第4話 〈月猟会〉若頭、クオンの下命
「分かった。ご苦労」
そう言って男は受話器を下ろした。
紺の背広を着こんだ男は、しばし執務机の前で沈思するように立ち尽くしていた。長身の細面は眉目の整った美男であり、その瞳は知性を秘めた浅葱色、髪はそのまま性格を表したような黒だった。
部屋にあるのは革張りの椅子と、彼専用の机には本やら書類やらが乱雑に置いてある。広い室内の調度品はどれも高級だったものの、彼の視線はそれらに留まることはない。
その部屋の一面は、液晶画面で埋め尽くされている。壁にはめ込まれた幾つもの液晶画面には、支部内の監視映像が映っていた。
それだけでなくサクラノ街の道路や路地裏、配下の店舗の映像も映し出されている。
男は革張りの椅子にその長身を埋め、再び受話器に手を伸ばした。
今やこの街の勢力図を塗り替える勢いとなった〈月猟会〉の若き実力者、クオンというのが彼の素性だ。
二四歳でありながら若頭を務める人物で、その英明な頭脳と血統上の理由から次期会長を有望視されている男だった。
「俺だ。彼を呼んでくれ。この時間なら、どこかの酒場に顔を出しているだろう」
そう命令してから数十分後に木製の扉を叩く音が生じ、クオンは入室を許可した。
「こんな時間にお呼びとは、珍しいな。若」
その朗らかな声とともに現れたのは中肉中背の男だった。黒い瞳に、錆びた鉄のような褐色の頭髪を有している。年齢は三十前後に見えるが、その引き締まった体格とハクラン人特有の顔立ちにより若々しさがある。
双眸が鋭く鼻筋が整っており、表情には大人の余裕があるため色男と呼ぶに相応しいものの、その笑顔にはどこか投げやりな刹那主義的退廃があった。
その男の最たる特徴は、ハクラン人の武人の証である刀を腰に帯びていることだ。正確に表せば刀よりもやや短い長脇差という得物である。
着崩した白いシャツと革製の茶色いズボン。革製の帯に長脇差を差す姿は、王国とハクランの着衣を混ぜたようで、街中ではひどく目立つだろう。
「急な呼び立てで悪かった。猶予のならない事態が起こったものでね」
「気にすることは無い。そういうときのために、雇われている男だ。俺は」
「済まないな。ハチロウ」
ハチロウと呼ばれた男は微かに酒精を含んだ息を吐いて笑った。
ハチロウ・ヤマナミ。〈月猟会〉の構成員ではなく、クオンに個人的に雇われている客分といった立場の男である。
かつてはハクラン本国にて随一の剣技を誇った男が少女連続殺人の濡れ衣を着せられ、大陸に逃れて犯罪集団の用心棒にまで零落した姿がそこにあった。
「早速だが、頼みたいことがあってね。どうやら、この〈月猟会〉について嗅ぎ回っている奴らがいるらしい」
「斬ってしまえと?」
「いや、まずは様子を見たい。どうも二組いるらしくてね。一組は素性が分かっているんだが『巡裁》』らしい」
「『巡裁』? あの高名な〈魔女狩り〉のことか」
〈巡回裁判所〉。
王宮が抱える歴史の暗部。中世期に横行した魔女狩りの遺物とも言える存在だ。
現代では〈魔女〉も公式に人権を認められて生存を保証されているが、『水華王国にとって害悪となる魔女』を狩るために、いまだ〈巡回裁判所〉は存続している。
目的も定かでなく諸方を巡察する、庶民にとっては不吉そのものである〈巡回裁判所〉がこの街で〈月猟会〉のことを調査しているという。
「彼女を狙っているので?」
「それを知りたくて、旦那に頼もうと思った次第だ」
「これは愚にもつかぬことを言ったな」
「エンパ如きでは心許ない。かといって、『彼女』を行かせたのでは意味がないのでね。わざわざハチロウの旦那に出向かせるのも、大仰かもしれないが……」
「その下命は、仕ろう」
ハクランの武人として正式な言葉遣いでハチロウは承諾する。腰の長脇差を一揺すりして踵を返したハチロウが思い出したように足を止める。
「おっと、忘れるところだった。探りを入れているのは二組と言われていたな。もう一組については、如何する?」
「ああ、そうだった。もう一組は男一人と、二人の女だそうだ。心当たりが多すぎて絞り切れないが、どうせ俺の命を狙う差し金だろう。そいつらは見定めてから彼女なり、旦那に始末してもらおう」
「心得た」
ハチロウが部屋を出ていくのを見届け、クオンは椅子に深く身体を預けた。
クオンがあらかじめ傘下の遊郭や酒場に、不審な人物がいれば報告するようにと通達しておいたのが功を奏した。そのため、未然に〈巡回裁判所〉の動きを察知できた。
続くクオンの課題は〈巡回裁判所〉をどのように処置するかである。この〈巡回裁判所〉をやり過ごせば、このカナシアを一手に掌握する障害はほぼ無くなるはずだ。
そしてクオンを差し置き、いつまでも会長の座に居座る叔父を蹴落とすことも可能となるだろう。
と、そこまで『彼女』は考えて室内に入った。
扉が開いた音もしないのに室内に人の気配を感じたクオンが顔を『彼女』へと向ける。
「さっきの話、聞いていたかい?」
クオンの声音は今までと比べて穏やかになっている。『彼女』が首を縦に振るのを見て、クオンは柔和な笑顔を浮かべた。
「大丈夫だ。〈巡回裁判所〉だろうと、俺達に勝てるわけないさ」
『彼女』はしばし俯き、クオンに頷き返す。クオンはそれを見届けて再び窓を眺めた。
部屋のなかには、いつの間にかクオン一人だけが残されていた。
敵がクルシェたちの存在を察知して動き出しました。
作者的にかなりのお気に入りのハチロウ・ヤマナミの登場です。
この人はメチャクチャ強い設定の剣士です。少女連続殺人の汚名を着る可哀そうな人でもあります。
名前の由来は、実在の人物である清河八郎、伊庭八郎、山南敬助、『剣客商売』の波切八郎など、好きな剣士の名前が合わさったとにかくお気に入りの人物として作っています。
あとクルシェの標的である、クオンも登場しています。
イケメンで若いのに有能な人物の設定です。
あと『彼女』という存在がいますが、これは誰なのか。あらすじとかに出てるのですけど。