第四章 海軍士官のダンスパーティー2
――あの護符をマダム・ヴァリエから買った誰かは、きっと自分が誰かから魅了魔術をかけられていて、身近な人間さえも信用できないと思っていたはず。だからわざわざ内密に、誰とも何のゆかりもない亡命者の「魔女」を選んだのだろう。
それがエレンの推理だった。
その護符がどういう経緯でかサウスエンドの娼婦の部屋に遺されていた以上、もともとの買い手は不本意な魅了魔術をかけられている可能性が高い。
連合王国において魅了魔術は完全に違法だ。
取り締まっているのは、王室つき魔術師の通称「魔術卿」が統括する月室庁裁判所で、使ったことが露見したら貴族でさえ一生幽閉は免れない。地主階級レベルだったら、依頼者も行使者も確実に死刑だろう。
それだけの危険を冒して魅了魔術を用いるからには、相応の利益がなければ不自然である。
すなわち莫大な財産目当て。
タメシス近郊で、この頃不自然に性急な結婚か婚約をした財産家の子息がいたら、その人物が護符を買った――あるいは誰かに依頼して買おうとしていた当事者である可能性が高い。
エレンはそう考えている。
「――ねえミス・リンジー、そういえば知っています?」
ゴシップ好きの御令嬢にそれとなく水を向けてみる。
「え、何を? 何を?」
ミス・リンジーは案の定きらきらと目を輝かせ尋ねてくる。
「ほら、この頃、急に婚約を破棄されたっていう、あのお気の毒な――」
そんな話は何ひとつ知らないが、いかにも知っているような口ぶりで言葉尻を濁す。
するとミス・リンジーは、燃え盛る石炭みたいに黒い眸を爛々と輝かせながら頷いた。
「ええ勿論知っていますとも! あの可哀そうな牧師の娘のシシー・エヴァンスでしょう? 子供のころから恋仲だったクルーニー家のご嫡男が急に心変わりして、隣村の準男爵の御令嬢のミス・キャサリン・パーシーと急に婚約してしまったって、あの話でしょう?」
「え、ええ!」
一人目からのいきなりの当たりだ。
エレンは万感の感謝を込めて叫んだ。「まさにその話です。ミス・リンジー、あなたはわたくしの守護天使だわ!」
「あらそう? ありがとう」
脈絡のない賛辞をミス・リンジーは無邪気に聞き流した。
情報収集が終わったあとにも当然ダンスはあった。
エレンはニーダムと踊りながら、今しがた仕入れたばかりの情報を教えた。
「ミスター・ニーダム、次に行くべき場所が決まりましたよ」
「どこです?」
「グリムズロック村のクルーニー家です。あるいは、その隣村のカルアッハのパーシー家。クルーニーの嫡男がパーシーの娘ときわめて不自然な婚約をしているようです」
「なるほどーー」と、ニーダムがいつものように感心した。「そちらにはどのように訪問しましょうか?」
「それを今考えています。諮問魔術師として訪ねるのは、やはりまずいでしょうねーー」
「もちろん論外ですよ」と、ニーダムが慌てて止めた。「相手は違法魔術を使っている悪党かもしれないのですからね? 探りを入れているなんて分かったら何をされるか分かりません。しかし、そういうご立派なお邸への私的な訪問となると、僕が同行するのはちょっと難しいですよね?」
「そうね。どちらもセルカークからはそう遠くないし、共通の知り合いは捜せばいるでしょうから、あなたを一緒に連れて行かない方法だったら、たぶん思いつけるでしょうけれど」と、エレンは忌憚なく告げた。
ニーダムは眉間に皴をよせた。
「ミス・ディグビー、じゃ、お一人で行かれるつもりなんですね?」
「サラも一緒よ」
「もちろん彼は一緒でしょうけれど。できればやめたほうがいい――といっても、聞いては貰えないのですよね?」
「ええ。あなたにはお気の毒ながら」
エレンはつんと顎をそびやかして答えてしまってから反省した。
ニーダムを前にしていると、ついつい高飛車な態度をとってしまう。
――厭な女だと思われないかしら?
急に不安になって相手の表情をうかがう。
ニーダムは純粋に心配そうな顔をしていた。
エレンは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「ミスター・ニーダムーー」
「なんでしょう?」
「あなたはいい人ね」
心の底から告げると、ニーダムは情けなさそうな表情で笑った。
「ありがとうございます」