第3話 〈花散らしのハチロウ〉との戦い
クルシェの爪先はしっかりと〈月猟会〉事務所に向けられていた。
途中までは鉄道を利用し、〈月猟会〉の縄張りに入ってからは徒歩で移動しており、わざと人通りの無い場所を選んで歩いている。
〈月猟会〉の狙いはクルシェを殺すことだ。
そしてそれを行える者は二人、九紫美とハチロウ。普通なら事務所に誘き出したクルシェを二人がかりで殺すだろうが、クルシェとしては勝つために一人ずつ相手にしたいところだった。
そのために隙を見せているのだ。
もしかしたら目論見が成功したのかもしれないとクルシェが思ったのは、行く手を数人の男に塞がれたときだった。
クルシェは道を折れて進むと、建物に四方を囲まれた広場に行き当たった。表通りからは離れていて、中途半端な広さのために新たに建造物を造ることもできず、ただ何十年も放っておかれた広場らしい。
幾つかの広葉樹が、残り少ない葉を枝につけて夜風に揺らせていた。木製の電柱から落ちる光は頻繁に点滅しており、その下には真新しい監視カメラが備え付けられている。
その寂れた風景のなかに、闇を背負って立つ孤影があった。
「お嬢ちゃん、待ち兼ねていた」
「ハチロウ・ヤマナミ……」
赤褐色の頭髪と黒い瞳を有し、長脇差を腰に帯びた男、ハチロウがクルシェを待ち受けていたのだ。
「わざわざ一人で来たのね」
「お嬢ちゃんとは二人だけで戦ってみたかったのでね」
短い言葉を交わしていると、五人の男たちがハチロウの回りに集まった。
「旦那、ご命令通りにガキを追い込みました」
「む、大義だったな」
「あとは全員であのガキを袋にしちまうんですよね。そんで殺す前に、へへ」
下卑た想像が表情に出ている男たちを横目に眺め、ハチロウが口を開く。
「そのことなんだが、あのお嬢ちゃんは俺が貰うことにした」
その語尾が男たちの耳に届いた刹那、ハチロウの腰から光芒が走った。照明を反射して光の帯となった刃は、ハチロウの周囲にいる四人の男達を切り裂く。
「な、何を⁉」
最後の男が放とうとした言葉ごと、その頭頂から腹部までを刃が斬り下げる。
血煙を上げて即死した男をハチロウが支えて立たせたまま、その衣服で刀身の血を拭った。
「お目汚しで済まない」
クルシェに詫びたハチロウは死体を突き飛ばす。
「私は構わないけれど、どういうつもりなの?」
「言った通りだ。お嬢ちゃんと剣を交えるのに、邪魔されたのでは敵わんからな」
「随分と余裕なのね」
「本気だからこそ、一人で相手をしたい。腐っても、ハクランの血が俺にも流れている」
「両手でも持て余すくらいの悔恨を抱えて、地獄に行くことになるわ」
クルシェは右手に死期視を握って駆け出す。対するハチロウは足を大きく開き気味にして中段に構えていた。
突進しながらクルシェは左手でナイフを投擲する。顔面に向けて飛来したそれを苦もなくハチロウが避けたとき、横に回り込んだクルシェが斬り込んだ。
クルシェの揮った刃を鍔元で受け流したハチロウが横薙ぎの斬撃を返す。クルシェが身を屈めて一撃を頭上に流したが、旋回した刀身がさらに縦の軌道を描いて降り下ろされた。
辛うじてクルシェは斜め前に回避。その勢いを乗せて返礼の刺突を放つものの、ハチロウが柄頭でクルシェの腕を叩いて狙いが逸れる。
ハチロウの一撃が痛打となり、クルシェは仕切り直そうと後方に飛び退いた。追撃をかける素振りもなく、ハチロウはクルシェが逃げるに任せていた。
「凡百の腕ではないわね」
「それは光栄だ。お嬢ちゃんの相手なら、この〈穢幾何〉も喜ぶだろう」
ハチロウは愛刀を掲げて言った。
「かなり多くの人を斬ってきたようね。何人殺したの」
「今まで何人殺したかは知らないが、これから一人増えるのは確かだな」
クルシェは左手にナイフを握った。瞬時に刃はその手を離れてハチロウを襲撃。
ハチロウは前進しながら剣を振り払う。水平に空を裂く一条の流星が剣に弾かれて朱の星屑を散らし、驚愕するクルシェの面を彩った。
地に転がるナイフを踏み越えてハチロウが肉薄。長脇差の切っ先が煌めきとなって宙を走り、危うくクルシェが寸毫の差で刀身を受け流した。
「さすがだ」
ハチロウの賛辞にも応えず、クルシェは左手にもナイフを掴んだ。ハチロウの一撃を防いだ右手が衝撃で痺れている。
まともに受ければ短剣ごと両断されそうな凄まじさだ。
ハチロウが体勢を整えるよりも先に、クルシェが前屈みになってその身を颶風と化す。擦れ違いしなに両手の刃で斬撃を繰り出したクルシェと、緩慢にも映る体捌きのハチロウが交差する。
その瞬間、両者の間で弾けた火花が夜を白昼の明るさに照らし出した。
クルシェがハチロウの背後で急停止し、その身が纏っていた風のみが後方まで吹き抜ける。二人が背中合わせの姿勢で静止したまま数秒が過ぎた。
不意にクルシェがナイフの短剣を落とす。
高い音を立てて路面に転がったナイフの刃に、深紅の雫が垂れ落ちた。その赤い液体はクルシェの左腕から流れ落ちている。
「手加減しているのね。本当なら、わたしは殺されていたはず」
「俺は紛れもなく本気だ。止めを刺さないだけで」
そう言うや否や、ハチロウが滑るような足取りで詰め寄ってくる。クルシェは片手の刃を構えて応じた。
刀を振り被ったハチロウが斜めに剣を斬り下げる。右半身になってかわしたクルシェへと、剣閃の奔流が続いてその小さな身体を押し包んだ。
ハチロウの刀が宙に十字を刻み、翻って右下から斬り上げられた。瞬く間に防戦一方となったクルシェは切っ先の間隙を逃げていたものの、危うい一撃が肌を掠めてその足がもつれる。
隙を生じたクルシェへとハチロウの蹴りが飛び、爪先が胸に直撃したクルシェが仰向けに倒れ込んだ。
慌てて死期視を構えて立ち上がるクルシェを、ハチロウは追撃をかけることなく眺めている。
ハチロウが強すぎて圧倒されるクルシェ。ハチロウを倒す手段はあるのでしょうか。
「かなり多くの人を斬ってきたようね。何人殺したの」
「今まで何人殺したかは知らないが、これから一人増えるのは確かだな」
このやりとりがお気に入りなのですが、カクヨムで公開したときは誰にも触れられなくて悲しいです。




