第二章 タメシス魔術師組合 2
ピアゲート通りがテンプル・スクエアに入る手前で、エレンとニーダムは辻馬車を降りた。
テンプル・スクエアは円い城壁に囲まれた市内の五つの門から発する五本の通りがすべて集まる広場だ。真ん中に聖ルーク寺院が建っているからこの名前がついている。
聖誕祭の休暇がもうじきに終わる一月半ばの平日のこと、広場はいつも以上に混んでいた。林檎とシナモンを入れてことこと煮込んだ甘いグリューワインの屋台が甘い匂いを放っている。
「さすがに賑やかですねえ。ミス・ディグビー、足元にお気をつけて」
「ありがとうございます。大丈夫ですよ。このあたりは慣れています」
テンプル・スクエアの一帯は世にいう「オールド・タメシス」――古い旧い時代から首都の中枢を担ってきたこの都市の中心部だ。
北東側の一角を市庁舎が占め、ブルックゲート通りを挟んだ西側にさまざまな職業別組合の会館が並んでいる。
魔術師組合の会館は海運商人組合と毛織物商組合の会館のあいだで、一見するとごく普通の三階建ての建物である。
唯一目を引く特徴は、入口に古色蒼然とした三メートルサイズの甲冑型の自動操縦人形が一対据えられ、長い槍を交差させて扉を護っていることだけだ。
「いつみても迫力がありますねえ」と、自動操縦人形を仰ぎながらニーダムが感嘆する。「これ、随分古いものなのでしょう?」
「ええ。たしか三三八年前、十二代目の組合長が、当時の最新式の技術を駆使して作成したと聞きました」
エレンは得々と答えた。アルビオンの伝統的な地主階級の令嬢らしく、旧きことは常に善きことと思っているのだ。
「ははあ――」
説明しがいのあるニーダムが素直に感心する。「これどうやって開くんですか? 開門の呪文? 『開け―胡麻!』なんちゃって、ハハ……?」
冗談めかして古式ゆかしい呪文を口にしたニーダムは、右手の自動機械人形を仰いだまま硬直した。
甲冑の隙間からわずかに覗く目元にあたる空間が微かに赤く点滅したのだ。
次の瞬間、ギギギギギ、と軋んだ音を立てて交差された槍が持ち上げられてゆく。
同時に重たげなオークの一枚板の扉が音もなく開いていった。
「ええと――今なにかなさいました?」
「いえ」
エレンは諦めて認めた。
「わたくしは何も」
「え、じゃ、なんでいま開いたので?」
「――あなたが先ほど口になさった開門の呪文のためです」
「……開け胡麻?」
「ええ。―-きっと三三八年前には最新鋭だったのです。ミスター・ニーダム、防犯上の観点から、この呪文はどうかご内密に」
「分かりました。しかし――素人考えかもしれませんが――防犯上の観点から、呪文はそろそろ変更できないのですか?」
「その点については毎年会議が開かれていますが、各地においでの長老がたや、なによりその契約魔たちが断じて許さないのです」
「契約魔って、わりと発言権あるのですか?」
「種類によってはあります。あ、ミスター・ニーダム、そろそろ入りませんとドアが閉まってしまいます!」
二人が慌てて玄関ホールへ入るなり、閉まりつつある扉の外でガションと大きな音を立てて槍が打ち合わされるのが分かった。
玄関ホールは白とピンクベージュの大理石張りで、左右にドアがあり、正面が階段になっている。エレンは慣れた足取りで二階へ上ると、グリフィンの頭を象った重たげな黄金のノッカーの頭を撫でて訊ねた。
「レオン、組合長はいらっしゃる?」
するとノッカーが重々しい声で応えた。
「ああいらっしゃる」
「では、いまお会いできるか確かめて。わたくしはエレン・ディグビー。タメシス魔術組合の組合員です。こちらの連れはミスター・ニーダム。信頼できる友です」
名乗りながら指先を介して微細な魔力を注ぎこむ。
するとノッカーはぐるぐるっと喉を鳴らし、
「レディ、しばしお待ちを」
と、唸った。
ややあってノッカーがまた口を開く。
「入られよ。お連れの従士も」
扉が開くとその先はごく普通の事務所だった。
窓を背にした正面に大きな書類机があって、仕立てのよさそうな深緑のウェストコートを着た金茶の髪の紳士が傍に立っている。見たところ三十の半ばほどか、濃いブルーの目とくぼみのある顎を備えたゴージャスな美男子だ。ふさふさとした金茶の髪が、ノッカーのライオンの鬣とじつによく似ている。
「やあミス・ディグビー」と、紳士がにこやかに言う。「今日はどうしたね?」
「サー・フレデリック、突然すみません。警視庁の仕事の関係で、少々伺いたいことがございまして」
「するとお連れの信頼できる友は警察官なのかな?」
「あ、はいサー、ご挨拶が遅れて申し訳ありません!」と、ニーダムが慌てて背筋を正す。「タメシス警視庁の警部補のクリストファー・ニーダムと申します。サウスエンドで起こった殺人事件の遺留品について、魔術師殿の御意見をうかがうべく、ミス・ディグビーのお力を借りております」
「われわれの組合員がお力になれれば幸いです。力あるものは公益に奉仕せよ――というのが、連合王国の魔術師の共通理念ですからね。そういうことならゆっくりお話を伺いましょう。――青帽子たち!」
サー・フレデリックがパンっと掌を打ち合わせるなり、虚空にピシピシっと皹みたいなものが走って、卵の殻を推し割るみたいに、青いとんがり帽子を被った深緑色の矮小な人間みたいな生き物が三体ばかりも床へと転がり出てきた。
「居間にお茶の支度をしなさい」
青帽子たちは無言で敬礼をするなり、一列になって隣室へ入っていった。