第五章 三本柳邸 1
一週間後である。
エレンはいつもの仕事着で、いつもより大型のトランクを携え、両手をリスの毛皮のマフの中に埋めて、カトルフォード街道を走る八人乗りの駅馬車に揺られていた。
長い聖誕祭の休暇が終わるころだから、同乗者の殆どは、冬の歓楽を尽くしたタメシスから大学街カトルフォードへ戻る運命を悲しむ十五歳から二十二歳くらいの若い学生連中ばかりだ。
全身から獣っぽい匂いを放つ若い男たちは、彼らからすると「ちょっとお婆さん」ながら大層美しいエレンにちらちらと興味深そうな視線を送っていたが、じきに、見るからに遊び人っぽい赤い上着の一人が、なれなれしい口調で話しかけてきた。
「ご婦人、今日はどちらまで?」
エレンは待っていましたとばかりに答えた。「グリムズロック村まで」
「ああ、クルーニー家の地所のある村ですね!」と、若者は嬉々として応えた。「三本柳邸に行かれるのですか?」
「ええ」
「何の御用か当ててみましょうか?」
若者がエレンの顔を覗き込むようにして告げる。
エレンは微かな緊張を感じた。
「……何だと思いますの?」
「ミス・エリザベス・クルーニーの新しい家庭教師に応募なさるんじゃありませんか? あなた、見るからに熟練の家庭教師って感じだ」
若者が得意そうに――勤労せねばならない年上の未婚女性への憐れみと軽侮も露わに――言い放った。美しい女を見下すことに人生の全情熱をかけていそうなよくあるタイプの若者である。
エレンは安堵した。
「ええ、その通りですの。よくお分かりですね」
「有名な話ですからね」と、若者が鼻をうごめかせる。「ミス・エリザベスは随分なはにかみ屋で、齢の離れた兄のジョン・クルーニーの婚約者だったミス・シシー・エヴァンスが、将来の義姉として勉強を見てやっていたのだそうです。しかし、ほら、ジョンはパーシーの御令嬢と急に婚約してしまいましたからね――」
若者がひそひそと嬉しそうに囁いてくる。
エレンはミス・リンジーを手本にして、いかにも興味津々といった調子で尋ねてみた。
「ね、ね、そのパーシーの御令嬢ってどのような方なのですの?」
訊ねるなり若者はケッと舌を鳴らした。
「高慢で傲慢で厭な女ですよ! パーシー家はほら、準男爵の爵位こそ持っていますが、何年か前の東海会社の株の大暴落で財産の大部分を失くしたって話なのに、いつもやたらと派手な身なりで、あれは相当借金を重ねているんじゃないかって専らの噂だったのですよ」
「それがクルーニー家との結婚ですか――」
エレンは思わず素で応じた。
グリムロックのクルーニー家の名は、魔術師たちの間では結構有名である。
地所から少量ながらも最上質の凝石を産するためだ。
凝石は自然の魔術エネルギーである息吹が凝ったものとされ、これを用いれば魔術師でなくてもある程度の技が使える。一部の自動機械人形の動力源もこの凝石である。それを産するクルーニー家が、一家族としては相当に富裕なことは間違いない。
これは思ったより色々と面倒な話になりそうだ。
エレンはマフの中で我知らず手の指を組み合わせていた。
正直とても心細い。
勿論サラはいつだって一緒にいるが――今は無性に人間の道連れがいて欲しかった。
エレンは決心した。
巧くクルーニー邸に入り込めたら、真っ先にミスター・ニーダムに報せよう。