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クルシェは殺すことにした  作者: 小語
第5章 夜はかなし
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第7話 夜はかなし

「イタい……」


 クルシェは机に背をもたれて荒い息を吐く。


 上体を起こすと右脇腹を起点に激痛が体内で炸裂する。明滅する視界のなかで九紫美が拳銃を突き出しているのが見え、クルシェは一本のナイフを投じた。


 クルシェがすでに考えうる手立ては尽くした。後は、自身の生命を賭け金にした博打に打って出るしかない。

 クルシェは身体中を刺激する痛覚を無視し、九紫美に狙いを定めさせないために走り出した。


「小娘。諦めが悪いわね」


 傷を負いながらも体捌きに遅滞を感じさせないクルシェに対し、九紫美は感嘆と憎悪のない交ぜになった呟きを漏らす。


 クルシェが二本のナイフを九紫美の頭部目がけて投擲。


 刃が九紫美の肌を傷つけることはないと言っても、顔に向かって物体が飛んでくるのは気持ちのいいものではないのだろう。九紫美はナイフを弾丸で撃ち落とした。


 クルシェは矢継ぎ早に三本の刃を放っている。これも顔に向けて投げており、九紫美は苛立ちを目元に浮かべつつ見事に射撃で払い除けた。


「悪あがきはいい加減になさい! あなたに勝機は無いとまだ理解できないの?」


 九紫美は内心の憤激を弾丸として具象化する。連射される銃弾が疾風となって駆けるクルシェの周囲を破砕するも、その柔肌を穿つことはない。


 突如、クルシェが反転して逆方向に突き進む。その速度に反応できなかった九紫美が顔を曲げてその行方を追ったとき、四つの刃先が九紫美の黒い瞳に映じた。


 九紫美が巧みな銃撃で三本までナイフを防いだが、残りの一本が九紫美の顔を貫いた。〈逆照らし〉の魔力によって無傷とはいえ、今の一撃は後れをとったことに変わりない。


 九紫美が視線でクルシェを射抜いた途端、その双眸に宿る感情は憤りから困惑へと上書きされる。


 クルシェの観察するような目つきに気付き、九紫美は当惑したようだ。

 ひた、と自身を睨むクルシェの姿を見やり、その意図が読めずに迷った九紫美が怯んだように動きを止めた。


 クルシェが痛みも忘れて加速する。


 九紫美の瞳に映る、まっすぐに突き進む自分の姿が徐々に大きくなるのをクルシェも分かるようだった。


 突如、銃声とともにクルシェの右肩口から血が弾けた。倒れかかったクルシェがそれでも踏ん張り、横っ飛びで何とか遮蔽物の裏に待避する。


 事務机の陰から覗き見るクルシェの視線の先に、もう一人の人物が映っていた。


「クオン」


 九紫美から名前を呼ばれた男は、クルシェの逃げ込んだ場所を照準しながら片手を挙げて応じた。

 九紫美はクオンに歩み寄り、守るように背後に庇って問いかける。


「どうしてここへ来たの?」

「いや、済まない。でも、あの小娘に教えてやる必要があるんだ。九紫美だけを戦わせて、俺だけ隠れているつもりはないということを」

「私だけを戦わせる?」

「俺には、君だけを戦わせるつもりは無い。俺も九紫美と一緒に戦うんだ」

「……小娘!」


 九紫美の憎悪の詰まった視線を向けられ、慌ててクルシェは頭を引っ込める。


 やっと九紫美もクルシェの目的を知ったようだ。

 九紫美の最大の弱点は、クオン。クオンを守るために、九紫美の動きは大きく制限される。


「クオン、私の後ろにいてちょうだい」

「分かった」


 クルシェの狙い通り、九紫美はクオンを守るためにその前へと立った。


 ここまではクルシェの作戦通りだった。ただ、一つの事実を覗いては。

 九紫美もそのことに気付いたのか、自信に満ちた声を張り上げる。


「クオンの銃の腕前を知らなかったようね。自分でけしかけておいて、後悔しているのではなくて?」


 九紫美の言葉通り、先ほどの一撃を浴びてクルシェは身体を動かすだけでやっとだった。

 もうすでにクルシェは虫の息でしかない。


「さあ、出てきなさい。それとも息絶えるまで隠れている気?」


 戸棚の陰から飛び出したクルシェの身ごなしは如実に衰えている。九紫美とクオンの銃撃に晒され、クルシェは成す術もなく再び隠れるしかなかった。


 デスクに背中を預けたクルシェの視界が大きく揺れる。


「もう少し……」


 呼吸を大きく喘がせながらクルシェは呟いた。


「お願い。もう少しだけ動いて」


 そう自身の肉体に呼びかける。ハチロウとの戦いで受けた傷からもまた出血し始め、クルシェの服は真っ赤に染まっていた。


 右肩の銃創はかすり傷だったものの、血を流し過ぎたのか視界は白く明滅し、指先に力が入らない。身体がひどく寒かった。

 これほどの代償を払って、やっと細工は完成に近づきつつある。ここで力尽きるわけにはいかなかった。


「フリード、見ていて。これが、あなたの教えてくれた、九紫美の弱点」


 息苦しさから切れ切れになる言葉を紡ぐと、クルシェの瞳に鮮烈な光彩が宿った。


 クルシェは立ち上がると同時に疾駆する。


 弾丸の一群がその軌道を追跡するが、追いつくことはなかった。二人が弾を装填する隙にクルシェは並んだ事務机の陰に身を隠す。


 クルシェが右側から出ようとすると、クオンが発砲する。移動したクルシェが左側から頭を出すと、九紫美の銃撃が出迎えた。


 無言のうちに九紫美とクオンは警戒する方向を分担したようだ。


 九紫美からは、完全にクルシェは袋小路に追い詰められたと見えているだろう。

 クルシェは並ぶ事務机の右側から、少しだけ頭を出す。クルシェの金髪が目に入ったクオンは仕留めようとするだろう。


 クオンの銃の腕前ならば、ほんの数歩だけ進むだけでいい。クオンからすれば警戒するほどのことではないはずだ。


 不意にクルシェは頭を引っ込める。移動して、最後の合図を待つだけだった。


 九紫美が発する、自身の最期を告げる一言を。


「クオン。出過ぎよ、少し下がって」


 いつの間にか前に出過ぎているクオンへと、九紫美が注意を促す声が聞こえた。当然、九紫美は視線をクルシェが隠れる場所から逸らしているはずだ。


 クルシェは事務机を足場にして一気に跳躍した。


 驚いて見開いた九紫美の瞳に、宙に身を躍らせたクルシェの姿が映し出される。照明を背中から浴び、広がった金髪が光の粒子を弾いて光背を発していた。


 その光が、九紫美の無明の影を照らし出すようだった。


 クルシェは肉体に残されたありったけの力を集め、四本のナイフを放つ。渾身の力で投擲した四つの光条が、まっすぐに九紫美の生命へと走った。


 これがクルシェの企図した構図だった。クオンが九紫美の背後に位置しており、クオンはクルシェに気付いていない。


 九紫美が〈逆照らし〉の魔力を発現して攻撃を透過すれば、刃は確実に背後のクオンを襲うことになる。


 咄嗟に九紫美が銃撃し、的確に三本までを撃ち落とした。しかし、九紫美の表情は新月の夜にも似て陰っている。

 そこまでが限界だと、九紫美も先ほどの経験で理解しているのだ。


 これはクルシェの問いかけ。九紫美にとって大切なものは何か。


 鋭利に輝くナイフの切っ先が九紫美の胸に吸い込まれた。刃がその胸に埋まり、柄の部分が肌に触れたとき、ナイフはその肉体を透過せず九紫美の胸に突き立っていた。


「ッ……」


 異変に気付いたクオンが口を開きかけると、九紫美が横倒しに崩れ落ちた。


「九紫美⁉」


 叫びを上げたクオンが拳銃を捨てて九紫美の元に駆け寄る。


 クオンにとっては信じられないことだったろう。〈逆照らし〉の魔力によって実体を持たない九紫美の身体に刃が刺さっているのだ。


 クオンが九紫美を抱き起こすと、その胸から溢れた血潮がクオンの両手を赤く濡らした。


 その様子を眺めていたクルシェは、もはや二人に戦意は無いと見て取って近寄った。九紫美は目を閉じて、唇から血を流しているが、まだ息はあるようだった。


「本当は分かっていた。俺が彼女の足枷になってしまうことは」


 クオンは誰に聞かせるともなく言った。


「それでも来たかった。俺は九紫美とともにいることを示したかったからな」


 クオンの存在こそ、九紫美の弱点だった。あらゆる攻撃を透過する九紫美に一撃を加えるためには、自ら魔力の発現を解かせる必要がある。


 そのことに気付いたクルシェは、クオンの身代わりとなることを九紫美に選ばせる状況を作り出したのだ。

 自分よりも大切な存在があることを知ったクルシェが気付いた、九紫美の唯一の弱点だった。


「ソウイチはどこにいるの?」

「〈月猟会〉の倉庫だ。調べれば、すぐに分かる」


 クオンはクルシェを一瞥もせずに応じ、その視線を蒼白になった九紫美の顔に落としている。


「俺を殺すことが目的だろう。君に手間をかけさせることもない」


 まだ油断はならなかった。クルシェは全身を叱咤して立ち続け、クオンの挙動を見守る。


「九紫美、聞こえるか? 俺は、君といつまでも一緒だ」


 クオンが耳元で囁くと、その声を聞いて気力を振り絞ったように九紫美が薄目を開いた。


「一緒に……来て、くれるの?」


 か細い声に応じてクオンが頷くと、九紫美は嬉しげに目蓋を閉じた。


 ふと、九紫美の肉体が彼女自身の影に沈み始めた。彼女を抱きしめているクオンも、床に広がる暗黒のなかに下半身が沈んでいく。


 横たわっている九紫美の方が先に影のなかに姿を消していく。クルシェが最後に目にした九紫美は、長い殺戮の果てに辿り着いた安息の表情をしていた。


 クオンも肩までが影に埋まると、クルシェを振り返った。


「俺は、本当はこの街が欲しかったわけじゃない。ただ、街を支配するための戦いが、俺と九紫美の繋がりだっただけだ」

「本当に、それだけ?」

「分からない。だが、もっと別な繋がりを作ることもできたかもしれないな」


 クオンはすでに喉まで闇に沈んでいる。


「クルシェ、俺や九紫美と同じように、君もこうして闇に消えていく生き方をしている。今の俺達の姿が、未来の君の末路だ」


 クオンと九紫美が、あの二人だけが知っている世界へと旅立ったのを見届けると、クルシェは踵を返した。


 もはやクルシェの手足の感覚はなくなり、視界は茫洋と霞んで、覚束ない足取りでクルシェは歩んだ。


「まだ……、ソウイチを助けに行かないと」


 クルシェの意思に反し、階段の踊り場に出た辺りで目の前が真っ暗になった。足の力が抜けて、クルシェは前のめりに倒れる。


 そのとき、クルシェは床ではなく、温かいものに支えられた。それは思いがけない力強さでクルシェの身体を持ち上げ、反抗する余力の無いクルシェはなすがままにされている。


 温かくて広いものが誰かの背中であり、自分がおんぶされていることにクルシェは気づいた。


「クルシェ、大丈夫か?」


 その声の主が誰であるか理解したとき、クルシェの瞳に光が戻った。


「……ソウイチ? どうして、ここに?」

「はは。上手く逃げ出してきたよ」


 どうやらソウイチが無事だったと知り、クルシェの胸中に安堵が広がる。


「クルシェも、フリードさんの仇を討てたみたいだな」

「うん」

「よくやったじゃないか」


 クルシェはソウイチの背中に頬を預ける。


 ソウイチが〈月猟会〉の事務所を出た頃、その背中に熱いものが滴り落ちてきていた。背後で聞こえる嗚咽をソウイチは気付かない振りをして歩む。


「さよなら、フリード……」


 ソウイチの背中で泣きながら、クルシェは閉じた目のなかでフリードの姿が遠ざかっていくのを感じた。

九紫美との決着です。

クオンを守ろうとする九紫美の心理を利用するクルシェの辛辣な作戦が成功しました。

九紫美とクオンが特別な間柄という事前情報。

クオンが〈さよなら亭〉までクルシェを倒すために自ら出向く勇敢さを持つことを知っていた。

ソウイチを助けるために自分は死んでもいいという気持ちにクルシェが気付いたこと。

色んな条件が重なってこの作戦を思いついたクルシェでした。


クオンと九紫美が影のなかに消えていく最期が好きです。

九紫美の能力的に二人とも一階の床にベターン!となるはずですが、そこは二人ともどこか別の世界に消えていったということにさせてください。

思い合うが故にお互いがお互いの弱点になってしまった悲しき二人でした。

九紫美とクオンもお疲れさまでした。

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