第2話 まずは敵情視察
水華王朝は、王朝開闢以来四百五十年の歴史を誇る王国である。
その成立は中世前期まで遡り、前身であるアークナル王国の七代目国王ギアリッツの専横に反発した国民の革命をその端緒としている。
強国ながら長らく権力を握っていた国王と宦官の精神的腐敗が深刻を極め、堕落した国王や側近に反発した家臣の処刑が横行。
王宮の懶惰な生活により財政も逼迫した。上に倣って下級官僚の賄賂や私刑が蔓延したことで、当時の国民の反感は頂点に達した。
子どもを不当に殺害されたある夫婦が核となって結成された反政府団体が王宮になだれ込み、衛兵を蹴散らしてギアリッツ国王を弑逆したのはある夏の晩。わずか四時間の出来事だった。
その後、反政府団体主軸の夫妻であった夫が一時的に僭主となって二十年ほど国を治めた。だが、その国内の争乱に乗じた他国の侵攻を受け夫は戦死。革命後の国家再建の途上にあって満足な兵力を有しないその国は滅亡の危機に瀕する。
その危機を救ったのが、残された妻であった。魔女であった彼女は、その災害級の魔力で敵軍を圧倒。ついには隣国との和平条約を結ぶに至った。
その功績から女王となった彼女は、国名を水華王国に改めて統治に専念することになる。
水華王朝の初代女王となった彼女が、その強大な魔力を振るったのは生涯一度だけであった。
そのような経緯で誕生した水華王朝の特異な点は、歴代の君主がすべて女王であるということだ。初代女王の強力な魔力は必ず娘に受け継がれるという特性を有することがその理由である。
女王の系譜が魔力を受け継ぐ点、その魔力が単体で一軍を打ち滅ぼす威力を有する点を考慮すれば、国民が女系元首を戴くことを望むのは想像に難くない。
この水華王国一帯から古くから伝わる神話では、この世界を創世した神々はすべて女神であると考えられている。
人外の能力を有する魔女が女性に限られているのは、その女神達の力を受け継いでいるからだとされているのだ。
水華王国の揺籃期には神話的な想像力がその根源を支えていたが、さすがに建国から四百年以上を経た現在では国体に変化が生じている。
ここ数十年の周辺諸国の近代化に後れをとるまいと女系国王という制度は変わらないが、議会を設けて国政運営を任せるという立憲君主制に変容している。
しかし、近隣諸国にとって水華王朝の脅威とは、結局は世界最強の一人である魔女が元首として君臨していることであるのは変わりない。
このように国家創設の内的要因、そして外的な評価からしても、水華王朝にとって魔女が特別な存在であると認知されていることが分かる。
そしてその水華王国の一画、カナシアの片隅に、これもまた魔女の少女が二人の男女を伴って歩いている姿が見えた。
「ソナマナン、どこまで行くつもりなんすか? さっきから歩きっぱなしっすよ」
重くなった背嚢を背負って石畳を踏むことに早くも疲れたのか、やや不機嫌な声音でソウイチが問いかけた。
「まあまあ、もうすぐ目的地の〈月猟会〉の支部に着くから」
「おいおい、ちょっと待ってよ!」
それまで後ろを歩いていたソウイチが小走りになってソナマナンに並んだ。先ほどまでの疲れを忘れたかのように、大きく手を振って訴える。
「いきなり敵地に乗り込むってんすか⁉ それに支部って?」
「まあ、そう慌てるのはお止めなさいな、ソウイチ。敵情視察は作戦の基本じゃない」
「そうだけど」
それまで二人の後ろを歩き、興味無さげにやりとりを眺めていたクルシェが横に並んだ。
「支部に向かっているのは、そこが若頭であるクオンの本拠だから。自分が用意した紙に書いてあったのを覚えていないの」
「えっと……、そうだっけ」
クルシェは無言でソウイチの顔を見上げている。その内心を見破ったソウイチが声を張り上げた。
「あー! 今、『こいつ勉強できなくて、留年すんじゃねえのか』と思ったろ!」
「どうして分かったの」
「ここ半年の付き合いで、クルシェが俺のことをどう思っているかなんぞ、だいたい分かっているさ」
得意気に親指で自分を示すソウイチから、呆れたようにクルシェは視線を逸らした。
「ソナマナン、どうしてこの街に詳しいの」
「お仕事でよくこっちに来るからね。私、結構顔が広いんだから」
ソウイチを真似て親指で自身を示すソナマナン。クルシェは、低温の瞳をくだらない仲間たちから前方へと向ける。
特に気を悪くした様子も無く、ソナマナンが会話を続ける。
「せっかく来たんだから、この街について説明しておきましょっか」
三人がいるのは、〈月猟会〉が縄張りとするカナシアの北部であるサクラノ街だ。〈白鴉屋〉からは鉄道を利用して一時間、駅から歩いて十分ほどの距離である。
第三産業の発展した中規模地区で、街自体の面積が狭く高い建物が密集している造りのため、人々は道路で互いに避け合いながら歩くこととなる。
居住ではなく遊興のために存在する地区で、飲食店と小売店が軒を連ねる大通りや、歓楽街が近隣に有名だった。夜の無い街と評しても差し支えないだろう。
そんな街でも昼過ぎの路地裏は人通りが空いており、三人が群衆の渦に飲まれて辟易することはなかった。
天高く昇った太陽が直角に陽光を注ぎ、建築物の外壁に挟まれた路地も余すところなく照らされている。
「いいこと、ソウイチ? このサクラノ街はカナシアでは新興の街なわけ。そうは言っても三十年は前の話だけれどね。その分、まだ確固たる地位を築いている組織がいないのよ」
「そのくらいは知ってるっすよ。で、その確固たる地位に一番近いのが〈月猟会〉なんだろ?」
この街は繁華街が多いだけあって、犯罪組織同士による店舗の利権を巡る縄張り争いが止まない。酒食に次いで血生臭い事件が多発するのは、街の特徴でもあった。
無論のこと、一般人には無関係の領域で繰り広げられる騒動だった。
小規模の組織が乱立して混沌としていた街だが、ここ数ヶ月は〈月猟会〉の台頭で落ち着きつつある印象もある。
「そうよ。よく知っているじゃない」
「へへっ」
教師に褒められた低学年男子のようにソウイチが笑う。その声を横から聞いて、学業もそれくらい頑張ればいいのにと、クルシェは思った。
「話しているうちに到着したわ」
ソナマナンが歩きながら目線で、ある建物を指した。
〈月猟会〉の支部は目抜き通りから外れた場所、中小の商社の建物が並ぶ一角に位置していた。三階建てでその辺の商社が入っていそうな変哲の無い建物だった。
怪しまれないように三人は距離を置いて観察する。
〈月猟会〉支部からは何人もの構成員らしき男たちが出入りしていた。いずれも柄が悪く、いかにも犯罪組織に属するような人物ばかりだ。
「さすがに勢力拡大している組織ね。こりゃあ、ちょっと正面からは手が出せないわ」
「何か作戦を考える必要があるってことね」
言葉を交わすと、クルシェとソナマナンは踵を返して足早にその場を立ち去る。
ここは世界観や国家の説明があります。
つまらないシーンでも必要ではあるので書かざるを得ないですね。
こういう説明を上手く書けるようになるとよいのですけれど。
クルシェとソナマナンも、さすがに敵の本部にカチコミするほどイケイケではなかったようです。
それでは、どう攻めようと考えるのか。