第4話 ハチロウ・ヤマナミとの戦い
「楽しいな。やはり、お嬢ちゃんは俺が見込んだだけある」
自分を睨み据えたままクルシェが口を開こうとしないことに、ハチロウが不審げに眉根を寄せる。
一拍置いてからクルシェが言った。
「やっぱり、そうだったのね。やっと分かったわ」
「何が?」
「あなたはハクランで連続少女殺人を犯した濡れ衣を着せられて、ハクランから逃亡してきた。でも……」
ハチロウの双眸が底光りする色彩を帯びたことを気に留めず、クルシェは先を続ける。
「冤罪ではないのね。あなたが殺したんだわ」
「何故、お嬢ちゃんにそんなことが分かるというのだ?」
「あなたが本気を出せば、〈別離にさよなら亭〉でも、さっきもわたしを殺すことができていたわ。すぐにわたしを始末しないのは、猟奇殺人者が快楽を求めているから」
「……違う! 気の迷いだったんだ! 俺は快楽で小娘なんぞ斬りはしない‼」
「そう思うのなら、自分の顔を確かめてみれば?」
ハチロウは、長脇差の刀身を鏡代わりにして自分の顔を映す。自身を見返す男の口元が喜悦に歪んでいるのを目にし、ハチロウが悲鳴を上げた。
「気の迷いなんだ! 俺は殺したかったわけではない!」
長脇差を構え続けているのはさすがだが、片手で頭を抱えているハチロウは如実に取り乱していた。普段の超然とした姿からは想像しえない落差である。
クルシェはフリードの言葉を想起した。自分よりも強い敵と相対した場合、奇策を用いるしか方法は無いと。
ハチロウの経歴とクルシェをすぐに殺さないことから薄々考えてはいたのだが、クルシェの推測は的中した。ハチロウの平静を乱せば、勝機は見えてくるはずだった。
「あなたは少女を殺して快感を覚えるクズよ。昨夜、すぐにわたしを殺さなかったのも、今夜一人で出向いてきたのも、わたしをいたぶって快楽を得たいがため」
「お嬢ちゃん、あまり喋り過ぎると、短い寿命をさらに縮めることになるぞ……!」
「そうやって、これからも少女を殺していくんだわ」
「俺はもう殺さない! 決めたんだ!」
数秒間、ハチロウのなかでは、気高い剣士と猟奇殺人者が対立していたらしい。身体の震えが止まり、顔を上げたハチロウの表情を見れば、どちらが精神の主導権を握ったかは明らかだった。
澄んだ瞳でクルシェを見やるハチロウの姿は、紛れもなくハクランで有数の剣士と謳われた男のものだった。
「お嬢ちゃん。見苦しいものをお目にかけて、済まない。これからは、このハチロウ・ヤマナミが真剣にお相手する」
若い頃はその剣の腕から将来を嘱望されながらも、生まれ持った異常な性的嗜好のために道を踏み外した男の悲哀がそこにあった。
「できれば、真剣じゃなくなった方がよかったんだけれど」
「俺が少女を殺すのは、お嬢ちゃんで最後だ」
ハチロウが地面を蹴って突き進み、クルシェの脳裡で警鐘が鳴った。斬られる、という予感だった。
クルシェは後方に跳びながら短剣を投擲する。ハチロウは難なく打ち落として追ってくるが、さすがに逃げるのを優先するクルシェには追いつけない。
彼我の距離が縮まると、ハチロウの長脇差が霞の帯となってクルシェを襲来する。一度は衣服が切り裂かれるまでに肉薄され、クルシェは冷や汗をかいた。
「相手を錯乱させるはずが、余計なことをやっちまったかもしれない……!」
やがてクルシェの背中に硬いものが当たると、その背後には木の幹が位置していた。ハチロウはそれと気づかせぬようにクルシェが樹木を背にするように追い込んでいたのだ。
進退窮まったクルシェが右手の死期視を構える。ハチロウが軽口も叩くことなく一歩ずつ間合いを詰めてくるのが、いっそ不気味だった。
その間合いに捉えられる直前、クルシェはハチロウに急接近する。意表を突かれたハチロウが足を止めたとき、クルシェは後方へ高く跳躍していた。
樹木に飛びつき、枝を掴んだクルシェは幹を足場にしてハチロウの頭上を飛び越える。ハチロウも即応、中空を翔けるクルシェを追って銀光が垂直に斬り上げられた。
「うっ⁉」
剣閃は、木の小枝を切断してからクルシェの左脇腹に食らいついていた。血飛沫が小雨のようにハチロウに振り注ぎ、その着衣と顔に赤い斑模様を描き出す。
クルシェは着地に失敗して横倒しに崩れ、切り落とされた小枝がその隣に転がる。
ようやく片膝立ちになったときには、駆け寄ったハチロウが容赦なくクルシェを斬り捨てようとしていた。
ハチロウが振りかぶった長脇差を打ち下ろす寸前、クルシェは右手を背後に隠しつつ立ち上がりかけていた。
ハチロウは、クルシェの手にする刃を弾いてからその首を刎ねようと、まずその右手へと剣を走らせる。
「さらばだ!」
クルシェが右手の武器を突き出したのに合わせて神速の斬撃を放った刹那、ハチロウの双眸が見開かれた。
クルシェが死期視を手にしていたなら、ハチロウの目論見通りになっただろう。その細い指が掴んでいたのは、先ほどハチロウ自身が切った、木の小枝だった。
剣が小枝を両断する。達人の技術で斜めに切られた小枝の切断面は、鋭利な刃物に遜色ない切れ味を秘めていた。
刀を振り抜いたハチロウが二撃目に繋げるよりも速く、クルシェは小枝をその胸板に突き込む。
ズブッ、という肉の奥まで突き抜ける感触を手元に覚えながら、クルシェは勢いのまま数歩を進んで前のめりに倒れた。
地面に這いつくばったクルシェが振り向いてハチロウを見やった。余力は残っておらず、今の攻撃でハチロウを仕留められなければ、ただ殺されるのを待つだけだ。
数秒後、ハチロウが振り向くとクルシェは死を覚悟する。だが、確かにその胸に突き立った小枝と、ハチロウの口唇から滴る血流がそれを杞憂とした。
「お嬢ちゃん、いや、クルシェ……」
穏やかなハチロウの声音からは、すでに戦意は感じられない。
「貴女が最期の相手で、俺は満足だ。末期の頼みといってはなんだが俺の相棒、この〈穢幾何〉をもらってくれないか?」
「いらないわ」
「業物なんだがな」
ハチロウは刀身を鞘に納めると、腰の革帯から愛用の長脇差を鞘ごと抜いた。
「それならば、せめてこいつをそこらの川にでも捨ててくれないか。どこぞの凡夫に拾われたのでは、こいつが憐れだ。それくらいなら頼まれてくれるだろう?」
返事も待たずにハチロウが鞘を放り投げたので、仕方なくクルシェは受け取った。
力尽きたのか、ハチロウの口から血潮が噴き出す。
「さあ、もう行くがいい。残るのは影嬢だけだ。貴女なら勝てるかもしれん」
クルシェから言うべきことは何もなかった。無言のまま踵を返して死闘の終わった公園を離れると、遠くで人の倒れる音が微かに耳朶に届いた。
クルシェは運河を見つけると、ハチロウの遺言通りに河川へと長脇差を放り落とす。
闇に響いた水音が虚空に溶けていく。長脇差が暗黒の帯にも見える水面に残した波紋も消え去ると、やっとハチロウとの戦いが終わった実感がした。
ハチロウとの決着です。
かなり偶然の要素が強い決着でしたが、機転を利かせた紛れもないクルシェの勝利ですね。作者が言うんだから間違いないっす。
小枝で相手を斬るというのも元ネタがあります。ハチロウ関連は私の時代劇好きが盛り込まれていますね。
そして少女殺害の濡れ衣をかけられた〈花散らしのハチロウ〉でしたが、冤罪じゃなかった!
本作のしかけの2つ目です。ハチロウはクルシェを倒せたのに弄んでいただけでした。
初登場時から酒場の少女に興味を持つ描写があるなど、実はロリコンの気配を見せていた男です。
イケオジ剣士に書いてきましたが、ただのロリコンオジサンだったハチロウ。最期は欲望を振り切って一介の剣士としてクルシェと戦い、力尽きました。
お疲れさまでした。




