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第三章 テイラー通りの魔女 1

 半時間後――


 エレンとニーダムは再び辻馬車に揺られて市内の北のテイラー通りを目指していた。


 名の通り仕立屋が多く軒を連ねるこの通りには、あまり名誉あるとはいえない別名があった。


 すなわち「愛人通り」。

 すぐ近くの国会議事堂に出入りする地方選出の下院議員や、上院に世襲の議席をもつお貴族さまがたが、秘かに愛人を住まわせることの多い通りなのだ。

 辻馬車が目指すのはその通りの二十七番地だ。


 そこにはこの頃大陸わたりの魔女が住まっている――と、一部界隈ではもっぱらの噂なのだった。



 一部界隈というのは要するに、エレンの属する首都近郊のミドルクラスの冬の社交の場ということだ。


 これは生身の馬の引く辻馬車に揺られながら、エレンはざっとニーダムに耳にしている噂を話した。

「――テイラー通りの魔女というのは、あくまでも通称なのです。このごろ大陸から亡命してきたマダム・ヴァリエというご婦人で、宮廷に出入りなさっている準男爵(バロネット)がたのお話では、とてもお美しい方なのだとか」

「その通称魔女は何を生業にしているのじゃ?」と、空調のために再び呼び出されている火蜥蜴のサラが訊ねる。

 エレンは口ごもった。

 サラがふーッと濃い色の煙を吐く。

「エレン、そういういかがわしい女の家を訊ねるのは、名誉と良識あるセルカークのディグビー家の娘としてはどうかと思うぞ?」

「――サラ、あなたはどうして火蜥蜴のくせにそう頭が固いの?」

「で、その魔女と呼ばれるマダムに、本当に魔力(グラマー)があると?」と、ニーダムが心許なそうに訊ねる。

 エレンは頷いた。

「もしかしたらなのですけれどね。この頃、社交の場でときどきそういった噂を耳にしたのです。テイラー通りを訊ねて恋の占いをしてもらっただとか、厄災よけの呪文を唱えて貰っただとか。ですから、もしかしたらその方、本当に魔術師で、まだこちらに来たばかりだから組合にも加わらず、公にもあまり知られていないのではないかと思って」

「なるほどーー」と、わりと何にでも感心するニーダムがしみじみと感心した。「確かにそれならあなたも先ほどのごサー・フレデリックも知らなくても不思議はありませんものね」

「なあエレンよ」と、火蜥蜴が口を挟む。「この若造はやはりお買い得ではないか? 人生を共にすれば一生なるほどと感心して貰えるぞ?」

「黙りなさい火蜥蜴(サラマンダー)」と、エレンは低く命じた。「ミスター・ニーダム、この生き物の戯言はどうかお気になさらず」

「……私としてはそう思っていただけるのは非常にやぶさかではないのですけれど」

 はにかみやのニーダムは思春期の少女みたいに婉曲に恋心を吐露した。

 その手のことに非常に鈍いエレンは当然全く気付かなかった。肩の上に鎮座する火蜥蜴がほーっと淡い焔を吹く。



「着きましたよお客さんがた。二十七番地です」

 辻馬車の扉を御者が外から開けてくれる。

「じゃあねサラ、ありがとう」

「いやなに、気にするな。若造、エレンを頼むぞ」

 ボッと小さな音を立てて、火蜥蜴がエレンの右の掌のなかへ沈むように消えてゆく。

 赤ら顔の御者が目を瞠った。

「あんた魔法使いで?」

「ええ」と、エレンは得意さを隠し切れずに答え、右手の薬指に嵌めた銀製の印章指輪を示した。

 四角い台に諮問魔術師(コンサルテイティヴ・マギステル)を表すCMの二字と、エレン・ディグビーのフルネームが刻み込まれている。

「この通り、タメシス警視庁任命の諮問魔術師です」

「ははあ――」

 御者は呆れとも感嘆ともつかない声を漏らした。



 ガラガラと車輪の音を立てて生身の馬の引く二頭立ての馬車が轍の跡の刻まれた石畳の街路を遠ざかっていく。

 エレンとニーダムは改めて目の前の建物を見やった。


 市街地には珍しい赤レンガ造りのセミデタッチドハウスだ。

 左右対称の二軒が真ん中でくっついて一戸を形成している。窓枠は白で屋根はくすんだ赤。狭い前庭を囲む赤レンガの塀の左側にだけ、棘ばかり残した薔薇の蔓が這わされている。


「見たところ右側は空き家ですかね?」と、ニーダム。「なんだかずいぶん普通の家ですねえ」

「そうですね――」

 庭へと入る木戸には鍵はついていなかった。三段の階段を上り、玄関先で呼び鈴の紐を引く。

 すると、すぐさまドアが開いて、厳粛そうな顔をした年配のメイドが現れた。

 メイドはエレンを見るなり恭しく訊ねた。

「どちらさまですか?」

「セルカークのエレン・ディグビーです。マダム・ヴァリエはいらっしゃる?」

 エレンはわざとプライヴェートの訪問みたいに訊ねた。

 メイドはちょっと迷ってから、清潔そのものの真っ白なキャップを被った頭を軽くさげて、

「お取次ぎいたします」

 と、奥へと消えていった。

 この間、気の毒なニーダムには一瞥もくれていない。

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