言ってたっけ? どう接すればいいのかよく分からないところに、さらにわけ分かんなくさせてくれた頼光を恨みつつ、ともかく今は拍手でもしておけばいっすかね?
【人物紹介】(*は今作内でのオリジナル人物)
【母禮】――芦屋道満の中の人。阿弖流為とともに大和朝廷に反旗を翻した大逆罪人。
【亀姫】――阿弖流為の次女。猪苗代城城主。
*【雄谷(吉弥侯部)氷沙瑪】――前世は羅刹の転生者。生前も死後も母禮に仕える忠義者。道満の播磨守就任を機に京に移った。
【コロポックル】――母禮の弟子のネクロマンサー。コロだのコロ助だの呼ばれる。
*【邑良志部狩武呂】――羅刹の男。刃倶呂の兄。
*【邑良志部刃倶呂】――羅刹の男。氷沙瑪とは昔馴染み。
*【阿陀多羅】――荒脛巾に仕える神官。姫巫女様とも。荒脛巾をその身に降ろすことが可能。
【阿弖流為】――羅刹の王。母禮とともに大和朝廷に反旗を翻した大逆罪人。
【用語説明】(*は今作内での造語又は現実とは違うもの)
*【穢物】――穢を浴びて変質した生物。俗に言うところのモンスター。
【蝦夷】――陸奥や出羽にあたる地域に土着してた先住民。
*【倭人】――大和朝廷から続く、大体畿内に住む日ノ本の支配者層。蝦夷など各地域に土着してた人々から侵略者に近い意味合いで使われる。
【俘囚】――朝廷に降った蝦夷のこと。
*【マヨヒガ】――富姫のために造られた常春の異空間。
*【羅刹】――鬼と同義。蝦夷に住む鬼をそう呼んでいるだけ。
*【荒脛巾】――蝦夷の間で信仰される神様。
【マタンプシ】――アイヌの方々が身に着けている柄の入ったハチマキ。